最悪と災悪と再悪
「そう、種明かしだ。」
「あなたの能力は«魔法論理»──あらゆる現象において、対象の身体ないし意識そのものに錯覚を引き起こす能力。黒い煙を見せたのも、岩石を破砕したのも、僕を行動不能にさせたのも、全てがそれぞれの対象に施した錯覚に過ぎないんですよ。」
「──勿論、僕の怪我もね。」
そう言って僕は身体を起こす。
下手したら意識が飛びかねない激痛が全身を駆け巡ったけれど、今となってはそんなことすら考慮に値しない些事だった。
僕が立ち上がったことで有栖川の表情が一変・・・彼からすれば無理からぬ話だろう。かつての仲間の仇である敵から、何やら«痛いところ»を突かれたために精神的に衰弱しきっている有栖川は、最早とっくに僕を欺くことなど意識の外にあるようで──否、もしかしたら意識の外にすらもないのかもしれなかった。
「残念ながら僕は«大嘘突き»なもんでね──語り部には向かない性質ですけれど、だからこそつまらない嘘なんてのは元より僕には通じないんです。」
「何の話だ・・・説明しろよ、貴様ッ・・・・・・!」
狼狽する有栖川。
「僕はあなたの攻撃で何本も骨を砕かれたようで、実はそんなことは無かった──骨を砕かれたと錯覚させられただけで。それを痛いと錯覚させられただけで、実は全て、言ってしまえば" 気のせい "だった。」
気の所為だった。
全てが脆弱な虚言で、全てが軟弱な欺瞞で、全てが貧弱な錯覚だったのだ。
「だからあなたが能力を発動し続けている今、激痛は続くものの・・・少なくとも肋骨を骨折はしていないんだから、身体を庇うようにして動くことは充分に可能なんだ。こうやって立ち上がることも。」
そこまで言い終えたあたりで、有栖川が嫌な事実に対して合点がいったように唇を僅かに噛み締めたのを見る。
いよいよ、最後の仕上げにかかろう。
「僕は最近«命題»に入ったばかりの新入りなもんでね。だからあなたと緋雨さんの間に何があったのか──どんな悲惨なことがあったのかは、残念ながら僕には分からない。
「でも、どれほど深い理由があったにしても、あなたは復讐なんて考えるべきじゃあなかったと思いますよ。
「神凪兄妹を直接捜そうとせずに、あえて無関係の人間たちから無差別に殺していったのも──罠のつもりもあったのでしょうけれど、本当のところ、それは意思表示だったんでしょう?決意の表れだったんでしょう?」
無関係と言って関与せず。
無差別と言って区別せず。
無抵抗と言って反抗せず。
────反攻せず。
「けどそんなの、疲れません?」
「・・・・・・──────ッ。でも、でも・・・だからって。クソッ、どうしたら──私は、どうしたらッ・・・・・・・・・!!」
有栖川は顔を抱え込む。
額には脂汗が浮かんでいて、顔はより一層老化したように見え、そして何よりその表情は恐怖に塗り潰されている。
身体中がガタガタと震撼しており、脚に力が入っていない。
立っているのがやっとだと言った感じで、そして声も虚ろ、眼差しも虚ろなもの。
一切の気力が目の前の男には入っていなかった。
生きているとはとても呼べないような──生体反応こそあっても、到底そんなことが言えないような、惨めで、愚かな有様だったのだ。
仲間を失い、自我を失い、目的を失い、他にも様々なものを投げ打って。
そこまでして復讐に失敗した、人間の姿は。
「簡単ですよ。殺し屋稼業から足を洗えばいい・・・綺麗さっぱり。裏の世界の住人という立場は変わらなくても、それくらいなら可能でしょう?事実、緋雨さんはそうしましたよ。────そうして、変わりましたよ。」
僕はなんとなく緋雨さんを振り向くけれど、彼は何も言わずに積み重なった瓦礫の山の上に腰掛けていた。その表情は朴訥としていて読むことは出来ず、つまり何を考えているか全く分からない。
もしかしたら有栖川のことを考えているのかもしれないし。
もしかしたら«命題»のことを考えているのかもしれないし。
もしかしたら過去のことを考えているのかもしれないし。
もしかしたら。
──────もしかしたら、神凪 舞姫さんのことを考えているのかもしれない。
僕は視線を戻す。
「奴は特殊だよ──神凪 緋雨こそ背景に«花火»があったからな。当時のボス・捌花 無蔵はえらく彼を可愛がっていたから、彼の意志を汲んで、それ故に何者も彼に手出しが出来ぬようにあれやこれやと手を回したのさ。普通はそんなことをすれば────当然。」
震える声で、気の抜けた声で、虚ろな声で。
それでも、恨みがましいような声で。
有栖川はそう言うのだ。
当然。
当然、殺される。
当然、命はない。
恐怖心からなのか生への執着心からなのか、やはり最後までそれを口に出せないでいるところを見て、彼の人間らしさをいちいち感じてしまう。
「・・・だったら、しばらくの間«命題»があなたを匿うことも出来るんですよ?」
少しばかり逡巡した挙句、僕は穏やかにそう言った。
「僕らは«何でも屋»ですからね。その気になればあなた1人匿うことくらいわけないさ。天下無敵の情報屋もいます、潜伏だって容易だ・・・・・・もし完璧に追っ手を撒いたら、その先は僕らのことなど気にせず好きにすればいい。」
好きに。
──────好きに、すればいい。
復讐という枷に捕らわれず。
怨恨という鎖に縛られず。
自業自得と自縄自縛の中で無理をして生きる必要は無い。
僕は1歩、今にも呆気なく壊れそうな有栖川に歩み寄る。
僕は1歩、今にも味気なく崩れそうな有栖川に歩み寄る。
僕は1歩、今にも素っ気なく潰れそうな有栖川に歩み寄る。
僕は。
僕は。
僕は。
「・・・・・・・・・・。」
僕は何も言わず、握手を求めるようにしてスッ、と手を差し出す。
「──ありがとう・・・・・・・・っ。その、これから、これから・・・」
「これから、よろしく頼む」
彼は泣いていた。
しかし出会った時のような丁寧な口調を取り戻しおり、ああ、やっと落ち着いたかな────なんてことを考えて、僕はやっと安堵するわけだ。
そして。
そして。
僕は呟く。
「見誤るなよ」
見誤るな?
何を?
────そんなもん、決まっているだろう。
「BANG」
辺りに鋭い銃声が響く。
耳の中が裂けるほどの痛みがゆっくり広がる。
腕にはビリビリと衝撃が迸り、自身の心臓は自ずと激しく脈打った。やはり全身の血液が沸騰するような感覚に襲われて、そしてそれらが身体を駆け巡る。
「な・・・・・・・・・ッ?」
一瞬遅れて静寂が訪れる。
僕の眼前には、血に染まった胸を手で抑えて──先程僕の首を絞めた手で抑えて蹲る、有栖川の姿があって。
あって。
そして。
僕の手には、拳銃が一丁握られていた。
S&WのM15──僕の腰元のホルスターに収納されていたモノ。
つまりは出発する直前、朝比奈ちゃんから預かったモノ。
それが" コレ "だった。
銀色の銃身が美しく煌めく。
「異能力者ってのは大体がその能力だけに完全に頼ってしまいがちだから・・・精神攻撃こそ有効って言うのかな?メンタル的な隙を完璧に突いてしまえば、僕みたいなヤツでも殺せたりするんですよ、実は。」
「くははっ、見事に騙されましたね。」
僕は笑う。少しだけ、ほんの少しだけ愉しげに笑う。
水面越しの彼のように。
鏡面通しの彼のように。
『対偶』である彼のように。
洞木 唯一のように、笑う。
「ハァ────ッ・・・・・・・・・・・・!!」
呼吸を必死に整えようとする有栖川。口からは赤黒い血液が大量に溢れ出す。
「僕は──僕の«異能力»は、言ってしまえば即ち«最悪»なんですよ。他人の精神に毒のように溶け込んで、卑劣で愚劣、最低最悪の映像を見せるんです。」
薄々気づいていたことではあった。
思い出したくもない──どころか、刹那だって、瞬間だって忘れることすら許されない、忌々しき過去の«出来事»以来、僕はこの能力に覚醒したのだ・・・それは多分、潜在意識的なものと解釈して間違いではないだろう。
たとえば過去の壮絶なトラウマだったり。
たとえば凄惨な裏切りだったり。
たとえば惨憺たる記憶だったり。
適材適所と言うべきか、それは場合によりけりだから不確かだけれど──────。
起こりうる最悪の結末を。
起こりうる最悪の結論を。
起こりうる最悪の結果を。
必ずその深層意識に見せつける──それが僕の異能力・«最悪»。
「目を逸らすな。」
「今まで目を瞑ってきた«最悪»を────その罪を、ここで清算しろ。」
僕は目を閉じた。
有栖川の脳内では、かつての凄惨な記憶が駆け巡っていた。
さながらテレビのノイズのように。
さながら霞がかった霧のように。
不明瞭で、不鮮明で、不安定で──それでいて、不幸で不幸でたまらないその過去の記憶が。
回想。
『有栖川──彼には昔、一人の姉がいました。彼女は腹違いの姉でしたが、そんなことを気にすることもなく、とても優しく彼の面倒を見てくれる、美しい姉でした。
『血の繋がった親から尽く虐待を繰り返されていた有栖川は、まだ幼いながらに自分を嫌悪し、そして世界を憎悪していたものの──────
『そんな姉こそが、自分がたったひとつ誇れる自慢でした。
『しかしある日、彼女は一人の殺し屋に殺されかけます。その殺し屋は、捌花 無蔵と名乗りました────その正体は、当時から着実に勢力を伸ばし始めていたギルド«花火»の幹部でした。
『幼少な彼は、最愛の姉の死を認めたくないと嘆きます。泣き喚きます。生まれて十年余りしか生きていないのにも関わらず、絶望の奥深く、底の底まで堕とされた彼は、今度こそ全てを恨みました。
『恨み、怨み、憾み、そしてうらみました。
『姉が死んだということは──そしてそれ以前に、その姉が存在したということは、誰にも知られず朽ち果てた真実となります。その厳然たる事実は、有栖川の胸にのみいつまでも残り続けました。
『青年になった彼は、捌花 無蔵、そして«花火»に復讐するべく殺し屋を目指します。1日も鍛錬を怠ることなく、敵意と悪意と、そして何より殺意に衝動的に突き動かされた彼は、著しい成長を見せました。
『そしてある時か、彼は8人の仲間と出会います。目的を同じにしている者もいれば、ただの快楽殺人者もいます。その名前は決して忘れることはありません──が、今は省くとしましょう。
『彼ら9人の殺し屋が集う集団は、非公式のものではありましたが、«蟷螂»と名づけられました。彼らは非常に仲が良く、親友よりも家族よりも互いを心の底から本当に思っていました。
『彼らは力をつけ、殺し屋の業界でその名をある程度馳せるべく、次々と他のチームを壊滅させて行きます。時にはたった9人で、4000人をも超える規模のチームを破滅へと追いやったこともありました。
『そんな風にして生きていた彼らは、ある時、2人の少年と少女を襲います。彼らは兄妹で、名を神凪と言いました──神凪の血族は、当時から裏の世界を支配する、柱の勢力の内の1つで、主に殺し屋ギルド«花火»のメンバーに直結する一族でした。
『«蟷螂»有栖川は、まだ年端もいかない若いガキだ──などと彼らを侮ります。油断してしまうのです。知らなかったのです──血が支配する殺意の力を。
『結果からして、実に簡単に«蟷螂»は壊滅しました。壊滅せざるを得ませんでした──それは何故なら、有栖川は瀕死の状態へと追い込まれ、そして有栖川以外のメンバーは容易くその命を破壊されたからです。』
『有栖川は息も絶え絶えに彼らからの逃亡に成功──暫くその名を伏せ、存在も隠し、裏の世界で完璧に溝鼠のような存在に成り下がってしまいました。
『数年後──彼は神凪兄妹の兄・神凪 緋雨が重大な失敗をしでかしたことと、殺し屋の世界から姿を消した彼は、今や全てをその代理として行う請負人として生きていることを知りました。
『彼は前よりも殊更強い復讐心に背中を押され、神凪 緋雨と新入りの少年の2人を罠に陥れることで、戦闘へと持ち込んだのです。』
『そしてこれから語るのは、さらにその後のお話。』