終わりの始まり
「・・・・・・あの」
「うん?どーしたの?」
僕は厳つい和屋敷のある一部屋で正座させられていた。
目の前には何も無いような顔をして気楽そうに緑茶を飲む女性──これは僕にとって面識深い、つまるところが福岡・博多から帰還した神凪 舞姫だった。
「どういう状況か、説明してほしいんですけれど」
かつてこれほどまでに、言葉を選ぶ機会があっただろうか。今の僕の精神状態、心理状況と言えば緊張に緊張、そして慎重に慎重である。
僕はこの如何ともし難い状況の原因である老齢の男性へと恐る恐る視線を向けた。
「なんだ、ガキ。儂の淹れた茶が飲めねえか。」
彼は萎縮した僕に凄むように訊ねる──腰に佩刀した数多の日本刀を見ずとも、彼の持つ威厳は僕を圧迫するには充分すぎるほどだった。
日本刀。
そう、彼は刀鍛冶であり、剣士でもある。まさしく二刀流と言ったところだ──いや、あまり上手くないか。
「だからー。君の言う通り福岡で國佳さんに挑んだの。そしたらすっかり仲良くなっちゃってさぁ。どーせだから一緒に東京に帰ってきちゃったっ!」
本当に額面通りの意味だ。
気の合う友人を見つけた舞姫さんは、白髪の剣士──悲鳴 國佳と、あろうことか『和解』した。
いやいや。
どんなコミュニケーション能力してんだよ、この人ら。
「えっと、あなたのお兄さんの間接的な敵なんですよ・・・?」
その存在を連絡した時の彼女と来たら、鬼のような形相(声だけだが)だったというのに。
「えー。だって兄貴を貶めたのは別のやつなんでしょ?薬剤師だっけ?」
「まあ、そうですけど」
「それに復活したんならめでたしめでたしじゃん。別に、兄貴だけでなくシンくんを助けてやる義理なんてないし。」
「・・・・・・・・・。」
おいおい。
なんてことを言うんだ。
「代わりにそいつを見つけたら肉詰め賽子にしてやるけどね。いいでしょ、國佳さん?」
「おう、構わん構わん。好きにせい。儂も元よりあの弄れた小僧はいけ好かんからな。」
冷やかに微笑して、そんなことを平気で言う悲鳴さん。
同じ組織で活動を共にしているけれど、そこに仲間意識なんて馬鹿らしいものは毛頭皆無なようだ。
人の生命がいとも容易くたち消える様子を、改めて痛感した。
別に痛くはないけれど。
「それより、だ。舞姫。ちょいとこのガキと二人きりにしてくれんか?」
「──────話がしてみたい。」
悲鳴さんは僕を鋭く睨み、試すような眼差しで口にした。
その一言に、思わず正座を崩そうとしてしまう──そろそろ足が痺れてきているので、どちらにせよ即座に逃走は図れないわけだが。
「・・・・・・?いいけど。そんじゃ、私は席を外しましょう。じゃあね、シンくん。殺されないように気をつけて。」
「ちょ・・・舞姫さん!ちょっと!命の保証ないんですか、僕!?」
「ないよん。言ったじゃん、兄貴が無事ならそれだけでいいから。ばいびー。」
襖が閉められる。
すとん、と耳に心地好い音が部屋に響いた。
「・・・・・・・・・・・・。」
静寂というよりは沈黙。
鹿威しの音でも挟めればまだ出来の悪いジョークで済むのだが。
「おい、ガキ。早くその茶を飲め。冷めてんだろうが」
苛立ちを募らせたような、半ば怒鳴り気味でそんなことを命ずる悲鳴さん──僕はそれに否応なく従わざるを得ない。
たしかに随分な時間が経過していて、湯呑みの中の緑茶はとっくに冷めきってしまっていた。
僕はそれを一気に飲み干し、気まずさに嘆息する。
「・・・・・・ご馳走さまでした。」
「よし、花札でもやろう。」
悲鳴さんは言うが早いか、僕の返事を待たずに淡々と準備を始めた。
「え・・・あ、すみません。花札のルール、あんまり詳しくなくて・・・・・・。」
「む・・・仕方あるまい。最近の若い者は花札も知らんのか──と言いたいところだが、儂も一昨日舞姫から教えて貰ったばかりだ。」
「そうなんですか・・・・・・。」
それもどうなのだろう。
「おう。それにややこしいからな。ルールのややこしい競技はどうにも好かぬ。楽しみにくいのだ。」
まあ、一理なくはないけど。
一般受けの強い遊びって、大体がルールも覚えやすいし、初心者には優しいものが多いよな。
「そんなら、大富豪でもやろう」
「待ってください!?」
「・・・・・・?」
不思議そうな顔をして首を傾げる悲鳴さん。この老人、素なのかボケなのか知らんが、なかなか面白いこと言うじゃないか・・・畜生。
「大富豪は三人から遊べるものですよ・・・舞姫さんもどっか行っちまったし、僕らじゃ遊べません。というか、ルールのややこしい遊びに苦言を呈した後に大富豪を持ってこないでください・・・・・・。」
ご存知大富豪は、ローカルルールが非常に多いことで有名である。
始まりにルールの確認と統一が必要不可欠だ。
「ふん。二人だろうが三人だろうが変わらん。人数不足なら«悪刀»どもを具現化すれば良い。」
それを言われて思い出す。
目の前の彼は僕の敵で、そしてそれ以前に剣客だ。
四本の名刀──«悪刀»を携える彼は、老齢と言えどその実力の衰微を知らない。
«否定丸»。
«不明丸»。
«非存丸»。
«絶望丸»。
人へ化ける異刀を扱う人斬りなのだった──僕もつい油断しそうになる。気を抜けば、次の瞬間には僕も肉塊と化しているのかもしれないのだ。
尤も、大富豪をやるために具現化させられる彼らの苦労は底知れないが。
「ところで」
話題を切り出したのは向こうだった。
「お前は儂らの組織を潰すのか?」
「そのつもりですけど」
答えるのに躊躇はしなかった。
だがしかし、まあ唐突な質問ということで狼狽はした──困惑もした。
「そうか・・・長年あのお方に仕えてきた身としては、感慨深くあるな」
「感慨深く、ですか」
「まあこの老いぼれが身を寄せられるのは、絶対的な野望を持つあのお方の下しかなかったからな──しかしやはり感慨深いわ。」
「長年羨望していたその『絶対』が、ついに壊されるのだと言うのがな。それは言わば世界の終わりと同義だ────儂はそれが見たい。」
独白のように、しかし柔らかな口調で悲鳴さんはそう言った。
世界の終わり。
自分の人生の道標であったものが、終結を迎える。
それは果たして、そうも簡単に受け入れられるものなのだろうか?
「苦しくは、ないんですか」
「あぁ?」
«虚剣癖»は嗄れた声で聞き返す。
僕の言わんとすることが全く理解し難いと言った調子だ。
「自分の仲間や、仕えていた人が消えるんですよ。居場所もなくなります。それは簡単なことじゃあないはずだ。」
「いいよ、別に。儂はもう引退するからな──身を引くのさ。」
「実を言えば、儂が舞姫との和解に応じたのも自身の衰えと敗北を認めたからだ。こんな清々しい気分になったのは久々だよ──5年前以来だ」
5年前。
つまり幼き日の遊海ちゃんが挑戦した時か。
「もうあのお方も新しい世代を求められているからな──そのために、今はこうして活動しておる。」
「・・・・・・あの。そのことなんですけれど、«組織»の目的って何なんです?」
「そうか。お前は未だにそれを知らんか──────全くタチの悪い幸運なものだ。」
どこか前置きじみた、奇妙なことを言ってから彼はシニカルに笑って言った。
「«組織»はお前を一員に引き入れようとしているのだよ──全てはあのお方の意向でな。なんでも計画に必要なものだとか。」
・・・・・・・・・?
僕を引き入れる?
殺すのではなく。
引き入れる、だと?
「計画──というと、僕は何かに必要とされているってことですね?」
「だな。儂の知る限りにおいては──そう。」
「«終焉»を、完成させることだ。」
«終焉»。
その言葉は、どこかで耳にした記憶がある。
「どうも今ひとつぴんと来ませんね・・・分からないことが多すぎる。«終焉»って一体何なんです?」
「いいよ。教えてやろう────«終焉»とは」
結果から言って、僕がその言葉の続きを聞くことは叶わなかった。
彼の腹部が突如『破裂』し、辺りが噴水のような量の鮮血に塗れたからである。
「──────────ッ!?」
「な・・・ぐッ・・・・・・。」
悲鳴さんは僕の目の前で、力なく倒れ込んだ。
「鴫野の小僧・・・か・・・・・・。貴様ァ・・・・・・・・・ッ!!」
鴫野。
鴫野?
鴫野 不可思議──確か彼は、«狙撃手»。
「おい、ガキッ!!」
およそ腹部を弾丸に貫かれたとは思えぬ声量で、悲鳴さんは僕に向かって叫ぶ。
「持っていけ、死にかけの爺など気にかけるな──この刀は、お前にこそ相応しい!」
その叫びと共に血みどろの床に投げられたのは、白色の布に巻かれた竹刀だ──とは言えどその布も、瞬く間に鮮血の色に染まる。
その様子はまるで、目の前の崇高な剣客の命が潰える様を如実に表していた。
「お前のような・・・悪魔にも負けず劣らずの、«大嘘憑き»に・・・・・ッ」
口から赤黒い血の塊が溢れ出てくる。最早発声すらもままならず、彼は惨憺たる体で今にも死を迎えようとしていた。
「ちょ・・・もう喋らないでくださいッ、今僕が────」
不死身の血。
それを用いて彼の傷を修復すべく、僕が腹に手刀を突き刺そうとしたその瞬間。
「やめろォッ」
と、またもや威勢の良い怒声が反響した。
「今更生き永らえようとするほど儂は愚かではない!死に時くらい弁えておる、それよりもお前は──────ッ」
2発目。
2発目の銃声が響き、彼の小さな呻きもかき消される。
悲鳴 國佳は静かに死んだ──もう、追悼する暇も隙もないくらいに、惨たらしく、呆気なく。
かつての彼の愛刀──託された彼の思いでもある«詭刀»を拾い上げ、数度振るってみてから、深く息を吐き出す。
「出てこいよ、«狙撃手»」




