踏襲
「そうかいそうかい。ならせめてもの供養だ、最後まで全力を奮うと約束しよう。」
先程の発言に反して、僕がそう語るのを待っていたと言わんばかりの聞き分けの良さだった。
簓木は実に素直に数度頷くと、自身の右腕を顔の前に掲げ、そして──────。
喰らったのだ。
鋭利な牙が皮膚を、そして肉を喰い破り、荒んだ傷口から次々と鮮血が噴出している。
「──────!!」
「馬鹿なッ!?何をやっているんだ!?」
僕がそう訊ねるも、当然ながら答えは返って来ることはない。
右腕、そしてそれに次いで左腕、両指と喰らい続ける簓木を、呆然としながら眺めるしかないのだ。
立ち竦む。
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■」
やがて«食事»を終えた簓木鶫は、僕に向き直ってそう言った。
そう言った?
否。
何と言ったかは定かではない──が、その言葉が大した意味を有しているとは到底思えない。
最早そいつの発したのは、ただの音であり、記号の羅列でしかない。
意味などない。
理由などない。
事情などない。
都合などない。
定義などない。
定理などない。
存在など──────ない。
あらゆる虚無の化物。
遍く虚偽の怪物。
「これが・・・«簓木 鶫»・・・・・・か?」
僕は今まで、簓木鶫のことを«半死半生»の«食人鬼»として、そう定義づけられた存在として認識していたが──そうか。
違うんだ。
«鬼»の怪異ではない。
«簓木 鶫»という怪異なのだ。
こいつは。
「■■■■■■■■■」
眼前に佇むソレは、最早人間としての様相を留めてなどいなかった。
形は人間を象っているものの──そう、ならば文字通り«鬼»である。
皮膚のあちこちが硬質化した棘のように変形し、黒髪は透き通った白髪へ変化し、項の方まで伸びている。
瞳は血塗られたように紅色で、確固たる意志が、しかし殺意ではない意志が揺蕩う。
«半死半生»の能力により、自身すらも躊躇いなく、自分さえも戸惑いなく、その一切合切を吸収した«簓木鶫»を見て、僕は直感的に確信した。
理解してしまった。
「やばい・・・勝てないっ。」
勝てない?
違うな。
負ける、と言うべきか。
「■■■■■■■■■■■■」
彼は地を指さす。
その先には、鷺沼鷲巣の残りの部位が転がっていた。
「喰え・・・ってのか?」
こくり、とゆっくり頷き首肯する簓木から目を離さず、一歩、また一歩と慎重を期してその骸に近づく。
重さというものを凡そまるで感じさせない、木乃伊のようなそれを手にして、視線の先の化物を一瞥しながら喰らう。
鷺沼鷲巣の胴体。
左腕。
その他諸々、余っている部品を。
「これで僕は・・・・・・不死身だ。」
現状を、実状を認識するべく声に出して宣言してみる。
僕は不死身だ。
僕は化物だ。
僕はお前と対等だ──簓木鶫。
期せずして、という感じであるから、非常に不本意なのだけれど。
クソッタレめ。
「■■■■■■■■■」
奴は呟く。
しかしその言葉も、僕の悲鳴によってかき消された。
「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああ
ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!!!」
視界にノイズがかかる。
断片的に。
断続的に。
断絶的に。
なんだ?
何が──起こった?
いや。
何も起こらなかった、のか?
簓木は動かない。
微動だにしなかった。
しかし僕は、気づけば全身が切り裂かれている。
どういうことだ、畜生ッ!
「・・・・・・・・・!?」
いくらほぼ全身を悪魔化したとはいえ、回復が追いついていないのを感じる。
まずい。
このままじゃ──死ぬ。
攻撃の原理も解らないまま。
二撃目を喰らえば、終わりだ。
「■■■■■■■■■」
その場にへたり込む僕。
とっくに腰が引けていて、今更ながら──本当に、手遅れなぐらい、馬鹿らしくなるくらい、今更ながら、死ぬことへの恐怖を思い出した。
死にたくないから生きるのではなく。
生きたいと切望した。
そういう意味では、僕こそ«半死半生»──下手に生き永らえているだけの、無気力で無機質な屍だ。
畜生が。
いくら願っても。
いくら祈っても。
もうきっと叶わない。
ここで止まってどうするんだ──────なんて。
「助けてくれ・・・・・・誰かっ──────。」
助けてくれ。
助けろ。
助けろ。
助けろ。
誰か。
「僕を助けろ僕を助けろ僕を助けろ僕を助けろ僕を助けろ・・・・・・!!」
視界が霞み揺らぐ涙目を拭いながら、僕は這うように地に向かって叫ぶ。
実に惨めな命乞いだ。
懇願とも呼べないような。
でも、僕はまだ。
「僕はまだ、死にたくないッ!」
「そうか。俺もまだ、生きていたいぜ。」
声が響く。
聞き慣れたその声が。
ありとあらゆる全てから逸脱した狂気そのものの、残響が。
残滓が。
夏の夜。
生暖かい空気が僕の身体を包むように撫で回す──そんな中で、確かにこの眼で、悪魔の眼で、彼を見据えた。
闇夜の中で燦然と輝く狂気の影。
素早く直線を描くように飛翔した彼は、息も絶え絶えに地に這い蹲る僕の目の前に着地した。
途轍もない禍々しさを孕んだ、それもまた見慣れた大鎌──«殺人器»を携えて。
「はっはっはァ──────お前はちょいと死にすぎた。これからはもう少しまともに生きるんだな・・・大丈夫。何かあったら、その時は俺がカバーしてやるさ。」
「何せ俺は、«何でも屋»だからな。」
いつも通りの態度だ。
対極である僕を含め、何もかもを見透かしたように、小馬鹿にしたように快活に笑う。
「洞木・・・・・・唯一。」
僕の裏側。
«命題»の長。
「よォーーーーしッ。お前さん、打者交代だ。これからは俺とお前で殺ろうぜ、な?
安心しろ安心しろ。異形の扱いは慣れてっからよ。」
洞木は大鎌を持ち替え、そして簓木の方に向かって声を張り上げる。
「完膚無きまでにぶっ殺してやる──────懺悔する暇もなく後悔する暇もなく。少なくとも、«俺»が今まで死に損なったのと同程度にはな。」
覚悟を決めろ。
洞木唯一は、存在の不確かな誰かの台詞を真似た。




