号砲
僕がどれほど愚かなのかという話は、決してそれが充分だとは思わないが、断片的にだが、部分的にだが、それでも今までに散々語り尽くされたと思う。
しかし時間と言うのは良くも悪くも過去の記憶を美化してしまうものがあって、そしてそれ以上に風化させてしまうものがあって、つまり何処か見方の偏った語りになるのはどうしても避けられまい。
それは致し方ないことだ──とは、思いたくない。
僕が必死こいて語っているのは、過去に傷ついた、タイトルすらも付かないほどにどうしようもない少年少女の『無題』の物語なのだが、しかしだからといってその傷を受け止めたわけではないのだから。
だから。
美徳でも正義でもなく。
欺瞞として、傲慢として。
自己陶酔として。
自己満足として。
自分のために。
自身のために。
僕は近くにいる彼女を助けたいと思うのだ。
己が傷つこうが構わない。
正義だろうと犠牲だろうと。
別にいい。
構わない。
日を改めて。
時間を空けて。
夏休みの終わりが見え始めたある日、僕はバスで都内の総合病院を訪れた。
受け付けで面会許可のカードを貰い、菱森の病室へと向かう。
個室部屋。
ノックをして、僕はそっと明るい木色の扉を横に引く。
扉を開けてすぐ左手側、そこにある大きなベッドに彼女は眠っていた。
一時期はどうなるかと思ったが、もう症状は治まったと聞く。
医者の見立てとしては、何らかの『毒』に似た性質の症状らしいが──そうなると、ますます容疑者第一候補である鷺沼にかかる疑いが強まるわけで。
しかしながらあれ以来、その足跡が途端に途絶えたのも事実だった。
消息不明。
彼女の父親を名乗る者と同じく。
菱森 雪都に関する捜査もやはり手詰まりで、詰みに陥ったとも言える状況だ。
しかしまあ、こういう緊急時に血相を変えて駆けつけてくれる親がいないというのは──心配してくれる親がいないというのは、その寂しさは、孤独は、僕には到底測りかねるけれど。
「ん〜・・・・・・?」
彼女の安らかな寝姿を見ていると、菱森は突如ごろんと寝返りを打った。
なんだか目覚めそうな感じだ。
「シンくん・・・・・・?」
「ああ、おはよう。来たよ。」
おはようというのは午後3時を過ぎた今現在、微妙に即していない挨拶ではあるけれど。
まあ、当たり障りなく行こうぜ。
ベッド横にあるパイプ椅子を開いて、僕はそこに腰かける。
「あ〜・・・来てくれたんだ・・・・・・ありがと、えへへ」
寝惚け眼でゆっくりと上体を起こし、ふるふると首を振る彼女。
しかしその瞬間、彼女の身にまとっていた薄い青色の患者衣がはだけたのだ。
「な・・・・・・!!」
絶句。
彼女の大きな胸がありありと眼前に現れる。
「え、あ・・・・・・えっ?」
恐らくすごい表情をしているのであろう、僕の顔を見て菱森は自分のあられもない姿にやっと気づいたようだった。
「ひゃあっ!」
どん、と胸を殴られた。
殴られたよ。
胸を。
突き飛ばされたと言えば伝わりやすいのかな?
まあ、僕が今陥っている謎の動揺と困惑までもが誰かに伝わるとは全然思っていないけれど・・・・・・。
「何するのっ!」
患者衣を無理やり上げるようにして胸を隠し、顔を赤らめてこちらに詰め寄る菱森。
見方によっては、これはこれで非常に際どいポーズなのだけれど・・・・・・。
「何もしてねえよ!」
こっちのセリフだわ。
何すんだよ本当に。
やめようぜ?
そういうラッキースケベみたいな展開はお呼びじゃないんだよ。
シリアスになろう。
「・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・。」
両者沈黙。
迫り来る静寂。
終わらない気まずさ。
止まらない気恥しさ。
「ふ、ふふ」
菱森が病室に響く静けさの中で、不意にぎこちない笑いを上げる。
「ふっふっふ・・・でもシンくん、顔が紅潮しているよ?それはつまり、意識しちゃったってことなんだね?」
「い、いいい意識だと?何のことを言っているかわからないな、寝ぼけているんじゃあないのか?」
確かにさっきから、顔が紅潮しているのであろう、気恥しさと共に熱さを感じる。
「否定しきれてないよ、声震えているし」
「ふん、これはしゃっくりが止まらないだけだ!僕は異性の身体を見た程度じゃ動揺なんてしねえからな。大体、お前の身体の何処に動揺してるって言うんだ?そこまで言うなら言ってみろ!」
はっ。
何を強要しているんだ、僕。
「横隔膜が大変なんだね・・・。えーっと。今一つ硬派に振る舞いきれてないけど、そこまで言うなら・・・・・・。」
考え込むポーズをする菱森。
一瞬の空白。
「ほら、胸の曲線美とか。あと今八月だし、首筋とか、鎖骨らへんとか、微妙に汗ばんでるでしょ?それに同級生のおっぱいなんだよ?すごいレアだよ。えっちだよね。ふふっ。」
「マジで説明すんなや!」
女子にそういうことを言われると返答に窮するんだよ。
えっちだけど。
えっちだけれど!!!
閑話休題。
「でも、もう本当に大丈夫なのか?」
「うん。ただ高熱と悪寒と吐き気と全身の激痛が止まらないだけ。」
「それは大丈夫じゃないな!」
「ははは、冗談だよ。もう本当に大丈夫。あと一週間もしたら退院できる。そしたらまた、改めてお礼をさせてね。」
お礼?
何のことだろう。
「いやほら、前々からいろいろと助けてもらいっぱなしじゃない?そろそろ貸しを作るにも限度があるよ。私も何か──────。」
「菱森ッ」
張り上げたその声に、思わず力が篭ってしまう。
「菱森・・・そういうことを言わないでくれ。」
「お前は僕に恩を感じているのかもしれないけれど、僕はお前に何かをしてやれたことなんて一度もないんだよ。」
「そ、そんなことは・・・っ」
明るい声色で否定しようとする菱森。
本当に優しいんだよな。
こいつは。
「ないんだ。本当に一度も。むしろ今まで己の無力を何度も悔いてきた。恩着せがましいかもしれないけれど、押し付けがましいかもしれないけれど、僕はお前が苦しみ悩んでいる時は、助けてやりたいといつも願っている。
でも、それが出来ないことをいつも悔いているんだよっ──────。」
語っているうちに、目尻が熱くなってきた。
自身の握りしめた拳に、数滴、ゆっくりと涙が垂れる。
視界が霞む。
無力の再確認。
無力の再認識。
「自分が嫌で嫌で仕方がない。このままじゃあきっと、お前のためにと差し伸べた手が、いつかお前を傷つけやしないかと怖くて怖くて仕方がない。」
臆病と笑わば笑え。
無能と言いたきゃ言え。
屑にも等しいこの命が。
人を傷つけることを恐れている。
傍観者でいることを許せ。
観測者でいることを許せ。
第三者で在り続けろ。
一線の向こうに居続けろ。
戦うな争うな。
嘲りを全て受け止めろ。
罵りを全て受け流せ。
逃げろ避けろ耳を塞げ。
その無気力に開いた口を閉ざせ。
何も言うな何も語るな。
同調していればそれでいいものを。
僕はどうして抗い続ける。
人を憎んで人を恨んで。
傷つけて。
「シンくん?」
耳に響く菱森の声。
白く柔らかいその手が、涙の伝う僕の頬を軽く撫でていた。
「そういうのは、もうやめよう。」
微笑み。
眩しいほどの、慈愛の笑み。
「助けるとか助けられるとか、恩義とか。無力だとか後悔だとか。」
「私たちは友達でしょ?困ったら互いに動こうよ。それでいいの。それだけでいいのよ。」
「私はシンくんが追い詰められた時、きっと傍にいるから。傍にいて、そして、優しく笑ってあげることと、楽しくお喋りをしてあげることくらいはできるよ?
ああ、でもおっぱいは簡単に見せてあげられないかな、なんてね。」
「・・・・・・ははっ。」
思わず綻んでしまう。
涙を拭って、僕は微笑む。
「そうだな。」
「じゃあ僕も、傍にいよう。お前が苦悶している時、必ず僕はそこにいるよ。お前が泣くなら、僕は笑おう。楽しくお喋りだってしよう。──────そして、菱森があらゆる災禍に勝つのを信じて、ずっとそこで待ち続けよう。」
桜木 葉落。
いつだったか、お前の言ったことはやっぱり間違っているよ。
僕が菱森のために出来ることは、するべきことは、確かにあるんだ。
だって彼女は。
僕の友達なんだぜ?
「それじゃあ、約束ねっ」
「おう、約束だ」
互いの小指と小指を絡め合う。
指切りげんまん。
嘘ついたら針千本飲ます。
指切った。
いいんだよ。
僕は人を憎むが。
僕は人を恨むが。
傷つけるかもしれないが。
それ以上に助けたい人がいるのだ。
守りたい人がいるのだ。
戸惑ってはいけない。
躊躇ってはいけない。
不合理不条理に捕らわれた僕はもういない。
隣り合わせの劣等感も。
背中合わせの自己嫌悪も。
もういない。
嫌な夢を見ていただけだ。
そろそろ僕も目覚める頃だろう。
さあ、反撃の狼煙を上げろ。




