第32話「崩れる現場」
魔獣の侵攻は、予兆なく始まった。
夜半。
北側城壁の結界が揺れたという報告が入った直後、
詰所の空気が一変した。
「数が違う!」
伝令が駆け込む。
「小規模じゃない、群れです!」
地図の前に立つカイン隊長の顔が、険しくなる。
「想定外だな……」
想定外。
学園では何度も聞いた言葉だ。
だが、ここでは命に直結する。
「防衛隊、北側に集中させろ」
「住民は西へ誘導」
カインの指示が飛ぶ。
その瞬間、別の報告が入った。
「東側にも反応! 分断されています!」
詰所が騒然とする。
地図を見る。
北と東。
住民テントは、ちょうどその中間だ。
嫌な配置だ。
「学園生はどう動かす?」
カインが、俺を見る。
早い。
判断が、こちらに投げられる。
「セリア班は北側補助」
「ノア班は住民誘導」
即座に言う。
「俺は全体の調整をします」
カインが頷く。
「任せた」
外へ出ると、既に咆哮が響いていた。
城壁の向こうで、魔力がぶつかり合っている。
セリアが駆け寄る。
「数が多い! 北側だけじゃない!」
「分かってる」
地図を思い浮かべる。
問題は、通信だ。
夜間で魔力干渉も強い。
連絡が、途切れ始めている。
「アーク!」
ノアが叫ぶ。
「東側、崩れかけてる!」
まずい。
北に主力。
東が薄い。
ここで増援を回せば、北が崩れる。
回さなければ、東が落ちる。
判断を、返す相手がいない。
カインは前線。
セリアは北で指揮。
東側は経験の浅い学園生。
――俺しか、全体を見ていない。
心臓が、強く打つ。
判断を返す。
それが俺の設計だ。
だが。
返す相手がいなければ?
遠くで、悲鳴が上がる。
東側だ。
魔力の爆発。
結界の揺れ。
このままでは、住民区域に抜ける。
頭の中で、線を引く。
撤退路。
交差点。
犠牲が最小になる配置。
だが、それは――
誰かを、切る設計だ。
「アーク!」
セリアの声が、魔力通信越しに届く。
「北は持つ。でも長くは無理!」
時間がない。
ここで何も決めなければ、
全員が判断できないまま、崩れる。
喉が、乾く。
ヴァルターの言葉が、脳裏をよぎる。
『誰かが判断しなければ、全滅だ』
――例外。
自分で決めると、決めた瞬間を思い出す。
ゆっくり、息を吸う。
そして、声を張る。
「東側、即時撤退!」
「北側、三十秒後に後退開始!」
周囲が、凍る。
俺は、続ける。
「住民は西へ二重誘導!」
「カイン隊長、中央交差点で迎撃を!」
命令だ。
完全な。
返せない。
今は。
数秒の沈黙の後――
「了解!」
返答が返る。
全体が、一斉に動き出す。
東側は、撤退。
北側は、時間を稼ぎながら後退。
中央に、戦力を集約する。
魔獣の一部が、住民区域へ抜ける。
――想定内だ。
そこに、俺が走る。
戦えない。
だが、誘導はできる。
「こっちだ! 走れ!」
住民を押し出す。
足の遅い者を担ぐ。
背後で、咆哮が迫る。
中央交差点で、カインが叫ぶ。
「今だ!」
魔法が重なる。
結界が閉じる。
轟音。
そして、静寂。
数分後。
魔獣は、退いた。
だが。
地面に、倒れている影がある。
防衛隊員一名。
住民一名。
救えなかった。
膝が、わずかに震える。
セリアが、息を切らして駆け寄る。
「……持ちこたえた」
「ああ」
声が、少しだけかすれる。
「でも……」
彼女の視線が、倒れた影に向く。
俺は、目を逸らさなかった。
判断したのは、俺だ。
返せなかった。
返さなかった。
静まり返った夜の中、
住民のすすり泣きが、微かに響く。
全滅は、防いだ。
だが。
――全員は、帰ってこなかった。
例外を選んだ代償が、
はっきりと、そこに横たわっていた。
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