神の筆を持つ画家
その日は、珍しいことにきれいに晴れていた。
メルとしても、雪かきの必要もなかったので店内でドールドレス作りの練習ができる日だった。
指先に集中しながら、ひと針ひと針丁寧に縫っていると、店のドアが不意に開く。
「お邪魔するよ、お嬢さん。工房でドールドレスのことだったらこっちに回ってくれと言われたものだから――」
茉莉花堂に入ってきたのは、細身ではあるが妙に風格のある白髪の老人だった。
顔立ちは貴族のように品がいいが、纏っている衣服の崩れた感じからするとおそらく貴族ではないだろう。金回りは良さそうだが。
「いらっしゃいませ。えぇ、ドールドレスの販売はこちらで行っております」
するとなぜだろうか、白髪の老人はメルの顔をまじまじと見て、目を見開き固まった。
「君は……そうか、君がここの、ドールブティック茉莉花堂の店員なのか……」
「えぇと……どちらかでお会いしていましたか?」
「なに……気にしなくていい……秋に、国立舞劇場で尋ね人をされただけだよ……」
そういえば、そんなことも……あった気がする。
とりあえず、メルはぺこりと礼をした。
「あぁ、あのときの。あのときはありがとうございました」
「どういたしまして、だ」
なぜだろうか、この老人とはほとんど初めて会って、初めてまともに話をしているのに、そんなまるで気がしない。
まるで――まるで何十年も親しかった友人と話しているような気持ちになる。
どうも、向こうもそんな気持ちを味わっているらしかった。
「俺は、マナフ・アレンと言う名前でちょっとした芸術家をしているんだよ。主に絵を書いているが、彫刻なんかの立体芸術もやっている。以前ドールもこしらえたことがあるんだ」
「マナフ・アレン……」
それは、学院で習うような――いや、この国では誰もが知っている人物の名前だ。
この国、いいや、この大陸でも百年に一度出るかどうかの偉大な芸術家。
神の筆を持つ、といわれる男。
その人物が、眼の前に、いる。
「でもな、さすがにドールの服を作るのは専門外でなあ。これまではピシュアーなんかの服を仕立てている仕立て屋に注文していたんだが、ドールドレスを専門に作る職人もいると、親戚から聞いたものでね。今回は依頼をしにきたんだ。お願いできるかい?」
そういって、メルにぱちんとウインクをする。
偉大な芸術家と言われる割には妙にお茶目さんだ。いや、これが器が大きいということなのだろうか。
「かしこまりました。では、そのドールを見せていただけますか」
「おう、わかった。このドールトランクを広げてもいいかい?」
マナフ・アレンがかなり大きな革製のドールトランクを掲げて見せる。
「あぁ、でしたらあちらのテーブルがよろしいでしょう」
「おう」
ぱちん、ぱちん、ぱちん、とトランクの金具がひとつひとつ外される。
マナフ・アレンが丁寧な手つきでそっとトランクを開けると、そこには……。
「え……」
そこに横たわっているのは、メル本人とも思えるほど、そっくりに出来たドールだった。
「……似てるな」
先に口を開いたのは、マナフ・アレンだった。
「似て、ますね」
……まだ触れていいか許可もとっていないのに、思わずメルはそのドールに手を伸ばす。
その頬は――魔素粘土の硬い感触……。
当たり前だ、柔らかいわけがない。柔らかいわけが、ない。
青い瞳も、ふわふわの金髪も、顔立ちさえもメルにそっくりな、身長六十センチほどのドール。
似ているのは単なる偶然ということもあるだろう。
だが、そうではない気がする。
この神がかり的な芸術家である老人、マナフ・アレンだからこそだろうか、偶然ではありえない気がするのだ。
「依頼は、この子にぴったりのドールドレスを誂えたいのだ。できれば――そう、君がこの子に似合うと思ったものを作って欲しいな」
「……かしこまり、ました。その依頼、茉莉花堂がお受けいたします」
絞り出すように、依頼を承諾する旨を告げる。
「この子の名前は、何とおっしゃるのでしょうか」
「……リンネメルツェ」
「リンネメルツェ?」
「あぁ、清泉の乙女リンネメルツェ、というんだ」
「それじゃ、ドールドレスの完成を楽しみにしてるぜお嬢さん」
「はい、おまかせください。きっと――きっと、ご期待に添えるかと思います」
ちょっとした契約の書類や前払いも済ませて、マナフ・アレンは店を出た。
メルにしてみれば、今回の依頼は不思議だし奇妙でこそあるが、不快ではない。
それどころか――妙な気分の良さがある。
それこそ、旧友と思う存分、語り合ったあとのような。
マナフ・アレンの馬車を見送ると――白が後ろから抱きついてきた。
「不思議な依頼だったね、メル」
「……そうだね、白」
「あの人は――マナフ・アレンは何を知っているんだろうね」
「……わからない、今は、まだ」
白は――ぎゅっとメルを抱きしめる。
「どこにも行かないで、メル」
「行ったりしないよ、白。どこにも行かないよ」
むしろ――今にもどこかに行ってしまいそうなのは白ではないかと、心のどこかでメルは思った。




