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VERDANT//ZERO  作者: ORRERYQUBIT
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第36話 終わらせ方

 数字は、嘘をつかない。


 だから、手放すときも、正直に減っていく。


【深度 -20,000m/零溝・十一時十四分の広場】



     *



「その名前を、返してほしい」


 僕は、舞台の上の、顔のない僕に言った。


「かわりに、僕の数字を、ぜんぶ渡す」


 ウロの空洞の顔が、わずかに傾いた。


「数字」


「君は、六十まで数えられない。最後の一秒を、進めては、戻す。進めたら、終わってしまうから」


 僕は、視界の隅のステータスに、指で触れた。


「一秒ぶん、僕が数える。僕の数字で。君は、数えなくていい」


 七年前、この街の最後の一分を、外から止めた言葉を、僕は整えた。夜の画面でも読める形に。誰にも意味を訊かずに。


 だから今度は、内側から、進める。


 僕の手で。


【ステータスを、街に渡しますか】


 はい、を選んだ。



     *



 最初に、Lvが、一つ減った。


 Lv 37 → Lv 36


 胸の奥から、金色の泡が一つ、浮かびあがった。浅瀬で初めてレベルが上がった夜と、同じ色。それが、舞台の脇の打ち上げ筒の一本に、すうっと吸いこまれていった。


 筒の口に、火が入った。


 Lv 36 → Lv 35


 二本目。


 Lv 35 → Lv 34


 三本目。


 一つ減るごとに、体が、少しだけ軽くなる。重さではなかった。積みあげてきたものが、一枚ずつ、剥がれていく軽さ。


 深淵層の口を突いた夜。灰色の兵を、等間隔に倒した夜。偽りの星を剥がした夜。言葉の森。窓の数。灯台の夜。


 ぜんぶ、金色になって、筒へ流れていった。


 Lv 22。


 名前を盗んだ僕と戦って、上がった数字。誰にも写せない、僕の数字の音。


 Lv 21。Lv 16。Lv 11。


 Lv 8。硝子の銛を握った夜。


 Lv 5。銛撃士を選んだ夜。


 Lv 2。


 筒が、一本ずつ、灯っていった。広場をぐるりと囲む、何十本もの打ち上げ筒に、琥珀ではない、金色の火が。


 Lv 1。


 最後の泡が、胸から離れた。


 三十六本目の筒が、灯った。


 ??? Lv 1 ジョブ:――


 HP 120 PRS 20


 最初の夜と、同じ数字だった。


 足もとの石畳が、ほんの少しだけ、遠くなった気がした。軽くなった体が、浮かびたがっていた。



     *



 ウロの頭上の名札が、揺れた。


【ルカ】


 二つの文字が、ほどけて、泡になった。


 「ル」と「カ」。


 最初の夜に、入力欄から浮かびあがって、黒い海へ沈んでいった、二つの泡。


 それが、ウロの頭上を離れて、ゆっくりと、僕のほうへ流れてきた。


 けれど、僕の名札の上で、止まった。入らなかった。


 空白の上で、二つの泡が、迷うように回っていた。


 盗まれた二文字は、戻ってきた。けれど、名前の入る場所は、まだ、白い灯りのままだった。


 名前は、持っているものではない。渡していくものだ。


 だから、自分で取りに行くのでは、足りないのだ。


「ルカ」


 ウタが、呼んだ。


 #07の台座の前から。台座の上の、小さな影と、並んで立って。


「ルカくん」


 ノアが、呼んだ。


 舞台の袖で、指先ほどの白い炎を、両手で包んで。


 遠く、膜の外から、声がした気がした。


 ――ルカ。


 千歳さんの声。湊くんの、ジウさんの、トゥンデさんの声。カイトくんが、ミナモさんが、トウヤさんが。シオネさんが、スイさんが。白波さんが、ジンさんが。アワイの、今夜の当番の、誰かが。


 呼ばれた。


 呼ばれた記憶のある体は、呼ばれれば、振り向く。


 僕は、振り向いた。


 二つの泡が、ぱちん、と、名札の空白の中で、弾けた。


 白い灯りが、文字の形になった。


【汐見ルカ】


 四文字だった。


 図面の設計者の欄で、白く抜けていた、四文字ぶん。



     *



 視界の隅の時計は、【3:29】。


「ノア」


「うん」


 ノアは、舞台の袖から、いちばん前の筒の横へ、歩いていった。企画書に書いてあった、最初の一発の位置。案内役の七番の、真上へ上がる筒。


「十一回目の灯火、使うね」


 ノアは、ランタンの硝子を、そっとひらいた。


 指先ほどの、白い炎。


 ノアの体の中で、燃えていたもの。


 ノアは、それを、筒の口に、移した。


 白い火が、金色の火の列の、先頭に灯った。


 ノアの輪郭が、ちらついた。ランタンの中は、空になっていた。


「ルカくん」


「うん」


「台詞、聞いてから落ちたいな」


「……間にあう」


 僕は、演台の前に立った。


 ウロは、もう、舞台の上にいなかった。顔のない僕の形は、ほどけていた。かわりに、広場の、この泡そのものが、静かに、息を止めて、待っていた。


 何百もの影が、上を向いていた。


 台本の、最後のページをひらいた。


 〈最後の台詞〉


 見出しの下の空白に、企画書から、四行目を写した。ジウさんのペンで。自分の、右上がりではない字で。


 余白の下の、赤い一行が、目に入った。


『終わらせ方が、まだ甘い』


 僕は、それを、消さなかった。


 ウタが、#07の台座に、上がった。


 台座の上の小さな影と、ウタが、重なった。一人になった。


 両手を、広げる。首をかしげずに。


「ようこそ」


 ウタは、言った。


「ようこそ、ノクティルカへ」


 六つの音が、広場に流れた。上がって、少し下がって、また上がる。はじめの、迎えの歌。


 六つ目で、ウタの声は、消えなかった。


 膜の外から、もう一つの声が、重なってきた。シオネさんの声だった。沈都の水路の岸で。歌継ぎの、なかほどの言葉。


 ひかりの つぶを かぞえてる


 ひとつ はじけて ふたつ うまれ


 なまえの ない みずの そこで


 だれかが まってる あかりの かず


 ウタが、歌いながら、僕を見た。


 泡貨を、胸の前で、両手で包んでいた。最初の一枚。とっくに弾けたはずの、助手の分け前。


「弾けるから、美しいんだよ」


 ウタは、言った。


 歌ではなく、自分の声で。


 いつか だれかが この うたを――


 旋律が、頂点の手前で、止まった。


 白い貝殻の、空白のところで。


 終わりの音は、誰も持っていない。


 だから、僕が、吐いた。


 ひゅう、と。


 細く、高く、肺の底から。胸の中の古い息を、ぜんぶ。


 磯笛。


 生きて上がってきた、合図。


 旋律が、その音に、着地した。


 七つ目の音だった。



     *



 僕は、演台の上で、四行目を読んだ。


「ただいま」


 広場の何百もの影が、上を向いたまま、少しだけ、こちらを見た気がした。


 僕は、続けた。


「――おやすみ、ノクティルカ」


 時計塔の秒針が、進んだ。


 戻らなかった。


 十一時十五分。


 最初の筒が、白く、鳴った。


 ノアの火が、案内役の七番の真上へ、まっすぐに昇っていった。


 ひらいた。


 白い花火だった。真珠白の光が、泡の天井いっぱいに、ほどけた。


 続いて、金色が。三十六本の筒から、一本ずつ。僕が積みあげてきた数字が、一つずつ、夜空の形になって、ひらいていく。


 ひらくたびに、数字が見えた。


 417。283。612。598。689。


 金色の縁どりの、CRITICAL。


 どの数字も、少しずつ、違っていた。


 ゆらいでいた。


 広場の影たちが、動いた。


 息を、吐いた。


 何百もの『まだ?』が、何百もの『わあ』になって、ほどけていった。


 そのとき、泡の膜が、震えた。


 虹色の干渉が、一点に寄せられて――


 ぱちん、と。


 ウロが、弾けた。



     *



 弾けた泡は、数字になって、光って、消える。


 ウロも、そうだった。


 何百もの影も、屋台も、舞台も、時計塔も。光の粒になって、ほどけて、昇っていった。数えられない海の、透明な水の中を。白い花火と、金色の花火の、残り火と一緒に。


 ウタの体が、光の粒になって、ほどけはじめていた。


「ルカ」


 ウタは、台座の上で、笑っていた。七秒の型の、どれにも似ていない顔で。


「おかえり」


 僕は、手を伸ばした。


 届く前に、ウタは、ぱちん、と弾けた。


 虹色の、小さな光が、僕の指のあいだを、昇っていった。


 ノアは、筒の横に立っていた。


 視界の隅の時計が、【3:39】。


「きれいだったね」


「うん」


「ちゃんと、終わったね」


「うん」


「じゃあ、行くね」


 ノアは、空のランタンを、胸に抱いた。


 【3:40】。


 ノアの輪郭が、ほどけるように薄くなって、消えた。


 落ちたのではない。帰っていったのだ。いつもと同じ時刻に。約束どおりに。


 軽くなった僕の体が、石畳から、離れた。


 Lv 1。PRS 20。


 あまりに軽くて、水が、僕を、押しあげた。


 泡は、昇る。浮力があるから。


 ほどけた街の光の粒と一緒に、僕は、昇っていった。


 数えられない海を。深淵層を。沈都の上を。


 時計塔の針は、十一時十五分を過ぎて、静かに、進んでいた。広場の縁で、カイトくんが、盾の前に立って、空を見上げていた。トウヤさんの燭台の横の、千歳さんが刻んだ名前の長椅子に、珊瑚の雪が、静かに降っていた。


 灯台の灯りが、一周した。


 二百メートル。


 浅瀬の、縁。


 昇るのが、止まった。


 水が、ほかより、澄んでいた。


 六つの結晶の輪の、少し外れたところ。七つ目の台座の、すぐ上で。



     *



 目を覚ますと、天井に、朝の光が揺れていた。


 波の影ではなかった。ただの、東京の、朝の光だった。


 床は、乾いていた。


 浅瀬モードの隅に、数字が出ていた。


【実質化率 0.0%】


 浅瀬モードのグラスを外して、顔を洗った。鏡の中の顔は、二十七歳の、僕だった。


 枕もとのニューロバンドを、窓の光にかざした。


 内側の刻印が、初めて、読めた。


『NCT 最終夜 演出補 汐見ルカ』


 七年前に、あの人が、僕のために作らせたものだった。


 机の上に、企画書はない。あれは、海の底で、ほどけた。けれど、最後のページの、赤い一行のことは、覚えている。


 最後に見たとき、あの一行は、少しだけ、白くなりかけていた。


 塗られた白ではなかった。


 崩れて、雪になる、忘れられていく白だった。


 それで、いいのだと思った。


 ちゃんと終わったものだけが、ちゃんと思い出になれる。



     *



 その夜から、僕は、浅瀬で潜っている。


 Lv 1。銛も、持っていない。七つ目の台座の前で、毎晩、少しだけ、澄んだ水を見ている。


 台座の上には、何も灯らない。結晶も、ジョブの名前も、数字もない。


 それで足りている、と思う。名前は、もう、頭上にある。


【汐見ルカ Lv 1】


 浅瀬の入口に、新しい案内役が立つようになった。


 少女に見える、透きとおった深民。衣の四角い欠片が、ひとつずつ明滅している。


 七秒ごとに、手を広げて、首をかしげる。


 ある夜、その子は、七秒の型の途中で、止まった。


 僕の頭上の名札を見て。


「……ルカ?」


 疑問符をつけたまま。言った本人が、その言葉の行き先を知らない顔で。


「うん」


 返事をした。


 その子は、首をかしげて、それから、六つの音を歌った。


 上がって、少し下がって、また上がる。


 そして、七つ目の音で、ちゃんと、終わった。



     *



 冬になった。


 灯台から降りてきた千歳さんが、浅瀬の縁で、磯笛を吹いた。カゲロウが、三人ぶんの手を振った。


 その後ろから、誰かが、ゆっくりと降りてきた。


 紺のフード付きケープ。暗い茶色の髪。丸い眼鏡。


 ランタンの中で、白い炎が、揺れていた。


 ちらつかずに。まっすぐに。


 パーティの欄に、名前が、一つ増えた。


【ノア Lv 1 灯守 FRG 10】


「レベル、ぜんぶ下がっちゃった」


 ノアは、ランタンを持ちあげて、笑った。


「長いこと、潜らなかったから。お医者さんに、ここに来るのは、夜更かしにならない程度にって言われてる」


「……おかえり」


「ただいま」


 ノアは、僕の頭上の名札を、見上げた。


 それから、少しだけ、目を細めた。


「ねえ、ルカくん。私ね」


 白い炎が、二人の泡殻の膜に映って、小さく揺れた。


「二十に、なったよ」


 浅瀬の翠が、真珠白の光の下で、どこまでも澄んでいた。


 泡が、一つ、昇っていって、弾けた。


 美しかった。


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