第8話 法の外を流れる船
自治都市の河港には、朝から人が増え続けていた。
岸へ引き上げられた拿捕船を、帝国兵と都市警備隊が挟むように囲んでいる。
船倉の覆いには縄が掛けられ、その結び目を双方の兵が別々に見張っていた。
本来なら今日は、船団公認化の条件を協議するはずの日だった。
「船は軍が接収する。船長と船員の身柄も、軍へ引き渡してもらう」
アフォンソが、先に口を開いた。
「船底から禁制品が出た。単なる横流しではない。国境の安全に関わる犯罪だ。拿捕船の接収、船長と船員の引渡し、船団の全船検査、船員全員の拘束を要求する」
「お断りします」
ベアトリスが即座に応じた。
「拿捕地点は当市の港内です。市場も、河港も、警備も、都市の管轄です。港内の犯罪は都市の裁判権に属します。帝国軍による無断の接収には同意しません」
「禁制品は港の問題ではない。国境の問題だ」
「船を軍へ渡せば、緊急を理由に自治権を奪う前例になります」
ティアゴは、囲みの外で腕を組んでいた。
「あの船長は俺の部下じゃねえ。自分の船を持つ独立船主だ」
低い声で言った。
「俺は横流しを命じちゃいねえ。禁制品を積む許可も出しちゃいねえ」
「だが、旗はあんたのものだ」
アフォンソが振り向いた。
「旗のことは、あとで話す」
ティアゴはそれだけ答えた。
人垣の中から被災住民の男が進み出た。
避難所で配給の列に並んでいた顔だった。
「誰が裁くかは後でいい。まず麦を返してくれ」
男は船倉を指した。
「あの袋は俺たちの配給だ。子供が待ってる」
その声で場が一瞬静まった。
だが、次の瞬間には、帝国兵の一人が船の舫いへ手を掛け、都市警備隊が槍の石突きで岸を打った。
双方の手が武器へ伸びた。
「お待ちください」
セイラは、船と兵たちの間へ進み出た。
濃い青の髪が、川風に流れた。
セイラはそれを押さえもせず、双方の指揮官を順に見た。
「アフォンソ様。この船を軍だけで接収すれば、国境の犯罪を、都市の目の届かない場所で処理することになります」
セイラは、今度はベアトリスへ視線を移した。
「ベアトリス様。都市だけで保全すれば、国境へ関わる犯罪を、港の内側だけで裁くことになります」
「では、どうする」
アフォンソが尋ねた。
「共同で保全します」
セイラは言った。
「船と積荷は、帝国側と都市側の共同管理。船倉と床下の収納には、双方の封印を施します。立会人を双方から一名ずつ。どちらか一方だけでは、船も、穀物も、禁制品も動かせません」
「救援の穀物は?」
被災住民の男が尋ねた。
「数量と封印の状態を記録した後、救援倉庫へ返します。今日のうちに」
セイラは男へ向き直って答えた。
「船長の身柄は」
ベアトリスが尋ねた。
「裁判権が整理されるまで、引渡し先を決めません。船長は港湾詰所に留め、双方の立会いのもとで監視します」
アフォンソは、しばらくセイラを見ていた。
「……封印は二重だな」
「二重です。軍の封と、都市の封を並べて押します」
「いいだろう」
兵たちが、武器から手を離した。
◇
港湾詰所の一室で、予備聴取が行われた。
拿捕された船長は、縄を打たれたまま、卓の向こうに座っていた。
日に焼けた男だった。
「横流しは、ティアゴから命じられたのですか?」
ライモンドが尋ねた。
「いや」
船長は短く答えた。
「命令なんざ受けちゃいねえ。あの人は何も知らねえよ」
「では、あなたの独断ですね」
「……ああ、そうだ」
船長は認めた。
それから、部屋の隅に立つティアゴを見た。
「だがな、俺が『関係ねえ独立船主』だってのは、違うだろう」
声が、初めて大きくなった。
「あんたの旗を掲げてきた。儲けも渡した。兵に追われた時は逃げ道も作った。それで都合が悪くなったら、今度は役人へ売るのか」
ティアゴは答えなかった。
セイラは、二人を交互に見た。
「船団の仕組みを、確認させてください」
船長へ向き直る。
「あなたは、自分の船を所有している」
「ああ」
「航路も仕事も、自分で選ぶ」
「選ぶ」
船長は、縄を掛けられた両手を卓の上に置いた。
「そのうえで、ティアゴさんの旗を掲げ、儲けの一部を納める」
船長は、ティアゴの方へちらりと目をやった。
「納めりゃ、旗が使える。旗があれば、水路のどこでも信用される。追われりゃ、逃げ込む場所まで世話してもらえる」
「仲間を役人へ渡さない、という保護も?」
「……それが、あの人の旗だ」
船長は、吐き捨てるように言った。
セイラは、ティアゴへ向き直った。
「誰がその旗を掲げることを認めていたのですか?」
「俺だ」
ティアゴは、壁に背を預けたまま答えた。
「旗を取り上げる決まりは?」
「ねえ。今まで、要らなかった」
「船員が横流しや禁制品取引を行った場合、止める仕組みは?」
「ねえよ」
ティアゴは、船長から目を逸らさずに言った。
「旗と、儲けと、庇護だけだ。それで回ってきた」
部屋が静かになった。
一人の船長の犯罪の話が、いつの間にか、別の話に変わっていた。
旗の権利だけがあって、旗の責任がどこにもない。
そういう組織そのものの問題に変わっていた。
◇
アマンダは、聴取と並行して数字を追っていた。
拿捕船に残っていた穀物の袋数。
封印が破られた袋と、未開封の袋。
救援倉庫の入庫記録と、配給記録。
船へ積まれた量と、すでに消えた量。
赤毛を耳へかけ、彼女は調べた書類を三つの束に分けた。
「船に残っていた分は、記録を取り次第、今日中に倉庫へ返せます」
一つ目の束を指す。
「こちらは、すでに売られた分。仲買人の記録から、売却先を追います。回収の対象です」
二つ目の束。
「禁制品は、穀物とは別に追います。取引の経路が違いますので、混ぜると両方追えなくなります」
三つ目の束を、ライモンドの側へ置いた。
それから、別の綴りを開いた。
「公認化の話が続くのであれば、こちらも出します。輸送原価の再計算です」
航路ごとの距離。
積載量と船の回転率。
季節による水位の差。
浅瀬での人足代。
「運賃の上限は、一律にはできません。渇水期の南航路と、増水期の本流では、かかる費用が倍近く違います。航路と季節ごとに、別の上限を置きます」
ティアゴが綴りを覗き込んだ。
「……よく調べてあるな」
「以前、あなたから聞いたことです。渇水期は倍だと」
「覚えてたのか」
アマンダは綴りから顔を上げた。
「数字は忘れません」
ティアゴは小さく笑い、綴りから手を離した。
◇
予備聴取を終えた後、港湾詰所の広間で公認化の協議が再開された。
「登録も検査も受けない船を、国境へ通すことはできない」
アフォンソが最初に線を引いた。
「全船の検査。船員の登録。国境航路の監視。ここは譲らん」
「検査と登録は受け入れる余地があります」
ベアトリスが続いた。
「ただし、公認船が当市の港を使うのであれば、入港の条件、市場と倉庫の使用料、積荷検査、既存の商人との競合条件を、契約に定めていただきます。洪水救助の功績があるからといって、公認船だけが無条件で優遇されることは認めません」
「言いたいことは、それだけか?」
ティアゴが口を開いた。
「なら、こっちも言わせてもらう。俺たちが法の外にいたのは、好きでそうしてたわけじゃねえ」
指を折っていく。
「税。入港料。倉庫の使用料。検査で船を何日も止められる。浅瀬じゃ人足代が要る。全部払って正規でやったら、船乗りは食えねえんだ。だから正規のやり方を捨てた」
「だが、法の外で利益を得てきたことまで否定するつもりか?」
アフォンソが言った。
「否定しねえよ」
ティアゴは、あっさり答えた。
「俺たちは義賊じゃねえ。儲けてきた。だが、役所の船が行かねえ場所に飯を運んできたのも、俺たちだ」
「では、伺います」
セイラが言った。
「公認となった後、また税と検査を重ねられて、船乗りが食べられなくなる。それを警戒しているのですね」
「そうだ」
「では、船乗りが成り立たなくなるほど負担を増やさないよう、運賃と負担の条件も契約に入れます」
セイラは、ライモンドへ頷いた。
ライモンドが、紙の束を卓へ置いた。
「今回、問題になった点から一つずつ決めます」
一枚目。
「今回、船長が独立船主で、ティアゴさんの直接の命令下にないことが分かりました。一方で、誰がどの船を持ち、誰が乗っているかを公的に確認する記録がありません。ですので、船、船主、船員を登録します」
二枚目。
「船団の旗を掲げる船は、その旗による信用と庇護を受けていた。ですので、旗を掲げる船については、頭領に監督責任を負っていただきます。旗を渡す権利と、問題が起きたときに正す義務を、一体にします」
三枚目。
「倉庫から出た記録のない救援穀物が、船に積まれていた。ですので、積荷目録と封印を義務づけます。出港と入港の双方で、数量を確認します」
四枚目。
「禁制品が船底から出た。港内犯罪の裁判権は都市に残します。ただし武器や禁制品など国境に関わる犯罪は、帝国側も捜査へ参加します」
五枚目。
「過去の無許可輸送をすべて処罰すれば、船団は消えます。期間内に船、船員、過去の取引を申告し、監査を受けた者については、一般的な無許可輸送と税逃れに限り、処分を減免します」
そこで、ライモンドは一度言葉を切った。
「ただし、対象外の罪があります」
声の調子は変えなかった。
「救援物資の横流し。暴力。誘拐。武器の取引。禁制品の取引。この五つは、申告による減免の対象にしません」
広間は、静かだった。
「公認後の義務は、航路と季節ごとの運賃上限、納税、救援時の優先輸送、自治都市の入港条件、市場と倉庫の使用条件、積荷検査、違反した船の資格停止、そして頭領の報告と是正の義務です」
「船団は、誰の下に付く?」
アフォンソが尋ねた。
「誰の下にも付きません」
ライモンドは答えた。
「平時は独立した民間の輸送組織です。軍の指揮下にも、行政の配下にも入りません。港内犯罪の裁判権は都市に残します。国境犯罪は帝国側との共同捜査です。それだけです」
卓を囲む者たちの視線が、並べられた紙へ落ちた。
◇
すべての条項が卓に並んだあと、最後の一つが残った。
拿捕船長を、誰が裁くか。
「船長を渡してもらう」
アフォンソが言った。
「渡さなければ、公認化の話は消える。船団全体を、軍事接収の対象とする」
ティアゴは、長いこと黙っていた。
船長は、縄のかかった手で卓を叩いた。
「おい、ティアゴ。俺を渡すのか」
答えはなかった。
「あんたの旗をずっと掲げてきた。それでも渡すのか」
ティアゴは、ゆっくりと顔を上げた。
「条件がある」
セイラへ向かって言った。
「審理は、都市と帝国の共同でやれ。公正にだ。拷問はなしだ。罪状は、穀物のことも、それ以外のことも、証拠で裁け。証拠のねえ罪まで着せるな」
ティアゴの条件を聞き終えると、セイラはベアトリスとアフォンソを順に見た。
二人とも、異議を挟まなかった。
「約束します」
セイラは答えた。
「共同審理。拷問の禁止。すべての罪状を、証拠に基づいて審理します」
ライモンドが三つの条件を文書にまとめ、ベアトリスとアフォンソが、それぞれ都市側と帝国側の参加を確認した。
ティアゴは、船長を見た。
「俺の旗を使った以上、勝手な船だとは言わせねえ。だからこそ、俺の隠れ家で済ませるわけにもいかねえ」
船長は、何かを言いかけて、やめた。
船長の身柄は、都市側と帝国側の共同管理へ移された。
軍の兵と都市警備隊が、一人ずつ両側についた。
セイラがティアゴへ向き直った。
「あなたは、これで船団の一部を失います」
ティアゴは、連行されていく船長の背から目を逸らさなかった。
「あんたに取られるんじゃねえ。俺が選ぶんだ」
「ですが、選ばせたのは私たちです」
ティアゴは、そこで初めてセイラを見た。
「なら覚えとけ。俺たちを台帳へ載せた以上、都合が悪くなって消すなよ」
セイラは、その言葉を受け止めた。
守るために制度へ入れる。
そう考えてきた。
だが、制度へ入るために、この男は仲間と、「仲間を役人へ渡さない」という評判と、記録されない自由を手放した。
入れた側には、使い捨てにしない責任が残る。
「消しません」
セイラは答えた。
「載せた名は、記録から消しません」
◇
その日の夕方、船着場で動きがあった。
一隻の浅底船が、帆柱の旗を降ろした。
船は係留索を解き、誰にも何も告げずに下流へ向かった。
別の船も旗を降ろした。
だが、こちらは係留索を解かなかった。
畳まれた旗だけが、甲板の上に残された。
少し離れたところでも、いくつかの旗が帆柱から降ろされていった。
船主たちは、ティアゴへ声をかけなかった。
ティアゴも、呼び止めなかった。
その一方で、旗を降ろさなかった船もあった。
その船主たちが、一人ずつ、登録の卓の前に並び始めた。
◇
数日後、登録が始まった。
船腹に、公認の番号が一隻ずつ記されていく。
船主と船員の名が台帳へ載り、積荷目録の板が船へ掲げられた。
桟橋には、航路と季節ごとの運賃表が張り出された。
「番号付きの船か」
ティアゴが、自分の船の船腹を見下ろした。
「豚に焼印を押すみてえだな」
「焼印は消えません。番号は、資格を失えば消えます」
アマンダが、台帳を閉じながら答えた。
「そりゃ、どっちが上等なんだかな」
ティアゴは鼻で笑い、船腹の番号をもう一度見た。
◇
最初の公認船が、国境砦へ向けて出港する日が来た。
積荷が数えられ、封印が確認され、船員の名簿が読み上げられた。
都市側の検査官と、行政側の書記が、同じ目録に別々の印を押した。
船腹の番号が、朝の光の中で新しかった。
船は中央本流を下り、東方国境河へ向かって進んでいった。
岸には、旗を降ろした離反船が、まだ数隻係留されたまま残っていた。
進んでいく公認船と、岸に残った船を、セイラは同じ視界の中で見ていた。
そこへ、砦からの早馬が着いた。
「国境より急報です」
伝令が、息を整えずに続けた。
「東方国境河の対岸に、周辺勢力の兵が集まり始めています」
セイラは、川下へ目を向けた。
公認番号を付けた最初の船が、ちょうどその方角へ、小さくなっていくところだった。
東方国境河に兵が集まり、アフォンソは先制攻撃を主張。
けれど戦争になれば、復興も物流も市場も、すべてが崩れます。
七つの川と、それぞれ異なる権利を持つ人々をつなぎ、セイラたちは戦争ではない道を探ります。
次回、第9話「七つの流れを一つに」




