第66章:社交場の伏線、誘い込まれた蛇
社交場での会合まで、残り数日。
サトオは「カトウ商事」のオーナーとして、ベルンハルト伯爵が用意した招待状を手にしていた。
それは、彼が仕掛けた「物流の不備」という名の撒き餌に対し、大物が食いついたことを意味していた。
サトオは鉄仮面を外し、鏡の前で正装を整える。
仮面の下に隠していたのは、単なる農家の青年ではない。帝国という巨大組織を、一人の経営者として統治するための冷徹な視線だ。
「さて、ウルガル。準備はいいか?」
「いつでも。帝国の軍事動向と予算の脆弱性、すべて抽出済みです」
「よし。社交場ではまず王族に相手にされず、あえて冷遇される道を選ぶ。その上で、ベルンハルト伯爵のみに『帝国の破綻』という現実を提示する」
サトオは自分から近づかない。彼らに「この男を離してはいけない」と錯覚させ、自ら首輪を差し出させるのだ。
華やかな社交界の喧騒の中、サトオはゆっくりと会場の扉を開く。
そこには、自分を排除しようとする王家と、自分を利用しようとする伯爵派が待ち受けていた。
会場内は、王族を中心とした保守派と、現状打破を望む中堅貴族の間で、目に見えない対立の火花が散っていた。サトオが足を踏み入れると、一瞬にして会場が静まり返る。
「……あの商売人か。場違いな場所へよくも来たものだ」
宰相が氷のような視線を向ける。周囲の貴族たちも、冷ややかな嘲笑を隠そうとはしない。サトオはそれらを無視し、あえて孤立したカウンターの隅へと向かった。
そこへ、一人の男が歩み寄る。ベルンハルト伯爵だ。
「貴様が『カトウ』だな。……王族連中が貴様のような男をどれほど低く見ているか分かったか? 誰も貴様の提案など取り合わんよ」
「最初から期待はしていない。俺がここへ来たのは、耳を貸す準備がある者とだけ話をするためだ」
サトオは静かに、しかし会場の誰もが聞き取れる音量で告げた。
「君たちが現状維持に固執する限り、数年以内に帝国の財政基盤は破綻する。俺の物流システムを導入すれば、今の損失を利益へ転換できる。……それを信じるか、それともこのまま沈没する帝国と共に心中するか。判断するのは君たちだ」
伯爵はサトオが提示した端末のフォログラフを覗き込み、その奥に狂気ではない、極めて精緻な「経営の論理」を見た。
「……面白い。王家が拒むなら、俺の派閥が貴様の物流システムを試そう。もし貴様の言葉に一つでも偽りがあれば、その時は貴様の首を献上する」
「いいだろう。俺のシステムに偽りはない。むしろ、君たちが今までいかに非効率な運営をしてきたか、身に染みて理解することになる」
サトオは帝国の中枢という名の広大な領土に、最後の一手を打つために足を踏み入れた。
それは選別した「協力者」を足がかりに、帝国全体を自身の指揮下へと組み込むための、始まりの合図だった。




