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恋の花咲くこともある。─蝶々姫第一章─  作者: 薄氷恋
第一章 恋の花咲くこともある

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9・精霊の道

※この回には残酷描写を含みます。

苦手な方はご注意下さい。

 背後で爆発した炎の気配に、ラゼリードはきつく目を閉じた。

 すると、何故かハルモニアが右手でラゼリードの頭を引き寄せた。


「え?」


 驚いて目を開ける。

 ハルモニアの顔が視界いっぱいに映った。

 精一杯背伸びしているのか、顔が近い。その顔には先程の凶悪な笑みはない。


「驚かせてすみません。もう片付きました」


 耳に囁きかける声も優しい。

 では今の攻撃は何だったのか。

 疑問を脳裏に浮かべたラゼリードに構わず、ハルモニアはするっと彼から離れると戸口に近寄った。


「手加減はしたんだが……死んだかな? それならそれで構わないが」


 物騒な台詞だ。やはりこれがハルモニアの本性なのかも知れない。

 ハルモニアが床にしゃがみ込み、そこで初めてラゼリードは、戸口にあちこち火傷を負った煤塗れ(すすまみれ)の男が倒れている事に気付いた。男は剣を握っている。


「今の攻撃はその男を?」


「そう。あなたを狙っていたから、気付かない振りをして引き付けてから吹っ飛ばした」


 ハルモニアがラゼリードの方を見た。

 その途端、剣を握ったままの男の手がピクリと動いたのをラゼリードは見逃さなかった。


「ハルモニア!」


 起き上がった男がハルモニアに斬りかかるのと、ラゼリードが敵を風圧で吹き飛ばすのは同時だった。

 男が壁に叩き付けられる。


「仕損じてた!? こいつ、火精か!」


 目を剥いたハルモニアが叫んだ時には、ラゼリードは剣を抜いて男に斬り掛かっていた。それも受け止められ、金属のぶつかり合う音が、燃え盛り今にも焼け落ちそうな部屋に響く。


「くっ」


 男はこの組織の用心棒か何かだったのだろうか。

 相手が振るう剣の一撃一撃は重い。

 ラゼリードは手が痺れそうになるのを必死で堪える。


「アーシャ! 退け!」


 ハルモニアが背後から叫んだ。


「んな事言われても退けるか!」


 剣を交えながら背後に向けて叫び返した瞬間、注意が逸れた隙に相手が剣を押し返した。


「っ!」


 声を上げる暇も無く、強烈な一撃を食らってラゼリードは弾き飛ばされ、燃える布袋の中に倒れ込んだ。風が起きて、布袋から甘い匂いが立ち上る。


 だがその時、彼らの背後に居たハルモニアが焼けた梁に両手でぶら下がって、振り子の要領で勢い良く男の顎を蹴り上げる。顔面に蹴りを食らった男が鼻血を噴きながら倒れた。


 しかもハルモニアはブランコの様に一度後ろに揺られて前に戻ったかと思うと、梁から手を離し、倒れた男の胸の上に体重を掛けて飛び乗る。

 ゴキリ、と鈍い音がした。男が口から血を吐く。


(あばら)(はらわた)、貰った! これで動けまい!」


 ハルモニアは勝ち誇った声を上げると、脇目も振らずにラゼリードの元へ駆け寄った。


「アーシャ! 無事か!? 怪我は無いか!?」


「ああ、大丈夫だ」


 青ざめた顔で火の海の中、呆然と座っていたラゼリードが立ち上がろうとするのをハルモニアが手を貸して助ける。


「燃えてない……。あなたは火精だったのか?」


「違う。私は風精だ。エカミナとアレクの御守りが私を火から守ってくれた」


 ラゼリードはポケットから夫婦石(めおといし)を取り出す。

 青く輝いているそれからは、水の滴る音が確かに聞こえた。


「うっ、水……。確かにエカミナとアレクサンドライトの夫婦石だな。見たことがある」


 ハルモニアが嫌そうに顔をしかめた。


「しかし……これがあっても、火の海は熱いな。早くここから出よう。 もう崩れそうだ!」


 ラゼリードの言葉に、ハルモニアが天井を見上げる。完全に炎の回った天井は今にも崩れそうになっている。

 ラゼリードは元通り夫婦石をしまうと、落ちていた自分の剣を拾い上げ鞘に納める。


「行くぞ!」


「待て」


 ラゼリードが戸口に向かおうとするのを、ハルモニアが手を掴んで止めた。


「こっちの方が手っ取り早い」


「え?」


 ハルモニアが倒れている男の襟首をひっ掴む。彼はラゼリードの手を引きながら──男も片手に引き擦りながら──部屋の中で一番火の勢いの強い場所へ駆け出す。


「な、何を!? そっちは出口じゃ……!」


 剥目(かつもく)したラゼリードに、ハルモニアが少しだけ振り向いて笑ってみせた。


「あなたの事は俺が護ります! だから怖がらないで!」


 炎が異様に巻き上がり、駆け込んだ彼ら3人をすっぽりと包み込んだ途端、一階の筈なのに足下が崩れた。

 強い、眩しい光がラゼリードの両の目を射った。


 彼が再び目を開けた時、彼と、ハルモニアと、意識の無い男の3人は、炎で満たされた果ての無い奈落を落ちていた。



「うわあああああああああああ!!」


 まるで火山の中の様に何処を見ても真っ赤に燃えている。目も眩む様な赤の中を何処までも落ちて行く。肌を焦がす風が熱い。

 慣れない浮遊感と人間の世界とも思えない──そう、地獄の様な景色に恐怖に駆られ、ラゼリードは喉が裂ける程、悲鳴を上げた。

 女性的な悲鳴を上げなかったのは奇跡としか思えない。


「怖がらないで! 此処は火の精霊が使う『火の道』です! 俺と居る限りあなたは大丈夫!」


 ハルモニアが彼の悲鳴を遮って叫ぶ。

 ラゼリードの手首を掴んだ彼の手に力が篭もった。


「『道』!? これが!?」


 カテュリアの守護精霊だったフィローリが生前に語ってくれた精霊特有の魔法、『道』。

 それは四大属性によって見た目は異なるが、目的地に自分の属性の元素があればどこへでも行ける。

 ただし使役者の魔力次第で距離は変わる。魔力が強ければ強い程、遠くまで移動できるのだと。

 他の属性の精霊を連れて通る場合は更に使役者に魔力の負荷が掛る。

 ハルモニアはラゼリードの分の魔力も補って護ってくれている。

 その事がラゼリードの悲鳴を自然に止めた。自分でも不思議だった。


「もう着く! 危ないから伏せて!」


 伏せろも何も、何処を基準に頭を低くすればいいのだ。地面も何も無いのに。

 ラゼリードが混乱しながらも身を竦めると、再び光が目を射る。

 何か狭い場所を通った……ような気がした。


 気付いたらラゼリードは何処か見知らぬ場所の床の上に伏せていた。


「うわっ、しまった! 灰が!」


 ハルモニアが慌てた様に叫ぶ。

 もうもうと上がる灰に視界を奪われて何も見えないが、側に居るらしい。

 ラゼリードの耳から、エルダナに貰った片眼鏡が落ちて床に転がった。

 そのカシャン、という音に我に返ったラゼリードが細く息を吐いた。風が起きて灰が一掃される。

 そこはどうも厨房──庶民的に言えば台所の様だった。

 ラゼリードの背後には完全に伸びた煤だらけの男と、(かまど)が見える。

 よく磨かれた床と、壁、調理器具。

 壁には格子戸の窓があり、そこから風が吹き込んでラゼリードの魔法を助けてくれる。


 そして彼らの前には……


「わ~か~さ~ま~!!」


「エカミナ……っ」


 塵取り(ちりとり)(ほうき)を手にしたエカミナが額に青筋を浮かべて立っていた。

 ハルモニアがこの日初めて戦慄(おのの)いた。




「全く! どうしてこうも見計らった様にお戻りになられるんです? 私が塵取りを取りに戻った瞬間だなんて。折角、箒で集めた灰の山がぜーんぶ飛んじゃったじゃないですか! 若様ァ、あれほどウチの台所の竈を出入り口にするのは止して下さいと言いましたのに」


 エカミナの武器は美貌でも水の魔法でもなく、間違いなく言葉だ。

 エカミナの怒りっぷりに、ラゼリードもハルモニアもただ直立してお説教を受けるしかなかった。


「え、エカミナ……今アーシャが灰を吹き飛ばして掃除を……」


 いい加減、説教を受けるのに理不尽さを覚えてきたハルモニアが余計な口答えをする。


「ご近所様の迷惑になる片付け方は『掃除』とは言いません!」


「ご、ごめんなさい」


 ラゼリードは思わず頭を下げて謝った。エカミナの態度がやや軟化する。


「アーシャ様には怒ってませんよ」


 嘘だ。ハルモニアとラゼリードの見解が今初めて一致した。


「大体、若様。なんで大事なお客様まで巻き込んでるんですか!」


「えっ? 客?」


 ハルモニアが隣に立つラゼリードをきょとんと見上げた。ラゼリードはもう片眼鏡で瞳の色を隠していない。煤だらけの灰塗れの片眼鏡を着ける気にならなかったので、手に持ったままなのだ。

 エカミナが溜息を吐いた。


「若様、ちゃんとお勉強なすってます? 王宮に今、カテュリアからお客様がいらしてるでしょう? カテュリアのラゼリード王女様が」


「ああ、カテュリアの姫か。興味無い」


 その場にぴっきーん、と緊迫した空気が張り詰めた。

 ラゼリードの顔が引き攣り、エカミナが頭を抱える。

 発言した本人は未だに不思議そうな表情だ。


「カテュリアの姫に興味は無い、と? そう言ったか?」


 ラゼリードの口から床すれすれを這う様な低音が零れた。


「若様……とうのカテュリアの方の前でそれはちょっと……ねぇ?」


「あ、そうか。すまなかった。でも興味が無いんだ。今はあなたしか見えないから」


 ハルモニアがすまなそうにラゼリードを見上げた。ほんの少し頬が赤い。

 更に部屋の空気が緊迫した。ラゼリードが最早殺気を放っている。


「まぁ、そのへんにしておけ、エカミナ」


 彼らの背後からエカミナの亭主が声を掛けた。

 彼は巨躯を屈めて瀕死の男を介抱していたのだった。


「アンタ、若様を甘やかしちゃあ駄目だよ」


「ちぃと出口がまずかっただけだろが。それに若はいいもんを持って帰って来てくれた。こいつを締め上げれば何か出るだろう」


 亭主が男の左袖を捲り上げた。炎を模した入れ墨が露になる。


「アグニーニの紋! こいつ、幹部だったのか」


 ハルモニアが亭主の側に近寄る。


「アレクサンドライト、これも調べてくれ」


 ハルモニアが腰に吊した荷袋から布袋を取り出した。

 ラゼリードの顔が見る見る内に強張る。


「これはいいもんじゃねぇな。ロクでもねえ」


 エカミナの亭主──本名はアレクサンドライト──が布袋を手にして呟いた。

 ラゼリードも亭主に近寄る。


「それの成分が判ったら教えて欲しい」


「訊かなくても判ってるようだが?」


 亭主が灰色の目をラゼリードに向ける。ラゼリードは頷いた。


「判ってる。だけどもこんな使われ方をするなんて信じたくないんだ。だから断言して欲しい」


「わかった」


 亭主が頷いた。ラゼリードは夫婦石(めおといし)を両手の平に乗せて差し出す。


「御守りをお返しする。有難う。この石のお陰で焼け死なずに済んだ」


「礼ならエカミナに言え。水はエカミナの領域だ」


 ラゼリードが振り向くとエカミナが顔いっぱいに笑顔を湛えていた。


「有難う、エカミナ」


「どういたしまして。じゃあ話も纏まった事だしお風呂に入ってもらいましょうか。2人とも」


 エカミナが笑顔のまま言い放った。


「「え」」


「まさか、その煤だらけのドロドロのコテコテで王宮に戻られるおつもりでしたか? アーシャ様」


「あ……」


 ハルモニアとラゼリードはそこでようやく自分達の衣服を見直した。

 エカミナの言う通り、煤に塗れて白い部分などは元の色が判らない。

 ラゼリードはハルモニアの顔を見た。煤だらけだ。

 おそらく自分も同じ様に煤塗れの顔なのだろう。


「わかりました? ならさっさと風呂場に行きましょうね。服はその間に洗濯しておきますから」


 エカミナが顔に笑顔を貼り付けたまま、有無を言わさずハルモニアとラゼリードの背中を押した。

 この細い女性の身体の何処にそんな力があるのかと思う程、力強く押され、2人はあっという間に風呂場に連れてこられた。


「さぁ、若様。さっさと脱いだ脱いだ」


「やっ! やめろ、エカミナ!」


 ハルモニアはラゼリードを意識してか、顔中を真っ赤に染めて抵抗したが、抵抗叶わず服を剥がされる。エカミナにタオルを一枚手渡され、ハルモニアは泣きそうになりながらそれを腰に巻いた。


 哀れな。


 ラゼリードが内心で呟いた時、エカミナが彼ににじり寄った。


「さ、アーシャ様もさっさと脱ぐ。洗えないでしょ」


 エカミナの青い目がいかにも何か企んでいる光を宿している。ラゼリードは後退りした。


「え、わ、私は後でいい。2人いっぺんになんて……」


「心配しなくとも、ウチの風呂は広いですよ? アレクと私が一緒に入れる様に大きめに作っといたんですよぅ」


「エカミナ! 女性と一緒に沐浴なんて出来ない!」


 ハルモニアが耳まで赤く染めながら叫んだ。


「じ ょ せ い ?」


 ラゼリードがぷちっと切れる前に、エカミナがラゼリードの上着をぺろんと胸まで捲り上げた。


「若様ァ。このおにいさんの何処が女の子なんですか。ちゃんと見分けて下さいよ」


 露になった平らな胸板、そしてわき腹から胸へと文字通り羽根を伸ばす紋様にハルモニアの目が釘付けになる。

 そしてハルモニアの口から漏れる絶望にも近い声色ときたら。


「お……男ぉ!!!?」


「この……っ! 今まで気付かなかったのか!?」


 ラゼリードが大激怒するも、意気消沈して灰の様に燃え尽きたハルモニアには意味が無かった。


「そんな……そんなぁ。……かくなる上は、俺が即位した暁に法を改正し、同性婚の制度を!!」


「権力を私利私欲に使うな馬鹿者!」


「あーうるさい」


「エカミナ! やめろ! 自分で脱げる!」


 ラゼリードもエカミナの手によって裸に剥かれたのであった。

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