8・ハルモニア
──手掛かりの一つが拠点もろとも焼け落ちる?
そこにカティの花があるかも知れないのに?
そう思ったら、のんびりと話など聞いて居られなかった。
「アーシャ様!? お待ち下さい!」
立ち上がったラゼリードをエカミナが制するが、その言葉を聞く頃には彼は既に椅子を蹴って部屋から飛び出していた。
やけに繁盛している果物屋の奥から、唐突に飛び出して来た銀髪の青年を、市場の人々が何事かと見やる。
ラゼリードはそんな人々を無視して風の流れを読もうと試みた。
1年以上前に手にした能力だというのに、まだ意図しなければ風を読めない事が自分の未熟さの現れのようでもどかしい。
スッと顎を上げ、真っ直ぐに空を見上げると、周囲の人々もつられて空を仰いだ。
その場に居た者が少しでも風の魔力を持っていたなら、気流の異常に気付いただろう。
そしてラゼリードは間違いなくそれを捉えていた。
掴んだ気流に導かれるままに、キッ、と音を立てそうな勢いで西の方角を睨む。
西の空に一筋の黒い煙が立ち上っていた。
「煙だ! 西区街から煙が上がっているぞ! 火事だ!」
誰が言ったのかは分からない。だが、そういう一言はやけに明瞭に響くものだ。途端に市場は騒然となった。
大急ぎで西へと走る野次馬根性逞しい若者や、関わり合うのは真っ平御免だと身を竦める年寄り。
まだ此方に燃え広がる気配も無いのに逃げ出そうとする者。怯えて泣き出す子供。
市街地のあちこちでけたたましく鳴り始める警鐘。
右往左往する人の群れに混じってラゼリードも西へと走り出そうとした。
「やめときな」
その背中に、地を這う様な低く嗄れた声が掛かった。虚を突かれたラゼリードが踏み出しかけた姿勢のまま振り返る。
「あの人一人で片が付く。あんたが行ったって出る幕はねえ。あんたじゃ、被害を拡大させるだけだ」
声を掛けたのは、果物屋の荷台の後ろに、大柄な体躯ながら、こじんまりと座っていたエカミナの亭主だった。
「どういう意味だ」
訝しげなラゼリードに、俯いてリンゴを磨きながら訥々と亭主は語る。
「そのままの意味だ。あんたは風だ。火に対してどう戦う? 火の規模によっちゃ風で消せるだろうが、あれは大火事になる。間違いなく消せずに炎を煽るだけだ。燃え広がれば死人が増える。風を集める事しか出来ないあんたはお呼びじゃねえ」
亭主が灰色の小さな瞳をラゼリードに向ける。鋭い光だった。
ラゼリードの頬が羞恥と怒りに赤く染まった。
勢い良く振り向くと、果物屋の荷台越しに亭主に食ってかかる。
「ではどうしろと!? 折角掴んだ手掛かりをむざむざ灰にしろと言うのか? 私には時間も、見過ごす気も無いんだ!」
「も~、アーシャ様ぁ。最後まで話を聞いて下さいよ~」
そこへ、元通り三角巾を被って髪を隠したエカミナが現れた。
「エカミナ……」
「流石はあたしの旦那ねぇ。ちゃんと足留めしてくれるなんて。惚れ惚れしちゃうよ。有難う、アレク」
ちゅっ、という音と共にエカミナが亭主──アレクだそうだ──の頬に口付ける。ラゼリードの中で何がが切れそうになった。
それを察したのか、亭主が何かを差し出した。
「さっきの話を踏まえた上でどうしても行くのならば、これを持って行け」
そう言ってラゼリードの手に握らせたのは、手のひら大の大きさの丸いすべすべとした白い石だった。
「それはね、川の底で何百年もかけて水の流れに研磨され、丸く小さくなった石なんだよ」
エカミナが注釈を加える。
「そいつにゃ地と水の魔力がこもっている。居るだけで風を集めてしまう、あんたの強すぎる魔力の暴走を押さえ、水の護りが得られる。持って行くといい」
「あたしとこの人、2人の象徴さ。名付けて『夫婦石』なんだから、ちゃんと返しとくれよ?」
受け取ったはいいが、どうしていいか解らずに石を手にしたままのラゼリードにエカミナが笑顔を向けた。相変わらず岩の様に静かで無愛想な亭主も頷く。
「分かった、お借りする。有難う」
ラゼリードは深々と一礼し、石をポケットに入れると人波を掻き分ける様に走り出した。
その姿を見送ったエカミナが後ろから亭主の首に腕を回して抱き付いた。甘える振りをして小声で亭主に話し掛ける。
「ねぇアンタ、あの方、どう思う?」
「……あれは戦いには向かねえな。魔法も剣も。魔力だけなら若と五分五分だろうが、戦い方を分かっているか怪しいもんだ。守りの方が適している。厄介な任務を抱えたもんだな」
「でしょう? あの方、自分の向き不向きを解ってるのかねぇ……」
「お前もだろが。厄介なもんに巻き込まれやがって。大人しく果物屋の女主人で居りゃいいものを」
「ごめんねぇ」
風が吹き、流れて来た煙で動揺する中央区街の一角で、彼ら果物屋夫妻だけが甘い雰囲気を纏い、異彩を放っていた。
◆◆◆
「……日の沈む方角か」
「如何なさいましたの? 陛下」
一方、ルクラァン王宮の執務室ではエルダナが窓から西の空を眺めていた。
その背に、同室で政務を執っていた王妃レカが声を掛けた。
ルクラァンでは王と王妃が共に執務を執る。
エルダナは振り向かずに答えた。
「そうだな……火事が起きた様だな。西区街だ。ここまで炎は届かないから安心したまえ」
言葉とは裏腹に、エルダナは相変わらずの派手な足音を立てて室内を縦断すると、扉の側で両手を一つ打ち鳴らした。
即座に扉の外から年老いた男性の声が掛かる。
「お呼びで御座いますか」
「バートン。リチャードと共にエカミナの店へ向かい、進捗具合を聞き出せ。西区街の火災が鎮火次第、焼け跡の探索もだ」
「例の件は如何致しましょう」
「エカミナの元にあるならば彼女に任せろ。今は深追いするな」
「御意」
「行け」
扉の外の気配が消えたのを確認すると、エルダナは再び窓辺に戻る。
先程まで細く立ち上っていた煙が、ほんの少し目を離している間に空を覆い尽くさんばかりに広がっていた。エルダナが苦い表情で髭を扱く。
「貴方。何を隠していらっしゃいますの?」
書類から目を上げたレカがやんわりとした物腰で再度問う。
「なにもないよ」
エルダナは変わらず振り向かずに答えた。
「本当はハルモニアの居場所を御存知なのでしょう?」
「いや、知らないよ。判っていたら外泊などさせるものか」
「嘘を仰らないで下さいませ。知っていて、バートンに連れ戻させたりしないのでしょう。貴方が振り向いて下さらないのが何よりの証拠ですわよ。貴方は嘘を吐く時に私の顔を一切見ませんもの」
レカの言葉にエルダナが振り向いた。心なしか頬を赤く染め、ばつが悪そうに顔を歪めている。
元々若作りな顔立ちの為、顔に表情が出ると途端に幼さが目立った。顎に髭を生やしているにも関わらず、だ。
「后が王を疑うのか?」
権力をかさに着てみても、その顔では最早威厳など欠片も無い。レカの前ではエルダナは王ではなく、ただの男性でしかなかった。
「妻が夫に訊いておりますの。一晩戻らず、今も居場所の判らない我が子を心配しない母は、このルクラァン王家には居りませんもの」
レカが赤い瞳を細める。少し唇が震えている気がするのはエルダナの見間違いではない筈だ。
「……立派な妻で嬉しい。君を妻に戴けた私は世界で一番幸せな男だ」
レカがピクリと眉を動かした。長い黒髪を肩からばさりと払って立ち上がる。
「それでもまだ言えないと? では時編む姫に伺って参りましょう。あの方なら何もかも御存知でしょうね。貴方の秘蔵の美酒を手土産にしたら、きっとお話が弾みますわ」
「待ちたまえよ」
◆◆◆
王宮でエルダナの風向きが悪くなっているまさにその時、ラゼリードも風向き悪く煙に巻かれていた。
まだ自由に能力を使えないとはいえ、彼とて風の精霊だ。
いくらなんでも煙で肺を詰まらせる程、無力ではないが、災害の前では自分の周りに新鮮な風を纏うだけで精一杯だった。
しかも尚悪い事に、ラゼリードが今居る場所は屋根の上である。
西区街の大通りは避難する人々や野次馬、鎮火に当たる魔道隊と救護兵で溢れかえっていて、火元に辿り着けなかった為、やむなく民家の屋根に上って移動したのだ。
煙で燻されている様なものである。
その煙が……性質が悪かった。
「なんだ、これは。風に混じって……灰、じゃないな……」
頭が甘く痺れて、ぐらぐらと揺れているような気がする。
明らかに悪しきモノが大気に紛れて舞い上がっているのが彼には判る。
ラゼリードは少しでも煙の被害を防ごうと、屋根の上で伏せたまま辺りを見回した。
丁度、大きな通りの十字路の角だ。そこから先に屋根は無い。煙の所為で見えにくいが、通りは避難民と兵隊だらけだ。
「飛べば流石に目立つし……これ以上は屋根伝いは無理か」
火元はもうすぐそこなのに。
燃えているのは『アグニーニ』。そしてカティの花かも知れない。
「どうしたら……!」
その時、ラゼリードが行使したものではない自然の強い風……雨を喚ぶ風が吹いて、煙が大きく向きを変えた。視界が明瞭になり、下の大通りが見渡せる。
未だ避難民が逃げ惑う中、立ち尽くす黒髪の少年の姿が見えた。
押し寄せる避難民と肩をぶつけようともその場から動かない。
その少年が風の吹いて来る方向に振り向いて空を仰いだ。
「!」
ラゼリードが息を飲んだ。
赤い瞳。昨日の昼にエカミナの店ですれ違い、その後路地裏でラゼリードを見上げて指輪を填めた、あの顔。
少年が動いた。
事もあろうに火元へ向かって勢い良く駆け出す。
消火の為に前線に立つ魔道隊の隙間をすり抜けた。
魔道隊の一人が彼を捕まえようとするも、少年はそれをもかいくぐり、そのまま煙の中に消えてしまう。
「ハルモニア!!!!」
ラゼリードは思わず叫び、屋根の上で立ち上がると、吹いて来る風に乗る様に一気に通りと通りの間を。
飛んだ。
彼はそのまま迷う事なく煙の中へ飛び込み、一度、魔道隊の遥か前方に着地してから燃え盛る建物の中へ突っ込んだ。
◆◆◆
建物の中は火の海だった。その真っ只中を少年──ハルモニアは意も介さずに歩く。
途中で落ちている梁に足を取られて転びそうになり、とっさに燃えている柱に手を付いたが、ハルモニアは無傷だった。
この世のどんな炎も彼を害する事は無い。幼くして彼はあらゆる炎の支配者だった。
ハルモニアはやがて焼け残った扉を見つけると、指で差し示した。
扉が音も無く炎に包まれる。
少年が口元を外套で覆いながら部屋の中に踏み入る。
室内には布袋が山と詰まれていた。
「信じられない。まだこんなに残っていたのか」
彼はとりわけ小さな袋を選んで腰の荷袋に押し込むと、両手をいっぱいに広げて爪先立ちになった。そのまま勢い良くしゃがみ込む。
そう広くは無い室内が、ボッと音を立てて炎に包まれた。
少年が額の汗を手の甲で拭う。
「魔道隊如きに俺の炎は破られないだろうけど……。早く燃やしてしまわないと、あの風だと雨が早々に来る。そうしたら終わりだ」
「何を燃やした?」
声に驚いてハルモニアが素早く振り向く。
部屋の入り口に険しい表情のラゼリードが立っていた。
「あなたは……?」
ハルモニアが口をぽかんと開ける。
ラゼリードは業を煮やしてハルモニアに近寄った。そのまま自分の胸元辺りまでしかない背丈の少年の胸倉を掴んで顔を寄せる。
「何を燃やしたと聞いている! こんな所で何をしているんだ!? ハルモニア王子!!」
ラゼリードの剣幕に一瞬息を詰めたハルモニアだったが、直ぐに落ち着いた表情に戻った。
「昨日の今日で俺の素性を知ったのか。あなたの素性が判るまではあれが何かは話せない。あなたは何者なんだ? まさか『アグニーニ』の一味じゃあるまいな」
ギリ、とラゼリードが奥歯を噛んだ。低く抑えた声で早口にまくし立てる。
「私はカテュリアから来たエイオン・アーシャだ。盗まれたカティの花を追っている」
「そうか。あなたの言葉を信じる。敵ではないのだと、俺自身が信じたいから」
ハルモニアがラゼリードの右耳の側に手を差し伸べる。
「敵だったら、燃やさなきゃいけなかった」
ハルモニアが胸倉を掴まれたまま、ニィッと微笑む。
ラゼリードの背筋を寒気が這い上がる。
敵を『燃やす』と言った。
おそらく彼は人を殺す事に躊躇いも、罪悪感も覚えていない。
ラゼリードより2歳年上で、外見的には12歳程の少年が。
これが同じ王族か!?
ラゼリードの頭の後ろ、ハルモニアの手元で魔力が凝縮される。ハルモニアが呟いた。
「そのまま動くな。手加減はしてやる」
轟音と共に炎が爆ぜた。




