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恋の花咲くこともある。─蝶々姫第一章─  作者: 薄氷恋
第一章 恋の花咲くこともある

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7・怪しき組織

 呆気に取られたラゼリードに、エルダナが首を傾げた。彼はまた手で顎髭を弄っている。本当に髭を弄るのが癖らしい。


「エカミナをご存知なのですか?」


「……昨日の昼、彼女からうっかり果物を買って……そのまま話し込みました」


 ラゼリードが少しばかり、げんなりとした表情になる。




 あの時程、周囲の見知らぬ人間に視線で助けを請うた事はない(しかも救いの手は差し伸べられなかった)

 侍従のヨルデンには密命を受けた事自体を伏せてあった。

 なので、エルダナとの謁見が済むなり『お忍びで遊びに行く』と言い張って王宮を抜け出し、「お待ち下さい! せめて、せめて僕だけでもお連れ下さい!」と、泣き出さんばかりに追いすがる彼を、ラゼリードは容赦なく撒いた。

 そしてそれも……深く後悔した。

 撒いた所為でヨルデンの助けが無い事も、子犬の様にまとわり付くヨルデンを置いてとんずらこいた事も。

 ──雰囲気こそ子犬だが、彼は立派な18歳の青年だ──ヨルデンの名誉の為に付け足しておく。


「おやおや、それは。大変だったでしょう。彼女は美人だし、愛情深く、腕も立つし頭の回転も早いのですが、唯一の欠点はお喋りが大の大好きだという事だ。ちなみにその点では私と非常に気が合います」


 それはそうだろう。

 ラゼリードは、エルダナとエカミナが嵐の様に激しい勢いで談笑している姿を想像しようとしたが、エカミナの姿形は朧気にしか思い出せなかった。スカートとエプロン、尼僧ばりに髪を覆う長い三角巾を身に付けていた気はする。だが顔が分からない。

 美人だっただろうか? それすらも覚えていない。

 それもその筈、彼は己の色違いの瞳を見られまいと目を逸らし続けていたのだから。


「彼女は何者なのですか?」


「エカミナは2年前まで私直属の密偵でした。彼女は一昨年、結婚退職したのですが、この度情報を持ち込んだのが彼女だった為、現在は一時雇いとなっております」


 そんなに大層な素性の持ち主だったとは。しかも『昔はラゼリードやハルモニアの様な顔立ちだった夫』と新婚らしい。


「流石はルクラァン。人の国では及びもつかない事柄で溢れ返っていますね」


「は?」


 エルダナが不思議そうに間抜けな声を上げた。


「いえ、なんでも……」

 

 ラゼリードはエルダナから目を逸らした。そもそも、この人物からして一筋縄ではいかないのだ。


「エカミナの事は彼女自身に訊いてみなさい。今渡した資料も、きっとエカミナの手元にある物の方が新しいと思うよ。私から聞くよりもエカミナに訊いた方が早い。さぁ、行っておいで」


「い、いってきます……」


 立ち上がったエルダナが、まるで我が子を送り出す様に、エルダナはラゼリードの頭をクシャリと撫でた。赤くなった頬をまた指摘されるかと思ったが、彼が何も言わないのでラゼリードも立ち上がり、荷物に先程の紙の束をしまい、肩から下げる。

 外套をその上から被ると、彼はエルダナに向かって頭を下げ、そして窓辺に近寄る。重量を感じさせない猫の様な仕草で窓枠に飛び乗ると、彼は振り返りもせずに窓から飛び降りた。


「あ。此処は三階……」


 遅ればせながらその事に気付いたエルダナが、ひょい、と窓から身を乗り出すと、無事に着地したらしいラゼリードが、まさしく風の様な速さで庭園を走っていた。

 あっという間に庭園を突っ切り、大人の背丈三人分の高さがある塀の上部に、人らしからぬ跳躍力──風の魔法だろう──で飛びつき、ひらりと外套を翻して塀の向こうに消えた。

 エルダナはそれを見て微笑む。


「流石、風精。見事だ。三階だとか、塀があるとか……そんな心配無用だったね」


 軽いノックの音がした。


「どうぞ」


 エルダナが窓枠に肘をついたまま、扉の方に顔だけ向けて応えた。

 部屋の主の入れ替わりにも気付かずヨルデンが茶器を携えて入ってくる。


「ラゼリード様、お茶をお持ちしま…………」


 ヨルデンが顔を上げる。ひらひらと片手を振るエルダナと目が合った。


「えーーーーーっ!!!? ル、ルクラァン国王陛下!? ラゼリード様? ラゼリード様!?」


 慌てふためくヨルデンの様子に、エルダナが腹を抱えて爆笑した。彼は笑いながら窓の外を指差す。


「君の主は……あっち。君、気付くのが少し遅いよ。ああ、折角だから代わりに私がお茶を頂いて帰ろうか」


 ヨルデンは自分の紅茶の腕の無さを心底呪った。

 何も不味い茶を淹れた訳では無いが、友好国の国王に献上するなどおこがましかった。

 ヨルデンがその後、自国に帰ってから必死で紅茶を淹れる修行をし、遂には城一番の紅茶使いとなったのは余談だ。



◆◆◆



「これで全部か」


 少年は小さく呟くと、足元の血溜りを見回した。

 横たわる屍、屍、屍。

 そのどれもが刀傷によるものだった。

 そして少年の手には血に濡れた剣が握られている。……彼の仕業なのは一目瞭然だった。 

 彼は己の剣で手近にあった木の柱に斬りつけると、その手ごたえに低く唸った。


「一回で随分なまくらになるんだな。研ぎに出さないと。アレクに頼むか」


 少年は血払いをした剣を腰の鞘に収めると、両手を胸の前で水でも掬う様に椀の形にする。

 だが、彼が望んだものは水ではなかった。


「火よ」


 少年の手の中で炎がぽっと点った。




◆◆◆


 ──その頃、エカミナは昨日とさして変わらず、髪一本出ていない三角巾とエプロンとワンピースという出で立ちで、果物屋の布の幌の下で商売の合間にお喋りしていた。

 お喋り中の彼女を見たラゼリードは、いつ話し掛けていいものか悩み、暫くの間立ち尽くす。

 やがて、エカミナがラゼリードに気付いた。尼僧の様な三角巾を揺らしながら、ラゼリードに向かって大きく手を振る。

 ──エカミナと話していた客がほっとした顔を見せた事は、ラゼリードの胸に深くしまい込まれた──


「おにいさん、また来てくれたんだね! 今日は何にする?」


「いえ……今日は、『遊び心の君』の使いです」


 エカミナが青い目を瞬かせた。

 ああ、彼女は青い目をしていたのか。

 肌も浅黒く日焼けしている。その灼けた肌でも判別のつく、赤い唇。確かにしっとりとした美しい顔立ちだ。

 ラゼリードは自分の異形隠したさに、人の顔一つ見ていなかった事を、少し恥じた。


「また何か珍しい果物をお求めなのかしらねぇ? 分かった。後で届けるよ。折角だから上がってって。……アンター! ちょっと店番しててくれない?」


 後半の言葉は、店の奥に向かって叫ばれた。

 あいよ、というだみ声と共に地響きがしそうな足音を立てて、岩の様な巨躯と岩石の様な顔面を持つ大男が奥から現れる。

 まばらな頭髪は薄い鉄色をしていた。……岩石の精霊なのだろうか。

 大男がラゼリードをジロッと見下ろす。いや、睨み付ける。

 ラゼリードは頬がひくっと引き攣るのを感じた。

 エカミナの亭主がラゼリードの様な女顔や、ハルモニアの様な少年顔をしていたのは何百年前の話だ!? と言いたくなるのを、彼はそれはもう必死で堪えた。

 奥へと向かうエカミナがラゼリードを手招く。


「アンタ、浮気はしないから安心しとくれね。このおにいさんは『遊び心の君』のお客様なんだよ」


 エカミナは亭主に向かって甘えた声を出した。亭主は黙って頷くと、これまた黙って店番に付いた。

 あの無口さで果物が売れるのだろうか。少し心配になる。

 エカミナに手招かれるまま店の奥に入り、そのまた奥の住居に招かれたラゼリードは、そこでもう一度驚愕する事になる。

 エカミナが大きな三角巾を解くと、青い絵の具をぶちまけた様に真っ青な、長く豪奢な巻き髪がこぼれたのだ。しかもその髪は光の当たり具合によって薄い水面の青にも、深く暗い水底の青にも見える。


「びっくりした? 私は水の精霊だよ。ここまで髪が青いのは珍しいんだけど」


 老婆か尼僧の様に頭に巻いていた布を取り払ってしまうと、彼女は匂い立つ様な色気を放つ、派手な美女と化した。ワンピースとエプロンという地味な格好を差し引いても、元ある美貌が人目を引くのだ。

 ラゼリードは惚けた様にエカミナを眺め、ほんの少し頬を赤く染めた。なんとはなしに片眼鏡のズレを直すフリをして顔を隠す。が、エカミナにはお見通しだった。


「何赤くなってんの。言っとくけど私は亭主にぞっこんだからさ。エルダナ様にも言ったけど、私が欲しけりゃウチの亭主と決闘していってね? ああ、用心棒に頼むのはナシで生身でね?」


「ち、違います。それに、そんな勇気ありませんよ」


 刃物を抜いたとしても、果たして彼の皮膚に有効な傷を付けられるのかどうか疑問に思うような人面岩の亭主だ。間違っても決闘したくはない。しかし何故そこでエルダナの名前が挙がるのか。彼の素行が気になる。

 よくよく考えたら、昨夜見たロケットの中の母子二組の肖像画も、母親が違った気がする。


「それでは、粗末な住処ではありますが、どうぞお掛け下さい。紫の行方をお話ししても宜しいですか? 『闇夜の菫』様」


 エカミナに勧められるままに、ラゼリードは質素ながらも綺麗に磨かれた大きなテーブルに着く。


「それはまた……懐かしい二つ名を出してくる」


 『闇夜の菫』とはラゼリードがまだ人間だった頃、両目共に菫色、黒い髪であった為に社交界で付けられたあだ名だ。

 今日は片目の色を隠しているというのに、素性がすっかりバレている。

 ラゼリードは苦く笑った。

 昨日、フードの中身を覗かれたあの一瞬で見破られたのか。この色合いでは無理もないと思う。


「では『蝶々』様とお呼びした方が?」


 『蝶々』はラゼリードの身体にある紋様の形でもあり、ラゼリード専用の紋章でもある。

 ラゼリードは肩を竦めてみせた。


「どちらでも。右の瞳はこの通りまだ菫色だし、どちらの性別でも蝶々は居る。でも、どちらも呼ばうには不自然だ。あえて言うなら、アーシャと呼んでくれ」


 想い出が。ラゼリードの目の前を、聞こえない筈の音を立てて横切った。




────

『名前はそれで決まりですね』


『家名はどうしよう』


『じゃあ僕の家名をあげる。アーシャと名乗ればいい。この名前は、僕とシャロからの贈り物だよ』

────




「アーシャ様。エルダナ様から例の資料は受け取られましたか?」


 伺う様なエカミナの言葉に、ラゼリードはハッと我に返って鞄を漁った。紙の束を取り出す。


「此処に辿り着く前にざっと目は通した」


 ラゼリードは一息入れて、口を開いた。


「……この春先の深夜、不審な四角い小箱の様な積み荷を大量に積んだ船が、ルクラァンの海岸に……港ではなく海岸に着いた事。積み荷を受け取った者達が居た事。そしてその現場をたまたま見た者が居る事。……何故その積み荷がカティだと?」


「荷下ろしの際に、何人もの男が積み荷を運びながら『手が冷たい』と言っていたそうです。中には松明の熱で中身の氷が溶け、包みが緩んで解けたものも。……中身は氷漬けにされた紫色の花でしたそうです」


 その言葉を聞いた途端、ラゼリードの心中に激しい怒りの嵐が渦巻いた。

 ──許せない。あってはならない。あの花は──

 彼は知らずの内に眉間に皺を寄せる。


「やたら詳しいな。資料にその人物の詳細は書かれていないが、現場を見たのは、エカミナ、あなたじゃないのか?」


「……違います」


 エカミナが微かに視線を落とした。


「では誰だ? 何故直接本人が報告しなかった?」


「……それは、ご本人に直接お訊き下さい。彼のお方は今も独自でカティの捜索を続けてらっしゃいますので」


 彼のお方……という事は一人か。エカミナが敬語を使うという事は、少なからず彼女より身分が上という事だ。貴族だろうか?

 ラゼリードは一刻も早くその人物に会いたいと思った。気が逸る。


「……現在怪しいとされているのは、ルクラァンの無法地帯に潜む5つの犯罪組織か。……5つって多すぎないか」


 ラゼリードが紙の束をぺらりと捲る。

 そこには5つの名前が書かれていた。ラゼリードが読み上げる。


「怪しきは……

『アグニーニ』

偽鏡ニセカガミ

ツイ

『真実の目』

『ヴァンティオン』

追記、可能性は非常に薄いが中央区街の『陽気な悪党団』……なんだこの最後のは」


 もう少しましな名前は無かったのだろうか。悪者とは思えない。


「ご安心下さい。『陽気な悪党団』と『真実の目』は候補から外して下さって結構です」


 エカミナが言葉を挟んだ。


「何故?」


「『陽気な悪党団』は単なる酔うと暴れる酒癖の悪い男共の集団です。酒さえ抜ければ気の良い連中なのです。そして『真実の目』は、半年前に頭目のガノッツァ他数名が捕らえられ、団員の自白により拠点が割れました。既にルクラァン騎士団による討伐隊に狩り出され『真実の目』は、ほぼ壊滅状態なのですわ。とはいえ何名かが追尾の手を逃れている様ですが」


「じゃあ残るは四ヶ所か」


「いいえ、三ヶ所です」


 ラゼリードが紙面から顔を上げると、エカミナが気まずそうな表情で彼を見ていた。


「『アグニーニ』は今頃きっと、壊滅しています。拠点もろとも燃えてるんじゃないですかね?」


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