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恋の花咲くこともある。─蝶々姫第一章─  作者: 薄氷恋
第一章 恋の花咲くこともある

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5・親書と純血種

 思わず声を荒げてしまったラゼリードは一つ息を吐くと口元を手で押さえ、エルダナから視線を逸らした。

 相手を見ていられないのだ。

 エルダナは底光のするざくろ石の瞳で静かにラゼリードを見ている。その視線はラゼリードにとって、今まで誰にも向けられた事の無いものだった。彼は、彼女は、王子であり王女であり、そしてラゼリードの父は我が子を溺愛していた。ラゼリードの父はどんな事があっても彼女──または彼──をきつく咎めたりはしなかったのだ。

 未知の恐怖に身が竦む。

 エルダナはラゼリードの手袋を手に持ったまま少し目を閉じ、考え込む様に低く唸った。


「ふむ。密命ですか。ひょっとしてあの事かな?」


「あの事?」


 ラゼリードが顔を上げて問う。エルダナがもそもそと言葉を濁した。


「ああ、その話は後にしましょう。兎に角、貴女はハルモニアの指輪を手にしている。それは本人から渡された物か否か?」


「名前を伺っていないので王太子殿下本人なのかどうかは分かりません。わたくしに指輪を嵌めたのは、12~13歳の年の頃の少年です。髪は黒く、赤い瞳をした」


「私に良く似て申し分のない程愛らしい少年ですか」


「そう、可愛らし……。…………」


 ラゼリードは気付いてはいけないところに気付いてしまい、言葉を失った。

 まさか。この方は。自己愛が強すぎるの(ナルシスト)かしら?


「どうかしましたか?」


「いえ……」


 エルダナが至って真面目な顔で訊いてくるので、彼女も微笑みを浮かべて言葉を濁さざるを得ない。


「ですがわたくしがいくら姿形の特徴を上げても、もし万が一、他人の空似でしたらどうなさるのですか?」


 ラゼリードが問い掛けるとエルダナは再び顎髭をさすりながら──癖なのだろうか── 頷いた。


「実物を見て頂くのが一番早いかとは思いますが、今は何分ハルモニアが何処に居るのか分かりませぬ。父親としては大変問題のある発言ですが、あやつが王宮に帰っているのかすら分からないのです。ですから、所詮似姿ですが、此方を見て頂く事にしましょう」


 そう言ってエルダナはラゼリードに手袋を返すと、黒い礼装の懐に手を突っ込む。取り出されたのは赤みを帯びた金のロケット。ラゼリードに見える様に傾けながら、彼は片手で器用にロケットの蓋を開いた。

 ロケットの内側には、橙色の髪をまばらに生やした目も開いていない幼子の肖像画があった。


「まぁ。可愛い」


 ラゼリードの素直な感想に、エルダナが不自然な咳払いをした。


「ええ、妻に似て大変可愛らしいのですが……。失礼。この子は先頃生まれました私の娘でメレニアといいます」


「……そうですよね。いくらなんでも幼な過ぎるとは思いました」


 大体、黒髪ですらない。

 エルダナは書物の頁を捲る様に、肖像画の填め込まれた内蓋を捲った。

 内蓋の裏側にもメレニアの肖像画があった。こちらは少し成長したのだろうか、目を開けている。黒目がちなつぶらな瞳は琥珀色をしていた。

 ラゼリードは薄笑いを浮かべるしかなかった。エルダナが呪文でも唱える様な平坦な声音で呟く。


「……私は常々、女性の前では凛々しく、知的で冷静な男であらねばならないと思い、そうある様に努力して参りました。ですが娘とはいかんものですね。彼女の愛らしさの前では私は只の子煩悩な父親になり下がる。……少々お待ち下さい。今、剥がれた化けの皮を張り直しますので」


 エルダナはパチンと音を立ててロケットを閉めると、懐に仕舞い込んだ。そして反対側の懐から今度は銀のロケットを取り出した。蓋を開く。

 そこには赤毛の女性と、女性の腕に抱かれた……


「き、妃とメレニアです……」


 笑うに笑えず、ラゼリードは微笑みを顔に張り付けたまま肩を震わせた。

 うなだれたエルダナが流石に情けない声を出す。後ろ髪と同じ長さのある前髪が垂れ、彼の表情を覆い隠しているが、ラゼリードは見なくとも彼がどんな顔をしているか大体見当が付いた。

 エルダナは顔を伏せたままロケットを自分の方に向け──多分確かめてから見せる事にしたのだろう──先程と同じ様に裏蓋を捲る。

 エルダナは顔の前に垂れた髪を空いている手で耳に掛けた。もう何事も無かったかの様に冷静な表情をしている。


「正妃と……ハルモニア。私の息子です」


 ラゼリードの方へロケットを向ける。

 そこには少年と、黒髪の女性が描かれていた。

 少年はつんつんに跳ねた短く切られた黒髪。不揃いな前髪はとても短く、眉より上に毛先がある。

 垂れ目がちな大きな瞳は真紅の色。

 間違いない。昼間、男性の姿のラゼリードに『求婚逃げ』したあの少年だった。

 ラゼリードの表情が自然と険しくなる。エルダナが困った様に笑った。


「間違いない様ですね。……聞かせて下さい、事の顛末を。ハルモニアは何か事件に巻き込まれて指輪を奪われた訳ではないのですね?」


 ラゼリードはこくりと頷いた。言葉より仕草の方が彼女は饒舌だった。




 ──数分後、エルダナはバルコニーの手摺りに寄り掛かって大笑いしていた。


「そうですか……! あやつ、貴女に求婚(プロポーズ)を……」


 再び笑い出すエルダナに、ラゼリードは怒りを隠せない。彼女は白い頬を赤く染めてエルダナに食ってかかった。



「そんなに笑わなくともよいではありませんか。あの時、男性としてのわたくしは少なからず傷付きました!」


「違うのです。私が可笑しく思っているのは、ハルモニアの事ですよ。まだまだ子供だと思っていたのですが、いつの間にかお年頃になっていたのだと思うと、笑いが…止まら…な…くっ……あははは」


 何がそんなに可笑しいのかラゼリードには理解出来ない。それを訊くにはエルダナの笑いの発作が収まるのを待つしか無さそうだ。


「いや、失礼致しました。今日の私は謝ってばかりですね。……ハルモニアの印象は如何です?」


 よく初対面の人の印象を聞かれる日だ。

 涙が出るまで笑ったらしいエルダナは、指先で(まなじり)を拭いながらラゼリードに訊ねた。彼女は冷たく返す。


「それを今のわたくしにお訊きになられますの?」


「真に。今は良い印象も何も無いでしょうね。ですが、貴女とハルモニアはきっと仲良くなれますよ。なんといっても年が近いのだから」


「……年が近い?」


 ラゼリードは耳を疑った。思わず鸚鵡(オウム)返しに訊き返してしまう程だ。

 ラゼリードは先月19の年を迎えたばかりで、あの少年──ハルモニア王子はどう控えめに見ても、ラゼリードより6歳か7歳は年下なのだから。

 精霊の概念では6年や7年の差など大して変わらない様に思えるのだろうか。

 人の身から精霊となって1年そこそこのラゼリードには理解出来なかった。

 エルダナは悪戯が成功した子供の様に無邪気な顔で笑った。


「ハルモニアはあのなりですが、今年の冬には22歳になるのですよ」


 ラゼリードは驚いてばかりのこの日の中でも、最も度肝を抜かれた形相で立ち竦んだ。目を見開くばかりか口まで呆けた様に開いてしまい、それに気付いて慌てて両手で口元を覆い隠す。


「という事は……今、21歳……!?」


「姫はご存知ではないのですね。精霊の子供は人間の子供より成長速度が遙かに遅いのですよ。人間の子供が15年もすればほぼ大人になるのに比べ、精霊の子供が成人するには平均で30年は掛かります」


 どれもラゼリードにとっては初耳の事柄だ。エルダナは目を丸くして聞き入るラゼリードが可笑しいらしく、ほくほく顔で話を続けた。


「その子の魔力が強ければ強い程、成長は遅くなります。ハルモニアは15歳ぐらいまでは平均並の成長速度だったのですが、ここ数年格段に速度が落ちています。あれが成人するには後30年は掛かりましょう」


 成人まで50年。人間の常識では到底有り得ない話だった。人間の6倍から果ては10倍近い寿命を誇る精霊ならではの身体の仕組みなのだろう。


「王太子殿下は、強い魔力を持ってらっしゃるのですね……」


「ええ。私もですが、あの子も純血種ですからね」


「純血種?」


 これもラゼリードには聞き覚えの無い言葉だった。


「ルクラァンは精霊の多い国と言われておりますが、実は人間と混血した者が沢山居るのです。彼らの事も精霊と呼ぶので『精霊』という種族で溢れ返っておりますが、同種族婚を繰り返し、一滴も人の血を交えないでいる強い力を持つ精霊もおります。我々はそれを純血種と呼んでおります。……初耳ですか?」


 エルダナの問いにラゼリードは再びこくりと頷いた。エルダナは説明を続ける。


「我らルクラァン王族は、精霊の始まりと言われている『最初の7人』の内の『朧』様と『もえぎ』様のお二方から血を受け継ぐ純血種です。……とはいえ、始祖の力も大分失せている様ですが。純血種は年々減少傾向にあり、血が濃い為子供が生まれにくくなっているのですよ」


 ラゼリードにはもう訳がわからなくなっていた。知らない事柄ばかりでもどかしさに頭が破裂しそうだと思った。


「わたくしは、なんと、無知なのでしょうか……」


 意気消沈した様に呟くラゼリードに、エルダナが屈託のない笑みを向ける。


「貴女は我らの同胞(はらから)に加わったばかりなのだから仕方がありません。その内覚えていけば良いことですよ」


 ラゼリードはふと目を上げてエルダナの瞳を見つめた。

 エルダナもラゼリードの目を真っ直ぐに見つめ返す。

 嘘の曇りの無い紅い瞳を見て、彼女は泣きそうになった。


 同胞。


 それがラゼリードにとってどれだけ嬉しい言葉なのか、きっとエルダナには分からないだろう。

 ラゼリードは脱いだままの左の手袋を握り締めた。その手まで震えている。


「泣かないで。私の小難しい話はおしまいだけども、貴女にお伺いしたい事はまだあるのだから」


「なんでしょうか?」


 ラゼリードは瞳一杯に溢れそうになった涙を堪えながら答えた。エルダナが神妙な表情を作った。


「いや、うん。今朝の謁見の際に戴いた、貴女の父上からの親書なんだけどね……どうも解読出来なくてね。どういう意味だったのかなあって。しかし謁見の間なんかで貴女には聞けないだろう? だから適当に『分かった』と言ったのだけども」


「え」


 ラゼリードの、溢れそうになっていた涙が一瞬で引っ込んだ。エルダナはばつの悪そうな表情でしごく程も長さの無い顎髭をしごいている。


「そんな顔しないで。貴女も一度目を通してくれるかな? 寧ろあれを解読してもらいたいんだけども」


 エルダナが晴れ晴れとした笑顔で懐から書簡を取り出した。

 夜会の最中に親書を持ち歩く神経も理解出来ないが、読んでくれという神経も理解出来ない。

 エルダナはラゼリードの予想や理解の50歩ぐらい先をナナメ上に全力で走っている気がする。

 ラゼリードは頭痛を堪えて書簡を受け取ると、ぱらりと開いた。


 曰く。



『我が最も心寄せる最愛の友にして、炎の情熱と奔放さを併せ持つ『遊び心の君』に、謹んで書を奉らん。

死の運び手、救いの手を伸べる女神、焼け付く吐息の主。存在を許されぬ紫の悪夢、貴国と我が国に咲き誇らん。

しかし我が国の悪夢、我が掌中の蝶々、死の接吻を与うる事によりて散り果てん。

可憐なる我が蝶々、我の意を持って海を越え貴国にたどり着かん。貴国での紫の悪夢を打ち滅ぼさんが為に。

どうか我が友よ、我が蝶々が額きし時には貴国での自由を願い奉るものなり。

蝶々は必ずやその死の接吻をもって貴国における悪夢に終止符をうたん。

どうぞ蝶々に自由を与え賜え。



追伸

我が蝶々は美しかろう。私の自慢の子だ。

手を出すなよ。



詩ごころ』




「ね? セオドラが言わんとする所はなんとなく分からないでもないが、今一歩の所で確信が持てないのだよ」


「この……『詩ごころ』というのは?」


「貴女の父上セオドラ殿の二つ名だよ。詩作が大好きだから『詩ごころ』。彼は決して詩が上手い訳じゃないんだけどね」


 人の父親──しかも友好国の王──に向かってなんという言い草だ。ラゼリードの書簡を持つ手がぶるぶると震え始めた。


「ちなみにエルダナ様はこれをどう解釈されたのですか?」


「ん? そうだね……『ウチの子は可愛いだろう。手を出すなよ』?」


 文末しか読めていないではないか。

 ラゼリードは自分の父もエルダナと同じ道を突っ走っているのだと感づいた。


「……お話致します、私が受けた密命の事。カテュリアで起きた事」


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