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恋の花咲くこともある。─蝶々姫第一章─  作者: 薄氷恋
第一章 恋の花咲くこともある

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4・蝶と翼

 エルダナの意味深な呟きに、マリアとラゼリードは言葉を失った。

 単なる客人の世話係であるマリアには何が起きているのかさっぱり理解出来ていないし、ラゼリードはルクラァン国王の前で醜態を見せた事で頭が真っ白になっている。

 そして騒ぎの根元であるルクラァン国王エルダナは、跪きラゼリードの手を取ったまま青ざめている。

なんとも気まずい沈黙が場を満たす。

 真っ先に口を開いたのはマリアだった。


「国王陛下……どうかご退室を」


「うむ。……ラゼリード姫」


「はい」


 エルダナはマリアに向かって頷くと、ラゼリードに向き直った。ラゼリードは目を上げて、エルダナの顔を初めて間近に見た。

 エルダナは両目共に、きらきらと輝くざくろ石の様な透き通った赤い色の瞳を持っていた。

 無論、火精だ。

 顎の長さまである直毛の黒髪と、陽光により健康的に灼けた肌に、赤い瞳が良く映えている。

 そして顎に短い髭を蓄えている為、若干年長者に見えるが、実はその顔は若々しい。彼の顔から髭を剃るなりして取り除けば、ラゼリードと似たような年の頃に見えるだろう。

 エルダナは、ラゼリードと視線を合わせたかと思うと、深々と(こうべ)を垂れた。

 ラゼリードは吃驚してしまう。彼女は、人目のあるなしに関わらず王は頭を下げるものではないと教わっていたから。


「許可も無く化粧室に押し入るという、真に無礼な真似を致しました。この非礼、どの様にお詫びすれば良いか分かりませぬ」


「いえ……何やら事情がおありのご様子。わたくしは気に致しませんので、どうぞお顔を上げて下さいませ」


 エルダナは頭を垂れたまま、顔を上げない。ラゼリードは、ますます胸が気まずい思いで満たされるのを感じて焦りを覚えた。


「お許し頂けますか」


「はい。ですからお顔を上げて下さい」


 ラゼリードの返答で、ようやくエルダナが顔を上げた。


「では後程、夜会が催されているホールに面したバルコニーでお会い致しましょう。お話したき事が御座います故」


 エルダナは優雅な仕草で立ち上がると、黒衣の裾を翻し、一礼して扉へと向かった。

 扉をすり抜けざまに振り返る。


「ところで、姫……その指輪は」


 マリアがギロリと国王を睨み付けた。


「いや、いい。後にしましょう。このまま此処に居ては、ロンサーユ夫人に視線で射殺されそうだ」


 エルダナはおどけた様に肩を竦める。マリアは一瞬自分を恥じる様に怯んだが、そこは譲るまいとばかりに再び視線を強くした。


「夫人は実にいい目をしている。大事なお客様と化粧室を預けるには非常に心強い。だが、私自身にその視線を向けられるとなれば話は別だ。……失礼するよ」


 今度こそ国王は退室した。やや慌てた様子だったが、彼は去り際に茶目っ気たっぷりに片目を瞑ってみせるのも忘れなかった。

 入室した時同様の派手な足音が去ったのを確認すると、マリアとラゼリードは同時に溜息を吐いた。どちらからともなく顔を見合わせる。


「脚を見られてしまったわ……。はしたないと思われたでしょうね」


「お忘れ下さいませ。陛下が他言されるような事は誓って御座いません。無論、私もです」


「そういう問題じゃないわ。羞恥心の問題よ」


「そうですね。では、お召し替え下さいませ。とびきりの美しさで陛下を吃驚させてしまいましょう。きっと只今の事などお忘れ下さいますわ」


「そうなるといいわね……」


 一仕事する気満々で腕まくりをするマリアに、ラゼリードは戸惑った様な困った様な曖昧な微笑みを顔に浮かべた。

 美女と名高かった母親譲りの美貌を持っていながら、彼女は自分の容貌に無頓着で、器量良しであるという自覚が甚だ薄かった。

 故にドレスだけはある狙いをもって選び、美しく着飾る作業はマリアに一任し、ラゼリードはぼんやりと中空に視線を彷徨わせた。

 マリアは化粧直しの際に腕前を垣間見せた様に働き者で、ラゼリードはあっという間に今まで着ていたドレスを剥がされる。

 下着姿になった彼女は、冷たい外気にふるりと震えて鳥肌を立てながら、思い返す様にぽつりと呟く。


「わたくし、エルダナ様にあの様に間近でお目通りした事がなかったわ。昔、エルダナ様が我が国にいらっしゃった時は遠くからお姿を拝見しただけだったし、今朝入城する際に行った謁見も、玉座とは距離があったの」


 マリアが手元の紙箱から白いドレスを引き出す。先程まで着ていた襟の浅いものではなく、肩も背中も剥き出しのローブデコルテだ。

 先程も白いドレスだったので、二の腕まである長手袋はそのまま使い回す。


「我が王のご印象はいかがですか?」


 マリアがラゼリードを促して、ドレスに足を通させる。問い掛けながらもマリアはドレスを引き上げたり、紐を締めたりと大忙しだ。


「とても快活な方ね。こう思うのはとても失礼な事だけれども、どこか少年の様な雰囲気を感じたわ。……でもそれだけではないわね」


「と、仰いますと?」


「単純な言葉では表し切れないわ。どう表現していいのかわからない。そうね……底の見えない谷みたい」


 ラゼリードは自らの言葉を打ち消しては紡ぎ、また打ち消すのを繰り返してエルダナを形容するが、どれもしっくりこないので、最終的にはよく分からない例えに落ち着いてしまった。

 マリアは鋭い音を立てて、新たに着付けたドレスの飾り紐を結んだ。


「陛下は非常に優れた為政者ですのよ。でも、人一倍お仕事がお出来になられる代わりに、遊び心も人一倍あられますの。陛下のお人となりを知る者は皆、あの方の事を敬愛を込めて『遊び心の君』と呼んでお慕いしております」


◆◆◆


 着付けと髪結いが終わって背中を押され、ラゼリードは渋々化粧室を後にした。

 本当はマリアともっと話していたかったけれど、ラゼリードは再びエルダナに会わなければならない。

 エルダナの居る場所へとたどり着くには、貴族共の間をすり抜ける必要がある。

 またあの連中と話すのかと思うと気が滅入りそうだった。

 大広間への通路を歩きながら、彼女は引き締めていた唇を緩めて笑みを作る。

 装わなくては勝てないだなんて、自分はなんと弱いのだと痛感した。



「おお、ラゼリード姫。これはなんと、お美しい!」


「ありがとう」


 ラゼリードが広間を歩くと、人の波がさっと割れた。口々に人々が声を掛ける。

 だが貴族達は近寄っては来ない。ひそひそと近くの者と会話を交わすのみ。

 ラゼリードは高慢に見える程顎を上げてゆっくりと、そして堂々と広間を横切る。

 普段は隠されているその左の胸元には、黒い翅を広げた蝶々の紋様。

 髪を結い上げて露わにした背中には、一対の黒い翼の紋様。

 これらは刺青の類ではなかった。ラゼリードが生まれつき持って生まれた『痣』である。

 自国の夜会でも滅多に見せないその『痣』を、今宵の彼女は初めて他国で見せつけていた。

 そこへ誰かが話し掛けてくる。


「ラゼリード姫、どちらへおいでですか?」


「身体が火照っているので少し夜風に当たろうと思います」


「それなら私がお供致します」


「いえ、私が」


 我に返ったのか、青年貴族がわらわらと群がってきた。

 こういった事態を防ぐ為に露出の高いドレスを選び、異様さを全面に押し出したというのにあまり役には立たず、ラゼリードは内心で舌打ちした。

 だが、ラゼリードは苛立ちを全く見せずににっこりと微笑んで言った。


「いえ、一人で大丈夫です。そんなに大勢の方にお付き合い頂きましたら、身体の火照りが取れませんもの」


「ですがエスコートも無しにお一人で行かせてはルクラァン貴族の名折れ。この私、パンドーラ公ジョルジオがお供致しましょう。他の方々も文句はありますまい」


 ただ一人、ラゼリードの予防策を物ともしない青年貴族が現れた。

 彼は黄色い上着を着ていて、一片のくすみも無い金髪にきらきら光る深緑の瞳、そこそこに整った顔立ちをしている。彼はその無駄に光って見える緑の瞳で周囲の人々を眺めやり、最後にニヤリと笑ってみせた。

 ラゼリードは彼の悪趣味な黄色い上着も相俟って、まるで蛇の様だと思った。


「では、姫。参りましょう」


 ようやくラゼリードに向き合ったパンドーラ公は、強引に彼女を肩を抱いた。ムッとしたラゼリードが思わず彼の手を引き剥がそうとすると、不意に彼女達の前に出来ていた人垣がサッと割れた。


「ラゼリード姫。如何お過ごしですかな?」


「エルダナ国王陛下!」


 パンドーラ公が慌ててラゼリードの肩から手を離し、深々と頭を垂れる最高礼を取った。ラゼリードもドレスの裾を両手で広げてお辞儀をする。

 エルダナは清々しい程にパンドーラ公を無視して、ラゼリードに話し掛けた。


「今宵のルクラァンは夜風が心地良いですよ。風にご縁があるという事で、ご一緒に涼風を愛でませぬか? この春以来お会いしていない貴女のお父上、セオドラ殿のお話もお伺いしたい。お父上のお加減は如何かな?」


「今のカテュリアは過ごしやすい気候なので特に変わりはありませんわ」


 ラゼリードは、エルダナが差し出した手に手を重ね、導かれるままにバルコニーへ向かった。

 小声でエルダナがラゼリードに囁く。


「不快な思いをさせてしまい申し訳ありません。アレは先々代の御代に我が王家より王女が降嫁した家の者。歴史の浅い家系とはいえ、王家とは縁戚に当たります。その為、若干調子に乗っている様子。……後で躾直しておきます」


 ラゼリードはエルダナの最後の一言に薄ら寒い物を覚えたが、敢えて何も言わずにおいた。

 硝子の扉を潜り抜け、バルコニーへ出ると確かに夜風が心地良かった。エルダナの手を離れてバルコニーの手摺りに近寄る。

 ラゼリードは自分が持つ風の魔力と同じ力を大気に感じ、大きく深呼吸した。胸一杯に清い夜風を吸い込むと、怒りや煩わしさといった穢れが落ちていく様に感じて、自然に口元が綻んだ。

 彼女の背後ではエルダナが慎重な手つきで硝子扉を閉めていた。彼はラゼリードに近寄りながら小さく笑い声を上げる。


「気分が晴れた様ですね。貴女はやはり籠もった空気の中に居るべきではない。風は流れてこそ風なのだから」


 結い上げていない前髪が風に揺られるのを片手で押さえながら、ラゼリードは振り向いた。沈んだ色が赤と紫の瞳に浮かぶ。


「……暫し前に、似た言葉を聞きました。貴方様も風とはそうあるべきだと思われているのですね」


「思うも何もそれは摂理ですよ。動かなければ風は風ではなく、空気です。火はもっと顕著です。燃えていなければそこに存在すらしない。だから私の心はいつも燃えています。美しい貴女を目の前にすると、より一層激しく燃え上がる様だ」


「まあ」


 真面目な顔をしているエルダナがおかしくて、ラゼリードはくすくすと笑った。エルダナは少し首を傾けたが、顎に生えた髭を手で撫でながら少し微笑んだ。


「さて、冗談はその辺にして。聞かせて頂きましょうか。その指輪は何処で手に入れられた物です?」


 エルダナがラゼリードの左手を手で持ち上げると、空いた片手が彼女の左の二の腕に触れた。

 その瞬間、長手袋のラインに沿って爪程の間隔を置いて配置されている留め金が全て外れ、手袋が手首から垂れ下がった。

 目にも止まらぬ早業に、ラゼリードが目を剥く。

 その間にも、エルダナは彼女の手首を優しく掴み、手袋を剥ぎ取ってしまった。

 綱玉の嵌った指輪が薬指に現れる。

 エルダナが顔から穏やかな笑みを消した。火精を目の前にしていて、自身も風の精。寒さなど感じない筈のラゼリードが、その表情一つで背中に冷たいものを感じて鳥肌を立てた。


「その指輪は、真実我が息子ハルモニアの指輪です」


 ラゼリードの瞳がこれ以上ないと言う程、驚愕に見開かれた。


「私が手ずから彫金し、魔法を与えた指輪ですから間違いありません。その魔法の為、私とハルモニア以外は指から抜く事も叶いませぬ。……指を切り落としさえしなければ」


「そんな……」


 『若』と呼ばれていたあの少年が。

 ルクラァンの第一王子──ハルモニア。

 王宮でまみえる筈の相手と、随分とおかしな出逢い方をしたものだ。

 ラゼリードは呆然とエルダナの言葉を聞いていた。


「答えられよ、ラゼリード姫。返答によっては貴女をカテュリアへ強制送還しなければなりません」


 彼女は息を飲んだ。


「それは困ります! わたくしは父より密命を受けてこの地に赴いたのです!」

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