争いの赤い星
あの男の子と出会うまでの旅の中で、ぼくが訪れたことをもっとも後悔したのが、次の六番目の星でした。あんなに恐ろしく、目を背けたくなるような、耳をふさぎたくなるような体験をしたのは、あとにも先にもあの星だけだからです。その星は血のように赤く、星の表面のいたるところで雲が台風の目のようにうずまいていました。まるで昔話に出てくる、目が百もある不気味な怪物のようでした。
その大きさも今までで一番でした。工場のあった黒い星は、一番はじめに訪れた星の十倍ほどの大きさでしたが、この血のように赤い星はそのさらに十倍はあったのです。あまりに大きいので、近づいていくと目にうつるものがすべて赤くなり、ぼくのこころは落ちつきを失いました。
やめてくれ、とぼくは願いました。これ以上、舟を進ませないでおくれ、と。でも、ぼくのちっぽけな力では、やっぱりどうすることもできなかったのです。こうして旅をしていると、どうしても避けられないことがたくさんあります。それを通りすぎることはできますが、出会わないということはできないのです。なぜでしょうね。避けることができないように、だれかが決めているのでしょうか。
その星では争いがたえず起こりつづけていました。
争いというのは、ぼくの旅路と同じように、どうしても避けられないことがあります。だから、ぼくがいまから記すのは争いを批判することではないのです。その様子を記し、それに対しぼくがどうしたかということです。見る人によっては、少しこっけいにうつるかもしれません。でも、さきほども言ったように、ぼくはここを訪れたことを後悔したのです。そのことをどうか覚えていてください。
さて、ぼくは舟をつけ、真っ赤な大地におりたちました。
岩や砂だらけの乾燥した大地で、いたるところにひびがあり、生きものの気配もほとんどしませんでした。舟からしばらく歩いたところに、くずれかけた土塀がありました。ぼくはそれにゆっくりと近づいていき、その土塀のうしろから、その先にあるものをおそるおそる見ようとしました。
その途端、すごい勢いの土煙とともに、たくさんの怒号、叩き合っているような音、叫び声、悲鳴、何かをぶつける音、何かを打ち出す音――たくさんの痛々しく、耳をふさぎたくなるような音がぼくをおそいました。
―—いったい、なにが起こっているのだろう。
ぼくは恐怖を覚えながら、土煙のあいだを、目を細めながら見つめました。すると、この星にはほんとうにたくさんの人がいて、いま彼らは互いに争い合っているのだということが分かりました。獣のように叫びながら、持っていた武器で目の前の人をなぐり、けり、押したおし、また叩く。倒されたものは立ち上がり、また立ち向かっていく。この星にいる皆がそれをたえずくりかえしていました。
ところで、ぼくは彼らの服装や武器が少し変わっているのに気がつきました。目の前の光景に恐ろしくなり、体がふるえて動かなくなっていたのにもかかわらず、ぼくの目は見ることをやめようとしなかったのです。
彼らは右手に長いキュウリ、左手に大きなシイタケのかさ、頭にはオレンジ色のカボチャをかぶり、全身に藤のツルをあみこんだよろいを身につけていました。つまり、彼らは生きるための食べものを争いの道具としていたわけです。それがぼくにはとっても変なように思われたのです。
彼らが使っている道具がどうであれ、争いはとっても激しく、いつになっても終わりそうにありませんでした。
皆が右手(左手に持っている人もいました)に持っていたキュウリはかなり丈夫なもののようで、いくら叩いても折れてはいませんでしたし、むしろ相手のかぶとを叩きわってしまうほどでした。さらに、腰につけていた袋から、彼らが真っ赤にうれたトマトを取りだし、投げつけ合うのを見ました。相手に当たったトマトはたちまちはぜて、そこらにいる人を真っ赤に染めました。ぼくにはそれが血に見えたのです。
実は、ぼくは今よりも小さい頃、頭をケガしたことがあります。ふざけて遊んでいて、タンスに頭をぶつけたのです。ぼくは頭がくらくらして、思わず倒れこみました。そして、ぶつけたところを右手でおさえてみると、手には真っ赤な血がついていました。ぼくはそれを見た途端に、泣き出したのです。痛さよりも、血を見た恐ろしさによって泣き出してしまったのです。大きな声で泣いているぼくの声を聞きつけてやってきた両親が手当てをしてくれたので、大事にはいたりませんでしたが、でも、あの血の赤は記憶に残りつづけています。おかしいと思うでしょうか。でも、すっかりほんとうのことです。
そんなぼくが、たくさんの人々が全身に赤をあびているのを見て、なんとも思わなかったはずはありません。たとえ、それがトマトだとしても(くりかえしますが、ぼくはふざけているのではありません)。ぼくは泣くことも忘れて、ひたすら塀のうしろに隠れていました。そこでふるえながら、争いがおわることを願ったのです。
でも、塀のうしろとて、安全ではありませんでした。ときどき、はるか上空から何かが落ちてくることがあったのです。それは大きな音をともないながら、ぼくの近くに落ち、トマトと同じようにはぜました。大砲かなにかから打ち出されたのでしょうか。みれば、いかにも固そうなスイカでした。ぼくの頭よりも大きく、固いスイカ。そんなものに当たってしまえば、ケガどころではすみません。
いま思うと、この争いはぼくが思っていたよりもはるかに規模の大きなものだったのかもしれません。ぼくは目の前で繰り広げられていた争いを見たにすぎませんが、これが星全体に広がっていたのかと思うと、さむけを覚えます。
結局、争いが明るいうちに止むことはありませんでした。
暗くなって、両軍が去ると(ぼくにはどっちがどっちかは分かりませんでした)、ようやくこの星にしずかな時間が訪れました。ぼくは見ていただけですが、こころが疲れているのを感じました。こころが疲れていると、からだもなかなか動きません。ぼくは塀のうしろでじっとして、なぜこころが疲れているのかと考えました。すると、どうにも争いの理由がわからないからだということに思いあたりました。
ええ、なぜ彼らが争うのかが分からないのです。
もしかしたら、明確な理由なんてないのかもしれません。幼い頃のけんかと理由は変わらないのかもしれません。いずれにしても、ぼくは人を争いに追いやる大きな力を感じて、恐ろしくなりました。もし、彼らが「みんなが戦っているからおれも戦う」なんてことを考えていたとしたら、それはとんでもないことです。だって、自分で争うことを決めてすらいないのですから。でも、きっとそうだから、この星では大人数での争いがたえないのでしょうね。ほんとう戦いたい人だけがいるのなら、ここまで規模が大きくなることはありませんもの。
と、ここまでを考えて、ぼくは寝てしまいました。それくらい、疲れていたのです。ぼくをばかなやつだと思う人もいるでしょう。けれども、動きたくなかったのです。動けなかったのです。それくらいの恐怖を、こころの揺れを味わったのです。
次の朝、ぼくはふたたび争いがはじまることを示す、ほら貝の合図で目を覚ましました。ぼくは争いのはじまりを悲しくながめながら、ゆっくりと塀から立ち去ろうとしました。もうここにいる意味もないからです。でも、ゆっくりと立ち去ることすら、争いは許してくれませんでした。
「おい、あそこにもいるぞ、叩いてしまえ!」
争いがぼくの近くまで広がってきていたのです。その熱は恐ろしいものです。そこにいる者を興奮と憎しみのうずに巻きこみ、争いをどんどん広げていくのです。
ぼくは逃げました。うしろを振りむかず、必死に。
逃げねばならなかったのです。逃げたのは戦っても勝てないことが分かっていたからではありません。戦う理由があれば、ぼくは死んでも戦ったでしょう。でも、それがなかったのです。争いそのものから、この星から、逃げねばなりませんでした。そして、だれもいないところへ!
ひたすらに走りました。こんなに舟が遠いと思ったことはありません。
ぼくの弱々しいこころは静けさを求めていました。争いだけではなく、こころを乱すあらゆるものから、ぼくは去ろうとしていたのです。そのためには、しばらくひとりにならねばなりませんでした。そう、ひとりに。