3-81.トーマス先生は大物らしい
ルークが嘆くのも当然だ。
想像してみてほしい。
連絡をくれた人のもとへ急いでいるとき、何かわけのわからない力が働いて自分の体が浮くのだ。
びっくりするし、とても恐怖を感じるはずだ。
しばらく足が地面につかない状況で空を飛ばされ暗闇に放り込まれる(転移)
こんなしなくてもよい経験を十代の女の子にさせてしまったのだ。
自分の相棒の一人が。
これはタカの精霊を呼び出して記憶操作しなければいけない状況なのか。
グレナがトラウマになっていたら、最悪それも考えなければならない可能性がある。
しかし、後遺症が怖いので、やりたくはない。
大丈夫そうだったとしても、『契約』はしなきゃならないかもしれない。
お金の心配がないとはいえ、心苦しいだろう。
いいや、何よりも先に、契約の前に説明が必要だよね。
なぜ自分が空を飛び、転移したのかって話を。
ううむ。
今のトーマス先生と同じように視覚共有をして…いや、友達精霊の話が先か?
謝るのが先か…。
ルークはいつもの思考の海へ潜り込もうとした時、白イタチの精霊はそれを見越して話しかける。
放っておいたら会話が成立しなくなるのを知っているからだ。
「そこは大丈夫だったんじゃないかなぁ。見られてないっぽいよぉ?精霊ネットワークにはそんなこと一言も書いてないしぃ。」
「ほんと?それは良かった!本当に良かった!スキル支援所の授業中だったりしたのかなぁ。学校の場所を王都の端っこにしておいてよかったよー!あの辺りはあまり人通りもないもんね。設計配置したじいちゃんグッジョブだよー!感謝ー!!」
こんな状況を見越して配置したわけではないだろうが、とても助かった。
白イタチの精霊は笑いながらルークのこめかみ辺りを撫でる。
「グレナはねぇ、ルークが助けた女の子としてぇ、精霊ネットワークでは有名な女の子なんだよぉ。
白馬の精霊は、グレナが既に友達精霊と契約してるって思い込んでたんじゃないかなぁ。多分だけどねぇ」
「え?。それって俺がいつも規格外のことばっかりしてたから、その調子で生活してるだろうって思ってたってこと?」
さもありなん…。
俺のせいか。グレナさんごめんなさい。
なるようにしかならなそうです。いつも通り…。
ルークが心の中で謝りながら、小ホールの端を見る。
トーマスは白馬の精霊を前に触りまくるのかと思っていたが、相手は精霊様だというので勝手に触ることはしていなかった。
トーマスは敬意をもって白馬の精霊と馬型精霊に対応していた。
片膝をついて白馬の精霊と馬型精霊に両手を高く差し出している。
両手には自分のポケットに入れていた例の”馬用のおやつ”をのせて。
アテレコをするならば「是非ご賞味くださいませ!ぜひぜひ!」だろうか。
トーマスだって突然現れた精霊を見て驚いたはずなのに。
精霊だし、馬型の精霊だし、で目を回すどころか、あの通り大喜び具合。
肝が据わっていると言って良いだろう。
そう、いつもと大して変わらないように見える。安定の馬好きである。
「トーマス先生、大物だなぁ。」
「そうだねぇ。いい子だよねぇ。魔力量もたっぷりあるしぃ。
トーマスは沢山の精霊に好かれてるよねぇ。友達もいっぱいできそうだねぇ。」
「そうなの?」
「小さな子が多いから、見つけにくいけどねぇ。ルークも見たことがある子がいるんじゃない?」
白イタチの精霊はくふふと笑う。
言われてみて思い出す。そういえばあの紫のって、と。
「そう。その子のことだよぉ。あの子はねぇ、いつもトーマスの胸元に隠れてるんだってぇ。恥ずかしがり屋さんなんだねぇ。」
紫色の花が精霊ということなのか。
山盛りの紫を思い出す。あれが全部精霊だとしたらやばくない?さすがに多すぎるよ?
「あの子はって、他にもいるの?」
「いるよぉ。トーマスっていつも髪の毛ハネてるんでしょう?」
「う、うん。」
自分のつばでそのハネを直そうとしていたのは記憶に新しい。
初めて会ったときはあんなじゃなかったんだけど。
「うはは!それはばっちぃねぇ。ボクでもそれはやめてほしいなぁ。」
「ちゃんと注意したよ?馬に嫌われるからやめなって。」
その点俺は大丈夫。
手洗いうがいは欠かしたことはない。
前世で奥さんに「ちょっと潔癖気味だよね?」と言われるまで自分でも気が付いていなかったが、どうもちょっとでも汚いと思うとダメっぽい。
だからあの時のトーマスの行動は嫌だなと思ってしまったっけ。
そんなトーマスは、馬の話を出せば、大体の願いは通ったりする。
馬が喜ぶよ。とか、馬に嫌われるよ。とかね。それさえ言えば、こちらの要求が通ったりする。
「馬が~」は、魔法の言葉なのだ。トーマスの馬好きは半端ない。絶対に嫌われたくないのだろう。
ちょろい。ちょろすぎるよ!トーマス先生!
「そっかぁ。それは良かったよぉ。そのハネの中に精霊がいるからねぇ。その子は最近友達になったばかりなんだってぇ。きれい好きだからそんな手が近寄ってきただけでぽとりと落ちちゃうと思うなぁ。」
「気絶するほどなのか…それは可哀想だね…。」
どんな精霊なのか知らないけれど、トーマスの友達精霊は二人もいるという。
これはルークが知っている限りキースに次いで二人目ということだ。
「え?トーマス先生って実はすごい人なんじゃない?」
白イタチはくふふと笑う。
「あぁぁぁ!美味しいですか?そうですか?本当ですかぁぁ!」
トーマスが歓喜の声を上げた。
見ればトーマスの手から馬の精霊がトーマス監修の馬のおやつを食べてくれたようだ。
美味しいかどうかも尋ね、頷かれたようだ。
動物も精霊も、味覚に違いがないのか。
こっちの動物も俺やじいちゃんたちが作ったおやつを普通に食べているし。
前世では考えられないけれど。
いや、もしかすると、この星の人間の味覚が、前世の世界の人間の味覚と違うという可能性もあるな。
体の造りもちょいちょいちがうし、ありえそうだ。
が、調べたくない。人間の体内のこととかめちゃくちゃめんどそう。
ありのままを受け入れようっと。
「元気だねぇ。」
「少し落ち着いてほしいと思ってるんだけどね。大人なんだし。」
「でもまだ二十三歳とかじゃなかった?まだまだ赤ちゃんだよぉ。」
「こういう時ばっかり精霊の体内時間で計算するのやめて。その計算でいったら俺やレン、リリーはどうなっちゃうのさ。」
くふふと笑うと、白イタチの精霊は長い尻尾を、トビのいないほうのルークの首にピッタリと沿い巻いた。
小ホールの端っこで喜んでいるトーマスには申し訳ないのだが、そろそろグレンを起こして勉強したほうが良いのではなかろうか。
時計がないのでわからないが、ルーク的腹時計ではそろそろこの授業枠が終わりそうなのだ。
授業時間内に想定された内容が終わらなければ、補習となる。
補習は構わないが、そこでも終わらなければ単位不足で留年に。
なんなことになれば、精霊の里に帰るのが遅れてしまう。
この星に帰ってきてやっと手に入れた自由な時間。スローライフな日常を早く取り戻したい。
「ううん…。」
気を失っていたグレンが身じろぎしたので視線を向けると、グレンが薄く目を開けたところだった。
「あ、グレン君、気が付きましたか?」
「はっ!死人は出ませんでしたかっ!?」
グレンはガバリと上半身を起こす。
え?記憶飛んでる?
それとも混濁中?
「死人は出ていません。トーマス先生の魔力切れも解消済みです。問題はありませんよ。」
「そ、そうでしたか、いや、そうでしたね…。え?魔力切れを解消?」
あれ?そこ?
「えっと、まずは座りましょうか。」
グレンを促して先ほどまで座っていた椅子に座らせてからトーマスに声をかけた。
「トーマス先生!グレン君が目を覚ましたので、そっちはまた後でお願いします!
そこ!逃げようとしないの!授業が終わったら説教だから!」
トーマスが離れるならばと、逃げようという動きをした白馬の精霊にその場にいるように伝える。
「えぇぇぇ!!」
「トーマス先生!今は授業中ですからね!」
そ、そんなぁと、トーマスは絶望したような表情で、とぼとぼとこちらに歩き出した。
まるでゾンビのようにふらふらと、振り向き振り向き、何度も精霊たちを涙目で見る。
諦めが悪い!まったく…子供じゃないんだから。
「馬に嫌われますよ!」
「はい!すぐに向かいまっす!」
うん。やっぱり魔法の言葉だな。ちょうど馬(精霊だけ)もいるし。
トーマスが椅子に座ったところでグレンが物申す。
トーマスの視線はルークの頭の上だ。白イタチの精霊が目に入ったのだろう。
「あの…何点か良いでしょうか。」
「どうしましたか?グレン君。」
トーマスが片手を差し出して促した。視線はイッチーのロックンしたまま。
「トーマス先生。精霊関係の話はまとめてしますので、我慢して下さい。(ボソッ)」
トーマスは小さく頷くと視線をグレンに向けた。
精霊は好きだが、馬関係でないと落ち着いた態度がとれるようだ。
「まず一点、気を失ってご迷惑をおかけしました。すみませんでした。」
グレンは丁寧に頭を下げて謝るが、あれは気を遣わなかったルークとトーマスの責任とも言える。
「「いえいえ。」」
「次に一点。なぜ床に姉が?」
「「ああー…。」」
その説明はグレナが起きた時にしたいと二人は思って顔を見合わせる。
「で、では、もう一点。トーマス先生はあっちに何を見てるんでしょうか。ルークさんは誰に説教を?」
「「ですよねー。」」
黙っているわけにもいかず、でも二度も同じ説明はしたくない。
「トーマス先生。グレナさんの椅子準備してもらっても?俺はグレナさんを起こしてみますので。
グレン君は少々お待ちください。」
ーーー
「気絶してしまったようで、ご迷惑をおかけしました。すみませんでした。」
グレナはトーマスが持ってきた椅子に座ると、頭を下げて謝ってきた。
うん。姉弟だな。
ルークが『快癒』のスキルを使うと、案外簡単に目を覚ましたグレナ。
これならさっさとグレンにもかけておけば良かったなと思う。時間を無駄にしてしまった。
謝罪の内容、これはハクが悪いので謝罪は受け取れない。謝るべくは自分である。
契約精霊とはいえ、精霊。精霊を管理することは不可能であるが、やってはいけないことは伝えておくべきである。まさかこんなことをするなんて思ってなかったけれど。
「あーっと。ご存じでしょうが、まずは自己紹介をさせてください。自分、ルーク・フェニックスと申します。グレン君と同じ年です。」
ルークは椅子から立ち上がり、片手を胸にあて頭を下げる。ちょっとかしこまったときの礼の一つだ。
それを行いながらルークはグレナを観察する。
主に精神状態がどうなっているのかを。
「あ、ご丁寧にありがとうございます。私はこのグレンの姉でグレナ・ベイラマールと申します。ホーネスト貴族学校六年生です。来年も六年生ですけど…。」
立ち上がってルークと同じく丁寧な挨拶をした後、自虐ネタをぶっこんできた…なんという胆力。
そして、いつもの彼女の様子は知らないが、どうやら大丈夫なようだと思って、ルークは細い息を吐いた。
ルークもそれなりに緊張していたのだ。
「随分と前のことになり恐縮ですが、あの時は助けていただいてありがとうございました!
しかも洗濯魔道具のあるランドリーも教えていただいて、大変助かりました!
あのあと洗濯魔道具が寮にも導入されまして、便利になりとても感謝しております。」
目をキラキラさせて見つめられる。
グレナは自分の美少女っぷりに気が付いていない。
美形に対する完全耐性のあるルークでなければ惚れてしまうところだ。
「こちらといたしましても、あの後洗濯魔道具が売れるようになりまして、大変感謝をしております。」
「いえいえ!あの…昨日実家から手紙が送られてきまして。なんでもルーク様のお父様の精機商会様から、洗濯魔道具が二台と洗剤の詰め合わせセットが送られてきたとのことなのですが…。」
グレナの隣でグレンもルークを見つめている。
二台は、グレンたちの実家と祖父母たちの家用。運び入れ設置するのも、お願いしたのですぐに使えているはずだ。湖畔に住んでいるという話だったので、排水管に『分解・浄化』スキルを付与するというひと手間を加えた。これで湖が汚れるということはない。公害NOである。
「あぁ、はい。聞いています。グレナさんのおかげで倉庫を圧迫していた不良在庫である洗濯魔道具が売れ始めたのです。感謝の気持ちを込めてお送りさせていただきました。どうぞお使いください。洗剤の詰め合わせは試作品も混ぜてあるそうなので、ご感想などいただけたらとのことです。送りつけておいて申し訳ないのですが、いつでもよいのでお知らせ願えればと。」
「え?いいなぁ。」
ボソリとトーマスが呟く。なかなかの音量なので気が付いてほしいのだろうが、ここは無視だ。
これに関してトーマスの助力はゼロなのだ。
「私は特に何もしておりませんが…。」
「寮に導入された洗濯魔道具を正しく使ってくれているのを、周りの寮生たちが見ていたらしいのです。
女性の皆さんは室内干しだったようで、絞りが弱いと床が水だらけになって不衛生だったのが気になっていたそうです。」
「あぁ、脱水!便利ですよね。あれのおかげで衣類もシーツもあっという間に乾くんです!洗剤が自動なのも良いですよね。」
そう。学校の寮で導入してくれたのはランドリーと同じ仕様だ。
いちいち計量して入れる必要がないが、それ以上に洗剤を生徒たちがわざわざ自分で購入しなくてもいいように。という配慮だ。寮母さんには洗濯魔道具に洗剤を入れてもらうという手間を増やしてしまって申し訳ないが。
「学校の洗濯魔道具は商業用のもので、ご実家にお送りしたのは家庭用です。違いは洗剤を自分で軽量して毎回入れなければならない点です。面倒だという方もいらっしゃるようですが、お好きな香りの洗剤を毎回選べるという楽しさを見出していただけれる、手間も楽しみに変わるのではないかと思っています。」
「まぁ!そんな楽しみが?実家に帰るのが楽しみになりました!それもあと一年延びちゃいましたけど…。」
まだ自虐ネタを!
相当堪えたんだろうな…。
「そこは、宮廷役員と知り合える機会が増えるということで…。」
トーマスが悲しそうな顔で口を出した。
グレナの自虐ネタがトーマスの悲しみのボタンを押したらしい。
「あの、ちょっと良いでしょうか?」
グレンも口を出す。
「なんだかご婦人と商人の会話に聞こえてきたんですけど…。話し戻しませんか?」
「そうですね。」「そうね。」「そうしましょう。」
キーンコーンキーンコーン
こうして授業時間を終えてしまった。がーん。一コマ無駄に使った…。




