表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
春と永遠  作者: quiet
27/27

26(おしまい)



 三月十八日。

 息の白く濁る、冬の夜に、僕は202号室の扉を叩いた。


「……はい」

「こんばんは」


 意外な来客に戸惑ったような顔で、倉上さんは僕を見た。


「香住くんには、言わなかったんですね」

「え?」

「あした、自分が死ぬということを」


 驚いて、言葉を失う彼女に、


「でも、あなたにはまだ、選択の余地がある」


 僕は、紫色の小瓶を見せつけて、


「死ねなくなる覚悟は、ありますか?」






*






「……正直言って、全然信じられないけど」

「前もそうでしたが、持っている力の割に倉上さんは思考の柔軟さが足りていませんね」

「いや、ちょっと待って。これそういう問題?」


 すべてを話して、自動販売機の前。

 なにも飲みこめないような顔を、彼女はしていた。


「よく記憶を見てみてください。私……香住森一が、未来の日記の話をしている世界があるでしょう」

「あったけど……。でも、結び荘の人たちがみんなそんな変な体質を持ってて、そのうえ時崎さんが森一くんって……。そんな、めちゃくちゃな」

「あらゆる世界の私が、いまこの瞬間に同じ話をしていても、まだ信じられませんか?」

「……どの世界でも同じようなことを話すくらい、時崎さんが変な人って可能性は?」

「その可能性と、私の話、どちらが信じやすいかの問題ですね」


 むむむ、と眉を寄せて、彼女は、


「時崎さんの話を、信じるよ。あ。森一くん、って呼んだ方がいい?」

「時崎で結構です。では、選択の時間ですね。そこまで猶予はないと思いますよ」


 僕は、不死の薬を差し出して、


「決めてください。この薬を飲んで、永遠に生きるか。それとも飲まずにこのまま死ぬか」


 最後の選択は、彼女自身に託そうと、決めていた。

 無理やり飲ませることを、考えなかったわけじゃない。むしろ、そうしたいという気持ちはいまでも強く、心にある。


 だって、死んでほしくない。

 長い生のなかで、何人の死を看取ってきても、やっぱり、それは変わらなかった。


 生きてくれる手段があるのなら……、無理にでもそれを押し付けたい。

 でも、それをしなかったのは、


「あなたの命のことですから。あなたが自分で、決めてください」


 自分の問題は、最後には、自分で向き合うことだと、思っているから。

 僕が、僕の問題を、自分で終わらせようとしているのと同じで。


 倉上さんは、不死の薬を、両手で包み込むように握った。


「……二本あればなあ。あ、いや。竹緒ちゃんに使わないでほしかった、とかいう意味じゃないんだけど。むしろ私が二本もらっても、一本は竹緒ちゃんに渡したと思うし。そうじゃなくて、なんていうか……」


 彼女の言いたいことは、よくわかる。


 二本あれば。あるいは、元から三本あれば。そうすれば不死になって、いつか生きていることが嫌になっても、それを解くための手段が手元に残る。


 でも、それは、


「……だけど、生きたいだけ生きて、死にたくなったら死ぬなんて、傲慢すぎるか」


 僕はうなずいた。

 同じことを、思っていたから。


「あ、でも。時崎さん、この薬ってさ、どこから出てきたのかはわかんないんだよね?」

「そうですね」

「でも、あるってことは、作れるってことだ」

「さて、それはどうでしょう」

「え」

「人間が作れるものなのかどうかは、私にはわかりません。なにせもう千年も研究しているのに、手がかりすらつかめていませんから」


 倉上さんの顔が引きつる。


「……薬を増やせば解決、って思ってたんだけど。現実は、そんなにうまくいかないか」

「そうですね。でも、いつか作り方がわかったら、お教えしますよ」


 たとえわかっていても、いま、このタイミングでは教えないだろうと、僕は自分で思っている。

 本当のところを言うと、見たいからだ。


「はは、期待しないで待っときます……。よし、じゃあ、気合を入れて」


 倉上さんが、その紫の小瓶の蓋を開けるところを。

 息を吐いて、これからのことに覚悟を決めて、


「……まだ全然、一緒に居足りないからね」


 そして僕の……香住森一のために、不死の薬を飲むところを。


 彼女が。

 迷いなんて一切ないように、その薬を、飲み干すところを。


 ごくん、と彼女の白い喉が動く。

 戻れなくなったことを、知らせる合図。


「……時崎さん、すごい笑顔じゃん」

「私だって、香住森一のひとりですからね。倉上さんがそこまでしてくれるところを見たら、うれしいですよ」

「でもびっくりするだろうなあ、こっちの森一くん。いきなり死ななくなりました、って言われても」

「あと、顔も変わっていますからね」

「げ、忘れてた」

「こんな感じです」


 僕はこのときのために持ってきていた鏡を持って、倉上さんに渡す。

 鏡を見ながら彼女は、五割増し、と呟いた。


「びっくりさせておけばいいんです。そのくらいを受け止められないような、ふがいない人間じゃありませんから」

「おお。本人に言ってもらうと、すごい説得力」

「でしょう」

「あ、それじゃあさ、あした森一くんに色々説明するとき、時崎さんもついてきてよ。分かってる人がいれば心強いし」

「いえ、申し訳ないんですが、それは遠慮しておきます」

「いやいや。本人なんだから、遠慮はいらないって」

「言い方が悪かったですね。あした、倉上さんについていくことはできないんです。これから、この世界を出ていきますから」


 沈黙。


 驚きがまだ追い付いていないような顔で、倉上さんは、


「……え?」

「前々から、決めていたんです。私でこの連鎖を終わりにしようって」

「う、うん。それはわかるけど。でも、別に自分が出ていくことはないじゃん。森一くんはタイムスリップしないし、私はちゃんと生き残れたし。これで全部解決でしょ?」

「ひとつ、大きなことを忘れています」


 ずっと前から、決めていたことだった。

 前の時崎の意図に気づいたときから。香住森一と、時崎の連鎖を自分が終わらせようと、決意したときから。


 ずっと。



「僕は、倉上さんが好きなんです。


 それも、僕が好きなのは、あなたじゃない。僕が、僕の世界で初めて会った。悲しい別れがあると、そう告げられても好きになった。僕のことを『変なやつ』と呼んだ……。


 無限にも見えるようなたくさんの世界のなかで、僕のことだけを見てくれた、『あの倉上さん』が、好きなんです。


 彼女のいない世界で永遠に生きるつもりはない。僕が永遠に一緒にいたいのは、『あなた』ではないんです」



 倉上さんは、僕の言葉を受け止めて、小さく呟いた。


「……『あなたとよろしくする気はありません――永遠に』、かあ……」


 そして、寂しそうに笑った。


「どうするの、これから」

「世界を巡ります。私の時間逆行は、世界移動を伴いますから」

「それで?」

「元いた世界を、探します。もう一度、倉上さんに会えるまで、ずっと」


 ほとんど涙ぐむみたいにして、彼女は、


「世界の数は、無限にあるよ?」

「無限にはありません」

「でも、それに近い」

「私は不老不死ですから。いつか終わる旅路なら、それで構いません」

「心が保たないよ」

「保たせます」

「どうやって?」

「だいじょうぶです。私は、この星でいちばん恋の才能がある人間らしいですから」


 思いがけないことを言われた、という顔で、彼女は。


「……なにそれ」

「友人から言われたことです。……終わりがあるなら、終わりまで歩けます。私は、そのつもりです」

「止めても無駄?」

「ええ」

「竹緒ちゃんが泣くよ」

「もう泣かせてきました。……伊名城さんにも殴られて」

「それをあと何億回も、何兆回もやるの?」

「もっとでしょうね。何那由他、何不可思議……」

「極悪人」

「好き、というのは」


 いざ口にすると、少し恥ずかしいような気持ちも、いまだに残っていた。


「なにかをいちばんに考える、ということです。ほかの世界の香住森一も、時崎も、全員が『あなたたち』を選んだ。……そして僕は、『あなた』じゃない、僕の出会った『倉上花音』を選んだ。


 なんとでも呼べばいい。

 でも、僕は、彼女が好きです。


〈好きだけど、もういい〉なんて言葉、絶対に言う気はありません。

 自分の言葉は、自分で決める」


 それでもなお、倉上さんはなにかを言おうとしていた。

 けれど、やがてなんの言葉も見つからなかったのか、強く目を瞑って、開いて。


「ジュース。……奢ってあげようと思ったんだけど、いる?」

「いりません」

「だよね」


 あーあ、と倉上さんは、溜息を吐いて、


「なにもかも上手く、っていうわけにはいかないか。私、気に入ってたんだけどな。結び荘のこと」

「結び荘は残りますよ。権利人は都に、管理人は伊名城さんに引き継ぎましたから」

「そういうことじゃなくて。ずっとこのままが続いたらいいな、って思ってたって話」

「どんな未来も、いつかは向き合わなければならないものですからね。……受け売りですが」

「だれの言葉?」

「私です。前の」


 変なの、と口を尖らせて、倉上さんは天を仰ぐ。


「その割に、桜はまだ咲いてないし。どうせ未来が来るなら、そのくらいさっさと来てくれてもいいのに」

「春分はあさってですからね」

「ちょっとくらいおまけしてくれてもいいじゃん」


 時計を見た。


 二十三時、五十九分。

 それでも一日、早くなってしまうけれど。


「見せてあげましょうか」

「え?」

「花を。……魔法というわけにはいきませんが」


 僕は懐から、日記帳を取り出す。

 結局一度も使わないまま、真っ白なページばかりが綴じられたそれを、全部取り外して。


「いきますよ」

「な、なに?」

「顔に当たったら、それはまあ、すみません」

「ちょっと、怖いんだけど!」


 両手に乗せる。

 目を瞑って、これまでのことを、僕は思い出す。


 冬、秋、夏、春。そうしてもう一巡。

 この結び荘で過ごした日々のこと。


 結び荘ができる前のこと。旅をした記憶。どんどん歴史はさかのぼっていく。昭和、大正、明治、江戸、戦国、南北朝、鎌倉、平安……。千年の時のすべて。


 そしてまた、結び荘と。

 初めて恋した彼女のことを。


 時間逆行が始まる。

 嵐のような風が吹く。この星から魂ごと放り出されてしまいそうな、強い風。


「わ、綺麗……」


 かろうじて、倉上さんの声が聞こえてくる。

 上手くいったとわかって、ほっとする。


 きっと白紙の日記帳は、花びらのように、風に舞い上がっている。

 目を開けて見たら、きっと美しいだろう。


 でも僕は、そうしない。

 そこにはなにも書かれていないことを、知っているから。


 運命は、今はどこにもない。

 約束なんか、まだなにもされていない。


 そのことを知っているから。

 ほかのだれかの言葉なんて、いらないから。


 運命は自分で決めるもので。

 約束は自分の言葉でするものだと、知っているから。


 一際強い風が吹いて、僕は瞼の裏に、倉上さんの姿を思い浮かべている。

 僕はいちばん最初に、彼女に言った言葉を思い出して。


 最初の約束を、いま決めた。






 あなたとよろしくする気はありません――永遠に。


 だから永遠が終わったら、また会いましょう。






 去りゆく世界の春にさよならを告げて、僕は旅立つ。

 僕のための春が待つ、ずっとずっと、遠い場所へ。


 大きな不安と、それよりもずっと大きな希望を、胸に灯して。

 風に乗って、すべての春の花がそうしてきたみたいに。





 たったひとつの恋が待つ場所へ、必死になって、歩いていく。


 遠い昔に芽吹いて、遠い今に花を開く。


 永遠によく似た、春の恋だった。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] めちゃくちゃ面白かったです!バッドエンドか、とも思いましたが主人公が諦めない限りそんなものはあり得ませんね、永遠に! [一言] 永遠が終わった後その世界の時崎とどう決着をつけるか、気になり…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ