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28/28

28. 「2」という数字 ③


 まあ、なんだ。

 要は、ブチギレってやつだよ。


 あいつらの理不尽な八つ当たりに心底腹を立てた俺は、初日同様にキレてしまったんだ。

 もう、何もかもがどうでもよくなって、旅の事とか俺の身体の行方とか、そもそも元の世界に帰れるかどうかとか、一生懸命やってきた約2週間に唾を吐かれた気持ちになってしまってさ。


 俺は叫んだよ。

 俺だって辛いのに分かって貰えない。俺だってちゃんとやっているのに認めて貰えない。

 特に双子の最後の台詞はどうしても許せなかった。恐らく、最も言ってはならない事を、双子は口にしたと思う。

 こんなに怒ったのは初めてかもしれない。

 手を出すのは最低の行為だから口だけに止めたが、それでも湧き出る負の衝動を抑えきれなかった。


 俺は泣き叫んでいたと思う。

 怒りのあまり涙腺が緩んで、意図せず涙を零してしまうのも初めての経験だった。

 多分それは、感情の昂ぶり以前に、俺自身も極度の睡眠不足とストレスで、相当おかしな具合になっていたのが原因だったんだろう。


 何を叫び、何を訴えたのかはよく覚えていない。

 この騒動に神殿の皆が部屋に出揃った時、俺の叫びは懇願に変わっていた事だけは覚えている。

 赤ん坊の前で大人げないと思ったけれど、巫女の三人を汚い言葉で罵って、大声でがなる俺の声を何事かと聴きつけた神殿の連中に対しても責めたて、呆気に取られて茫然と立ち尽くすフアナにリアを押し付けて俺はぶちまけたよ。


 子育てはやってみれば分かる。非常に孤独な世界に取り残されるのだと。

 言葉の通じない、ペットよりも世話の掛かる赤ん坊相手に24時間付きっきりになっていると、自分はなんて小さな世界に閉じ込められているのかと気付くのだ。

 物理的にも精神的にも、外の世界との関わり合いが隔たれて孤独を感じる。一気に狭くなった視野の中、暗中模索で子供と接しているが、それが当たり前だと周りの人間はその孤独に気付かない。

 家にいるから楽だろう。働いてないから楽だろう。逆に24時間ものんびりできていいな、なんて聞かれた日には、死にたくなるほど惨めになる。


 子育ては一人でやるものじゃない。

 働いているから偉いだなんて間違っているし、子育ては仕事じゃなくて「義務」だ。

 頑張っていない人間なんていない。

 一人一人がほんの少しずつ誰かに対して優しくなれば、分け与えられる幸せはおのずと大きくなるのに、どうして自分の事だけしか考えようとしないのか。

 頼むから、たったひとりの無力な赤ん坊に、泣く事と眠る事しか意思表示のできないとても小さな存在に、恨みつらみを持たないでくれと。


 そして、ほんの少しでも俺の気持ちを察してくれと。


 彼らの顔は見れなかった。

 誰もが口を開かず、無言で部屋に突っ立っていた。

 やってしまった感に襲われるが、今更時間は戻らない。


 こうして俺は――――神殿を飛び出した。感情の赴くままに。


 それから俺は走って走って。

 行く当てもない癖にとにかく走って、泣いているから前も良く見えず、前後不覚で何十分も走り続けた。

 そして転がるように着いた先がジョアンの牧場だったのだが、これまたどうやってそこまで行き着いたのかさえ覚えていない。


 山の中腹の麓にある牧場は、クソ長い階段を十数分も降りてやっと原っぱが見えてくる場所にあるのに、俺は神殿から伸びる石階段を使った記憶がない。

 どうやら獣道すらない山の坂道を、アホみたいに駆け降りたようなのであるが、リアの加護の力が戻ったお陰でその険しさに全く気付かなかった。

 途中何度も石に蹴っ躓いて転んだりしたし、枝や木に衝突したり、魔物らしきもじゃもじゃした生物にも逢ったような気がするのだが、怪我をするどころか痛みも感じないので関係なしに突っ走ってきたんだろう。


 そんでガレットの牧場だ。


 俺は思わず笑ってしまった。

 上の喧騒なんて知る由もない下界が、あんまりにも長閑だったから。


 ポカポカ陽気に涼しい風。鳥の美しい囀りと時折聴こえる間の抜けた牛の欠伸の声。

 牧場から見える荘厳とした湖は光を讃えて瞬いていて、キラキラと水飛沫を上げた魚の鱗がとても眩しい。

 水は際限なく澄み切っていて、何百とある細い滝から滝へと虹が7色のアーチを作る。そこを見たこともない美しい羽根を持つ鳥が舞っている。聴き慣れない囀りは、けたたましいのにどこか心地良い。

 近代社会に汚染された俺の世界では、稀有な光景だった。


 まさに地上の楽園。


 湖への落下防止柵に掴まって、俺はひと時の間、その景色に見惚れていた。

 本当は美しいこの異世界アゼル。だけど、俺に降りかかった現状が、この世界を楽しむことを許さない。


(どうして俺が。何故、こんな目に遭わなくちゃいけないんだ)


 もう、飽きるほど自問自答したその答えに、応える者はいない。


 ずるずると腰から砕け落ち、柵に凭れ掛かるように、俺はついに限界を迎えてしまう。

 このポカポカ陽気の長閑な光景がいけなかった。深呼吸から一度出た欠伸から、興奮して忘れかけていた睡魔が復活し、その強すぎる睡眠欲が抗う気力を失わせる。


「あ、もう…やば…ねむ、い」


 重すぎる瞼は、目を閉じれば多分もう二度と開かないだろう。

 それくらい、俺は寝ていない。

 それくらい、渇望している。


 真からの、安眠を。


 ええ意識の向こう側で、牛の「モオ~」という声が聴こえたのを最後に、俺は暗闇を受け入れた。

 視界は暗くなり、頭の鈍痛が収まっていく。

 ああ、やっと眠れるんだと思ったら、ここが何処であろうと気にする思いも吹っ飛んだ。

 すぐに意識が暗闇に支配され、俺自身の利性もフェードアウトしていく。


「………」


 もう、構うもんか。


 俺はついに、念願の睡眠を手に入れた。


 そこで、とんでもない遭遇を果たすのである。






「こしょこしょこしょこしょこしょ」


「う…ん…」


 身体中を擽られる。

 小さな小さな手が、俺の親指をぎゅっと掴むのに精いっぱいな()()()()()()()が、俺の身体のあちこちを這う。

 力無い指先は俺の皮膚の一番上を掠るだけで、それがやけにくすぐったい。


「こしょこしょこしょこしょ」


 悪戯好きのする可愛い声で、身を捩る俺の反応を愉しんでいるようだ。


「俺はお前の所為で眠れていないんだ。せめて夢の中だけでも子育てを忘れさせてくれ」


 俺は夢を自覚している。

 首も据わっていないリアが自由に歩き回るなんて事はあり得ないし、あんな風に喋る事だって出来やしないのだ。

 泣くか眠るかミルクを飲むかの三択しかない赤ん坊は、毎日が暇すぎて堪らんだろうなと一人でぼんやり考えていると、ポカリと頭を叩かれた。


「いって!だから寝させてくれって」


 その辺にいるであろう、リアの小さな金髪頭を手探りで探したが、手は宙を掻くばかり。

 汗と涎臭くて、意外といい匂いのしないリアのふわふわ頭が急に恋しくなって床をバンバンと叩いて探していると、指先が何かに触った。


「……髪?」


 リアのとは全く違う。

 明らかにしっかりとした髪質、手にサラサラと滑るその感触に不審を覚えて、俺は頑なに瞑っていた寝ぼけ眼を開いた。


「やっと目を開けてくれたか、異世界の客人よ」


「……」


「なんじゃ、その顔は?阿呆面が更に阿呆になっておるぞ」


「……は?」



 ガバリ!!!



 そんな擬音語と共に、俺は跳び起きた。


「は?は?」


 目をくしゅくしゅっと擦る。何度も瞬きして、焦点が復活するのを待って、それから、えっと…どうしたんだっけ?ああ、目の前に立つ不審人物に、俺の安眠を邪魔しに来た奴に存在理由を問うんだった。

 だが、どうしてか瞬時に理解してしまった。それが誰であるのかを、俺は何も明かされていないのに、一人で納得したんだ。


 俺の眼前に、女が立っていた。

 数日前から俺の夢に現れていた、輪郭のぼんやりとしていたあの女だ。

 だけど今までと全く違うのは、その姿がはっきりと見えていることである。


 綺麗な女だった。


 腰まである長い癖っ毛は豪奢な金髪で、溢れんばかりの光沢が華々しく輝いている。

 肌は陶器のように白く、作り物かと思うほど真っ新だ。傷もホクロも毛も、その肌には似合わない。

 全体的に細い身体はボリューム不足が否めず、色気のイの字も無いが、その造りは大人の女である。


 特筆すべきは女の顔だろう。

 不自然なくらい整った顔は美人としか言いようがなく、フアナとはまた違った意味での美しさがあった。

 例えるなら、フアナは小動物的な可愛さなのだが、この女はまさに圧巻。美麗の限りを尽くした派手目の顔は自信気に笑っていて、それがまた迫力があって圧倒される。

 何よりその吸い込まれそうな深い蒼の瞳に心を奪われる。

 そして俺はその瞳を、その色を知っている。


 女は笑う。

 いや、これは()()だ。俺が今まで四六時中付き合ってきた赤ん坊のあいつ。

 雰囲気はだいぶ違うが、根本が同じだと頭が認識している。


「あんた…リア、だな」


「ご名答。2週間ばかりも傍にいて、気付かなんだは哀しいぞ。それにお主とは繋がっておるからな、一発で分かるじゃろ」


「やっぱりそうか」


「なんじゃ、驚かんのか。それはそれでつまらんのう…。本来の妾を見て、もっとうぎゃあ!とか、わああああ!!とか、腰を抜かすのを期待していたのに残念じゃ」


 女―――リアはちっとも残念そうな顔をせずにしゃがみ込み、上半身だけを起こした俺と目線の高さを合わせてまた笑った。

 美人が惜しげもなくくれる笑顔の破壊力は健全な男にとってはズキュンと心にくるものがあるが、残念ながらこいつの正体があのションベンもクソも垂れ流しの赤ん坊だと思えばそんな気になるはずもなく、家族の情愛に似たような気持ちで彼女を見ていると、リアは少しだけムッとした顔をして、また俺をコツリと叩くのだ。


「絶世の美女が語り掛けておるのに無反応とは…これまた悲しいのう」


「悪いが、夢の中は何でも有りな世界だ。アンタに無理やり召喚された世界よりずっと、俺に優しい世界だよ。だからアンタが誰だろうと驚きはしない。それより前に、アンタは俺の前にしつこく現れていただろうが」


「……ふむ。思ったよりも、お主は肝が据わっておるんだな。これはいい!」


「は?」


 リアは立ち上がる。

 彼女の着ていた旅装束のマントが、ふわりと俺の顔に引っかかる。

 それを鬱陶しそうにはたいて、女は髪をかき上げた。


「アンタ、一体何しに来た。夢の中くんだりまで、俺を困らせるつもりか?」


「まさか、妾はお主とこうして話す機会を待っていただけじゃ」


「え?」


 そして彼女は一度だけ恭しくマントの裾を持ってお辞儀をする。


「妾はクリスティアーネ・ティセリウス。この姿ではお初にお目にかかる。さて、この2週間の文句をぶちまけるがよい。妾はその為に、お主に逢いに来たのじゃよ」


 ニコリと笑う絶世の美女の、深淵の瞳の蒼はちっとも笑っていなくて、俺は夢の中だというのに一筋の汗が背中を伝っていくのを感じるのであった。



次回、来週予定

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