笑う公爵様
危険が危ないがデンジャーになってます。
「リリア、お前まさか全授業とってるのか? ばかか」
「ピーターとちがってリリィ嬢は学生として真面目なんだよ」
私を挟んで楽しげに話すトライアス様とユウ様。
なぜ2人は気づかないのだろうか、周囲が周囲の女の子たちが淑女にあるまじき殺しそうな目で私たちを見ていることを……。
このままでは死んでしまう、まず私が、物理で。
「リリアンヌ・ヌーヴェル?」
こんな手を出したらお前も死ぬみたいな状態に触れようとする頭のおかしい人は誰なんだと振り向けば、すっごい不健康そうな人が来た! 顔が青白くて体が薄くて今にも死にそうな人が来た!
「君宛の手紙、読まなくて平気なの?」
「手紙?」
「受け取っている様子がないから」
「はい?」
これまでの人生でもらった手紙はラブレターか脅迫状でどちらも怖くてきちんと読んだことがないけど、その話?
「ご苦労なもんだな、寮長も」
「トライアス、本来なら『巨人』の寮長はあなただったはずだ」
「そうかリリィ嬢は『柄杓』だったね」
なんの話をしているのかわからない私は見てることしかできないんだけど、この三人が揃ってる絵面なんかすごく派手だなあ……。
長身で筋肉質なトライアス様が目を惹くのはもちろんだけど、人懐こいという印象のユウ様だって中性的な魅力が独特だ。ただ優しいだけじゃない、少し妖しい魅力があるでも惹きつけられちゃうみたいな。そんなユウ様を陽とするなら、この死にそうな方は陰の魅力だ。漆黒の瞳が黒曜石のナイフのように切れ味鋭く自分自身を傷つけてるみたい。新雪みたいな顔に漆黒の顔、こんな美しい死神がいたら、レッツ死だろうな。
そんな圧巻の3人の周りに人だかりができつつあるのは当然でしょう。この方きっと只者ではないんだろうし。
こっそりその場を去ろうとして後ずさる。
「おい、どこ行くんだよ」
「ひぃ!」
バレた。
「私、お邪魔みたいですし授業もあるし……」
「リリィ嬢の話してたじゃないか」
キョトンとする私。
「私は寮長のハワード・フィリップだ」
「私、通学生徒なんです」
寮の話をしてたのかな。私は通学生徒だからわからなかったのね。しょうがない。
今度は3人がキョトンとする番だった。
「おまえ、寮のピンつけてるのになんでそんなに他人事なんだよ」
「ひょっとして、リリィ嬢は寮のこと知らない?」
「……これは、こちらの不手際かもしれない、いやそうだ」
これから授業だからと断ったものの「あ? 現代国語の初級だろ? 今喋って文字読めてるんだからいらねえだろ」って、これ中級には図書館学という本の管理や国の公布文書の読み方とかそういうこと教えてくれの。その授業を受けたくて初級を修了したいのに……!
連れてこられたのはなにやら個室。私と、死にそうな彼と。
密室に男性と二人きりになるのはとても警戒したんだけど、二人きりというかさっきからしきりにメイドさんやバトラーさんが出入りし、お水を注いでくれたりお皿を並べたり料理を運んだりと出入りする。
ほんとただのレストランの個室。そんなに警戒することはないかも。いきなり迫られたり、いきなり監禁もできなさそう。
「食べないのか?」
これでもお茶と言い張るこの精神はなんだろう。もうご飯じゃん。スープに前菜にこの様子だとメインも出てきそう。これだけもりもり食べてお茶してますって。
なんか腑に落ちないけど『お茶』をいただくことにした。
「この学園は四つの寮があり、そこで暮らすとともに成績やスポーツを競い合う。通学を認められた生徒も所属は決められている」
「そうだったんですか」
「襟にそれぞれ所属寮のピンをつける。ヌーヴェル嬢の寮は柄杓だ」
柄杓?
「柄杓」
え、おかしくないのか?貴族は普通なのか? 柄杓って身近なのか?
私はこのピン、錫杖か何かだと思って縦につけていたけど、柄杓ならこれ向きが間違ってるってこと? あ、彼はちゃんと取っ手が横にきてるようつけてる。私と違って金色だ。
そっか、間違ってつけてたのに誰も教えてくれなかったのね。うん、まあいつものことだけど、でも、馬鹿にしてくれていいから教えてほしいし、ノーヒントだと柄杓なんて答えにたどり着かないよ!
「クラスが所属寮によってわかれたりすることはないが、使える施設というものに制限があったりする。例えばここ」
私たちがお茶をするとなったとき、当たり前のようにトライアス様とユウ様はついて来ようとしたが、それをこの方が「寮のカフェテリアを使うから」とあの2人を退けたのだ!
なるほど、同じ寮生しか使えないこの個室なら私の1人の時間捻出できるかも。お昼とか、授業後の空き時間とか。うわーい、この学園での平穏な生活の希望が見えてきた……!
「このカフェテリアは柄杓寮生専用となっている。そしてこの個室は寮長が使用できるもので一般生徒は使えない。他にも小グランドが寮別になっている場所がある。気をつけてほしい」
私の希望消えた。4秒フラットで消えた。
「本来ならこういったことを説明するようにと寮長に通達されているのだが」
「なかったんですか?」
あのブレア氏のことだ忘れているなんてことはありうる。
この前だって忘れてたって言ってこの学園で使われているレポート用紙の存在を聞かされたんだから。それを知らずに私はお義母様からいただいたちょっと少女趣味なレターセットで提出しなければいけない感想文を書いて出した。どうりで先生が変な顔されていたわけですよ。
「もう一人の寮長ジア嬢にあったんだろうが、彼女はいつもの行方不明で」
「え?行方不明がいつものことなんですか?」
「そうだ」
貴族が行方不明って一大事じゃないですか? そんな事件が普通になるような場所なんですか、なにそれこわい。
「気づかなくてすまない」
行方不明については聞かなかったことにして、彼は私に頭を下げた。寮長になるくらいだからきっとすごい方なんだろう。成績とか家柄とか、そして人格とか。だから責任感が強い人なのかな。気にしなくていいのに。
えっと、この方のお名前はさっき聞いたハワード・フィリップ……
「フィリップ⁉︎」
「なにか?」
私でも知っている、筆頭公爵フィリップ家! 内政外交経済スポーツゴシップ、全てのニュースで見かけないことはない家名。王族の次に国民が知っている有名人。隣のおばちゃんがしたり顔でフィリップ家の恋愛事情なんて話すくらいに。
別のフィリップ……なんてものはこの国にない。つまりこの方は……。
「こ、公爵……様」
「この学園では爵位で呼んではいけないよ」
「は、はい!」
そうだった。
この学園は身分の差なく学ぶところなので王族以外は敬称略。
といっても上流貴族は上流貴族で仲良くされてるようだし、爵位の低いものは低いもので一緒にいる気がする。実際に誰がどんな爵位なのかなんてわからないけど、立ち居振る舞いや持っているものからの推測だけど。
ただ授業に関しては席は自由席だし、特別待遇もない。ディベートでも階級に関係なく議論を交わしている。
「……君のいろいろな噂を聞いたけど」
「貴族社会に入ったのが最近で全然わからないことばかりで皆さんに迷惑をかけてしまっているだけです」
ここでメイン料理がやってきた。
白いお皿だった。白身魚にホワイトアスパラが添えてあって白いソースがかかっている。カイエンヌペッパーがアクセントになっていて、なんか、可愛い……。食べるのがもったいない。
うっとりしていたも食事に失礼なのでナイフとフォークを動かす。小さく切って口に運ぶと酸味の強い爽やかなソースに脂の乗った白身魚という想像と違う味で驚いた。美味しい。
私の操作ミスでお皿とフォークが耳障りな音を立てる。しまったてへぺろとヌーヴェル家でならすませてしまうけど、そう、ここは家ではなく学園で、私の前にいるのはトップオブ貴族。
「……こんな風にです。申し訳ありません」
これでも食事作法は上達したほうで、でもやっぱり全然ダメ。本当にダメ。ナイフもフォークも使い方は知っているけど全然思うように動かせない。そんな公爵の前でご飯を食べることなんて想定していなかったし。
公爵フィリップ様はあまり食が進んでいないのか呆れているのか私を見つめるだけでなにも言わない。
「あの……」
「君は、そっか、君がそうなんだ」
「?」
花の咲くような微笑みというのはこのことを言うんだろう。
「美味しい?」
「はい、とても」
「この学園で困っていることはない? 貴族社会に不満はない? 今いるヌーヴェル家で嫌なことなんておきてない? 平民に戻りたいと思う? 」
いきなりの質問ぜめにむしろ困ってます。とも言えず秘技曖昧な笑みでごまかす。
「大変なこともありますが大丈夫です」
「この学園にいる限り何かあったら相談してほしいな。同じ、いち生徒として」
ノブレス・オブリージュ。高貴な方にははたすべき義務がある。これまでしてもらう側だった私は今もこうして受け取っているけど、これを私が与える側になることをうまくできる自信がない。私なんかがなにを与えられるんだろう。
人から憎まれるほど愛されるだけの私は、結局「ちょうどいい愛らしさ」という外側が好まれているだけで、なにもない。愛された結果が憎まれることなんだからこんな悪い者が与えていいわけがない。
「これまで色々と大変だっただろう」
フィリップ様のように生まれる前から貴族だったようなそんな方を見ると、すごいなあと思った。根がしっかり平民の私はもう貴族にはきっとなれないけど、貴族の末端になってしまったんだからこういう方々の邪魔をしないようにしたい。
なんて、尊敬めいた気持ちになったこともありましたねぇ……。
「さあヌーヴェル嬢」
校舎前のほんの数段の階段、その前で右手を差し出し微笑むフィリップ様。
胃が軋む音が聞こえてくれたらいいのに。
そう。フィリップ様が朝から、こんな、調子ですからね、胃の耐久は限りなくゼロに近いです。
……もちろんもちろん、わたしは最初断りましたよ。そんなことしてもらう身分ではないって。
「そうか、それほどまでにヌーヴェル嬢は貴族社会にいや、私に愛想をつかしてしまったんだね。私が君を守ってやれなかったせいで。でももうそんな思いはさせないよ。」
で、姫抱っこでここまで来ましたよ。車寄せから第一校舎まで。
弱々しい外見とは裏腹にがっしりとホールドされてビクともせず私はなすがまま……。
「リリ、ちゃんと食べてる?風を掴んでるようだよ」
耳元で囁かれた。耳をくすぐるような吐息混じりの声に私は背筋が凍る。
私を見ている令嬢たちの顔は青ざめ目は怒り、手が震えている。純粋な怒り。シンプルで根元的な感情は強い。その怒りを理性で押さえ込んで話しかける令嬢。しかしフィリップ様は見向きもしない。
「リリったら、フフ、そんなことないよ」
いや、私なにも話してません。話しかけているのはあなたの右斜め後ろの深いチャコールの髪の彼女です。私は口を聞くどころか目線もそらしています。
「そんなこと言うなんて、リリはほんと僕の天使」
この人にはなにが聞こえてるのー!
で、ようやく校舎前で降ろされて、階段でのエスコートに差し出された手を私は取らざるを得ないのはご理解いただけますでしょうか。
右手で私の右手を恭しくとり、そっと左手を添えて包むように私の指にキスをして腕に回す。二、三段の階段を上がるだけなのになんで……。
怖くて顔があげられない。人の視線は感じるのに、なんの音も聞こえない。
ニコニコと上気した顔で嬉しそうなフィリップ様はこの前のような死にそうな感じはしないけど、きっと私が死にそうな顔をしていたと思う。