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其の1 学園祭殺人事件 -01

 二0××年 十月――。

 食欲の秋に、スポーツの秋。そして文化の秋。

 この時期になると、いろんな学校で催されるのは、そう、文化祭。

 高級住宅街に近い、私立青称(せいしょう)学園にも生徒たちが待ち侘びた“お祭り”がやってきました。

 ……と、本題に入る前に、簡単にこの学園を紹介しましょう。

 青称学園は、幼・小・中・高・大で成り立つ、エスカレーター式学園です。通っている生徒は金持ち、プラス、温室育ちのお坊ちゃん、お嬢ちゃんがほとんど。別名、ボンボン校とも呼ばれています。

 この校舎の建築様式を軽く説明すると、北に幼等部、西に小等部、東に中等部、南に高等部があり、大学は別に隣接されています。校舎の他にも、図書館、総合体育館、多目的ホール、レストラン、スポーツジム、日本庭園、礼拝堂等々、ありとあらゆる施設が万全に整っており、生徒にとっては豊かな学習環境間違いなしです。

 中等部までは義務教育の為、きちんと決められた授業を受けることになりますが、高等部からは自由です。決められた範囲での制服私服混合ありで、授業も一日六授業中、四授業は選択科目。午前中の一、二時限目は各クラスで決められた授業を受け、あとは定員予約制にて好きな授業が受けられます。だからといってやりたいことだけをやっていると単位が取れず、テストで悲惨な目に遭うことはわかっているので、結局、平均の取れた授業内容を生徒の皆さんは選んでいるようです。「好きなことはやらせよう。その代わり赤点を取ってみろ。人様に迷惑を掛けてみろ。……どうなるか、わかっているんだろうな?」とは、ある教師の脅しのセリフ。その他、頭脳明晰過ぎる生徒の為に、一ヶ月ごとに進級試験と卒業試験もあります。

 何かと自由ですが、代償も大きいのがこの学園。

 生徒たちは気ままにスクールライフを楽しんでいるようですが……、しかし、そうではない生徒も数人いるようです。


 この物語は、そんな彼らの、波乱に満ちたお話しです――











 ――ふと、気が付けば秋。

 高等部に進学してから半年経つと、もう、クラスは一致団結が出来る仲間が集う場所になっていることがほとんどだ。その力を示す為に、様々な催し物が存在するのだろう。皆で協力し合い、成功を目指す。社会勉強の一つだ。

 しかし、みんながみんな、“良いお付き合い”が出来るとは限らない――。

 授業が終わった放課後、各クラスでは、担任や文化広報部部員の指示に従って学園祭の準備が進められた。

 教室内はもちろん、廊下も階段も、様々な材料を手にした生徒たちで溢れかえり、すれ違い、賑やかな声が飛び交っている。この、1年A組も例外ではなく、翌日の授業の妨げにならない程度に壁の飾り付けや、配置確認に生徒たちが動き回っているのだが……――。

 教室の片隅、取り残されてしまったかのように女生徒がポツンと一人、立ち尽くしている。オロオロと戸惑いを露わにしている彼女の目の前をクラスメートたちが右往左往するが、誰一人として声を掛けることはしない。

 彼女の名前は、大島優樹おおしまゆうき。腰の辺りまで伸びた長い髪の毛を胸の前に回して、指にクルクル巻き付けながらクラスメートたちの動きをすがるような目で追っている。だが、やはり誰も彼女に気を向けようとしない。身長が143センチメートルという、小柄な体型のせいでみんなの目に届かないのか、なんなのか。端から見たら不思議な光景だろう。いや、もしかしたら「あれって、このクラスに住み着いてるお化けじゃっ?」と目を疑うかも知れない。それ程、彼女の存在は“透明化”していた。

 ――既に出来上がっているグループばかり。そんなところに飛び込む勇気はない。

 放課後に入って、もう一時間は経つ。さすがにこのままではいられないと感じていたその時、「ちょっと」と、不意に左側から声を掛けられ、優樹は、「は、はいっ」と、慌てて返事をして振り返った。

 大きく膨れた布を両腕で抱えた女子が二人、立っていて、その一人、手が塞がっている為か、無表情で顎をクイッとしゃくった。

「そんなところに突っ立っていたら、邪魔なんだけど」

 どこか不愉快げな声に、「ご、ごめんなさい」と焦って目を逸らし、一歩、二歩と離れた。ちょうど窓のあるそこに催し用のカーテンを付けたかったのだろう。優樹が退くと、すぐに「そっち持って引っ張って」と、仕事に掛かるが、背後からためらいを露わに窺う視線に気付くと、振り返ることなく肩の力を抜いた。

「やることがないなら、もう帰ったらいいのに……」

 聞こえるように言ったのかはわからないが、優樹はその言葉に視線を落とし、俯いた。周りのクラスメートたちにも聞こえていただろうが、無関心を気取って、ただ作業を進めている。

 優樹は俯いたまま、軽くスカートを握って、また数歩、壁際に後退した。

「……、大島さん?」

 少し離れたところから聞こえた声に、ハッと顔を上げた。このクラスの文化広報部副部長の上野和美うえのかずみが、クラスメートに指示を出し終えたあとでこちらを見ている。優樹は、「は、はいっ……」と、走るように側に近寄って見上げた。

 上野は、赤い縁眼鏡を軽く上げると、特に表情を変えることなく、胸の前で落ち着きなくモジモジと指を絡ませる優樹を見つめた。

「やること、ないの?」

「……、あ、……は、はい……」

「じゃあ、ちょっと頼まれてくれない?」

 ようやく念願のお声が掛かり、優樹はホッとした笑みを浮かべて「はい」と頷いた。

「三階にある資材室、知ってる? あそこに行って、太マジックペンの黒と赤と青を五本ずつと、B5の黒画用紙を四枚と、透明のガムテープを三つ、細い両面テープを一つ、黒と赤のビニールテープがあれば、それを二つずつ、もらって来てほしいの」

 次々に出す注文に耳を傾けながら指折り数回頷く、特にメモを取るわけでもない優樹に上野は小さく首をかしげた。

「大丈夫? 出来る?」

「はい」

 任せてください、と、言わんばかりに笑顔で頷いた。だが、「駄目よ、上野さん」と言う声が背後から近寄って来て、優樹は振り返り、上野は顔を上げた。クラスの副委員長の牧田瑠衣まきたるいだ。ため息混じりに二人の側に立つと、ツンと顎を上げて腕を組んだ。

「大島さんに頼み事したって、出来ないのはわかってるんだから」

 上野は、不愉快げな牧田から表情を消した優樹に目を向け、また牧田に目を戻した。

「一人でじっとしてて、何もしていないみたいだったから……」

「いいわよ。私も資材室に用事があるから一緒に行きましょ。大島さんに頼んで、違う物を持ってこられても迷惑だし」

 牧田はそう肩をすくめると、ためらうように目を泳がしている優樹を見下ろした。

「やることないならもう帰ったら? 別にいいわよ、帰っても。あとはみんなで出来るから」

 優樹は少し悲しげに眉を寄せて顔を上げたが、すぐに目を逸らし、「は、はい……」と俯いて返事をした。

 上野は、「行こう」と誘われながら、じっと俯く優樹を軽く振り返り、牧田の背中に近寄った。

「……あんな言い方しなくてもいいんじゃない? 何か悪いことでもした?」

「駄目駄目。言うだけ無駄よ。どうせ何も出来ないんだから」

 遠離る話し声に、優樹は俯いたままで目を細めた。周りでは、クラスメートたちが見向きすることなく動いている――。

挿絵(By みてみん)

 圧迫しそうな空気に、いたたまれなくなってきた。

 優樹は、邪魔にならないよう、教室の後ろに備え付けられている個人ロッカーから鞄を取り出し、誰かに声を掛けることなく教室を出た。

 廊下に出ても、他のクラスの生徒たちがたくさん行き来している。大きな荷物を抱えている人もいるので、彼らにぶつからないよう、こちらから避けるように歩いた。脳裏で「どうせ何も出来ない」と言われた、あの言葉を思い出しながら。

 ……何も出来ない、か。……、ホント、そのとおりだ……。

 馴染めないクラス――。進学当時は、それでも自分から声を掛け、挨拶もしていた。その頃はまだ、みんなが“友達作り”に励んでいた頃だったからお互い様だったが、数日、数週間経つと、その頃には孤立していた。特に何もしていないし、目立ったことをやったこともない。控えめにしていたはずなのだが、それでも何か、みんなには気に食わなかったのだろう。

 ……いや、原因があるとすれば、それは――

 俯き気味に歩いていると、いきなりワシッ! と、背後から頭を掴まれ、優樹はビクッと肩を震わして足を止めた。

「よーっス。おチビちゃん、今からご帰宅?」

 右斜め後ろから愛想のいい声。

 しかし、“おチビちゃん”は頂けない。

 間を置いて鼻から深く息を吐き、頭の上の手をそのままに振り返ると、彼女の髪の毛を手に絡めて、山口洋一やまぐちよういちはにっこりと笑った。

「オレも、もう帰るんだ。一緒に帰るか?」

 視線を合わせるように軽く腰を曲げ、笑顔で首を傾げる洋一に、優樹は再び鼻から息を吐いてじっとりとした目を向けた。

「送迎が来てるから」

「おまえなあ、いくつだよ? そろそろそうゆうのは卒業しろってぇの。独り立ちしろ、独り立ち」

 諭したいのか拗ねているのか、口をとがらせる洋一に、優樹は再度、鼻から深く息を吐いた。

 中等部の二年生頃から何かと周りをウロウロとされている。気が付くと側にいて、声を掛けてきたり……。仲良くしているわけではないが、一方的に“友達”にされている格好だ。

 優樹は無関心そうに、まだ頭の上に乗っている手を掴み下ろして離した。

「私じゃなくて、彼女と一緒に帰った方がいいと思います」

 「放っておいて」という空気を前面に出しながらそっぽ向き、髪の毛を手串で解かして整え応えると、洋一は「ああ」と、素っ気ない態度でズボンのポケットに手を入れた。

「別れた。昨日」

 優樹はパチパチと瞬きをして顔をしかめ、冷ややかな洋一を見上げた。

「……チエちゃん、って言ってた?」

「おう。よく覚えてたな」

「……確か、まだ一ヶ月……じゃなかった?」

「おう」

「……。別れた?」

「おう」

 笑顔で返事を繰り返され、優樹は呆れんばかりに口をぽかんと開けたあとでがっくりと頭を落とした。

「……わ、私が知ってるだけで……、高等部に入ってから……もう、九人……だよね」

「お。もうすぐで大台か」

 しめた顔でにんまりと笑っているところを見る限り、悪びれていないようだ。

 優樹は、「……信じられない」と軽く頭を振って、蔑むような目を向けた。

「……、最低。……凄く最低。……、酷い」

「何が?」

「だって。……、すぐ別れちゃって」

「だからそれは相手も承知の上だって。始めっから、たぶん長続きしないって言ってたんだし」

 洋一はなんでもない顔で肩をすくめる。

「それに、別れ話を切り出しても、みんなほとんど、わかったって、それで終わるからな。じゃあまたねー、って」

「……。な、なんだか……、……。変」

「そうか?」

 呆れているのかなんなのか、がっくりと肩を落とす優樹に洋一は愉快そうに笑った。

「ま、大人の世界が知りたかったらいつでも言いなさい。ボクちゃんが手取り足取り、あることないことまで教えてやるから」

 優樹は顔をしかめて首を傾げた。意味不明っぽい彼女に笑った洋一は、肩に掛けていた鞄を抱え直しつつ、「山口君、またねー」と、声を掛けていく女子に笑顔を返しながら改めた。

「一緒に帰るか?」

「……だから、送迎が来てるって言ってるでしょ?」

「断れよ。オレが送ってやるし」

「嫌です。他の子と帰ってください」

 ツン、とそっぽ向くと、「おおっ」と、洋一は思い出したように目を見開いて声を上げた。

「そうそうっ、他と言えば、オレ、気になる奴が出来てさぁっ」

 笑顔で報告され、優樹はうんざり気味に目を細めた。

「そう。……良かったですね。……珍しい。自分から気に入った子を見つけるなんて」

「だろ? 誰だと思う?」

「さあ。知らないです」

 興味なさげに目を逸らすと、洋一は腰を曲げて顔を近づけた。

「おまえだよ、優樹」

 艶っぽい声で囁かれ、優樹はギロリと睨んだ。無言の圧力を掛けようとする雰囲気に洋一は腰を伸ばして笑うと、ポケットから手を出して腕を組んだ。

「それが、名前とかわかんないんだよな。クラスもわかんなくてさ。ひょっとしたら先輩かな? 年上みたいだ」

「……そうやって、すぐに付き合って、別れて……」

 彼の恋愛遍歴を知っているだけに呆れてため息を吐くと、「フフ」と、洋一はそれを軽く笑い飛ばしてしまった。

「なんだよ? 別にいいじゃん。オレと別れたって、みんなすぐに新しい奴を見つけるんだし」

「……そんなに上手くはいかないよ」

「そんなモンだって。出会いも別れも、簡単なモンだぜ?」

「……、難しいよ」

「そうか? けど、オレら、簡単に仲良くなれたじゃん?」

「……。それは、山口君が勝手に付きまとってくるだけですから」

「なんだよー。友達だろー。とーもーだーちー」

 拗ねるような笑顔で訊く洋一に、優樹は答えることなく鞄を持ち直した。

「……それじゃ、私はもう帰りますので」

「一緒に帰るのは? 一緒になんか食って行くのは?」

「そんな約束をしたことはありません」

 無愛想に背を向けた優樹に、洋一は「……チェ」と舌を打ちつつ、苦笑気味にため息を吐いて見送った。

 ――別に嫌いではない。かといって好きでもない。うっとうしさを感じる時もある。けれど、心地よさを感じる時もある。

 複雑で、自分でもどう接したらいいのかわからない。ただ、彼といると“今の自分”が壊れてしまいそうだとも思い、それが気持ちに歯止めを掛けている。彼といると、甘えが出てしまって、すべてを流してしまいそうな気がして……。

 そう、“今の自分”を失うわけにはいかないのだ。絶対に……。

 昇降口に向かう為、準備に追われる生徒たちとすれ違い、自ら避けながら、足下に目を落としぼんやりと階段を下りていた。だから、階段のU字になった曲がり角の踊り場、大きな荷物を抱えた生徒を避けて道を譲ったものの、さらに、“そこ”に荷物を抱え直す誰かが立っているのに気付くのが遅くなった。ハッと顔を上げた時には、踏み出した足が立っていた男子生徒の臑を蹴り上げてしまい、彼は「いたっ!」と声を上げて腰を曲げ、その瞬間、持っていた段ボールの口が大きく開いて中身がバサッと床に散ってしまった。

 優樹は大きく目を見開き、慌てて腰を下ろして床に落ちた用紙や飾りを拾い集めた。

「す、すみませんっ……! ホントにっ……、ごめんなさいっ……」

 戸惑いを露わに焦る優樹を、側を通る生徒たちがジロジロと見下ろし避けていく。

 蹴られた男子は、腰を下ろして軽く足を撫で、掛けている眼鏡を上げて困った表情で用紙を拾い集める優樹を目で追った。

「ほ、本当にすみません……。……あ、……ど、どうしよう、少し汚れちゃって……」

 用紙の隅についた汚れを見つけて、オロオロと目を泳がしながら擦り落とそうとする優樹に、男子生徒は間を置いて苦笑した。

「大丈夫。問題ないよ」

 そう声を掛けられ、優樹は顔を上げて男子を見ると、「……あっ」と、思い出したように彼の足を窺った。

「け、蹴っちゃってっ……ご、ごめんなさいっ……。い、痛くなかったですかっ?」

「蹴られて痛くない人がいたら、その人は、とうに歩けない程の感覚障害を負っていると思うけどね?」

「……。……?」

 にっこりと笑って言われた優樹は、少し顔をしかめて首を傾げた。意味不明で頭が回らず言葉が見つからない、そんな彼女に構うことなく、男子は、落ちている用紙を拾い集め出した。

「気を付けたほうがいいよ、大島優樹さん」

 ためらいもなく名前を言い当てた彼に、優樹は少し驚いて目を見開いた。

「えっ、……と……、私の、こと……」

「知ってるよ。チビでドジで何をやってもダメなノンキの大島優樹さん」

 一瞬、何を言われたのか理解出来なかった。だが、段々と意味がわかってきだすと“すまない”という表情も険しくなってくる。そして、出た言葉。

「はっ?」

 訝しげに眉をつり上げた優樹に、男子は少し笑ってみせた。

「冗談」

 優樹は少しボー然としていたが、また彼の言葉を理解するのに時間を掛け、頬をピクっと引き攣らせた。

 男子は、段ボールの口を広げてそこに落ちた物を重ねて置き、優樹の手に握られていた用紙を受け取って汚れを叩き落とした。

「拾ってくれてありがとう。汚れた物は、ボクが綺麗にしてみんなに謝っておくから。あ、いいよ、気にしないで。謝るだけだったら誰にでも出来るからね」

 言いながら笑顔で段ボールに入れていく男子に、優樹は内心ムッとした。「嫌な人!」と思いながらも、それを表に出さないように心掛け、せっせと他の物も拾い「……はいっ」と、手渡す。

 拾い終わると、男子は段ボールの口を閉じ、それをヒョイッと抱えて立ち上がった。少し遅れて優樹も立ち上がり、鞄を持ち直しつつ改めてぺこりと頭を下げた。

「……本当にすみませんでした」

 謝りたくない気分だったが、自分に非があったのは事実だ。

 元気をなくして顔を上げた優樹に、男子は苦笑した。

「あまりボーとしない方がいいと思うな。ただの大ドジになるし」

「……」

「それに、右側通行は守るようにね。ここが一般道だったら、冗談じゃ済まされないよ。ペシャンコになってみたいなら構わないけどね?」

「……っ。ごめんなさいっ」

 不愉快になりつつも、それでも再び頭を下げると、少年は愉快そうに笑った。

「注意してね、大島優樹さん」

 い、いちいちフルネームで! と、ムカッと来たが、頭を下げたまま耐えると、彼の気配が消え、優樹は深く息を吐いて顔を上げた。その頃には、もう、男子の背中は遠離っていた。

 ……な、何あれ。何あれ。なんなのあれ。……そんなにドジじゃないのに。ドジじゃないのに。

 恥ずかしさと悔しさと悲しさと、グルグルと複雑な感情が渦巻く心の中、情けない気持ちになり、発散しようとジダンダでも踏みたいところだが、他の生徒たちも行き来している。ここは落ち着かなければいけない。

 もう、早くこの場を去ろう、と、それでも気を取り直して歩き出そうとした時、「コツン」と足に何かが当たった。見下ろすと、見慣れた物が落ちている。――学生手帳だ。

 腰を下ろしてそれを手に取り、表紙を捲って中身を確認すると、顔写真にさっきの男子が。「……っ」と顔を上げて姿を探したが、既にどこか通路を曲がったようでいなくなっていた。

 「ヤダなあ……。もう会いたくないのに」と、再び手帳に目を向け、視線を動かす。

 ……1年E組。反町流そりまちながれ。……、ん? どこかで聞いたことがあるような――

 記憶の隅で何かが引っ掛かるが、それを思い出せず。とりあえず、教室まで行こうかと思ったが、彼は今、教室とは逆の方に歩いていった。その事を思い出すと、ため息を吐き、一旦、鞄にそれを仕舞った。

 明日にでも届けよう。またちゃんと謝って、もう忘れよう。……でも、チビでドジなんて、やっぱり失礼過ぎる。

 そうふて腐れながら、優樹はそこをあとにした。

挿絵(By みてみん)

 いつものように、校舎脇にある送迎用駐車場に待機している黒塗りの送迎車に乗り込み、ドライバーと数回、他愛のない話しをして、そして、学園から十数分、高級住宅街にある我が家に着くと、出迎えてくれた使用人に笑顔で挨拶をして二階にある自室に閉じ籠もった。ベッドルームとは別の、普段過ごすプライベートルームに入ってカバンをガラステーブルに置くと、側に備え付けてある柔らかいソファにバフっと横たわり、大きくため息を吐く。これがほとんど日常化している。家の者が心配しているのはよくわかっているのだが、けれど、どうしても気持ちを切り替えることが出来なかった。

 カーテンの閉め切られた薄暗い部屋の中、視線を動かすと、低い本棚の上に置かれた写真立てが目に入った。そこには、優樹と、そして笑顔の少年が映っている。

 ……もうすぐ二年――。

 じっと見つめていた目にうっすらと涙が浮かび、優樹は体を起こすと膝を抱えて顔を埋めた。

『ちゃんと真っ直ぐ家に帰れよー』

『……。送迎が来てます。それに、子どもじゃないんですから』

『子どもだよ、おまえなんか』

『……。ひどいです、翔太しょうた先輩』

『ハハハッ。そうやって拗ねるのが子どもなんだって!』

 何度も甦る思い出。消えることのない面影と声。

 優樹は、「……っ……っ」と、息を詰まらせながら背中を丸めた――。











 ――数日後。

 高等部では、今日と明日、二日後に迫った学園祭の準備に丸一日を費やすことに。各クラス共、授業が行われていたせいもあって五割も進んでいないところがほとんどだ。この二日間がラストスパート。本番に間に合わせようと生徒たちは躍起になっている。

 朝から大工音が響き、みんなが慌ただしく動き回っている、そんな中、優樹は誰も来ない裏庭でのんびりとしていた。準備をしなくちゃいけないことは良くわかっている。けれど、教室にいてもいなくても同じ。いっそうのこと、学園を休んでしまおうかと思ったが、しかし、それをやってしまったらそれこそ“おしまい”だ。それだけはわかっている。

 点々と大きな木が生えて日陰を作る中、柔らかな青草の上で膝を抱え、ぼんやりと流れる雲を見上げていた。どこか遠くから楽しそうな声は聞こえてくる。たまに近いところからも。しかし、誰かがやって来る気配はなかった。お昼にもなれば、みんながこの場所を求めにやって来るのに。――当然と言えば当然だが。

 このまま、一日中見つからなければいいのに……。

 絶対有り得ないだろうが、漠然と、このまま見つからないんじゃないだろうか、と思っていた。いや、“見つからない”んじゃなくて、“誰も探さない”だろう。もし、声を掛けてくるような誰かがいたら、それは、クラスメートじゃない別の誰かだ。それが教師じゃないことを祈るだけ。

 ……青い空を見上げていると、つい、未確認飛行物体を探してしまう。グルッと大きく空を見渡していると、「サク……」と草を踏み締める足音が聞こえ、ハッと振り返った。一瞬心の中で「誰か来た! 怒られる!」と焦ったが、足音は見知らぬ少女のものだ。

 目が合った彼女は微笑むと、首を傾げて問い掛けてきた。

「サボり?」

「……あ……は、はい……」

 素直に答えたあとで「しまった!」と表情に出してモゴモゴと口籠もったが、もう手遅れだ。「ふふっ」と笑われてしまった。

挿絵(By みてみん)

 上級生だろうか――。

 大人びた感じのする少女に戸惑い、目を泳がせたが、彼女の方はにっこり笑い掛けると、優樹の隣りに立って“そこ”を指差した。

「いーい?」

「……え? ……あ」

 一瞬、どうしようか、と困ったが、断る理由もない頭が、躊躇する心よりも先に体を動かしていた。

 コクン、と頷くと、少女は遠慮することなく隣りにお尻を着いて足を伸ばした。すらりとした細くて綺麗な足が短いスカートから見え、優樹は恥ずかしそうにサッと目を逸らす。少し体をモジモジと動かし視線を落とす、そんな初心うぶな様子を気に留めることなく、少女は「んーっ」と背伸びをすると、深く息を吐いて空を見上げた。

「あー、ほんっと、ガクサイってくっだらない。朝から一日中準備なんて、冗談じゃないわよね。やりたいヤツだけやればいいのよ、こんなの」

 うんざり気味に、素直に感情を露わにする少女に優樹は一瞬キョトンとしたが、すぐに「……ふふ」と苦笑した。

「ですね……」

「あ、一年……よね?」

 気が付いたように、そっと顔を覗き込む少女に、「……あ、はい……」と、戸惑い頷くと、彼女はホッとした笑顔を見せた。

「私もよ。中村生美なかむらせいみ。D組」

「私は、A組の……、大島……、優樹です」

「ユウキかー、いいね。どんな漢字書くの? 勇気が出る、のユウキ?」

「いいえ……。優しいって漢字に、樹海の樹」

「へえー、かっこいいね。私、生の美しいで生美せいみって言うんだけどさ、昔っからよくナマミって呼ばれてたよ」

「……、ひ、ひどい……」

 優樹が渋そうな顔をすると、生美は笑って片膝を抱えた。

「朝からずっとココにいるの?」

「いえ。……今、来たばかりで……」

「ふうん。……退屈よねえ、ここって。……あ、優樹はエスカレーター?」

「……。エ、エスカレーター?」

 キョトンとして繰り返したあと、キョロキョロと辺りを探す優樹に生美はプッと吹き出し笑って苦笑した。

「ごめんごめん。……って、こんなトコにエスカレーターがあるわけないでしょ?」

「……。そ、そっか……」

「中学からの続きでここに来たの?」

「あ、……は、はい」

「私、中学だけは公立でね、ちょっとハメを外し過ぎたモンだから、怒られて、こっちに戻されたの」

「そう、なんだ……」

「いやンなっちゃうわよねぇ。なんて言われたと思う? 普通の高校に行ったらボロボロにされちゃう、だってさ。何を言ってンだかって感じよ。私からしてみたら、ココにいる方がボロボロになりそう。私立だからかなんだか知らないけど、“自由教育”をうたってるワリには普通だし、そのくせ、自慢タラタラなヤツ多いし、見栄っ張りも多いし。……こんなヤツらがいずれ二代目、三代目になって会社を潰すっての、理解出来るわ。あー、ヤダヤダ」

 空を見上げて嫌々しく首を横に振ると少し苦笑され、それを視界の隅で捉えた生美は優樹に目を戻すと心の奥でも見透かそうとするかのように目を細めた。

「けど……優樹は違う、かな?」

「……、えっ? ……そ、そう、かな……」

 みんなと変わらないと思う、そう返事をしようとしたが、その前に、生美は鞄の中から飴玉の包みを摘み出すと「はい」と差し出した。

「あげる」

 優樹は目をパチパチさせて、彼女と飴玉とを交互に見てためらい、それでも、笑顔でそれを受け取った。

「……ありがとう」

 早速包みを剥がして口に入れる優樹に、生美は微笑んだ。

「ねえ、今度ゆっくり、話し、しようよ。私、ここじゃあんまり友達いなくってさ。話し相手が欲しかったんだ」

「……うん」

 はにかんだ笑みで頷くと、生美はニッコリ笑って、「……さて、と」と、改まるように一息吐いてから立ち上がってスカートを軽く引っ張り整えた。

「そろそろ行こうかな」

「……、へ? も、もう?」

 今来たばかりなのに……。そう思ってキョトンとした顔で見上げる優樹に、生美は笑い掛けた。

「今度会った時も寂しそうな顔してたら、飴、あげるわね」

「……え?」

 不意に表情を消すと、「そうそうその顔」と生美は笑顔で鞄から飴玉を掴み、腰を下ろすなり有無を言わさず優樹の手を掴んで渡した。

「はい、ポイントゲットね」

 手のひらいっぱいに飴をもらった優樹は「……はは」と引き攣った笑みを浮かべた。その、戸惑うような笑い方がおかしかったのか、生美は「ふふっ」と笑うと、軽く背中を丸めて顔を覗き込んだ。

「優樹は笑ってた方がかわいいと思うよ?」

 優樹が目をパチクリとさせ、顔を赤くすると、生美は少し笑って腰を上げて鞄を肩に掛けた。

「じゃーね。また、優樹の教室にでも行くよ」

「う、うん。……また、ね」

 生美は笑顔のままで手を振って歩いていく。優樹も彼女が消えるまでその姿を見つめ、そして、手のひらで転がる飴玉を見つめた。

 ……寂しそう、か。……そうかな。……平気……なのに、な。

「……」

 段々と気持ちが沈んで来て、優樹はグッと顔を上げて立ち上がった。

 ダメだ! こんなんじゃ! もっと前向きに! そう、前向きにならなくちゃ! 頑張ろう! うん!

 飴をポケットに入れて、「フンッ」と気合いを入れ直すと、教室へと戻るべく足を踏み出した。

 そう、前向きに頑張らなくちゃ! じゃないと……“負け”になる! そんなことを考えながら、近道が出来る体育館後ろを通った。この辺りは大きな木々が茂っていて、少ない生徒たちがたまに昼食場としても利用する。夏になると木々の日陰を陣取ろうとして取り合いにもなる、そんな中を、生美のことを思い出しながら歩いていた……のだが、突然、目の前に何かが落ちて来て、「!?」と、悲鳴を上げる間もなく硬直し、ついでに口の中の飴をゴックンと飲み込んでしまった。

 本当に鼻の頭スレスレで、ドサッ! と、音を立てて地面に落ちた。喉の痛みを感じながら、恐ろしげにソロ……と視線を下に向け、何が落ちて来たのかを確かめると、本だ。しかもブ厚い――。

 ジンジンと痛む喉を押さえ、数度唾を飲みながら、それを見下ろし顔をしかめた。

 な、なんで本が落ちて来るの……?

 手を伸ばして拾い上げ、パラパラとページを捲って表紙を見た。

 医療事務? ……難しそうな本。お医者様の本、かな?

 それを手に頭上を見上げた。キョロキョロする事はない。何しろ、彼女が立っているその側には大きな木があって、その木から無数の太い枝が伸びているわけで……。

 優樹の目が止まった。

 ――誰かがいる。数本の枝を上手く利用して……眠ってる?

「あのっ……、すみませんっ」

 遠慮気味に声を掛けてみるが、ピクリとも動かず、返事もない。

 このまま木の根元に本を置いて立ち去ってもいいのだが、本と同じように、上で寝ている誰かが寝惚けて落ちるかも知れない。そう考えると、さすがに放っておく訳にはいかないだろう。

「……。あのぉ! すみません! そこの、木の上で寝てる人!!」

 特定して怒鳴ってみると、自分のことだ、と気付いたのか、やっと動き出した。

 優樹はホッと肩の力を抜き、改めてその人物を見上げたが、チラチラと見えるその顔に見覚えがあり、「ん?」と訝しげに眉を寄せ、記憶を探った。

『チビでドジで何をやってもダメなノンキの大島優樹さん』

 ……ムカッ!

 数日前、廊下でぶつかった彼だ。名前を忘れてしまったが、不意に嫌なことだけ思い出して再び怒りのろうそくに火が付いた。

 反町は枝の上で大きく背伸びをすると、眼鏡を上げて優樹を見下ろし、一瞬目を細めてから首を傾げた。

「……あれ? 大島優樹さん?」

 フルネームで呼ばないで! と、怒りを露わに優樹は見下ろす彼をギロリと睨み付け、挨拶もなしに両手で本を上げて見せた。

「落ちて来ましたよ! 危ないじゃないですか! 頭に当たったらどうするんですか!」

「当たらなかったの?」

 キョト、とした顔で問われ、優樹は「……なっ、何この人!?」と唖然とした。

 し、信じられない!! ……当たった方が良かったって事!?

 プロレスラー並みの力があれば、両手で掴む本を真っ二つに引き裂いているだろうが、生憎、運動レベルは小学生並みだ。

 不快さを露わに口をへの字に曲げる優樹に、反町は愉快げに笑った。

「嘘。冗談だよ」

「……、本気っぽかったですっ」

「ちょっとね」

「……。……!?」

「嘘だよ」

 悔しげに睨む優樹に苦笑すると、反町は枝に座り直し、両足をブランと垂らした。

「ちょっとそこ、退いてくれるかな。降りるから」

「……」

 ……降りる?

 優樹は訝しげに眉を寄せて、木を下から上まで舐めるように見た。

 ――はしごはない。そして彼がいるのは、地面から高さ5メートルはあるだろう所。

 “降りる”ということは……?

 優樹は本を胸に抱き、焦って見上げた。

「どっ、どうやって降りるの!? ってゆうかどうやって登ったの!?」

 答えることなく、反町は「よいしょ」と枝に掴まりぶら下がった。ダラーンと伸びる足を見上げ、その下で優樹はオロオロと右往左往する。

「あ、危ない……!」

「そこ、退いて」

「はしご持って来てあげるから!!」

「行くよ」

「だめ!! ちょっと待って!!」

「せぇのっ」

 反町が手を離すと同時に、「……!!」と、優樹は顔を歪めて目を閉じた。ドンッ! と鈍い音が響き、少し地面が揺れたような……。

 ソロっと目を開けると、反町は腰を伸ばして少し笑い、埃を払うように手をパンッパンッと叩いて見せた。

「ちょっと足が痛いだけ」

「……っもうー! 危ないでしょ!! あんな高いところから!!」

 優樹は大きく深呼吸をすると、肩に力を入れて、怒鳴るように叫き散らした。

「ケガしたらどうするの!! 足の骨が折れたらどうするの!! 動けなくなったらどうするの!!」

「うるさいよ? 大島優樹さん」

「フルネームはやめてっ!」

 笑顔と怒りを混ぜ合わせる優樹に合わせることなく、反町はマイペースな様子で彼女の手に握られてある本を引き取ってにっこりと笑った。

「ありがとう」

「……!!」

 ……こ、こいつ~!!

 怒りと呆れと、もう、“負の感情”しか湧かない。だが、爆発寸前の優樹に構うことなく、やはり反町はマイペースで軽く制服を伸ばした。

「ところで、大島優樹さん、なんでこんな所に?」

「……関係ないでしょっ」

 フン! と、そっぽ向くと、

「……さぼりってわかるのに……」

 と、「やれやれ」とでも言いたげな雰囲気で視線を逸らし呟かれ、優樹はムッと不愉快げに睨み付けた。

「あなたもそうでしょっ?」

 居眠りをしなかった分だけ自分の方がまだマシだ、という思いもあった。勝ちに走ったつもりだったが、「そうだよ。さぼり」と、あっけらかんとした答えが返ってきて、思わずキョトンとしてしまった。

 「だから何?」と言わんばかりの、平然な態度で肩をすくめられ、優樹は段々と顔をしかめた。

「……威張って言うものじゃないと思いますけど……」

「別にいいんじゃない? どうせつまんないんだしさ。まだ木の上で本を読んで、居眠りしてた方がいい。そう思わない?」

「……」

 この人も暇人なのか……。

 もう怒る気力も失せて、優樹はため息を吐くと軽く首を横に振った。

「とにかく……、あなたがさぼろうと居眠りしようと、そんなのどっちでもいいし、関係ないけど……、本は落とさないでください。そんなブ厚い本、本当に頭に落ちて来たらどうするんですか。……私はいいけど、他の人だったら」

「良かないよ」

「……、へ?」

 反町は真面目な表情で、言葉を遮られてキョトンとする優樹を見た。

「オレの不注意で誰かが傷付いていいなんて、そんなのないよ。それが友達でも、キミでも。……驚かせてごめん。怪我しなくて良かった、……本当に」

 素直に謝られると文句の言いようもない。むしろ、怒りなんて吹き飛んでしまう。

 ……あれ? ひょっとして……いい人、なのかな? そう思うと、優樹は少しためらって目を泳がし、「う、ううん……」と小さく首を横に振った。

「でも」

 言葉を切り出されて「え?」と見上げた優樹に、反町はニッコリと笑った。

「ウトウトしてたから、ちょうどいい目覚まし代わりになったよ」

「……」

 やっぱり最悪ーっ!!

 反町は本を片手に大きく背伸びをすると、首の骨を鳴らしつつ、大きく息を吐いた。

「学祭の準備って面倒臭いし……。逃げたモン勝ちだから、一緒に逃げる?」

「結構ですっ。私はもう教室に戻るから一人でご勝手にっ」

 眉をつり上げて「フンッ!」とそっぽ向くと、

「そんなにいつもピリピリして、疲れない? 大島優樹さん」

 心配そうな顔をする反町に、

「どうしてフルネームで呼ぶんですか、もう!」

 優樹は、クワッ! と軽く身を乗り出して睨み付けた。

 その時――

「ながれーっ!」

 女生徒の声に、二人は顔を上げ、振り返った。パタパタと、息を切らしながら少女が走って来る。その姿を見た反町は数歩、彼女に近寄った。

挿絵(By みてみん)

「走らなくていいよ」

「もーっ……探したよー」

 少女は反町の前で足を止めて、息を切らしながら呆れるように眉間にしわを寄せた。――綺麗な黒髪を左右に分けてリボンで結んでいる。色白で、細い体をしている少女に、優樹は「……かわいい子」と、内心思った。そんな優樹の視線に気付いた少女は、「……誰?」と、問うような視線を反町に向ける。

 反町は「……ああ」と優樹に手を向けた。

「A組の、大島優樹さん」

 少女は「……あ」と、何かに気付いたように、すぐにぺこりとお辞儀をした。

「初めまして。鈴木加奈すずきかなと申します。お見知りおきください」

「……えっ? あっ? あっ、は、はいっ、こちらこそ初めましてですっ」

 優樹も慌ててお辞儀をしたが、心の中で「……こんなあいさつ、お父さんとお母さんに見られたら怒られる」と冷や汗を掻いた。

 加奈は顔を上げると、反町に目を戻し、ため息を吐いた。

「みんな探してるよ? 評価の張り紙、担当してたのは流でしょ?」

「ああ……あとでやろうと思ってたから」

 特に表情を変えることなく反町はそう答え、二人を交互に窺うだけの優樹を申し訳なさそうに振り返った。

「……ごめん。また今度、ゆっくり……」

「えっ? あっ、は、はいっ」

 戸惑いながら慌てて返事をしたものの、「……ん? “また今度”って、何!?」と顔をしかめたが、加奈に「それじゃ、失礼します」と笑顔で頭を下げられ、焦って「は、はいどうも!」と優樹も頭を下げ、歩いて行く二つの背中を見送った。

 ……な、なんなの、あの二人。あの子も凄く礼儀正しいし……。うわー、美女と野獣だぁ……。あの子、かわいそう……。

 そう考えながら、自分も教室に戻ろうと歩き出し、ハッと思い出した。

 しまった! そういえば生徒手帳……返して、ない。……はぁ。

 今追いかけて返そうか、とも思ったが、どうもああいう“間”には入りづらい。「また今度でいいか……」と、ため息を吐きつつ教室へと戻った。

 ――しかし、やはりクラスには自分の居場所なんてどこにもない。朝よりも準備が整っている教室内を見回すと、余計に孤立感が強くなった。それは放課後になっても同じ。やはり、教室にいても事態は変わらない……。

 じっとしていると、うっとうしそうな目で誰かに見られ、せめて片付けでもしようとゴミを拾っていると、「邪魔だからやめて」と言われる。

 心が潰れてしまいそうになり、どうすることも出来ずに教室を出た。誰かに倣って、何か用事がある、そんな雰囲気で廊下を歩いていたが、何も用事なんてないし、どこか目的地があるわけでもない。

 「もう、こっそり帰ろうかな……」と思っていた時、廊下の曲がり角を曲がったその目にある光景が映った。

 廊下の突き当たりに教員室がある少し離れた場所、端で、男性教師と生徒が向き合っている。……楽しそうな雰囲気ではない。

 その教師を目で捉えて優樹は思い出した。「そういえば、時間が空いた時にでもレポートを取りに来いって言われてたな……」と。ここまで来たついでだから、提出していたレポートを返してもらおうかと思ったが、今はバッドタイミングだ。

 ……あっちゃー。浅井先生、またやってる……。

 化学と体育担当の浅井滋あさいしげる教諭は、自前の竹の棒で男子生徒の頭を軽く叩いた。男子生徒はすっかり怯えている様子。なぜなら、彼は鬼の中の鬼教師。左手に竹の棒を持って容赦なく振り回し、生徒たちから恐れられているのだ。

 優樹は「……どうしよう」と、出て行くことが出来ずに影から窺った。そう、レポートを返してもらうのは浅井からだ。

 ……今出て行ってレポートの話しなんかしたら何を言われるか。やだなー……。どうしようかなあ……。また今度、来ようかなあ……。

 逃げる気満々でいたが、

「どうしたの? 大島さん」

 と、声を掛けられて振り返ると、クラスメートの後藤美代子ごとうみよこが後ろで苦笑していた。

「牧田さんが怒ってたよ? またいないって」

「……。え?」

「一日受付やらせるって言ってたけど。大丈夫?」

 優樹は半べそ気味にガックリと頭を落とした。いたらいたで、厄介者扱い。いなかったらいなかったで、サボり扱い。それに、受付嬢と言えば、誰にでもニコニコと対応しなくちゃいけない。そんな苦痛を押し付けられるとは……。

「こんなところで何やってたの?」

 キョロキョロと探る美代子に、優樹は「あ、あはは……」とカラ笑いをした。

「浅井センセに用があったんだけど……」

「浅井先生?」

 美代子は首を傾げて浅井の方を覗き見ると、状況を即理解したのか、「ああ、あれ……」とため息を吐いた。

「またやってるのね……」

「怖くて近寄れないの。レポートを返してもらうだけなんだけど……、絶対、何か言われちゃうよね?」

「可能性は高いと思う」

 やっぱり。と、肩を落とす、優樹のその様子がおかしかったのか、美代子は小さく笑った。

「普段は優しい先生なのに、一度怒ると鬼そのものだものね」

「……ホント。嫌いじゃないんだけど、あれを見ると怖くって、近寄れなくなっちゃう……」

 優樹は同意して苦笑気味に頷いた。

 クラスの中でも、美代子は特別な存在だ。彼女“だけ”が普通に接してくれる。とても貴重な存在――。友達ではないが、けれど、周りに比べると親しい仲ではある。

 優樹は、ふと、美代子の手に握られてある用紙に気付いて首を傾げた。

「それ、って……」

「うん、校内新聞。まだ仕上げの途中なんだけど、先生にチェックしてもらおうと思ってね」

「そっか……。後藤さん、新聞部だったね」

「うん。……今回、ちょっとだけスペースもらって、初めて手記したの」

「えっ、どこどこ?」

 興味津々で紙の中身を覗こうとするが、「ダメ」と、意地悪くそれを背後に隠された。

「学園祭の朝に配布するんだから」

「えー、そうなのー?」

 残念そうに少し口をとがらすと、美代子は「……ふふっ」と笑って、紙の中から一枚を抜き取り差し出した。

「試し刷りの分でよければ、あげる」

「ありがとうっ」

「その代わり、感想を聞かせてね?」

「うんっ」

 受け取った新聞は二枚重ねになっている。表側だけざっと目を通して、二つに折り畳みながら優樹は笑みを溢した。

「新聞部の記事って好きなんだ……。部員のみんなも、“味方”って感じで、優しいし」

 美代子は苦笑すると、通行の邪魔にならないよう、廊下の端に避けて話しを切り出した。

「……その後、どう? 何か変わったことは?」

「あー……、うん、そう、だね……」

 優樹ははぐらかすように言葉を濁すと、足下に視線を落とし、「……へへ」と寂しげに笑った。

「ちょっと……駄目、かな……。なんだか……すっかり忘れられた存在、みたい」

「そう……」

「やっぱり、無理……なのかも……」

 諦めるような悲しい笑顔で俯く、そんな優樹を隣りに、美代子は壁に背を付けて天井を見上げた。

「……学園の“英雄”も、いなくなれば忘れられる、なんて……寂しいわね」

「……」

「でもね、大島さん。ここにはまだまだ、あの人たちの存在が必要なのよ?」

 どこか訴えるような声色に、優樹は戸惑いを露わに目を泳がし、そっと、天井を見上げる美代子を窺った。

 美代子は、じっと見つめる視線を感じながらも真顔で言葉を続けた。

「新聞部にいるとね、いろんな情報が入って来るんだ。中にはホント、助けてあげたい、ってことも……。そんな時思うの。“あの人たち”がいてくれたらな、って……。あの人たちがいなくって、みんな、ホントやりたい放題。表向きはいい子ちゃんの集まりでも、裏を覗けば悪の巣窟。……私たちに残された希望は、大島さんだけ……」

 優樹は俯くと、寂しげに笑みを溢した。

「……無理だよ、きっと……。……高校上がったら、何かがあるかもって思って……、絶対頑張ろうって思ってたけど……、何もなくて……どんどん辛くなる。……悲しくなる……」

 床を撫でるように爪先を動かし、そこを見つめていた優樹は目を細めた。

「……追い掛けても、追い掛けても……辿り着かない。……もう……手も届かない……」

 美代子が寂しそうに見つめていることに気付いて、「……へへ」と、顔を上げることなく、何かを隠すように笑った。

「幻……だったのかな。……だったら、いいのにな……」

 強がるように笑う優樹に、美代子は間を置いて、グッと拳を握り締めて見せた。

「頑張ろ! 大島さん!」

 力強い声に、優樹は顔を上げて力む美代子を見た。

「私も手伝うしっ、協力するからさっ。諦めずに頑張ろうよっ、ねっ? 新聞部はいつでも味方よっ」

 笑顔で相槌を問う美代子をじっと見ていた優樹は、「……うん」と頷いて笑みを溢した。

「そうだね、……頑張る」

 美代子は「うんうん」と頷くと、教員室から出て行く生徒たちの影に顔を向けた。その視線を追い、浅井が教員室に入っていくことに気付いて深く息を吐く優樹の腕を美代子は笑顔で撫でた。

「相談とか、話しがあるならいつでも部室においでよ? 五十嵐先輩もいるし」

「……うん、ありがとう」

 優樹は、「じゃーね」と笑顔で教員室の奥に歩いて行く美代子の背中を見送って、肩の力を抜いた。

 ……わかってる。……どうにかしなくちゃって、なんとかしなくちゃって、いつも焦ってる……。でも、時間が経てば経つ程、怖くなる。……結局、何も出来ないんじゃないか、って……思ってしまう。

 目の前を行き来する、複数の生徒たちの影を気にすることなく、壁に背もたれて視線を落とした。

 ……追いつくはずの背中に追いつかない。……近くに見えていたはずの背中が、遠くなっていく――。

挿絵(By みてみん)

 ……こんな時、どうしたら良かったっけ……? ……ねえ、翔太先輩……。

『始まりがあれば終わりがある。そして、終われば始まるんだ。わかるか優樹? つまり――』

「何してんだ、おまえ?」

 ハッとして顔を上げると、とても近く、息を感じる程の距離に洋一の顔があった。

 驚いて硬直していると、「チューか?」と唇を突き出され、「違うっ」と、優樹は真っ赤な顔で睨み、一歩、横に下がった。

「なんだよー、違うのかよー」

 残念そうに拗ねる洋一を相手にすることなく、優樹は「……もうっ」と、呆れ気味なため息を吐いた。

「バカな事しないで。……私は浅井先生に用事があるの」

 それじゃあね、と、無視するように浅井の元に行こうと背を向け、廊下の曲がり角から出ると、ちょうど誰かと肩がぶつかりそうになり、足を止めて顔を上げた。

 ……ウギャ!!

「あれ?」

 反町は、不本意そうな表情で後退りをする優樹に首を傾げ、そして、彼女の背中に立つ洋一に目を向けた。

「洋一?」

「おお、流じゃん。何やってんだよ」

「谷先生に用があったから」

 “普通”に言葉のやりとりをする二人に挟まれた格好で、優樹は「え? ……えっ?」と壁に背を付けて交互に見た。

「な、何っ? 二人とも……知り合いっ?」

「友達」と、洋一と反町が同時に答えると、優樹は「……はは、ははは……」と引き攣った笑いを浮かべた。

「ってか、おまえらいつの間に?」

「まあ……ちょっとね」

 訝しげに問う洋一に反町が笑顔で答える間に、優樹は「それじゃあ!」と、慌ててその場から立ち去ろうとした。だが、そのチャンスを与えてもらえない。

 洋一は、「ちょっと待て」と優樹の襟首を掴み引っ張ると、息苦しさに顔を歪める彼女を睨んだ。

「水臭いぞ優樹。流と友達なら早くそう言えよ」

「違うからっ」と、慌てて洋一を睨み即答するが、

「照れなくていいんだよ? 大島優樹さん」と、どこか残念そうに反町に首を傾げられ、

「意味わかんないしっ。フルネームで呼ぶのはやめてって言ってるでしょっ」と、不愉快げな笑顔で反町を睨み付けた。だが、そんなことなど耳には入らないのか、洋一はニッコリと笑った。

「なーんだ。いつか紹介しようと思ってたけど、もう友達なら必要ないな」

「違うってばっ」

 優樹は洋一を睨み上げ、いつまでも襟首を掴んでいる彼の手を叩き離すと、床にちゃんと足を付けて服を伸ばし整えた。

「もうっ……、ホントになんなのっ。……放っておいてっ」

「いーじゃん。友達だろ」

「勝手につきまとってるだけでしょっ」

 ふて腐れる洋一に、優樹は怒りと笑顔をプラスした顔で睨んだ。

「迷惑だから、もうやめてっ」

「友達だからだろー」

 口をとがらし、尚もしつこく言う洋一に、優樹は「……もうっ」と、呆れるような息を吐いた。

「私は友達なんていらないのっ。……声掛けてこないでっ」

 フンッとそっぽ向いて歩いて行く背中に「おいっ」と慌てて手を伸ばした洋一は「……チェ」と空振りした手を下ろして鼻から息を吐き、反町はじっと、遠くなる背中を見つめた――。











「と、いうわけで来てやったぞ」

「……ワケわかんないし。邪魔しないで」

 学園祭当日――。

 所々で陽気な音楽が鳴り、高等部校舎内は大いに盛り上がっている。ボンボン校ともなれば、企画も、そして参加者も派手だ。

 優樹は今日一日、“和風お化け屋敷”のチケット受取人として、一人、教室の前に残された。数分ごとにやって来る客を相手に作り笑顔で応えていると、早速、洋一と反町がやって来たのだ。

「おまえントコ、お化け屋敷なんだなー、すっげー」

 既に、廊下の入り口がおぞましさを醸し出している。破れた黒い垂れ幕が下がり、鮮血と、妖怪を象った装飾が施され、本格的な仕上がりだ。

「出来はどうなんだ?」

「知りません」

 ツンとした表情で即答する優樹に「はあ?」と顔をしかめると、一歩下がった所にいる反町が肩をすくめた。

「サボってたからわからないんだよ。ね、大島優樹さん?」

 ……またフルネームで。と、口をへの字に曲げて目を細める優樹に洋一は笑顔で身を乗り出した。

「なあ優樹、中、入ろうぜ」

「……見てわからないの? 私は受付をやっているの」

「じゃあ流、おまえが代われよ」

 振り返り名指しされた反町が「なんで?」と怪訝げに眉間にしわを寄せると、洋一は試すように片眉を上げた。

「じゃ、入るか?」

「ごゆっくりどうぞ」と、反町は即答し、丁寧に頭を下げて教室へ促すように手を向ける。

 ワケがわからず、優樹が顔をしかめていると、洋一は強引に彼女の腕を掴んで引っ張った。

「さ、行くぞ、おチビちゃーん」

「ちょ、ちょっとっ……」

 慌てて足を踏ん張るが、洋一は「行こう行こう」と笑顔で引っ張り、「どうぞどうぞごゆっくり」と反町は二人を送り出す。結局、その流れに逆らえずに優樹と洋一は教室内に侵入した――。

「キャーッ!!」

 と、仕掛けられているスピーカーから女性の悲鳴が聞こえて来て、優樹はビクッ! と肩を震わせた。馴染んだ教室が、まさかこんな簡単にお化け屋敷になってしまうとは。クラスメートたちの尽力には改めて感心し、ほとんど手伝うことがなかったことを心から反省した。……手伝わせてもらえなかっただろうし、もし手伝っていたとしても、ろくなことは出来なかったとは思うが。

 暗闇の中、赤や青、不気味な色のライトに照らされながら、道順を進んでいく――。

「すっげーっ! 本物のお化け屋敷みてぇじゃん!」

 怖さを感じることなく楽しげに見回し歩く洋一の斜め後ろから、優樹はオドオドしながらあとを追った。

「ど、どうして私が……。あのお友達と入ればよかったのに……」

「ああ、無理。あいつ、お化けが苦手だから」

「……。へっ?」

「怖いんだと、お化け」

「……そ、そうなんだ」

 とても意外だ。あの“生意気”そうな彼が子どもだましを怖がるなんて。

「あいつって、頭もいいし、運動神経もいいのにな」

「そ、そうなの?」

「知らないのか? あいつ、中等部の頃から成績じゃ常に学年トップだぞ。この前の学年テストじゃ一位だったし。柔道も習ってたしさ」

「へ、へえー……。すごいんだね……」

 医療事務、なんて分厚い本を読んでいるくらいだ、確かに、そこそこ賢いのだろうとは思っていたが……。

 洋一は足を止めてくるりと優樹を振り返り、少し腰を落として顔を覗き込んだ。

「惚れた?」

「なんで?」と、訝しげに睨むと、洋一は「ちぇー」と、拗ねるような言葉を吐いて再び歩き出した。

 薄暗く、不気味な声が漂う中、優樹は足下に注意しながら「……それより」と切り出した。

「ホント……、いい加減付きまとうのはやめて……。迷惑なんだから……」

 辺りを見回して震える声で言う、そんな優樹の前を歩きながら洋一はため息を吐いた。

「だったら、なんでこういうのに付き合ってくれるんだよ?」

 どこか苛立つような声色に、優樹は「……え?」と彼の背中を見上げた。

「ホントに嫌ならシカトすりゃあいいじゃん。なんだかんだ言いながら、結局、いつも相手してくれてさ」

「……」

 優樹は少し視線を落とした。彼女の沈んだ空気を感じ取ったのか、洋一も、「……ま、別にいいけどさ」と、それ以上続けることなく終わらせた。

 それから、互いに声を掛けることなく教室の奥まで進んでいたが、「……うぉっ」と、驚くような洋一の声に優樹は顔を上げた。

 ――壁際にキリストがいる。

 もちろん本物じゃない。大きな十字架に少年が吊られている。上下、ボロ布を撒いたような格好に、両手両足に釘を打って。そして、その足下には無数のバラの花が散乱。頭上からの赤いライトが不気味さに輪を掛けている。

 二人は目を逸らせないまま、ゆっくりと近寄った。

「……なんか、悪趣味だな……」

 目の前で立ち止まって、洋一はマジマジと見つめる。

「誰が考えたんだよ、コレ?」

「……さあ……」

 優樹も不気味な美しさを感じつつ、じっと見つめながら首を横に振った。

「……こんな企画があったの、私、聞いてないし……」

「こいつ、蝋人形か?」

「たぶんそう。クラスメートじゃないから……」

「気持ち悪ぅー。よくこんなの見つけて来たなあ……。本物のキリストっぽくないってのが、ミソだな。ヴィジュアル系のバントとかに使えそうだ」

 洋一は納得げに肩をすくめて再び歩き出したが、「……あ」と不意に足を止めた。

「シャメ撮っとこうか。あとで流に見せてやろーぜ。あいつ、絶対嫌がるはず」

 愉快げに、洋一はポケットからスマートフォンを取り出して笑顔で振り返ったが、その視線の先には、じっとキリストを見つめる優樹の姿が……。

「……? どうした?」

 洋一が首を傾げて問うが、優樹は何も答えず、一瞬、訝しげに眉を寄せ、戸惑いを露わに十字架の裏へと回った。

「おい、優樹?」

 何かを探すように十字架の後ろで上下左右見回す彼女の怪しい行動に、洋一は顔をしかめながらも近寄った。

「どうしたんだよ? 倒れそうなのか?」

 一緒になって十字架の後ろを覗き込み、固定台を見るが、既に優樹の目はキリスト自身に向いている。マジマジと見つめていたが、「……これ……」と、どこか愕然としたような声で呟くと、首を傾げる洋一を放って、すぐに教室の窓へと歩み寄った。

「おい、優樹?」

 彼女が何をしたいのかわからず、ただ行動を目で追っていた洋一の前で、優樹は太陽の光を遮る為に掛けられていた真っ黒なカーテンを力一杯引っ張り、剥がした。ビビビッ……! と派手な音と同時に教室内が一気に明るくなり、突然の眩しさに洋一は思わず目を伏せたが、ゆっくりと目を開け、そして息を飲んだ。

「……おい……」

 辛うじて漏れた言葉――。

 優樹は引き剥いだカーテンの隅を握りしめたまま、太陽の光に照らし出された遺体を唖然と見つめた……。

挿絵(By みてみん)






 ――賑やかで楽しいはずの学園祭が一変して闇に包まれた。非常線が張られた教室。校内を行き来する警官。そして……

「だから友達なんだってば!」

 高等部生徒指導室Ⅰにて。

 中央を陣取る長テーブル、そこに視線を落としてパイプ椅子に深く座り込んでいると、覚えのある声が廊下の方から聞こえ、優樹は顔を上げた。

「心配するのは当然じゃない! いい加減にしてよ!」

 怒鳴り声に続いて引き戸がガラッと開くと、そこには険しい表情の警官と、彼に楯突きながらドアノブから手を離す生美がいた。

「な、中村さんっ?」

 優樹が驚いて軽く腰を上げるが、生美の方は肩を掴む警官の手を叩き落とし、呆れる彼を睨み付けた。

「話しは終わったんでしょっ? いつまで閉じ込めておく気よ!」

 気が強いのか、突っ掛かるように吐き捨て、優樹を振り返った。

「余計なことをしゃべる必要はないよ! なんなら、知り合いの弁護士を呼んであげようか!?」

 食って掛かるように警官を睨む生美に、優樹は「……す、凄い」と内心怯えながら「はは……」と苦笑した。

「な、中村さん。もう、大丈夫だから……」

 なんとか笑顔を取り繕って、睨む生美を止めようとする警官へと目を移した。

「すみません。……知り合いなんです。……通してください……」

 申し訳なさそうに言われた警官は、不愉快なため息を吐きつつ道を空ける。生美は生美で、腕を組んで横目で彼を睨み、室内に入って来た。

「だから警察って嫌いなのよ!」

 そう捨てゼリフを吐きつつ勢いよくドアを閉め、気を取り直すように深く息を吐くと優樹に近寄った。

「大丈夫?」

「う、うん……」

「優樹の名前を聞いたからさ、まさかとは思ったんだけど……。ビックリしたわ。怪我とかはなかったの? 教室から凄い音が聞こえたって聞いたけど」

「……うん……」

 心配そうに覗き込む生美に、優樹は戸惑うような笑みを見せて椅子にちゃんと腰を下ろした。

「……ありがとう。……本当に、平気だから。……怪我とかもないし。……お話し終わって、もう帰っていいって言われたんだけど……、知ってる刑事さんが来てるみたいで。ちょっと、会っておこうかなって思って……」

「そう……、ならいいんだけど」

 生美は深く息を吐いて、テーブルに軽く腰を下ろして腕を組んだ。

「外も大変よ。とりあえず、学祭は中止。明日も自宅待機ですって」

「そっか……。仕方ないね……」

 優樹はテーブルの片隅に視線を落とした。

「……まさか、こんなことが起こるなんて……」

 呟くように言ったあと、ドアが開いて、優樹と生美はそちらを振り返った。

「だぁーくそー。ダラダラと質問しやがってー」

 別の部屋で事情聴取を受けていた洋一がぐったりとした表情で入って来た。その後ろからは、「ご苦労様です」と、警官に軽く会釈する反町の姿も。

「しつこく聞かれなかったか、優樹ー」

 と、洋一はため息混じりで訊いたが、生美と目が合うと、パチパチ、と、瞬きをして立ち尽くした。硬直したままの彼に生美は「?」と顔をしかめただけ。動かない洋一を放って、反町はドアを閉め、真顔で優樹に近寄った。

「大丈夫、大島さん?」

「……あ、……うん……」

 椅子を軽く動かして頷く優樹に、反町は茶化すことなく息を吐いた。

「洋一から大体の話しは聞いたけど……。気分は悪くない? 平気?」

「……うん。……ありがとう、心配してくれて……」

 “普通”のやりとりに違和感はあったが、優樹も素直に答え、か細い笑みを溢していた。

 反町は続いて口を開き掛けたが、ドアがノックされ、そこから背広姿の青年が入って来てみんなと一緒に振り返った。彼は警察手帳を直しながら、室内の四人の中、優樹を見つけるとホッとした表情を見せた。

「ビックリしたよーっ。“また”巻き込まれたんじゃないかと思ってっ……。大丈夫っ?」

 心配そうに近寄る青年に、洋一も反町も生美も「?」と内心思ったが、優樹は少し顔を歪め、「……っ」と息を詰まらし椅子を立つと、鼻を真っ赤にして彼に近寄った。青年は苦笑気味に、自然に近寄って来た優樹の頭を、肩を撫でた。

「怖かったね……。もう大丈夫だよ。あとは僕たちに任せてくれたらいいから。ね?」

 優しく言う、その声に優樹は微かに肩を震わせ頷き、目元を拭った。そんな彼女の背中で様子を悟った洋一たちは表情を消す――。

「もう調書も終わったんだろ? お家まで僕が送って行くよ。親御さんにも説明しなくちゃいけないし」

 優樹が涙を拭いながらも数回頷くと、青年は、「よしよし」と穏やかな笑みを浮かべて再度頭を撫でる。洋一たち三人は様子をじっと見ていたが、同時に「誰?」と不愉快げに声を掛けた。彼らの存在にやっと気が付いたかのように、青年は「……あ」と微笑み掛けた。

「優樹ちゃんのお友達? 川口署の石田良二いしだりょうじです。よろしくね」

 愛想のいい笑顔で名乗ると、

「オレ、山口洋一」

「反町流です、どーも」

「中村生美よ」

 無愛想に返事をする三人に、石田は「……ど、どうも」と、怖じ気づくような返事をして優樹を見下ろし、彼女の視線に合わせるように背中を丸めて腰を低くした。

「……あのさ、優樹ちゃん。……加藤さんも来てるんだ」

 その言葉に、優樹はピタ、と、涙を拭う手を止めた。

 石田は潜めた声で、取り繕うように笑った。

「顔を合わせると、また、何を言われるかわからないから……。早く帰ろうか?」

「……、うん……」

 優樹が視線を落として返事をすると、石田は彼女の頭をひと撫でし、腰を伸ばして洋一たちを窺った。

「君たちも送っていってあげるから。用意が出来たら第三東門まで来て」

 石田は返事を待つことなく、優樹の肩に手を置いた。

「それじゃあ優樹ちゃん。あとでね」

「……うん。……ありがとう……」

 部屋を出て行く石田の背中を見送って、優樹は、睨むように床へと視線を落とした。

 ……加藤さんも……――

 そう考えていると、いきなり背後からワシッと頭のてっぺんを掴まれ、「へっ?」と思っている間に強引に後ろを振り返らされた。

「ちょっとこら! 全然平気じゃないじゃないのよ!」

 恐ろしい形相の生美に睨み下ろされ、優樹は驚きながらも動揺して「あっ、あ……そのっ……ご、ごめ……」と言葉をドモらせた。

「こんな事で強がらないで! なんの為にここに来たと思ってンの!? あんたを支える為でしょーが! わかった!?」

 説教するような生美に、優樹は頭を鷲掴みされたままキョトンとしていたが、目を泳がし、恥ずかしそうに俯いた。

「う、うん……。……わ、わかった……、ご、ごめん、な、さい……」

 生美は、「よし。わかればよろしい」と、ため息混じりに頭から手を除ける。

 様子を見てニヤついていた洋一は、笑顔で二人に近寄った。

「なーんだよ優樹ー。おまえ、こんな綺麗なお姉さんが知り合いだったんなら紹介しろよなー」

 ポン、と、笑顔で生美の肩に手を置くと、

「馴れ馴れしく触らないで」

 と、振り返ることなく生美に冷静に拒まれ、洋一は彼女から数歩離れて「……クスン。怖いおねーさんだ」と、座り込んで、いじけるように背中を丸めて膝を抱えた。

 反町はそんな洋一を無視して優樹に近寄り、先程の会話の続きを切り出した。

「あれって……殺人?」

 訝しげな問い掛けに、優樹は一瞬顔を上げ、真顔で視線を斜め下に置いて考えた。

「そこまでは……。でも……たぶん」

「よく死体だって気が付いたわね。他の子たちは気が付かなかったって言ってたみたいよ?」

 生美が訝しげにテーブルの端に腰をもたれさせると、優樹は「……うん」と、戸惑うような笑みを見せた。

「最初は蝋人形だって思ったんだけど……、首に、痣があったの。映画みたいに、絞められた痕みたいで……。あと……腕にも。……蝋人形には、そんなものないでしょ? それで、おかしいなって、思って……」

「腕の痣って?」

 反町に真顔で問われ、優樹は自分の左腕の関節部を指差した。

「この下の所。……どこかで打ったのかも。……でも、こんなところぶつけるかな……。小さな痣だった……」

「……注射の痕かも知れない」

 「注射?」と、生美が訝しげに繰り返すと、反町は頷いた。

「生きている間に静脈注射されたんだ」

「……、なんの為に?」

「さあ……そこまでは。司法解剖でわかるだろうけど」

 反町は腕を組んで考え込んだ。

「洋一の話しだと、足に死斑が出来ていたって話しだから、死後三十分以内に十字に吊されたんだろうな。手の込んだやり方だから、単独犯じゃなくて複数犯だろう。少なくても二人……。半裸に近い印象のキリストに服を着せていたり、花を床に散らしてたりって事をみても、ゴシック系が好きな女でも絡んでいたんじゃない? それに」

「あんた何者?」

 淡々と語る反町に生美が困惑げな笑みで訊く。すると、いじけていた洋一が顔を上げてため息を吐いた。

「知らないのかー、反町流ー」

 生美はキョトンとした表情で「人を名物みたいに」と目を据わらせる反町を見て、「……あっ」と軽く目を見開いた。

「反町って、あの大きな病院っ?」

「今ならもれなく玉の輿が付いてくるぞー」

 洋一のだらけた言葉に生美は顔をしかめる。

 反町は更に目を据わらせたが、表情を消す優樹に気が付いて、ためらい気味に小さく口を開いた。

「……知ってるんだ……、オレ……」

 優樹はゆっくりと視線を落としながら「……そう、なんだ……」と呟いた。何か通じ合っているが、それ以上言葉を交わすことのない二人に生美は首を傾げた。

「なあに? 何を知ってるの?」

 二人を交互に窺いながら問い掛けた時、スックと立ち上がった洋一に突然、腕を掴まれ引っ張られた。

「喉が渇いた! ジュース買ってこようぜ!」

「えっ! ちょ、ちょっと!」

 抵抗する隙を与えられないまま、生美は力一杯引っ張られ、優樹と反町を残して部屋を出た。そのまま洋一に導かれていたが、訳がわからないままの生美は眉をつり上げて、途中、人通りのない廊下の隅で彼の手を振り払って足を止めた。

「ちょっとなんなのよっ、あんた!」

「……知らないのか?」

 洋一は背を向けたまま足を止め、「はあっ?」と、苛立ちを露わに顔をしかめる生美をゆっくりと振り返った。

「……知らないんだったら、やめておけ」

 ついさっきまで軽い調子だった洋一の真剣さに、生美は怒りを消して胸の前で腕を組み、訝しげに首を傾げた。

「……何よ? 何をやめろって?」

「あいつの友達」

「……、は?」

 思いも寄らない言葉に、生美は一瞬「冗談でも言っているのか」と思ったが、彼の表情は、やはり真剣その者――。

 茶化すことも出来ずに戸惑う生美に、洋一は言葉を続けた。

「知ってるだろ、……学園奉仕屋」

「まあ……話しは聞いたことがあるわ。学園の警察みたいな人たちでしょ? ……私、中学はここにいなかったからよく知らないけど、その中の誰かが事故で死んで、廃部になったって。……それが何よ?」

「……優樹は、その人たちの妹分だった。死んだ先輩は……あいつの目の前で死んだんだ」

 声を潜めて話す洋一のそのセリフが、誰もいない廊下に響いて聞こえた。生美は一瞬、表情を消し、辛うじて「……え」と、その小さな声だけ口から漏らす。

 少し戸惑うような様子に気遣うことなく、洋一は少し悲しげに目を細めて続けた。

「あいつの目の前で、暴走バイクに鉄バットで頭殴られて……死んだ」

「……、嘘。……誰がそんなこと……」

 生美が愕然としながら腕を解き、蹌踉けるように廊下の壁に体を付けてもたれると、洋一は深く息を吐いて首を横に振った。

「犯人はまだ捕まってない」

 視線を斜め下に置いて呟くように答える洋一に、生美は顔をしかめた。

「……どういうこと?」

「……オレにも詳しい話しはわからない。……ただ、何か大きな事件に巻き込まれたんだってオレたちでもわかったのに……誰もあいつの話しを聞かなかった。……奉仕屋の先輩たちは、みんな、二の舞を恐れて自主退してさ。……優樹だけが、あれはただの事故じゃないって、暴走族の気まぐれじゃないって、訴えたんだ。ずっと。……一人で。なのに、……いい気になってたからだって、逆にみんなから責められてさ。死んだ先輩も、影で悪いことやってたんだって言われてさ」

 洋一は言いながら、少し悔しげに目を細めて床を睨んだ。

「あいつは、切り捨てられたも同然。……ここでたった一人、味方なんて誰もいないまま取り残されたんだ」

 生美は悲しげに目を見開くと、ハッとした表情で振り返った。

「私っ……謝ンなくちゃ!」

 戻ろうとして足を踏み出した生美に、洋一は「待てよ」と、彼女の腕を掴んでそれを止める。だが、生美は困惑げに彼を見上げて首を横に振った。

「だって! 何も知らなかったからって私っ、きついこと!」

「あいつは気にしちゃいないって」

 口走る生美に洋一は軽く首を横に振って、彼女の腕を放し、ため息混じりに肩をすくめた。

「もうすぐ二年経つんだ。奉仕屋のことなんて、今じゃあ誰も口にしないし。……忘れられた存在なんだ」

「……そんな……」

「ただ、……あいつは何かを知っている。ヤバイ事件だってわかってる。……だから、今も頑張ろうとしてる」

 洋一はそう言うと、悲しげに眉間にしわを寄せる生美を見つめた。

「……脅すつもりはないけどさ、あいつに関わるなら……覚悟した方がいいと思うんだ」

「……、えっ?」

「あいつは、高等部に上がったら事件の真相を絶対に暴くって考えてたはずなんだ。実際、高等部に上がってすぐ、あいつはこそこそと前の情報を集め出してた。……事件を公にするためだけに、ここに残っているんだ。……けど、わかってンだよ。……危ないってこと。……誰も巻き込みたくないし、誰も傷付けたくないし、……もう、一人になりたくないんだ」

「……」

「……みんな、あいつの前から消えた。あいつを残していなくなった。誰もあいつのこと、信じてくれなかった。……だから、あいつももう、誰のことも信じない。もう、親しい友達を作ろうともしない」

 真顔の洋一をじっと見つめていた生美は目を細めて俯いた。

 重い空気が漂う中、洋一は意を決したように、真っ直ぐ生美と向き合った。

「おまえ、いい奴そうだし、賢そうだしさ、だから、敢えて言わせてもらう。……あいつにこれ以上、辛い思いはさせたくないんだ。……今なら間に合う。これ以上親密になる前に、いなくなってくれ」

 生美は洋一を見上げた。彼はとても真剣な顔をしている――。その表情をじっと見て、視線を落とし、生美はゆっくりと息を吐いた。

「……寂しそうにしてたワケが、わかったわ……」

挿絵(By みてみん)


 その頃――


 反町と二人で残された優樹はどうすることも出来ずにウロウロと目を泳がしていたが、ハッと思い出し、取り繕うように笑った。

「早く石田さんのトコに行かなくちゃ……。待ってるはずだし……」

 ソワソワしながら、椅子に置いていた鞄をテーブルの上に置き、出していたハンカチなどを仕舞っていく。顔を見合わすこともせず、自分の中だけで空気を変える優樹の行動を目で追っていた反町は、視線を落とし、しばらくじっと考え込んでいたが、顔を上げると微かな笑みで切り出した。

「もし……」

 優樹は「ん?」と、鞄を閉じながら顔を上げて彼を見た。

「もしさ、奉仕屋を復活させるつもりなら……、その時は、オレも仲間に入れてもらえないかな?」

 唐突な申し出に優樹は目を見開いて表情を消したが、すぐに戸惑いを露わにうろたえ、胸の前で指をモジモジと動かした。

「え、な、なんで……。だ、だって……あの……。そ、の……」

 どう答えたらいいのかわからない、そんな様子に、反町はそれでも、微かな笑みを消さないままで告げた。

「力になれるかわからないけど……、力になりたいんだ」

 優樹は彼を見ることも出来ず、俯いて、何かを探すように足下に視線を落として更にうろたえた。

「……で、でも。……ま、まだ、わかんないし。それに……その……、あの……」

 戸惑いを通り越して混乱している風の優樹に、反町は間を置いて深呼吸をし、口を開いた。

「……あの時」

「……」

「たまたま病院にいて……救急車で運ばれて来たのを見たんだ。……詳しいことは何もわからなかったけど、……でも、あの時」

 反町は真顔で次の言葉を言い掛けたが、ドアが開いて洋一と生美が入って来るとその口を閉じた。

 こちらを振り返った二人の“普通ではない空気”に気が付いた洋一は、反町をチラッと見て、そしていつものようにおどけた笑顔で近寄った。

「なんだよなんだよー? なぁにコソコソしてたんだぁ?」

 まるで「いやらしいことでも」、そんな問い掛けをする洋一に優樹は顔をしかめたが、生美に「はい」と笑顔で缶ジュースを差し出され、「あ……、ありがとう」と、それを受け取った。

 反町は小さく息を吐くと、なんでもないことのように肩をすくめた。

「奉仕屋を復活させよう、って話し」

 優樹は「へっ?」と、唖然とした表情で反町を振り返った。だが、洋一と生美に「マジで!?」と詰め寄られ、慌てて後退し、三人を交互に見回した。

「ち、ちょっと待って! ち、違うのっ。そんなっ……!」

 何かを否定しようと何度も首を横に振る優樹を無視して、反町は洋一に目を向けた。

「だろ?」

 相槌を問われた洋一は、間を置いて笑顔で生美の肩を抱いた。

「おう! オレらも仲間だ! な、生美!」

 生美は「馴れ馴れしいわよ!」と言わんばかりにドスッと洋一の脇腹に肘鉄を食らわす。「うっ!」と呻いてお腹を押さえ、背中を丸める洋一を放って、優樹は慌てふためいた。

「ま、待ってっ。だ、ダメだってば! そんな簡単にっ」

「やっぱりおまえか」

 そう声が聞こえて、気配に気が付いた優樹は言葉を切って振り返った。洋一たちも振り返るドアの側、開け放たれたそこに、ネクタイのないスーツ姿、サングラスを掛けた男が立っていた。口元はニヤけ、濃いめのサングラスでわからないが優樹を見ているようだ。

「大島って名前を聞いてひょっとしたら、とは思ったが……。本当にそうとはな」

 優樹は一瞬表情を消したが、缶ジュースをテーブルに置くと、すぐにキッと険しく彼を睨んだ。

「……話しなら、もう終わりました」

「ああ知ってる。ちょっと顔を見に来ただけだ」

 答えながら男は優樹に近寄って来た。

「元気そうじゃないか、え?」

 言葉だけを聞く限りでは「久し振りの再会」を果たした二人、そんな雰囲気だが、ニヤつく男を見上げる優樹の目は動かない。反発するようなその目と向き合うように、男は優樹の視線に合わせて腰を低くした。

「まさか、この事件を切っ掛けにまた警察ごっこを始めよう、なんて考えちゃいないだろうな?」

 潜める声が低く、脅しているようにも聞こえる。

 不愉快さを感じたのは優樹だけではない。洋一は、誰かが次の言葉を発する前に「あのさあっ」と、優樹の前に出て間に入り込むと彼女の肩を押して下げ、男を睨み上げた。

「あんたらがマトモに働いてりゃあいい話しなんだよっ。いちいち目の敵にするなよな!」

 喧嘩腰な洋一に、優樹は「山口君っ……」と、戸惑いを露わに慌てて声を掛け、すぐに彼を止めようと手を伸ばしたが、その腕を生美が掴んで止めた。困惑げに生美を見上げると、彼女の目は、じっと男の事を睨んでいる――。

 男は「フッ」と笑うと、睨み上げる洋一に顔を近付け、彼の頭をグッと撫でて掴んだ。

「ご忠告どーもぉー。山口洋一ぼっちゃん」

 バカにした態度に優樹はムッとして一歩踏み出そうとしたが、やはり、それを生美が真顔で止める。優樹は戸惑い、なんとかこの場を鎮めようと笑顔を取り繕って言葉を切り出そうとしたが、視界の隅の影が動いてそちらを見た。

 反町は男に近寄ると、洋一の頭をワシ掴むその腕を掴んで引っ張っり、その力に抵抗することなく洋一の頭から手を除けた男にニッコリと笑い掛けた。

「わざわざ大島優樹さんにご挨拶なんて、ご足労様です。けど、刑事さんが現場で暇してるなんて思いたくないし、幻滅もしたくないから、そろそろ持ち場に戻ったらどうですか? こんな怖い事件、早く解決して、ボクら、か弱い一般市民を安心させてくださいよ。ただの税金泥棒だって思われたいなら、話しは別ですけどね?」

 愛想のいい笑顔で言いながらも掴む手に力を込める、そんな反町をじっと見ていた男は口元に笑みを浮かべ、腕を振り上げて反町の手を放し、戸惑う優樹に目を向けた。

「威勢のいいのが揃ってるな」

 そう言って、優樹の前で彼女を制止しながらもじっと睨む生美を見て更に笑い、そして背を向けた。

「調子に乗って首を突っ込むなよ、大島。ガキはオママゴトして遊んでりゃいいんだ。金持ちのぼっちゃんじょーちゃんの暇潰しに付き合わされる、オレたちの身にもなってくれ」

 口元に不敵な笑みを浮かべながらも、忠告するように、そう吐き捨てて出て行った。

 ドアが閉まると、生美は「……フン」と鼻であしらうように顔を上げた。

「何、あのおじさん」

「加藤って奴だ。クソな刑事だよ」

 洋一が不愉快そうに答えると、反町は肩をすくめた。

「クソかどうかは知らないけど、性格は悪そうだね」

 それぞれ文句を言う、三人の声に耳を傾けながらも、優樹は深く息を吐いて気を落ち着けようとした。その時、携帯電話が鳴り、鞄からそれを取り出した。

「はい、優樹です。……うん、ありがとう、大丈夫……。後藤さんも大丈夫?」

 室内の隅に移動して話す優樹を目で追い、生美は腕を組んで洋一を窺った。

「……で、どうするの?」

「何が?」

「やるの?」

「うん、やるやるっ」

 笑顔でネクタイを緩める洋一に「殺すわよ」と低い声で脅したが、「え!?」と驚いたような声を出す優樹に、そちらを振り返った。優樹は背を向けているが、戸惑っているようだ。

「嘘、だってっ……、……うん……」

 三人は、誰からでもなく優樹に近寄った。

「……わかった。……私、知り合いの刑事さんがいるから伝えておく。……うん、ありがとう。……それじゃあ」

 電話を切り、その後もじっと考え込むように視線を落とす優樹に、「……どうした?」と背後から反町が問い掛けた。

 優樹は携帯電話を握り締め、困惑げに三人を振り返った。

「……クラスメートの、後藤さんって子……。新聞部だから、いろいろ話しを聞いてるみたいで……。あの死んだ人、二年生なんだって」

「なんでおまえのクラスに?」

 洋一が訝しげに問うが、優樹は首を横に振った。

「よくわからないんだけど……。あの、キリストを企画した女子がいなくなって……みんなで探しているみたいなの……」

「その子が犯人ってこと?」

 生美が真顔で聞くと、優樹は戸惑い、視線を落とした。

「そこまではわからないけど……、ただ、みんなの噂じゃ、その子……ドラッグやってた、って……」

「……マジで?」

 洋一が、ヤバそうな空気を笑ってはぐらかそうとした。だが、優樹は不安げに目を泳がしている。

「全然そんな風には見えなかったのに……。凄く真面目な子で……」

「……そういうことか」

 反町が不意に言葉を切り出すと、「何が?」と生美が問い掛けた。

「キリストの腕に痣があったって。アンフェタミン系のドラッグをやってたんだろ。パラノイア時に殺された可能性があるな。スピードフリークなら、極度のサイコシスに陥ってたのかも知れない」

「つまり? もっと、一般にわかりやすく言ってくれる?」

「痛みも感じない程のハイになってたってこと」

「……ああ、そういうこと」

 呆れるように生美が息を吐くが、反町は真顔で視線を斜め下に置いた。

「そのキリストを作り出した女子が本当にドラッグをやってるなら……その子自身にも何かが起こってもおかしくないだろうな」

 呟くような言葉に、優樹は目を見開いて反町に詰め寄った。

「殺されちゃうってことっ?」

「それはわからない。その子が加害者かにもよるし。……ただ企画をしただけのことなら問題ないだろうけど、ドラッグが出てきたら無関係ってワケにはいかないだろ? 死んだ二年生が自殺か他殺か、どちらにしても、事情を知ってる可能性はあるし……。その子自身が絡んでて、尚且つ、同じようにハイになってたら、どう行動するかなんて誰にもわからないよね」

「どっちにしても、探した方がいいんじゃない? 放っておくのはマズイと思うわ」

 生美が真剣に提案すると洋一も頷く。優樹も戸惑いながら同意したが、また携帯電話が鳴り、その場でそれに出た。

「……あっ、石田さんっ?」

《優樹ちゃんっ、ごめんね! ちょっと急用がっ……》

 声が漏れてくるが、それに耳を傾けることなく、洋一は訝しげに反町を見た。

「けど、ドラッグのせいで死のうだの、人を殺そうだの思うか? そこまでヤバいヤツ、ガッコに来るかねえ……」

「……ドラッグは引き金に過ぎない。奥深いところに、火薬を備えてる」

 真顔で答える反町に、「うーん」と、洋一は意味不明気味に顔をしかめたが、「待って石田さん!」と、声を荒げる優樹を振り返った。

「それってまさか……上野和美さん!? ……、……そんな……」

 優樹は愕然とした表情で言葉を切り、俯いていたが、「……わかりました……」と小さく返事をして電話を切った。

「……優樹?」

 じっと俯いたままの優樹に生美が彼女の腕を撫で、顔を覗き込むと、優樹は心配そうな目で見つめる生美を見て、ためらい、それでも口を開いた。

「……探してた子、見つかったみたい……」

「ホント?」

「……けど、……もう、意識ないって……」

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