其の1 学園祭殺人事件 -02
「いらっしゃいませー!」
翌日、駅前のファーストフード店――。
“外出禁止”の連絡を担任からもらってはいるものの、それを守る生徒がどれ程いるだろうか。
優樹は、早朝もらった電話通りの約束の場所、ここへとやって来た。
邪魔にならないように出入り口の隅に避け、電話の主、後藤美代子の姿を探し、彼女が手を振っているのに気付くとすぐに近寄った。
「遅くなってごめんね……」
そう挨拶代わりに声を掛けて気が付いた。美代子の向かい側、相席には見知らぬ少年の姿が――。彼は無愛想にそっぽ向いている。
美代子は、席を立って笑顔で優樹を迎えた。
「来てくれてありがと。ゆっくりしてたんじゃない?」
「ううん。大丈夫……」
返事をしながらも、優樹がチラ、と、彼に目を向けているのに気付くと、美代子は少年に手を向けた。
「紹介するわね、B組の立花飛鳥。立花、私のクラスメートの大島優樹さん」
「……こんにちわ……」
優樹は笑顔を繕って小さく会釈したが、立花は無愛想にそっぽ向いているだけで何も言わない。そんな彼に美代子はムッとして、テーブルに手を付き睨んだ。
「ちょっとっ。無愛想にしないでよっ。私の株が落ちるでしょ!」
「知った事かよ」
と、立花は不愉快そうに腕を組んだだけ。
美代子は鼻から息を吐いて腰を伸ばすと、体を硬直させて少し怯える優樹に苦笑した。
「ごめんね。こいつ、不良さんなの」
「うっせーよ」と、すぐに立花がギロッと睨んでツッコミを入れるが、美代子はそれを無視し、「座って」と優樹に椅子を勧めた。
「ホント、呼び出してごめんね」
「……ううん。自宅待機って言われても……なんだか落ち着かなかったし」
優樹が苦笑しながら腰掛けると、美代子も同時に隣りの椅子に腰掛け、心配そうに顔を覗き込んだ。
「……ちゃんと眠れた? なんだか、疲れてるって顔してるけど……」
「……ううん、大丈夫。……心配してくれてありがとう」
か細い笑みを浮かべて首を横に振ると、美代子は深く息を吐いて、椅子の背に体重を預けた。
「私もみんなもビックリだった。まさか上野さんが、って……。悪い子には見えなかったじゃない? ンそりゃあ……思い出してみれば、たまに言動はおかしかったけど」
淡々と語る美代子に、優樹はテーブルに視線を落としながらもじっと聞く。
「みんなに話しを聞いたんだけどね、上野さんがキリストの企画を持ち出した時、気味が悪いって、みんな、反対したんだって。でも、上野さんが強引に進めちゃったみたい。広報部の副部長だったしさ。知り合いにかっこいい先輩がいるから、その人にキリストをやってもらえば、入って来た女子も喜ぶだろうって……。キリストに関しては、上野さんが全部仕切ってくれてたから、みんなとしては大助かりでね……、任せっきりにしてたんだって」
美代子は一旦息を吐いて、視線を落とした。
「今思えばだけど、考えてることがおかしかったのよね……。和風お化け屋敷にキリストなんて。それも、わざわざ二年生の先輩を配役に使うなんて。……早く気が付くべきだった」
気落ちするように、力なく呟く美代子に優樹は焦りを露わに顔を上げて首を横に振った。
「後藤さんのせいじゃないんだから、気にすることはないよ」
「……うん、まあね」
美代子は苦笑し、気を取り直して優樹に問い掛けた。
「上野さん……なんで死んだか聞いた?」
「うん……。夜、知り合いの刑事さんに電話して聞いたんだけど、青酸カリ系の毒物だとか……。リンゴに塗って食べたみたい」
「白雪姫の格好してたって聞いたけど……、そういうことだったのね」
「うん……。ノーム人形も七体、側にあったみたいだよ……」
「ノーム人形?」と、優樹の言葉を訝しげに繰り返した立花に、美代子は頷いた。
「白雪姫に出て来る“七人のこびと”よ」
「ああ、あいつらか……」
脳裏で思い出した立花は小さく息を吐いて再び無関心そうにそっぽ向く。
美代子は鼻から息を吐くと、テーブルの一点を睨むように見つめた。
「……にしてもさ、上野さんまで殺すなんて……。許せないよね。早く捕まって欲しいわ」
優樹は視線を落とし、間を置いて「……うん」と頷いた。
「おい」
立花はため息を吐き、顔を上げた美代子を睨んだ。
「おまえ、オレのこと忘れてねーか? なんで呼んだんだよ?」
「あ、そっか」
美代子は思い出したように笑みを溢して優樹に目を向けた。
「大島さん、こいつね、中等部にいた時にいじめられてたの」
突然暴露された立花は「おまえな!」と身を乗り出して美代子を睨んだが、当の彼女はおかまいなしに、キョトンとする優樹に続けた。
「詳しくは知らないけど、高等部の先輩に殴られたりしちゃったみたいで」
「……おい、いい加減にしろよ?」
口元が笑っているが、目がかなり怒っている――。
優樹は「ご、後藤さん……」と怯えながら、これ以上話しを続けるのをやめさせようとしたが、美代子の方は笑顔を絶やさない。
「その時に、こいつ、奉仕屋の先輩に助けてもらったのよ。ね、立花?」
相槌を問われた立花は、椅子にボスッ、と座りながら、目くじらを立てて腕を組んだ。
「だからなんだよっ」
「それからどう道を踏み外しちゃったのか、いつの間にか不良さんになってさー」
おかしそうに笑われて「うるせー。シメるぞ」と目を据わらせたが、彼の脅しなど利かないのか、美代子は笑顔を絶やさないまま続けた。
「立花。大島さんはね、奉仕屋を復活させるの」
優樹は「……へっ?」と、突然自分の話題に切り替わって驚き、立花は立花で「……はあ?」と訝しげに眉を寄せた。
「だから協力してよ。今回の事件、解決の糸口を掴めたら、そのお手柄で奉仕屋復活も夢じゃないと思うんだ」
笑みを浮かべながらも表情は真剣。そんな美代子に、優樹は「後藤さん……」と不安げに声を掛けたが、美代子の視線は立花に真っ直ぐ向いている。立花も馬鹿にするかと思っていたが、そんな素振りはなく、逆にため息を吐いた。
「協力、っつうても、オレに何が出来るんだよ」
無力です、無関心です、そんな空気を醸し出す立花に、美代子はニヤリと笑った。
「……立花。悪いお友達、知ってるんじゃない?」
ピクッと眉を動かした立花が気まずそうに口籠もり、その雰囲気を察した美代子は更に追い打ちを掛ける。
「中には、ドラッグをしてる人、とかさぁ?」
「……、知るかよっ」
「へぇー、いいの? ……新聞部の私をナメたら、……怖いわよ?」
不敵な笑みを浮かべて脅す美代子に、立花は不愉快そうな表情をしながらもモゴモゴと口を動かし、そして結局、「……くそーっ」と椅子を立った。
「よろしくねー」
席を外す立花に美代子が笑顔で手を振ると、優樹は携帯電話を取り出して壁にもたれる立花を目で追い、戸惑いながら美代子を窺った。
「ご、後藤さん……、あの……」
「あ、大丈夫よ、気にしないで」
美代子は笑顔で首を横に振った。
「無愛想だけど、根は優しいし。困った人を一人にはしないヤツだから。結構頼れるから、大島さんも気軽に呼び付けるといいよ。ただし、アスカって名前は禁句。“立花”って呼んでいいからね」
そういうことじゃなくて……、と、優樹は困惑しながらもなんとか笑い、そして口を開き掛けてそれを閉じた。戻って来た立花は、携帯電話を上着に仕舞って椅子に座った。
「白川を呼んだ」
「マー君? なんで?」
美代子が顔をしかめると、立花はツンとした表情で片眉を上げた。
「生憎、オレはダチを売る気はねえよ」
「……、ケチ」
「白川は顔が広いし、“そういう奴”知ってるらしいから、話しを聞かせろって言っておいた。そこのゲーセンにいるから、すぐこっちに来る」
「ふうん……。ま、いいか」
美代子は肩をすくめるが、立花は真顔で続けた。
「けど、こいつは刑事事件って奴だろ。関わらねえ方がいいんじゃねえのか?」
「事件早期解決の為、情報提供を心掛けるのが一般市民の努めです」
「……おまえが言うと、説得力に欠けるな」
にこりと笑う美代子を立花は冷めた目で突っ返す。
優樹は二人を交互に見ていたが、戸惑うように目を泳がせた。
「で、でも、後藤さん……、立花君の言う通りだと思うの」
「“くん”は付けなくていいよ。立花って呼んでやって」
優樹が「……え」と困惑すると、美代子は「ね?」と立花に笑顔で同意を求めた。
「その方がいいでしょ、立花?」
「勝手にしろ」
無愛想に答えられ、「ほらね」と美代子は笑顔で優樹に告げ、ためらう彼女にそのまま続けた。
「私、早く奉仕屋が復活して欲しいって思ってるの。ただそれだけ。奉仕屋がいたら、ひょっとしたら今回の事件だってなかったかも知れない。……助けを求めてる生徒は多い。……それが現実だから」
最後の言葉を言い終わった美代子が視線を落とし、優樹は何か言葉を掛けようとしたが、
「新聞部の場合、おもしろいネタを探してるだけだろ」
と、さっぱりとした顔で立花に先を越され、優樹は「……っ」と言葉を詰まらせて焦り、美代子はムッと頬を膨らませた。
「失礼ねっ。万人に受けるネタって言ってくれるっ?」
「要は、愉快なネタってことだろ」
「動物おもしろネタってワケじゃないのよっ」
「そンなモンがウケるのは、ガキと白川くらいだ」
ツンとそっぽ向いている立花と、目くじらを立てる美代子の間で、優樹は二人をチラチラと窺いながらとばっちりがないようにと首を縮めた。その時、「いらっしゃいませー」と、店員の元気な声と同時に「ウーッス」と少年の声が近付いて来て三人は顔を向けた。
幼顔をした少年は笑顔で近寄って来たが、優樹に気付くと、すぐにズボンからスマートフォンを取り出し、テーブルに肘をついて身を乗り出した。
「誰? 名前は? メアドは?」
ニコニコ笑顔で問われ、優樹は「え? えっ?」と戸惑う。
美代子は「もう!」と椅子を立つと、少年の背後から肩を引っ張り、優樹から引き離した。
「誰彼構わず聞かないの!」
そう注意すると、キョトンとしている優樹に苦笑した。
「ごめんね大島さん。立花と同じクラスで、友達の白川正則君。マー君って呼んであげて」
そう紹介されながら、優樹は頭の中で「……山口君みたい」と思っていた。彼らが揃うと、さぞ騒々しいだろうことは予想範囲内だ。
白川はふて腐れながら、立花の隣り、空いている席に向かった。
「チェーッ、ケチ! 名前くらい、いいじゃんっ。なあ立花っ」
振られた立花は返事をせず、我関せずを気取っている。
美代子はため息を吐いた。
「私のクラスメートの大島優樹さん。昨日の事件、知ってるでしょ? 第一発見者よ」
「ウソマジ!?」
白川は椅子に座るなり、向かいの優樹に興味津々で身を乗り出した。
「死体見た!? どんなだった!?」
感情を隠せない性格なのだろう。生き生きとした表情に優樹は困惑したが、「ガッ!」とテーブルの下から鈍い音がし、それと同時に白川が「うっ」と詰まった声を漏らして背中を丸め、テーブルにおでこを付けて肩を震わせた。「……蹴られたんだね」と、状況を理解した優樹と美代子を前に立花はため息を吐く。
「さっき話しただろ。案内しろ」
白川は「立花のいじわるー」と半べそを掻いていたが、ゆっくり顔を上げると、拗ねながらも口を開いた。
「……いいけどさあー。……ひょっとして、誰か悪い事して、あと付けられてない?」
声を潜める白川に、三人は顔を見合わせた。互いの出方を窺っているところを見ると、どうやら身に覚えはなさそうだ。そんな彼らに、白川は視線を動かした。
「ここに入った時もなんだけどさー、あそこの席のン、ずっとこっち見てンだよなー」
白川の視線をチラ、と追うと、背広姿の男が二人、テーブル席に座っている。特に会話はないようだ。サラリーマンのようにも見えるが、それにしてはどこか不自然だ。
優樹は不意に、「……まさか、加藤さんが……」と思い、戸惑って目を泳がせた。その様子で何か悟ったのか、立花は小さく息を吐いて白川を見た。
「……撒いた方が良さそうだな」
「だよねー」
返事をしながら白川はバックの中からモバイルパソコンを取り出し、テーブルに置いて電源を入れる。
「出来そう?」
美代子が小声で聞くと、白川はキーボードを素早く打ちながら「任せてー」と呑気な声で答えた。
「ほどほどにしておけよ」
「大丈夫。リセット掛けりゃ、すぐ直るから」
ため息混じりの立花に笑顔で答えると、鞄の中を漁り、小型の黒いプラスチックケースを取り出してパソコンの横に差し込んだ。手際のいい白川に不安を感じた優樹は、なんとか笑顔を繕って問い掛けた。
「あ、あの……何をするんですか?」
「おもしろいこと。……はい、でーきた」
白川は楽しげな笑みを浮かべながらパソコンを持って椅子を立った。そのあとに続いて立花と美代子も立ち上がり、優樹も慌てて腰を上げる。美代子に「先に行って」と軽く背中を押された優樹は、戸惑いながらも先を歩いて出入り口に向かった。その間、美代子たちは「今度おごってよねー」と他愛もない会話をしていたが、出入り口の自動ドアが開くと、最後尾の白川がドアの手前でパソコンのキーを弾き、同時に「走れ!」と彼らの背中を押して四人は店から逃げるように走った。走り保って振り返ると、自動ドアが開かなくなったようで来客の誰かが戸惑っている影がチラリと見えた。もちろん、店内から“追い掛けよう”とした誰かたちも「?」と開かない自動ドアの前で困惑していることだろう。
白川は走りながら「にゃはは!」と笑った。
「ざまーみろーっ!」
「な、何したのっ?」
あとを走り追いながら優樹が聞くと、
「自動ドアのセンサーをバカにしちゃったー! にゃはは!」
まるで悪戯好きな子どものような雰囲気に、優樹は顔をしかめていたが、なんとなく愉快で、少し笑った。
「ここ、ここ」
タクシーを呼んで途中で降り、案内されたところは、小綺麗な町並みが続く住宅街――。「家の側までタクで行くとバレて逃げられるかもしれないから」という提案で先を歩く白川のあとを三人が付いて歩く。
「ドラッグのことなら、あいつに聞けばわかると思うんだ」
「あいつって?」
斜め後ろを歩く美代子が聞くと、白川は振り返ることなく答えた。
「浜田。あいつ、前、オレにくれたモン」
その言葉に美代子と優樹は顔をしかめ、立花は目を細めた。
「やってねえだろうな?」
「やってないってー」
白川は睨む立花を情けない表情で振り返った。
「怖いからすぐ返したよー」
「……そんな人のトコに行って話し聞くの? 大丈夫?」
信用出来ない、と、不安げな表情をする美代子に、優樹も同意するように頷いて白川を不安げに見上げた。だが、彼の方はアッケラカンとした様子で肩をすくめる。
「浜田って、普段は気の小さい奴だから平気。さっきもケイタイしてみたんだけど、あいつ、出なくってさー。きっと、昨日の事件があったからビビってンだよー」
優樹は少し視線を落として考えていたが、「……ん?」と、歩く白川の足元を見て、彼の背中を見上げた。
「あ、あの……マー君? ズボンの裾から何か、紐が出て、引き摺ってるけど……」
ためらい気味に教えると、白川は「うん」と振り返ることなく頷いた。
「アース。オレ、年がら年中帯電体質だから、アース付けてないと大変なんだー。パソコンのパーツとか、触ってると、ショートさせちゃうしさー」
言っている意味がわからずに首を傾げる優樹に、美代子が付け加えた。
「マー君って、夏でも関係なく静電気来るの。触る時は気を付けた方がいいよ。すぐパチッて来るからね」
「オレの前世って、電気ナマズだったのかもなー」
のんびりと答えながら道の角を曲がろうとした時、突然、そこから誰かが飛び出して来て白川は驚き足を止めた。相手も驚いた表情をしたが、足を止めることなく勢い余って白川の斜め後ろにいた優樹の肩にドンッと腕をぶつけ、優樹は「キャッ」と小さく悲鳴を上げ危うく背後に倒れ掛けたが、隣りを歩いていた立花に背中を支えられ難を逃れた。
「なんなのよあいつ! 謝って行きなさいよねー!」
美代子が不愉快げに吐き捨て、走り去る背中を睨み付けた。
優樹は、背中から手を除けて美代子同様に背後を睨む立花をためらい気味に見上げた。
「あ……、ありがとう。……立花」
“クン”と言い掛ける前に「ああ……」と返事をされ、違和感があったが、彼の方はまだ、遠くなる背中を睨んでいる。やはり呼び捨ての方がしっくり来るのだろうか。
白川はいなくなった誰かを目で追い、顔をしかめていたが、ハッと目を見開いた。
「思い出した。あいつ、和田だ」
「ワダ?」
「うん。浜田の友達」
繰り返した立花に頷いて、白川は訝しげに首を傾げた。
「どうしたんだろ、あんなに慌てて。……浜田のトコに行ってたのかなあー」
「……だとしたら、ヤバくねえか?」
「へ?」
「普通じゃなかっただろ、あいつ」
立花が消えた道の方を顎でしゃくると、優樹と美代子は顔を見合わせた。
確かに、尋常ではなかった――
白川は頬を引き攣らせて笑った。
「ま、まさか、……なー?」
嫌な予感を消し去ろうと立花に同意を求めるが、彼の方は「どーだかな?」と、片眉を上げただけ。白川は「はは、……ははは……」と、空笑いをしていたが、優樹と美代子の不安げな視線に唾を飲み、ためらい、「……う、ああぁー!」と髪の毛を掻きむしった。
「だよな!? 和田の奴、なんか変だったよなぁ!?」
答えを待たずに白川が走り出し、三人もそのあとを追う。
「うわ! うわ! どっ、どうしよう!」
走って向かう間、落ち着きをなくした白川がずっと繰り返していたが、あとを追う優樹も、頭の中では同様だった。
……どうしよう。まさか……――
白川の足が一軒の家の前で止まり、彼は焦るようにチャイムを鳴らした。
「出ろ! 早く出ろ!」
ブンブンと、拳にした両手を上下に振りながら急かすと、《はい?》と、女性の応答があった。
「ヒトシ君いますかっ? 同じクラスの……タカハシですっ」
早口でそう言うと、しばらく間を置いて玄関が開き、そこから女性が門へと歩み寄って来た。
「あなたたち、自宅待機の連絡は回ってこなかったの?」
呆れ気味なため息を吐く女性に、白川が一歩近付いた。
「ヒトシ君にっ……勉強のことで聞きたいことがあってっ」
「さっきもお友達が来てたけど」
と、女性は門を開けて四人を通す。
「それって……和田君ですかっ?」
「そうよ。お天気がいいから中庭で話しをするって。こっちよ」
言いながら敷地内を案内する女性のあとを四人は追った。この辺も一等地。それなりに土地も広いし建てられてある家も立派だ。女性は、固められた足場を歩きながらみんなを案内していたが、ふと、足を止めた。
「あら? いないわね……」
中庭に小さなカフェテーブルがあり、その上にはジュースの入ったコップが二つ置いてあるだけで人の姿はない。
女性は苦笑した。
「お部屋に戻ったのかも知れないわ。ちょっと呼んで来るから」
そう四人を振り返ったが、彼らの目がじっと動かない。愕然とした表情で硬直している。
何か恐ろしい物でも見ているかのような空気に、女性は「……何かあったかしら?」と首を傾げつつ、彼らの視線を追った。
家から突き出た、四方ガラスに囲まれた部屋がある。温室だろうか。たくさんの植物が育てられているのが一目見てわかるのだが――。
「……ヒトシィ!!」
甲高い声が、止まっていた時間を裂いた。
彼らの目に映っているのは、ガラスの壁の向こう、首を吊っている少年の姿だ。
女性は「ヒトシィ!!」と何度も声を上げながら温室に駆け寄り、立花はすぐに携帯電話で救急車を呼んだ。女性が温室のドアを開けようとドアノブを掴んだが、引いても押しても開かない。
「ヒトシ!! ヒトシィ!!」
手を付いた壁越しから何度も叫ぶ女性の姿に、美代子は悲痛な表情で目を逸らして背を向け、優樹は困惑げに目を泳がし、速く鼓動する心臓を押さえようと胸元の服をギュッと握った。
立花は電話を切ると、ボー然としている白川の腕を引っ張った。
「おいっ、和田にケータイしろ!」
それで封を解いた白川は、すぐに上着からスマートフォンを取り出した。
「そ、そうか! 和田だ!! あいつだ!!」
震える手でなんとか番号を見つけ出し、すぐに呼び出すが、「和田! 出ろ和田! 早く出ろ!!」と、落ち着きなくウロウロと動き、ハッと顔を上げた。
「おい和田!! おまえなんなんだ!!」
訳のわからない問い詰め方に、「貸せっ」と、立花が奪い取った。
「おい。おまえ、なんで逃げたんだよ?」
落ち着いた声で睨み問い質す立花の側、白川はオロオロと、その場で行ったり来たりを繰り返す。
「ど、ど、ど、どっ……どうしようっ」
泣き崩れる女性の側に近寄ろうか、帰ろうか、混乱する白川に、優樹は彼の腕をそっと撫でた。
「……落ち着いて……」
「う、うんっ。そうだな! 落ち着かなくちゃな! ……ホントに死んでンのかな!? 実はなんちゃってー、とか!」
パニックも絶頂の白川に優樹は少しため息を吐き、「……くそっ」と言いながら電話を切った立花を振り返った。
「……どう?」
「オレは知らない。オレはやってないの一点張りだ」
「そんなワケないでしょっ。何か知ってるから逃げたんじゃないっ」
美代子が文句を付けるように眉をつり上げる。
立花は、一方的に切られたスマートフォンで再び呼び出したが、「……チッ」と舌を打って切った。
「電源切りやがったか」
優樹は困惑げに視線を落としたが、「うわあぁぁー!! ヒトシィィ!!」と、大声を上げて泣く女性の姿に胸を締め付けられ、鞄の中から携帯電話を取り出して電話を掛けた。
「……もしもし、石田さん? ……優樹です。……あの……、人が……また……」
――閑静な住宅街に人集りが出来ている。救急車はもう出発してしまった。数台のパトカー、そして覆面車。制服を来た警官に私服の警官、非常線を張られたガラスの部屋……。
「しかし、まあ……、なんだな……」
加藤はため息混じりに、じっと俯いている優樹を見下ろした。
「おまえさんには、死人がつきまとうようだな」
「加藤さん! そんな言い方は!」
斜め後ろにいた石田がすぐに声を上げるが、加藤は「冗談だ」と、あっさり返した。石田は腑に落ちない様子で口をとがらし、立花と白川は不愉快そうに睨み付けている。
美代子は、微動だにしない優樹の肩に腕を回すと加藤を見上げた。
「お話しは終わったし、もう帰っていいですか?」
「勉強を教えてもらいに、ねえ……」
加藤は呟いて腕を組み、ニヤリと笑った。
「自宅待機っていやあ、“普通”のガキは目を盗んで遊び呆けるモンだろうが、わざわざお勉強とは」
見透かされた様子に白川は「……っ」と息を詰まらせたが、美代子はツンと顔を上げた。
「学生ですから勉強は当然です。遊ぶことだけが生き甲斐のような言い方、やめてもらいたいですね」
生意気な言い方だが、加藤は俯くだけの優樹を見下ろして笑った。
「また、活きのいいのを見つけたな」
その言葉に立花は目を細めたが、加藤の後ろの石田が「ごめんね、ごめんね」と小さく頭を下げているのが見え、とりあえず、その場は見過ごすことにした。
加藤は深く息を吐いた。
「まあいい。ガキにゃ何も出来ねえしな。とっとと帰ってお昼寝でもしてろ」
そう吐き捨てて、鑑識が行われている温室へと向かう加藤を目で追い、石田はササッと優樹に近寄って腰を低くし、顔を覗き込んだ。
「ごめんね優樹ちゃん。また連絡するから、気を付けて帰るんだよ? 寄り道しないようにね?」
優樹がか細く笑って頷くと、石田は軽く彼女の頭を撫で、加藤のあとを追う。
「……ムカツク野郎だな」
加藤の背中を睨みながら立花が呟くと、美代子も「フンッ」と鼻から息を吐いた。
「ああいう奴が汚職とかするのよ、きっと」
「ってか、いったい何がどうなってんだよー」
白川が情けない声を上げ、敷地内を出ようと歩き出した立花をあとを追った。
「和田もいなくなったしさー。浜田も、昨日の事件と関係あんのかぁー?」
拗ねるような白川の言葉を聞きながら、優樹はボンヤリと視線を落とす。疲れ切った表情に気が付いた美代子は、先を歩く立花に近寄った。
「……ねえ立花。大島さん、送っていってあげてよ」
そう声が聞こえた優樹は顔を上げ、慌てて首を振った。
「いいよ後藤さんっ。私、一人で平気だからっ」
「大丈夫よっ。情報収集は私に任せてっ」
意気込む美代子に、優樹は「……へっ?」と目をパチクリさせた。
「警察になんか負けてたまるモンですかっ。新聞部の名に懸けて!」
グッと握り拳を上げて気合いを入れる美代子に、「……あ、あの。そういうことじゃなくて……」と、優樹は戸惑ったが、美代子の方は構うことなく笑顔で頷いた。
「何かわかったら教えるからね!」
そう言うなり「任せたわよ!」と立花の腕を叩いて、一人、走っていった。「後藤さんっ……」と、手を振ってさよならをする美代子を止めようと挙げた手が空振りに終わり、優樹はため息混じりにそれを下ろす。
「……あの執念は恐ろしいぞー」
白川が身震いする横、立花は鼻から息を吐くと、戸惑う優樹を見下ろした。
「仕方ねえな……。送ってってやるよ。家、どこだ?」
訊かれた優樹は、慌てて彼を見上げて首を振った。
「あ、ホ、ホントにいいですっ。一人で帰れるからっ」
「構わねーよ。どーせ暇だしな」
あっさりと返して歩き出す立花のあとを、優樹はやはり戸惑いながら追い掛けた。
「白川、おまえも来るか?」
「うんっ、行く行く!」
白川はホッとした表情で立花に並んだ。
「一人じゃ怖いしっ。オレ、今日、このまま立花ンとこ泊まる! いいよなっ?」
「ああ、別にいいけどな」
「じゃあ、どっかでお菓子買ってこっと!」
白川は笑顔で言い、「あっ」と顔を上げて優樹を振り返ると彼女に並んで見下ろした。
「一緒に来るっ? 立花ンちっ」
「……あ、う、ううん。わ、私は……いいです」
「マジっ? 一人で寝れるっ?」
「……、たぶん」
「オレ絶対無理! 夜、トイレ行けない!」
「一人で行け。起こすなよ」
と、立花に突っ込まれ、白川は半べそを掻いた。
「立花ンちのトイレ行くの、こえーよー。あの吹き抜けの階段、こえーんだもんー。壁の絵がさー、こっち見てンだもんー」
「いい加減、慣れろ」
拗ねる白川と、呆れる立花を見て、優樹はふと、美代子が言っていたことを思い出した。
『無愛想だけど、根は優しいし。困った人を一人にはしないから』
……ああ、そういうことか――。
立花の背中を追いながら、優樹は少し笑みを溢した。
「けど、後藤も熱心だよなー。何がおもしろいんだろ」
タクシーが拾える場所まで歩きながら白川が訝しげに言うと、優樹は首を傾げた。
「……二人とも、後藤さんとは親しいんですか?」
「中等部の時のクラスメートだよ。おもしろいし、気軽に話せる奴だったから、すぐ仲良くなっちゃってさー」
白川が笑顔で答えると、
「おまえは誰彼すぐに友達になれるからな」
と、前を歩く立花に言われ、優樹は内心「……わかるような気がする」と頷いた。だが、白川はムスッと頬を膨らまして立花に並んだ。
「友達は多い方がいいじゃん! 楽しいし!」
「そうか?」
「そーだよ! 友達って、大切なんだぞお!」
言い切る白川の背中を見上げて、優樹は少し視線を落として悲しげに笑った。
それから間もなく、広い道路に出てタクシーを拾い、それに乗り込むと、優樹を挟んで後部座席に着いた白川は立花を窺った。
「明日も休みだろ?」
「さぁな。ま、そうなるだろうけどな」
「休みだったら……学園祭がまるごと潰れるって事かー」
「それどころじゃないだろ」
「だよなぁ」
「……あ」
突然、中央の優樹が声を上げ、二人を交互に見ながら話しを切り出した。
「今日はホントにありがとうございました。あの……もういいですから。私、一人で帰れるし、二人とも、先に下りてもらって……」
立花と白川は目を合わせたが、すぐに白川が苦笑して肩をすくめた。
「ンなこと言われてもさー。後藤に送っていけって言われたら、その通りしないと、あとで何を言われるか」
「……。後藤さんって、怖いの?」
「怖いって言うより……しつこい」
「新聞部にはピッタリだな」
と、立花も同意して続く。
「ああいうヤツがパパラッチになるんだ」
「うんうん。その通り」
大きく頷く白川に、優樹は二人を見て少し苦笑した。
「けど……新聞部にも後藤さんにも、いろいろ励ましてもらって……。……ホントに」
呟くように言った優樹に、立花が少し間を置いて尋ねた。
「……学園奉仕屋を復活する、って、本当なのか?」
「嘘マジで!? あの奉仕屋!? そうなの!? オレもオレも! 仲間に入れて!!」
興味津々な笑顔で身を乗り出す白川に窮屈さを感じながら、優樹は「あ、あの……」と、引き攣った笑顔を見せた。
「ま、まだそうと決まったワケじゃなくて……」
「……オレも手伝うかな」
車窓の向こうを見ている立花に、優樹はキョトンとした。
「……えっ?」
「前の先輩たちには世話になったし。……恩返し、みたいなモンで」
「け、けどまだ」
「やったー! おもしれーっ! すっげーおもしれーっ! 頑張ろー、オレ!!」
興奮する白川を止められず、優樹はガックリと頭を落とした。
――それから間もなく、指定した場所にタクシーが止まり、そこから徒歩で大島邸まで向かうが、優樹のあとを歩きながら白川は辺りを見回した。
「この辺って……すっげー高級住宅地じゃなかったっけ? 大島さんちって、メチャクチャお金持ち?」
「……そんなことないよ……」
背後からの問いに優樹は少し苦笑して答えると、「……あ」と、歩き保って二人を振り返った。
「送迎車出してもらうから、乗って帰ってね」
「いーよ、こっからならそんな遠くないしさー」
「ううん。送ってもらって悪いから……」
「だったらジュースとお菓子の方がいい!」
遠慮なく白川が笑顔で身を乗り出すと、優樹は一瞬キョトンとし、笑って頷いた。
「わかった。じゃあ、何かごちそうするね」
「やったー!」
無邪気な白川に、優樹は「ふふ」と笑って前を向いた。
「んじゃあ、ついでに晩ごは」
ゲシッ、と音が聞こえて振り返ると、白川が「……う、嘘です」と、半べそを掻きながら腰を曲げてお尻を撫で、立花は知らん顔をしていた。
優樹は少し吹き出しつつ、足を進めた。
「……けどさあ、浜田の奴、なんで自殺したんだろ。和田はやっぱ、なんか知ってるよなー」
お尻を撫で撫で、歩き保って、白川が訝しげに眉を寄せた。
「和田が殺した、ってことはないよなー」
「あいつにそんな根性はねーよ」
立花がため息混じりに答えると、白川は顔をしかめた。
「でも、ドラッグやってたらわかんないじゃーん。和田もやったことあるって聞いたことあるしさぁー」
「……、おまえ、ああいう連中とはもう関わるな。いいな?」
「うん、わかった。もう怖いからやめとく」
素直に頷く白川に、立花は深く息を吐く。
自宅に近付いてきて、優樹は動かしていた視線を止めた。
「……あっ……れ?」
足を止めた優樹に気が付いて立花と白川も足を止めた。彼らの向かい、少しまだ距離があるが、三人の立ち姿が見える。彼らは何かを話し込んでいたが、優樹たちに気付くと足早に近寄って来た。
――洋一と反町、そして生美の三人だ。
「優樹!」
険しい表情で名を呼ぶ生美に、優樹は咄嗟に「ごめんなさい!」と背筋を伸ばして条件反射で謝る。
「あっ? 白川っ?」
「洋一じゃーん!」
と、洋一と白川は互いに近寄り、
「……ふうん……」
「……、へぇー……」
と、無愛想に片眉を上げる反町と、不敵に笑う立花――。
互いが互いを知ってる様子に、みんなが「……?」とそれぞれを見回す。そこから動けず、会話もなく、優樹は戸惑いながら彼らに手を向けた。
「……あ、中村さんに、山口君に、反町君。こちらが、立花……に、マー君、で。……みんな、同級生。……で、その……」
「じゃねーだろ優樹!」
洋一が眉をつり上げて優樹を睨み下ろした。
「どこ行ってたんだよおまえは!」
「ど、どこって……」
「昨日のこともあったし。気になって来たのよ。突然だったのは悪いと思ったけど、まさか留守にしてるなんて」
生美も続いて呆れるようなため息を吐く。優樹はすぐに謝ろうとしたが、その前に、白川が洋一に向かって半べそを掻いてすがった。
「聞いてくれよーっ。オレ、死体見ちゃったー!」
グイグイと服を引っ張られながら洋一は顔をしかめ、反町も訝しげな表情で優樹を見た。
「……死体って……」
「ちょっと。……また?」
生美が少し愕然とすると、立花はため息混じりに軽く首を横に振った。
「状況は理解出来るようだな」
「首つってたんだっ、首! 浜田! 知ってるだろ!?」
白川が口をとがらせ服を引っ張ると、洋一は「あ、ああ……」とためらいながら返事をする。
反町は、じっと俯く優樹を見ていたが、彼女に近寄って手前で止まった。
「話しを聞かせて」
言われた優樹は「……え」と顔を上げた。反町は真剣な顔をしている――。
「話し。じゃないと、何も出来ないから」
「な、何も出来なくていいよっ。警察が動いてるからっ」
「そうじゃない。警察とか、そんなのはいいんだ」
「……、え? ……と。……?」
「問題は、そこじゃないんだ」
彼の言っていることがわからず、優樹は「えーと……。……えっ?」と戸惑う。
「とにかく、包み隠さず全部話せってことよ。わかった?」
生美に睨み言われた優樹は「はっ、はい!」と、背筋をピンと伸ばして硬直しながら返事をし、そして、ためらいながら考え、そこに突っ立っているわけにもいかず、
「と、とりあえず……、家、入ろうか」
と、彼らを誘った。
そのまま路地を歩き出す優樹のあとをみんなが追うが、敷地に入らない彼女に生美は顔をしかめた。
「あそこが門じゃなかったの?」
問い掛けに、優樹は「ああ……」と小さく声を漏らし、苦笑気味に振り返った。
「正門の方は、ほとんど来客用なの。送迎車とか。あそこから入ってもいいんだけど、東棟までちょっと遠回りだから」
「ヒガシムネ?」
白川が顔をしかめると、優樹は「うん」と頷いた。
「お父さんたちがいるのが北棟で、お家で働いてくれているみんなが西棟。私とお姉ちゃんは、東棟なの」
「……。家がわかれてるってコト?」
「うん」
「……、親と一緒に住んでないのか?」
「え? みんなもそうでしょ?」
キョトンとした顔で聞かれ、みんなは「……はは」と微妙な笑顔で返した。どうやら、かなり次元が違うようだ。
しばらく路地を歩き、角を曲がって更に歩くと、正門とは違う、小さめの門が見えてきた。小さいとは言っても、車一台は充分通れる程の大きさはあるが……。その場所から、白い洋館が見える。
門の側にあるナンバーキーに番号を打って黒い枠に指を押しつけると自動でドアが開き、優樹が「どうぞ」と誘うと、みんな、敷地内に入って辺りを見回した。
まるでどこかの公園か、施設にでも足を踏み入れたよう。石畳のすぐ正面には“普通の一軒家”並の洋風の邸宅があるが、その奥にも四階建ての建物と、更に日本家屋の建物など、数戸の建物が見える。周りは多く植樹されているし、そこから見える花壇も広い。
“東棟”に着くと、ドアが開き、そこからメイドが出て来て出迎えた。
「おかえりなさいませ、優樹様」
「ただいま、さっちゃん。バアバは?」
「お婆様は、奥様と外出なさってます」
優樹は笑顔で会話して、みんなを中に通した。既に玄関先には人数分のスリッパが用意され、その側でもメイドが「おかえりなさいませ」と愛想のいい笑顔で出迎えてくれた。
優樹がメイドに「何かジュースとケーキを――」と聞いている間、白川は洋一にコソコソと囁いた。
「……オレ、なんか、怖い……。どうしよ……」
怯える白川に、洋一は苦笑した。
「大島って聞いてわからなかったのか? あいつ、“一応”、大島財閥のご令嬢サマだぞ」
白川はキョトンとしていたが、
「優樹、おかえりなさい」
そう声がして見上げると、エントランスホールの奥、吹き抜けの螺旋階段の二階から大きな窓ガラスを背に綺麗な女性が微笑んでいた。
「ご学友の方々? こんにちは」
ニッコリと微笑まれ、洋一と白川は「こんにちわ!!」と、顔を輝かせて身を乗り出す。
優樹は「……この二人はホントに似てる……」と、内心思いながら、階段から下りて来る、姉の真里乃を見上げた。
「ただいま。奥の客間、使っていい?」
「いいわよ。……今、母は留守中で。ご挨拶出来なくてすみません」
申し訳なく謝る真里乃に、生美は苦笑気味に首を振った。
「こちらこそ、突然大勢で。お邪魔してすみません」
「いいえ。どうぞゆっくりしていってくださいね。あとで何かお飲み物を用意しますから」
「お気遣いなく」
と、立花も愛想良く頭を下げ、反町も笑顔で小さく会釈した。だが、洋一と白川は「でへへー……」と、だらしなく真里乃を見つめるだけ。優樹は「さ、さあ、どうぞ上がって」と、急かすようにみんなを誘導した。
客間に通されると、すぐに真里乃がジュースとケーキを用意してくれ、彼女が出て行くとみんなはガラステーブルを挟んだソファに向き合い腰を下ろす。
「……絶対嘘だ。ありえない」
早速ケーキを平らげる白川が訝しげに呟き、隣の洋一も真顔で頷いた。
「優樹。白状しろ。おまえ……どこの子だ?」
彼らの対面側の優樹は疑い深い目を向ける二人に目を据わらせ、そんな彼女の隣で生美は吐息に呆れの色を滲ませた。
「何馬鹿なこと言ってンの、あんたたち」
「信じられるかっ? あのお姉様に“これ”だぞっ?」
彼女の向かいに座る洋一が優樹をフォークで差す。“これ”扱いされた優樹はムスッと頬を含ませて口をへの字に曲げた。
「悪かったわね。似てなくて」
拗ねて口をとがらせる優樹に、生美はジュースを飲んで苦笑した。
「そんなことないわよ。似てると思うわよ、ね、流?」
「似てるね」
生美を挟んで、優樹は同じソファに座る反町を身を乗り出して見た。
「え、……そう?」
「残念ながら、中身までは似なかったみたいだけど」
優樹は眉をつり上げながらも薄ら笑い、反町は「うん、おいしい」とケーキを食べ、間に挟まれている生美は何も言わずにジュースを飲む。
和んだ空気に、立花はソファにもたれて腕を組み、ため息を吐いた。
「おまえらチャラケてる場合かよ」
その出だしに、みんな彼に注目した。
「今日と昨日で三人も死んだ。偶然なワケはねェんだぜ。逃げた和田だって、今頃どうなってるかわかんねえし。このまま何事もなく終わるとは思えねえけどな」
どこか睨むように、真顔で言う立花に感化され、みんなもようやく真剣な表情で考え出す。
「三人とも自殺か、他殺か……。それによって状況は変わる」
反町がケーキ皿を置いて言うと、生美は顔をしかめて白川を窺った。
「自殺なんて余程の事よ? その浜田って奴、何か思い詰めてたの?」
「オレ、一週間くらい前に会ったけど、そんな感じはしなかったなー……」
「優樹のクラスで死んだ二年はドラッグでラリってた。上野って女子も、ドラッグって話しなんだろ? 浜田も同じなんだろうな」
洋一が呆れるように鼻から息を吐くと、白川は残念そうな表情をしながらも、洋一を挟んだ立花の、手を付けてないケーキに手を伸ばした。
「立花、ちょうだい。……みんなやってんだなー。ドラッグ」
「やるんじゃねえぞ」
立花に睨まれ、白川は「やらないってー」と、頬を膨らましながらケーキを食べ出す。
優樹は俯いていたが、不意に顔を上げ、ソファを立って部屋の隅に移動してポケットから携帯電話を取り出した。
「はい、優樹です。……あ、牧田さん……」
電話に出た優樹をみんなは視線で追い、そして顔を見合わせた。
「その、逃げた和田って奴、どこにいるか見当付かないの?」
「そんなに仲良くしてないしさー。家も知らないし」
生美に聞かれた白川は困った顔で口をとがらせつつ首を振る。
反町は、こちらに背を向けて話している優樹を見た。彼女の方は「そうなの? ……じゃあ、みんなは……」と、何か深刻そうに話し込んでいる。
「“次”ってさー、やっぱ、和田なのかなあ」
「可能性は高いだろうな」
「やだなあ。夢に出てきそうでー」
情けない表情をしながらも、白川が二個目のケーキを平らげる、その間に、優樹は電話を一度切って、どこかに掛け始めた。だが、相手の電源が切れているのか、繋がらない。一旦通話を切って、不安げに携帯電話を見つめていると、背後に近寄って来た反町が横に並んだ。
「……何かあった?」
優樹は反町を見上げ、戸惑い、俯きながら目を泳がした。
「う……、ん……」
「何?」
「……、う、ん……」
優樹はためらっていたが、顔を上げ、反町の背後に目を向けた。
「……立花……?」
弱い声で名指しされた立花は顔を上げ、もたれていたソファから背中を離した。
「なんだよ?」
「あの……、どうして、その……後藤さんに、今日、呼ばれたの?」
「……会って欲しい奴がいるって、強引に連れ出されたんだ」
「……理由は?」
「特に何も」
「……」
「なんだよ? 後藤がどうした?」
困惑しているかのように目を泳がす優樹に、立花は顔をしかめた。だが、優樹はそれ以上切り出さない。
反町は、「……大島さん?」と、真剣な目で覗き込んだ。何か問い質すような、その真っ直ぐな視線から逃れるように、優樹は戸惑い俯き、携帯電話をギュッと胸の前で握った。
「……後藤さん……、……嘘、ついてた……」
「はあ?」
立花が訝しげな表情をすると、優樹は焦るように彼を振り返って口走った。
「立花も聞いてたでしょ? 私のクラスのみんな、キリストの企画を嫌がってたとか、二年の先輩を使うことは知ってたとか。……違うって。そうじゃないって。今、クラスの子からの電話で……」
立花の表情が段々と強張ってくる。優樹は、そんな彼から視線を逸らし、携帯電話を見つめた。
「キリストの提案は上野さんからだったけど、みんな賛成して手伝ってたって。ただ、二年の先輩の事は知らなくて、キリストには人形を使うはずだったんだって。……上野さんがドラッグやってたなんて、みんな知らなかったし、上野さんの友達も、みんなも、上野さんはドラッグをやるような子じゃないって言ってるみたいで……」
言いながら優樹は困惑げに眉間にしわを寄せ、俯いて目を泳がした。
「全部違うの。後藤さんが言ってたこと。それに昨日、みんな、特に後藤さんから事件のこと聞かれてないって」
「な、何? どゆこと?」
白川がオロオロと、真剣な表情をする立花と、戸惑う優樹を交互に窺う。
優樹は、小さく首を横に振って再び携帯電話を見た。
「……わからないの……。……後藤さんに電話しても出なくって……」
「後藤さんって、誰?」
反町が真顔で訊くと、優樹は彼の方は見ずに答えた。
「私のクラスメートで……新聞部の子。……よく、お話ししてたの。……今回のことも、いろいろと情報を集めてたみたいで……、私にも教えてくれて……。でも、……嘘なんて……」
「なんで大島さんに情報を?」
優樹は「……え?」と、真剣に、けれどどこか訝しげな顔をする反町をキョトンと見上げた。
「新聞部員だから情報収集が務めなのはわかるよ。でも、有力な情報は、それこそ警察に伝えるべきだ。なのに、なんで大島さんに?」
「……なんで、って……」
目を細めて訊く反町をじっと見つめる優樹の脳裏に、美代子に関する過去が甦ってきた。段々と表情が強張り、そして、震える唇から出てきた言葉――
「奉……仕屋……?」
ボー然と、悲しげに呟いた優樹は一瞬、目に涙を浮かべたが、それを零すことはなかった。瞬きを繰り返す目を泳がしながら、俯いていく。
「早く……復活して欲しいって。応援……するって……。だから、協力する、って……」
たまらなく不安で、怖くなってきた――。
携帯電話を握る手が震え出す、戸惑う優樹に、反町は真顔で告げた。
「その子、本当は何か重要なことを知ってたんじゃない?」
「……」
「学園のことに詳しかったはず。何かを知って、どうにかしたかったから大島さんに近付いたのかも」
反町の話しに、他のみんなは唖然とした表情でいる。
「新聞部は、奉仕屋と長い付き合いがあった。学園で、誰よりも奉仕屋の意味を一番理解しているって言っても過言じゃない。……奉仕屋のこと、……大島さんのことを知っていたのなら、何かを伝えたかったのかも知れない」
優樹は咄嗟に顔を上げて、言葉を切った反町を見つめた。
……何かを――?
『新聞部にいるとね、いろんな情報が入って来るんだ。中にはホント、助けてあげたい、ってことも……。そんな時思うの。“あの人たち”がいてくれたらな、って……。あの人たちがいなくって、みんな、やりたい放題。表向きはいい子ちゃんたちの集まりでも、裏を返せば悪の巣窟。……私たちに残された希望は、大島さんだけ……』
『……早く気が付くべきだった』
『……にしてもさ、上野さんまで殺すなんて……。許せないよね。早く捕まって欲しいわ』
……捕まって、欲しい? 他殺か、自殺か、わかってないのに? ……ううん……――
「……、知って……る……」
優樹は愕然とした表情で呟いた。
「……知っ、て……」
口を押さえて俯き、肩を震わせる優樹に、反町は何か気が付いたのか、咄嗟に立花を振り返った。
「立花! 後藤さんの行きそうな所は!?」
「行きそうなっ……。白川っ!」
思い出せずに焦って白川を振り返るが、彼は彼で話しを振られるとは思っていなかったのか、驚いてうろたえた。
「わ、わかんないってーっ。あいつ、大人しくしてないしーっ!」
反町は軽く舌を打って、焦り出すみんなを見た。
「何かを掴んでるなら“相手”だって気が付いているかも知れない! 今見つけなくちゃいけないのは和田じゃなくてその子の方だ!」
「全然わからないの!?」
生美が脅すように白川に向かって身を乗り出すが、彼は半べそを掻いて、隣りの洋一の腕にしがみついた。
「そっ、そんなこと言われてもー!」
「待てよっ」
立花が少し目を見開いてソファを立った。
「あいつっ……情報を集めるって言ってたな……」
その言葉に反町は目を動かした。
「情報……」
「っつうことは、知り合いの所か、もしくは……」
立花と反町は顔を見合わせた。
「……学園だ」
「お姉ちゃん!!」
「はいっ!」
自室で音楽を聴いていた真里乃は、突然、ノックも無しに入って来た優樹に驚いて立ち上がった。
「な、何っ? どうしたのっ?」
「お願い! 学園まで車を出して!!」
「えっ? えっ、何っ。学園って……今、立ち入り禁止でしょっ?」
「いいから!!」
「で、でも」
ためらって動かない真里乃に、優樹は苛立ちが募り、言い切った。
「石田さんに会わせてあげるから!!」
真里乃は顔を赤くすると、「えっ、う、うん」と、慌てて車の鍵とショルダーバックを手に取ったが、ふと自分の格好を見下ろすなり、その場で右往左往し出した。
「き、着替えなくちゃ……」
「……んもー!! そのままでいいから!!」
強引に引っ張られ、真里乃は訳もわからずマイカーのワンボックスにを用意し、みんなを乗せて学園まで走らせたが、その手前で車を止めると、みんなは挨拶もそこそこに「急げ!!」と学園に走っていき、残された真里乃は「……ひょっとして……利用されただけ?」と、キョトンとした。
学園の高等部門前にはまだ非常線が張られ、数人の見回りの警官の姿もある。
「中に入っていいのかな!?」
「入っちゃえ!!」
と、白川が非常線を越え走ると、みんながそのあとに続く。しかし、そのまま見つからないわけがない。校舎が大きく見えてきたところで、「こら! おまえたち!!」と、見回りの警官がやって来てみんなを制止した。
「立入禁止だぞ!! 帰りなさい!!」
「友達が中にいるかも知れないんです!」
優樹が近寄って来た警官に悲痛な表情で訴えるが、しかし、彼は憮然な態度で大きくため息を吐いた。
「誰も中には入っちゃいない。帰りなさい」
「確かめさせてよ!!」と、白川が口をとがらせると、「ちょっとだけでいいから!!」と、洋一も続いた。
「しつこいようだと学園に通報するぞ」
警官は腰に手を置いて、みんなを睨み付ける。何を言っても聞く耳を持ってはくれなさそうだが、ふと、生美は何かに気付いて顔を上げ、斜め後ろにいる立花の脇腹を軽く肘で突いた。
「ちょっと、……あれ、何……?」
戸惑うような生美の声に、みんなが彼女の視線を追った。――向かいの校舎、その屋上に何か白い物が見える。旗のように風になびいているが、旗その物ではない。
「……人だ!! 屋上に誰かいるぞ!!」
立花が指差し大声で叫ぶと、警官も振り返り、ギョッ! と身動いだ。
「なっ……! 誰だ!!」
「……一人じゃない」
じっと見つめていた反町が目を細めて呟いた。
「……二人だ……」
確かに、白い布に“包まれた何か”と、それを支える誰かが見える。……その、“白い物”はいったいなんなのか――。それを考える間もなく、みんなは一斉に走った。
「おい!! 勝手に!!」
警官が驚いて止めようとするが、そんな彼を反町が振り返った。
「早くしろ!! 人が落ちて来るんだぞ!!」
その言葉に、警官は慌ててすぐに無線で何か連絡を取り合う。
「マットを集めるんだ!! 早く!!」
「倉庫にあったはず!!」
洋一と立花、そして白川がすぐに体育倉庫へと走っていく。その時にすれ違った大人たちに「屋上から人が!」と訴えた。
反町が携帯電話ですぐに119に連絡していると、どうすることも出来ずにうろたえて屋上を見上げている優樹と生美に警官たちが詰め寄って来た。
「何をやっているんだ!!」
「ここから出て行きなさい!!」
優樹と生美を押さえ付けようとする警官たちに、
「落ちて来るかも知れないんだぞ!!」
と、反町が駆け寄って怒鳴り、睨み付けて腕を振った。
「落下の衝撃を抑えられるだけのマットを用意しろよ!! 見殺しにするのか!!」
警官たちはさすがにムッと来たのだろうが、確かに事は重大だ。表情に苛立ちを浮かべながらも、洋一たちが駆けていった倉庫へと走って行った。
反町は、戸惑う優樹と生美を振り返って二人を押しやった。
「ここから離れてるんだ!」
彼のその言葉に、二人は困惑気味に顔をしかめ、生美がグッと食い下がった。
「どうしてよ!? あれ、後藤って子かも知れないんでしょ!?」
「いいからあっちに行ってろ!!」
突っ掛かって来る生美に反町が怒鳴った。初めて見るその怒りように優樹はビクッと肩を震わしたが、唇を震わせ、目にいっぱいの涙を溜めた。
「……死なない……でしょ……?」
反町は息を切らし優樹を見た。
「……死なない……。……そう、でしょ……?」
反町は奥歯を噛み締めたが、「見つけたぞ!! トランポリン!!」と言う声に振り返り、二人に目を戻した。
「……絶対に近寄るな」
真剣な表情でそれだけを告げて、洋一たち、みんなが運んで来る大きなトランポリンに駆け寄る。
みんなで屋上を見上げながら「もっとこっち!」「そっちだ!」と、位置を確認し合っていると、白い塊が揺れ動いた――。
「駄目ェ!!」
生美の甲高い声が響き、みんなが息を飲む。
「……右だ!!」
「寄せろ!! 早く!!」
素早くトランポリンの位置を運びずらす、その向こうから白い布に包まれた何かが落ちて来る。
「来るぞ!!」
「落とすなァ!!」
誰かの声が終わるか終わらないかのその時、バスンッ、と、トランポリンの上で白い物が弾み、飛んだ。「やった!!」と思ったのも束の間、弾みの付いたそれは宙を高く舞い、トランポリンの枠からはみ出した。
「うお!!」
「ずらせ!! 早く!!」
「そっちそっち!!」
慌てて持ち上げて運び出すが、みんなが「助かった」と思って油断していただけに、息が合わなくなっていた。
「間に合わない……!!」
地面に落ちる――!! そう誰もが脳裏で最悪の結果を描いた時、「くそ!」と反町が走り出していた。
「流!!」
洋一が驚いて追い掛けようとした目の前、腕を伸ばし、ヘッドスライディングでもするように地面に仰向けに滑り出た反町の体に、その白い物が鈍い音を立てて落ちた。
「反町君!!」
「流ェ!!」
優樹も生美も、洋一たちみんなが駆け寄り、まず、反町の上から白い物を抱え退けた。
「流!! おい!!」
側に跪いた洋一が目を閉じたままぐったりとしている反町の顔を覗き込んだ。
「キミ!! しっかりしろ!!」
「救急車はまだか!?」
「この子の息は!?」
「屋上のヤツを確保しろ!! 逃がすな!!」
「おい!! 後藤!!」
白い布を捲り下ろすと、そこからぐったりとした美代子が現れ、立花は彼女の体を抱き支えた。
「後藤!! しっかりしろ!!」
「流!!」
いろんな叫び声が混ざる中、優樹はボー然と息を震わせた――。
洋一は反町の肩を掴んで「おい!!」と、必死な表情で揺さ振っていたが、それをピタッと止めた。
「……し、死ぬかと……思った……」
か細い声と同時に反町の目が開いたが、洋一は安堵が怒りに変わり、カッと顔を赤くして睨み付けた。
「おまえなぁ!!」
「あ……、う、動かさ、ないで……」
「はあ!?」
「ほ、骨……が……」
「骨!?」
洋一が目を見開いて驚き反町の体から手を放すと、
「こっちも無事だ! 息がある!!」
と、立花の傍、白川の嬉しそうな声が響いて生美はホッと胸を撫で下ろした。
――だが、当の犯人は……
「屋上は!?」
「捜査班を呼べ!!」
警官たちが騒々しくなり、遠くからもサイレンが聞こえ出す。
反町は「……てて」と痛みに顔を歪めながら、脇腹の辺りを押さえていたが、不意にボンヤリと見下ろす優樹と目が合い、「……あ」と声を漏らした。
「……おお……し……――」
優樹がガクン、と跪き、生美は「あっ」と彼女の肩に手を置いた。――肩が震えている。
優樹は地べたに座り込み、俯き、息を詰まらせた。
「……っ、……あ、……あり、がと……。……ありが、とう……っ」
反町はじっと優樹を見ていたが、懸命に涙を拭う姿に小さく笑みを溢した。
「……どう、いたしまして……」
《後藤の方は、意識がまだ戻らなくてさ。一応、保護の為に警察病院の方に運ばれたらしい。流は、自分ちの病院に入院したから》
「そう……。怪我の具合は? どうだった?」
《あばらと鎖骨の骨折にヒビ。打撲に擦り傷少々》
「そ、そんなに?」
《あの衝撃でコレは軽い方だぞ。あいつ、体鍛えてたし、地面がアスファルトじゃなかったから幸いしたんだってさ》
「そう……なんだ……」
《一週間は入院するって話しだ》
「……うん……」
夜になり、状況が気になった優樹は、洋一の携帯電話へと連絡を入れた。
――あれから石田と合流して、と同時に「加藤さんに見つかるとうるさいから!」とみんな“避難”され、そして、石田に今までの事情を全て話してそれぞれ帰宅。洋一は反町が運ばれた救急車に同乗して反町病院へ行っていた。優樹も同行したかったが、待っていた真里乃に捕まって、どうしようもなかった。
優樹は自室のソファの上、視線を落とした。
「……怪我、早く治るといいけど……」
《大丈夫だろ。あいつ、タフだから。それより、そっちは?》
「ん、特に何も……。石田さんとお話ししようと思ったんだけど、お姉ちゃんとずっとお話ししてるから」
《お姉様と石田さんって、どーゆー関係なんだよ!?》
問い詰めるような突然の大声に、優樹はため息を吐いた。
「さあ? お互い好きみたいだけど、よくわかんない」
《くっそーっ。先を越されてたまるかーっ》
「それより……、その……、山口君……」
《おぅ?》
優樹はためらいがちに目を泳がし、俯いた。
「……あの……、……反町君の病室……どこ、かな……」
《病室?》
「……うん……」
優樹は頷きながら、膝に掛かるスカートを握り締めた。
「……お見舞い……行った方が、いいかな、って……」
《そっか。東棟の七階の十二号室だ》
「十二号室、ね……。わかった」
《個人部屋だからって、寝込みを襲ってやるなよ?》
「何それ?」と、優樹は顔をしかめた。
《……でも、大丈夫か?》
「え? 何が?」
《あそこの病院ってさ、……ほら、……翔太先輩……》
曖昧に言葉を濁す洋一に、優樹は間を置いて苦笑した。
「……うん、大丈夫……だと思う。……南棟の方に行くんじゃないし……」
《一人で行けるか? 明日、どうせオレも暇だし。一緒に行こうか?》
「ううん。……大丈夫。様子を見て、すぐに帰るつもりだから……」
《そっか。……あいつも喜ぶと思うよ》
「えー、そうかなあ」
優樹は少し笑いながらソファを下り、勉強机の方に向かった。
「凄く嫌みなことを言われそう」
《プッ、わかる!》
吹き出し笑う洋一に合わせて優樹も少し笑い、机の上の鞄を広げて中身を出した。
《明日、また午後から会うか?》
「んー……。石田さんに大人しくしててって注意されちゃったし、お姉ちゃんに見張られてそうな気がするから。……レポートもやらなくちゃ」
鞄の中から教科書類を取り出し、そして校内新聞を手に取り、サッと目を通す。
《まあ、なんかあったらいつでもケイタイして来いよ》
「うん……。ありがとう、……ごめんね」
《何言ってんだよ。オレたち、友達だろ》
優樹は間を置いて小さく微笑んだ。
「……はいはい」
《スルーかよ!?》
「はいはい」
《もういい! 拗ねてやる!》
優樹は少し笑って鞄を定位置に直し、ベッドルームに向かった。
「それじゃ……。今日はホントにありがとうね……」
《おう。ゆっくり寝ろよ。なんなら腕枕しに行ってやろうか? 今ならフリーだぞ?》
「はいはい」
《……。行くぞッ?》
「来ないで」
《チェ》
「ふふ。……それじゃ、……おやすみなさい」
《おう。またな》
「うん……」
通話を切ると、優樹はベッドカーテンをくぐってベッドに乗り、枕元に携帯電話を置いて仰向けに横になった。
……とにかく疲れた。美代子も反町も無事だったのは安心したが、未だ逃走中の犯人のことは気になる。早く捕まって欲しい。そんなことを考えながらボンヤリとベッドの天蓋を見つめ、深く息を吐くと、そのまま深い眠りに就いた――。
『たとえば、こういうことを思う。何でこんなコトに? って。……後悔にも似てるかもな。けど、こんなコト、っていうのは、そうならなくちゃわからないことなんだよ。誰にもさ。……結果って言えばそれまで。けど結果っていうのは、ある原因から導かれた結末の状態を言う。……結果はまだ見えていないんだ。まだ結末じゃない。結果は、それこそ……未知の世界なんだ。そして、その未知なる扉を開けていくのは……誰だ?』
『……。翔太先輩たち?』
『違う違う。そうじゃない』
『ん?』
『オレたちは、切っ掛けに過ぎないんだよ』
『……そうなの?』
『ああ』
『……頑張ってるのに?』
『バカだな、おまえは。それじゃまるで見返り期待してるみたいじゃないか』
『……そっか……』
『いいか、優樹。始まりがあれば終わりがあるんだよ。けど、終わったらまた始まるんだ。わかるか? ……そこにいちゃ、いけないってことさ』
「……痛い?」
「……まあ……ちょっとね。でも……昨日よりマシ……」
翌日、反町病院――。
病院の中でも豪華な造りの個人部屋、自動ベッドを軽く起こして楽な格好をした反町に、来客用の椅子に腰掛けた優樹はお見舞いの菓子折を棚に置いてから改めて頭を下げた。
「……昨日はホントにありがとう。……後藤さんも無事だったし……」
「……いいよ……。あー……。……うん」
しゃべると酷く痛むのだろう。何か話しをしようとするのはわかるのだが、途中で止めてしまう。
優樹は少し心配そうに、すまなそうに上目遣いで彼を見た。
「……ごめんねホントに。巻き込んじゃって……。大怪我させて……」
反町は軽く首を横に振って苦笑した。
「……大島さんは……悪くないよ。……オレが勝手に、やったこと、だから」
「ううん。……あの時、……あの時反町君、離れてろって言ったのに……。私、変なこと言っちゃったから……。無理、させちゃったんじゃないかなって……」
悲しげに俯く優樹に反町は少し笑った。
「……そんなことないよ。……オレは……なんとかなるって、確信出来たから、そうしただけ……」
反町は深く息を吐いて、穏やかな表情で天井を見た。
「……後藤さんも無事だったし……。……これがベストだったんだ。……前向きに行こう」
「……、うん……」
優樹は申し訳なさそうに笑って頷いた。
「……犯人は? ……見つかった?」
急に真面目な顔で問われ、優樹は首を横に振った。
「ううん……。夜、石田さんにケイタイして聞いてみたけど……、あのあと、警察と、先生たちと、みんなで探したけど見つからなかったんだって」
「……後藤さんは?」
「意識は戻ったって。大きな怪我もないって言ってた。でも、ちょっとショック状態、とかで……長くお話しが出来ないんだって」
「……そうか……。ひどい目に遭ったからな……」
「詳しい話しを聞きたかったんだけど、もう、関わっちゃ駄目だって、怒られちゃったから……」
「……仕方ないね。……それが仕事だし」
苦笑しつつ、腰に置いてある枕の位置を調整しながら「……てて」と、軽く声を漏らす反町に、優樹は「あ!」と、慌てて顔を上げて椅子を立った。
「ご、ごめんなさい! 長々とお話ししてっ……! 怪我、痛いよね!」
「……大丈夫。……平気だよ」
「ううんっ、ゆっくり休んでっ。早く良くならなくちゃ!」
優樹は焦るように軽く身を乗り出して窺った。
「あっ、今度来る時、何か欲しい物あれば持って来るよっ? 何か欲しい物あるっ?」
「……何もいらないよ。……来てくれるだけで、充分。……それだけで、嬉しいから」
力のない、囁くような声だからか、とても優しく聞こえる。
微笑む反町に、優樹は戸惑いながらも「……う、うん」と頷いたが、その時、視界に映ったゴミ箱の中、見慣れた物が見えた。
「……反町君って、校内新聞、ちゃんと読んでくれてるんだね……」
優樹の視線の先に気付いた反町は「……ああ」と、軽くそちらに目を向けた。
「まあ……暇だったから」
「……だよね。みんな、今はほとんど読まないから……」
残念そうな笑みに、反町は少し首を傾げた。
「……大島さんは……ちゃんと読んでるの?」
「うん。なんだかそれが癖になっちゃって。……ほら、学園の情報、いろいろ載せてくれてるでしょ? だから……役立つの」
「……そっか……」
「あ、そういえば、後藤さん、初めて手記したって言ってた。見た?」
笑顔で問う優樹に、反町は少し顔をしかめた。
「……後藤さんの? ……いや……オレ、気が付かなかったけど……」
「じゃあ、小さな記事だったのかな」
「……記者名簿には、後藤さんの名前、載ってなかったと思うけど……」
「ホント?」
優樹は訝しげに眉を寄せ、そして笑顔でゴミ箱に手を伸ばした。
「私、まだちゃんと読んでないの。拾って見ていい?」
「ダメダメっ」
反町が慌ててそれを制止した。
「ゴミ箱の物を取っちゃ駄目だ。特に病院のゴミは何が入っているかわからなくて危ないから」
真剣に説かれ、優樹は間を置いて顔をしかめた。
「……反町君が読んだ新聞って……危ないの?」
「じゃなくて」
反町は「ったく……」とため息を吐いた。
「基本的に、ゴミ箱のゴミは漁る物じゃないだろ?」
「新聞を取るだけだよ?」
それでも平気な顔で手を伸ばす優樹に、反町は「駄目だって」と再度注意する。
「大体、人が捨てたゴミを取ろうなんて失礼だ。キミはそういうことを」
「あれ?」
話しなど聞かずに、優樹はガサッと、ゴミ箱から新聞を拾い上げた。
「こら。人の話しをちゃんと聞かなくちゃ駄目だって」
呆れるように言うが、優樹は新聞を広げて顔をしかめた。
「これ……、私がもらった新聞じゃないよ?」
「……、え?」
「まだ、ザッと目を通しただけだけど……こんな内容じゃなかった。これ、いつの新聞?」
「……この前のだよ。……学園祭の時、新聞部が配ってた」
「ホント? ……おかしいなあ、私、前の日にもらったからかなあ」
訝しげに新聞に目を通す優樹に、反町はふと、顔を上げた。
「もらったって……誰に?」
問われた優樹は、新聞から反町に目を向けた。
「……後藤さんに。……試し刷りの分だけど、って。特別に」
反町は少し考え、真顔を向けた。
「その新聞、大島さんのみに渡されてるなら……、何か、後藤さんのメッセージが、載ってるんじゃない……? 初めて手記した、って言ってたんなら……なおさら」
優樹はじっと反町を見つめていたが、思い出したように新聞を握り締めた。
「こ、これっ、もらっていってもいいっ?」
「……え?」
「あっ、全然汚くないしっ。危なくないしっ。私、平気だからっ。……私がもらった新聞と、見比べたいのっ。だからっ」
口走る優樹をじっと見て、反町は小さく頷いた。
「……わかった。……じゃあ、持っておいで」
「……へ?」
「……オレも、一緒に見るから」
「い、いいよっ、無理しなくてっ。怪我、痛いんだしっ」
「……無理なんかしてない。……心配だから」
真剣な反町に優樹は表情を消し、そして、グッと新聞を握り締めて、不安そうな顔で身を乗り出した。
「大丈夫! 山口君たちには内緒にしておくから!」
「……、あー……。……はい?」
「だよねっ。山口君たち、何するかわかんないから心配だよね!」
「……あ、い、いや……、じゃなくて……」
「任せてっ。……メッセージだね。うんっ、見つけてみるっ。頑張るっ」
再び新聞を見つめて意気込む優樹に、反町は頬を引き攣らせて笑った。
「あ、あの……大島さん? オレが言いたいのは、そういうことじゃなくて……」
一旦呼吸して、言葉を続けようとしたその時、ドアが開いて、そこから少女が飛び込んで来た。
「流!?」
――鈴木加奈だ。目にいっぱい涙を溜めて、本当に心配そうな表情でベッドに駆け寄って来た。
「さっきおじ様に聞いたっ! どうして連絡をくれなかったの!?」
責めるような、悲しげな表情を見せる彼女に、反町は「あー……」と視線を上に向けた。
「……連絡出来るような……状況じゃなくって……」
「心配したんだからっ。……凄くっ……!」
「……あ……。……ごめん……。そんなに、たいした怪我でもなかったから……」
唇を震わせる加奈に、反町もすまなさそうに謝る。
優樹は二人を交互に見て少し戸惑っていたが、その気配をやっと感じたのか、加奈は優樹を振り返ると、深く頭を下げた。
「すみませんっ、流がお世話になってっ」
「あっ、い、いえっ、こちらこそお世話にっ……」
優樹も慌てて頭を下げると、加奈は零れた涙を拭いながら鼻をすすった。
「もうっ……、大島さんにまで迷惑掛けてっ……。ホント……心配させないで……」
グスグスと泣く加奈に、優樹は「……どうしようか」と思ったが、ためらいながらも、反町に少し笑みを溢した。
「あ、それじゃ……私はこれで……」
反町は顔を上げて優樹を見た。何も言わないが、けれど、何か言いたそうな顔をしている。しかし、優樹は笑って頷いた。
「ゆっくりして……ください」
優樹は小さく会釈してドアの方に進むと、そのあとを加奈が追い掛けて来た。
「本当にすみません、大島さん……」
「あ、いえっ、私は何もしてないし」
優樹は、涙を拭う加奈に笑って見せた。
「反町君の傍に、いてあげてください」
「……、はい」
加奈は少し笑みを溢して頷いた。
優樹は「それじゃあ」と、笑顔で会釈して部屋を出ようとしたが、「大島さんっ!」と呼ばれ、ベッドの方を見た。加奈も、同時に振り返る。
反町は身を乗り出すようにシーツを掴み、真剣な表情で優樹を真っ直ぐ見た。
「……絶対に無茶はしないで。……何かあったら、すぐここに来て」
「……、ありがとう」
優樹はニッコリと笑った。
「でも、大丈夫ですから。……それじゃ、お大事に」
ぺこりと頭を下げて部屋を出た優樹は、廊下を歩きながら前を見据えた。
……メッセージ、見つけなくちゃ。……犯人を見つけなくちゃ!
決意を新たに、グッと意気込んで家に戻った、が――
「一人で勝手なマネは許さねーぞ、優樹」
昨日と同じ客間に、反町を除いたみんなが集まっている。
家に戻って来ると、洋一たちが待ち構えていたのだ。訳がわからずに事情を聞くと、
「流から連絡があったぞ。おまえが変なことをしそうだ、ってな」
と、睨まれた。
……反町君のバカ。なんで山口君に連絡するのよー。
優樹はムスッとふて腐れた。
「勝手なマネなんかしてないもんっ。私はただっ」
「ただ、なあに?」
隣りに座る生美の涼しい笑顔に、優樹はビクッと肩を震わしつつも、用意した校内新聞をテーブルに広げて置いた。
「……学園祭の前に、後藤さんが試し刷りの新聞をくれたの。初めて手記した記事が載ってるんだって。……でもこの新聞、反町君が持ってた校内新聞とは内容が違ったの。同じ日の新聞だったのに……」
優樹は二種類の新聞を並べて、じっと見つめた。
「反町君が言ってた。後藤さんは、何かを伝えたかったんじゃないか、って。……だから、この二枚を見比べて、おかしいところを見つけなくちゃ」
みんな、身を乗り出して新聞の内容をザッと目で辿った。
「……出だしの内容から違うんだな」
立花が訝しげに眉を寄せた。
「かといって、たいした内容の記事じゃねえし……」
「変なことは書いてなさそうよね」
生美は手を伸ばして新聞のページを捲ったが、ふと、その手を止めた。
「ねえ優樹。これ、優樹の字?」
大きく捲って指差したそこ、新聞の端に手書きの文字が記されている。優樹は軽く身を乗り出して確認すると、顔をしかめつつ首を横に振った。
「……ううん、違う……」
「ケイタイの番号よね、これ。……こっちは……ネット? URLみたい」
「どれどれ?」
白川が覗き込み、生美が「ほらこれ」と、新聞を引っ張り見せた。
「ホントだ。んじゃあ……見てみよーか」
白川はすぐに鞄の中からノートパソコンを取り出し、テーブルに置く。
隣りの立花は、手書きの文字の番号を見て、上着から携帯電話を取り出した。
「……掛けてみるか」
「ケイタイはやめた方がいいんじゃないか?」
洋一が訝しげに言うが、立花は構わず番号を打ち出した。
「変な奴に繋がれば、解約すりゃいい」
「うわ、なんだこのサイト」
ネットに繋げた白川がモニターを覗き込みながら嫌そうに顔を歪めた。それを見た優樹と生美は、ソファを立って彼らの背後に回り込む。
ノートパソコンの画面に映し出されたホームページは、真っ黒な画面に血の滝が上部から流れ、そして、「BLACKZ」と赤い表題が出ている。他にはこれといった特徴もなく、コメントもない。ただ、ENTERボタンが表題の下に陣取っているだけ。
「どうする? ……入ってみる?」
白川が不安げな表情で、画面を覗き込む洋一、そして背後から身を乗り出す優樹と生美を窺った。
洋一が間を置いて「……入ってみろ」と頷くと、白川はためらいつつもマウスを動かしてENTERボタンを押した。
「……、あれ?」
次のページにジャンプしない。いや、「ページが見当たりません」というエラー画面が出て来た。
「なんだよー。ページなくなってんじゃーん」
白川がドッと肩の力を抜いた時、「……あんた誰?」という立花の声にみんなが彼を振り返った。生美は背後から、立花の携帯電話に耳を近付けた。
《誰って……、ハッ、おまえこそ誰?》
少年の声だ。聞いたことはもちろんない。
生美は顔をしかめ、立花はそのまま言葉を続けた。
「この番号が載ってる紙をもらった。BLACKZってURLと一緒に」
《……。聞いてたのは、女子って話しだけど?》
「女子?」
《……奉仕屋の生き残り》
生美は目を見開くと優樹を見た。内容が聞こえない優樹は、「……?」と、不安げな表情で首を傾げている。
立花は少し目を細めた。
「……それで、……あんたは何か知ってるのか?」
《はは……。知りたいからケイタイして来たんだろ?》
「……」
《それじゃ、そろそろ女子に代わってくれよ。側にいるんだろ?》
「……、オレたちも聞かせてもらうぞ」
《いいよ》
立花は一旦耳から携帯電話を離し、白川に差し出した。白川が素早くコードを付けてパソコンに繋ぐと、パソコンのスピーカーから携帯電話の音が漏れ出し、「はい、いいよ」と、優樹に携帯電話を差し出した。優樹はためらいつつも、それを受け取り、耳に当てた。
「……あ、の……、もしもし……」
《大島さん、だよね?》
「……え? ……あ……」
優樹は戸惑ったが、生美が険しい表情で首を横に振ったのが見え、答えるのをやめた。だが、相手はそれを見透かしているのだろう。
《いいよ、わかってる。オレのことはケンタって呼んで》
と、あっさりと返して来た。
優樹はみんなと目を見合わせ、言葉を切り出した。
「あの……、ケンタ、君。……後藤さんから何か、聞いてないですか?」
《はは、あいつ、後藤って名前だったんだ?》
「……えっ!?」
優樹は驚いて立花を見たが、彼も「……ヤベ」と、口を一文字に閉じている。
《あ、いいっていいって。大丈夫。だからって何をどうしようとか思ってないから。その子とは会ったことなくってさ、オレはピョンコって呼んでたんだよ、ネットのハンドルネーム》
「……そ、そうだったんですか」
《ピョンコに言われてた。ひょっとしたら、BLACKZのことを聞いて来る女子が現れるかも知れないって。名前は教えてもらわなかったけど、奉仕屋の生き残りって聞いて、名前を調べたんだ。ごめんね。だからって、変なことする気はないから。ただ、見当違いの奴から電話があったらやばいなって思ったからさ。自己防衛でね》
「……、それで……後藤……ピョンコさんから何を?」
《えーと……どっから話せばいいかな》
ケンタは少し悩んでから話し出した。
《ピョンコから、どこまで聞いてる?》
「……全然何も」
《BLACKZ、見た?》
「あ、はい……。でも、ENTER押してもページに行かなくて……」
《だろうね。消されたんだよ、もう。元々、そのENTERの先にはチャットのページがあったんだ。知ってるよね、チャット》
「はい。……一応」
《ピョンコとは、そこで会ったんだ。でも、そこがどんなとこなのか、オレたちは知らなくってさ》
一旦息を吐いて、ケンタは言葉を続けた。
《……そこで知ったんだ。……あいつらのこと》
「……あいつら?」
《奥田浩二と、上野和美》
優樹は目を見開いてみんなを見た。白川が「浜田と和田はっ?」と、急かすように聞くと、
《誰それ? そいつらは知らないな。まあ……変な奴がいっぱいいたから、中にいたのかも知れない》
と、聞こえたのだろう、ケンタが答えた。
《奥田と上野だってわかったのは、あいつらのハンドルネームがキリストと白雪姫だったから。……この前の事件で、気が付いたんだ》
みんなは顔を見合わせた。
《あの二人はさ、自殺願望者だったんだよ》
その言葉に、一瞬空気が止まり、誰もが硬直する。
《あいつらは死ぬことを望んでいた。……その望みを叶えてやった奴がいるんだ、金と引換に》
優樹は目を見開き、「……そんな……」と、震える声で呟いたが、ケンタは構うことなく続けた。
《あいつらがドラッグやってたの、キミならもう知ってるだろ? ……幻想の中で生き続けて、現実に戻ることが怖くなったんだ、きっと。……オレとピョンコは、たまたま、あのチャットルームでキリストと白雪姫、他にスーパーマンと爆弾と学者って奴らの会話を見てたんだよ。そこで持ち上がったのさ、話しが。キリストも白雪姫もメチャクチャなこと言ってた。まあ、ドラッグのせいだったんだろうけど。自暴自棄になってさ、誰か殺して欲しい、とか……。スーパーマンと爆弾はおっかないって感じだったけど、生きているのも退屈だから、死んでもいいかな、って。学者はそんな奴らにちゃんと寿命で死ぬべきだって言ってたけどな。そこで出て来たんだ、誰が最初に死ぬと思う? って。……不気味な話しだろ?》
「……うん……」
《キリストも白雪姫も、死ぬ時はこう死にたいっていう願望があってさ、……それが学園であったものだよ。あの二人の願望を叶えたんだ》
「……誰が?」
《二人を殺してやるって、望みを叶えてやるって、学者が言った。その代わりに金をもらうけどなって。……その時は冗談だって思ったんだ。覗いてたオレもピョンコも。スーパーマンと爆弾も、じゃあオレは一億くれ、とか冗談言ってさ。けど最終的には勝手にやってくれって感じになって……それで終わった。……オレとピョンコは、そのあと、別のチャットルームに行ってさ、そこで、さっきの見たか、怖かったなって、話してたんだ。その時に、同じ学園に行ってるって事がお互いわかってさ。で……あのBLACKZ、どうやって入ったか、って話題になって。……あのホームページ、知ってる奴は知ってるけど、学園のサーバーにあるんだ》
「……、え……と……。つまり……」
《学園内の誰かが、あのホームページを作ったって事》
「……、あ」
《図書館の三階にパソコン室あるの、知ってるだろ? ……そこで変な画像を見た奴がいて、その情報を知った奴だけがBLACKZの存在を知ることが出来た。オレも、その一人。ピョンコもな》
「その噂なら聞いたことあるぞ」
と、白川が手を挙げた。
「なんか、図書館のパソコンに、たまーに怖い画像が映るんだって。履歴を覗くなっていうの、聞いた」
《それのことだ。……図書館のパソコンは学園のサーバーが管理してる。ネットを見るにしても、学園が許可したサイトしか見れないんだ。……そんな中、あの不気味なBLACKZだけは見れた。学園の誰かが作ったホームページなんだっていうのはすぐわかった。ただ、その目的だけはわからなかったけど。……ピョンコとチャットでそういうこと話してたらさ、なんか……ヤバい気がして来て。ピョンコとも話したんだ、もう、BLACKZには行かない方がいいかも知れない、って。このことは忘れようって。そのあとの連絡は、もう、チャットは使わないで、お互い、ケイタイのメアドを教えて、それで連絡し合ってたんだけど……、ピョンコからメールが来たんだ。……キリストと白雪姫が誰かわかった、って。……学園祭が始まる、三日前》
優樹は少し眉を動かして目を細めた。
「……準備で忙しくなった時、ね……」
《ピョンコは、自分のクラスでお化け屋敷をするんだ、って。そこで、キリストを象るって聞いて、驚いたんだ。……まさかって思ったらしくてさ、だから、企画を立てた奴に吹っ掛けてみたらしいんだよ、キリストは死なないよね? って。……上野にさ。……上野は、あっさりと白状したらしい。……死にたいから死なせてくれって》
「……」
《そんなこと言われても、それじゃあどうぞご自由に、って訳にはいかないだろ? ピョンコは、上野を説得したらしいよ。けど、上野の意志は固くって。……でも、それでも、ピョンコは止めたかったんだ。……冗談で終わることを望んでた。けど……もしもの事があるから、ピョンコは徹底して上野の身辺を探って、あいつらを殺してやるって言った学者の正体を掴もうとした。……結局、何もわからないまま、キリストも白雪姫も死んだけど》
「……」
《ピョンコは、もしかしたらスーパーマンも爆弾も学者に殺されるんじゃないかって思った。可能性はあるだろ? 話しに加わってたんだから。……ピョンコから最後の連絡があったのは昨日。……スーパーマンか爆弾か、どっちかが殺されたかも知れない、って。首吊っているところを見つけたって。……こうなったら、学園のサーバー室に入って調べるって。学者を追い詰めるって》
「……。後藤さん、……ピョンコさん、昨日、犯人に捕まって、学園の屋上から落とされたんです」
《……。……》
「……あ、大丈夫っ。ちゃんと無事ですからっ」
《……は。……よ、よかった……。ビビったぁー……》
「犯人はまだ見つからなくて……。私たちも、早く何とかしたいんですけど……」
優樹は悔しげに俯いた。
《……ことわりは病んだ心の支えになる。たとえ間違っていても。左傾は地獄を見るか。それとも天国を見るか》
優樹は「……え?」と顔を上げた。
《メモって。……ことわりは病んだ心の支えになる。たとえ間違っていても。左傾は地獄を見るか。それとも天国を見るか。……これは、上野がピョンコに出した挑戦状なんだ》
優樹は立花を見た。彼は新聞の空いている場所に既にメモをしている。
《この言葉の意味を解けば、犯人が見つかるかも知れない。……上野は死ぬ前にこれをピョンコに叩き付けた。……止められるものなら止めてみろって》
「……」
《わかったろ? ……これはあいつらのゲームだったんだ」
「……。ゲーム、って……。そんな……。……学者って、誰なの?」
悲痛な表情で聞くと、間を置いてケンタから返ってきた。
《……言葉の意味を解いてみな。……オレとしては放っておけって感じさ。……あいつらは望んで死んだんだ。学者は望みを叶えただけ。スーパーマンだって爆弾だって、死ぬのもいいかもなって言ってたんだし。……ピョンコのことも止めたんだ。ヘタに首を突っ込むとやばいからって。……きかなかったけどな》
「……」
《警察に言えば、きっと、すぐに調べてくれるだろうよ。犯人もすぐに見つかる》
「……。そうだね……」
優樹が俯くと、ケンタはしばらくして再び言葉を発した。
《オレは事件が解決するまでの間、しばらく姿を隠すよ。学者がピョンコの事に気付いていたのなら、オレのことにも気付いてるかも知れない。……キミも気を付けろよ》
「……学者が誰か、……知ってるの?」
《……。さぁな》
「また、何かあった時、電話してもいいですか?」
《いや。この番号は破棄する。今回限りだよ》
「……じゃあ、連絡したい時は?」
《そうなることは、もうないだろ》
「……」
《ピョンコのこと、頼むよ。きっと、人一倍、正義感が強かっただけなんだ。それと……学園奉仕屋、頑張って復活させてくれな。あの人たちがいたら、こんな事件は起こらなかったのかも知れない……。起こっていたとしても、すぐに止められていたかも知れない……》
「……。うん……」
《じゃあな》
「……」
通話が一方的に切れ、優樹は携帯電話を耳から下ろして切った。
沈黙が流れ、みんなが俯く中、立花が一息吐いた。
「……考えようぜ」
彼の視線には、新聞に書かれた“あの言葉”がある。
「……上野が言った言葉の意味。……学者って奴が誰なのか」
「……そうね」
生美は頷き、優樹を連れて向かいのソファに座り、テーブルの上の紙を見つめた。
「……ことわりは病んだ心の支えになる。たとえ間違っていても。左傾は地獄を見るか。それとも天国を見るか」
「ことわりって言うと……?」
優樹が顔を上げて首を傾げると、「道理、理由、当たり前」と、立花が答える。
「……が、心の支えになるの?」
優樹が更に首を傾げて洋一を見ると、洋一は「……。なるのか?」と白川を見、白川は「さぁ……」と肩をすくめた。
「……左傾って、意味は?」
生美が文字を指を差すと、立花は腕を組んだ。
「意味はそのまま、左に傾くこと。それと、急進的な思想を持つこと」
「キューシンって?」
「急いで進む。つまり、急いで思想、理想を叶えようとする、そう解釈出来るな」
サラサラと答えていく立花に、優樹は感心するような笑みを溢した。
「立花って、頭、いいんだね」
「ってコトは……、道理は病んだ心の支えになる。たとえ間違っていても。急いで思想、理想を叶えるのは、地獄を見るのか、天国を見るのか……でいいのか?」
洋一の問いに誰も答えない。みんなが浮かない表情をして互いの出方を窺っている。どうにも動けない状況に、洋一はボリボリ……と頭を掻いた。
「……こういう謎解きみたいなのは、流の奴が得意なんだろうけどなぁ……」
「病院でしょ? 傷に障るといけないし……」
生美も相槌を打つようにあとに続くが、みんなは黙して、じっと顔を見合わせた。
「……」
ベッドの上部を起こし、背もたれ代わりに座っている反町は小さく息を吐いた。
病室の中、立花はドアの横に立ち、白川は窓辺へ。洋一はベッドの片隅に腰掛けて、優樹と生美は来客用の椅子に腰掛けている。
白川のノートパソコンに、先程の会話が録音されていた。それを聞き終えた反町は、停止ボタンを押して再生を止め、視線を落とした。
「……そうか。……後藤さんは、上野たちを助けたかったんだな……」
呟く反町に、生美は鞄の中から紙を取って差し出した。新たにメモ帳に書いた“あの言葉”だ。
「コレ。上野さんが後藤さんに言った言葉よ」
反町はゆっくりとした手つきでそれを受け取り、太股辺りに置いて、文字をなぞるように見つめた。
「それで犯人がわかるモンなのか?」
洋一がため息混じりに訊きながら肩をすくめる。
「オレにゃぁさっぱりわからん」
「……」
反町はただじっと紙を見つめていたが、何かに気が付いたのか、そこから目を逸らさずに口を開いた。
「学者って奴が……犯人、なんだよな」
「ああ。そうらしいぜ」
洋一が答えると、再び口を閉じて考え込む。その時、優樹の鞄の中から携帯電話が鳴った。
優樹は「……ごめんね」と一言みんなに告げて椅子を立ち、部屋を出た。着信記録を見てみると、相手は石田だ。そうとわかると、すぐに携帯電話使用可能な場所まで赴き、電話を掛けてみた。
「……優樹です。……うん、反町君の病院に来てるから。……うん。……。えっ? ホント!? ……うんっ。……わかった。……あ、うん。こっちも……いろいろ調べてるから。……うん。ありがとうっ。……わかったっ」
電話を切って急いで病室に戻り、そして、ドアを開けるなり振り返ったみんなに大きく言った。
「和田君が見つかったって!」
「マジ!?」
目を見開いて駆け寄って来た白川に、優樹は頷いた。
「ビルの廃墟に隠れてたみたい。近所の人が、子どもが廃墟に入ったっきり出てこないって、捜索してたお巡りさんに教えてくれたらしいの。それで中を探してみたら……」
「いたのか?」
「うん。凄く怯えてて、何もしゃべらないんだって。落ち着くのを待っているらしいんだけど……」
優樹は戸惑うように話し、反町を窺った。
「……解けそう?」
反町は上に向けていた目を優樹に向け、そして、ゆっくりと窓の外を見た。
「……学者って奴は、オレたちとは違うな……」
「……何が?」
「考え方……。死んでもいいって思う連中に対して……一人、寿命で死ぬことを望んだり……。お金を要求するところもそう。……考え方が冷静だな」
反町は再び紙に目を戻した。
「……ことわりは病んだ心の支えになる。たとえ間違っていても……。……学者の事を信用しきってた。学者が救ってくれると思ってた。……自殺することが間違いだということはわかっていたけど……それを望んでいた。……それを貫き通し、死ねば……地獄に行くのか、それでも天国に行けるのか……」
みんなは反町のことを見つめた。
「ことわりは学者のこと……。……学者は道理を示すもの。学者は……」
彼の言葉を聞いていた立花は少し顔をしかめた。その表情が段々と驚きに変わり、そして反町を見たまま、口を開いた。
「ことわりは……」
反町は、呟いた立花を見て、深刻な表情で紙に目を戻して頷いた。
「ああ。これでわかったな……」
「何? なんなの?」
生美が戸惑うように反町と立花を交互に見るが、二人は何も言わない。
反町は一息吐いて、戸惑う優樹に目を向けた。
「大島さん……、石田さんに電話するんだ……」
「……え?」
「……すぐに、浅井滋先生を捕まえるように……」
――制服姿の優樹は、線香の匂い漂う玄関前で、涙に暮れるクラスメートたちを見つめた。
近所の住人だろう。世間話の好きそうな婦人たちが、ヒソヒソと声を潜めている。
「あそこのお嬢さん、麻薬をやっていたそうよ」
「そういえば、少し窶れて来ていたものねぇ……」
「学園の先生方は、いったい何をしてたんだか……」
優樹は歩き出した足を止めて、ゆっくりと上野家を振り返った。
『……生きることを望まなかった……。生きていく理由が見つからなかった……』
浅井滋が言った言葉だ。
優樹から連絡をもらった石田たち刑事は、すぐに学園の教師、浅井滋の行方を追った。自宅にて閉じ籠もっていたところを任意同行にて署に連行。そこで浅井は間もなく自白した。
浅井の逮捕後、和田充は安心したのか、やっと口を開き出したのだ。
「僕と浜田仁志君は友達で。……浜田君は先輩の奥田浩二さんと知り合いだったんです。浜田君は、奥田先輩との付き合いでドラッグをしてました。……奥田先輩が浜田君に、もうすぐ死ぬからなって事を言ってたみたいです……。浜田君は冗談だって思ってて……。でもホントに死んだから。浜田君は、先輩から死ぬって聞いていたのに止めることが出来なかったのを凄く悔やんでいて、ドラッグのせいもあって……。……僕が呼ばれた時、浜田君はドラッグやってて……。笑って……先輩のトコに行くからって。それで……クビ吊って。……怖かったんです。僕にも何かあるんじゃないかと思って……。狙われてる気がして……怖くて……」
ケンタが言っていた“スーパーマン”と“爆弾”は、浜田と和田ではなかったらしい。
そして、浅井滋。
石田たちが踏み込んだその時、彼はドラッグをしようしていた。
「BLACKZというホームページを学園のサーバーを一部借りて作りました。……深い意味はありません。ただ、生徒たちの本音が知りたかったんです。最初の目的はそれだけでした。……試作で作っていたチャットに生徒たちが遊びで迷い込んで来て……。けれど、生徒たちの口から出て来る言葉はどれも荒んでいて、耳を塞ぎたくなるような言葉ばかりでした。ホームページの名前のせいか、集まって来る者はみんな、どこか歪んだ者ばかり……。そんな彼らと言葉を交わしているうちに、わたし自身も歪んでしまったんです。……教師の安月給。……生徒たちの両親は金を持っている……。浅ましいことを考えていました……。“学者”というハンドルネームで彼らと会話をしている時に死にたいという者に出会い……金と引き替えに彼らを殺しました。その際、彼らに金と一緒にクスリをもらったんです。……どんなものかと興味半分で使ってみました。最初の印象は、こんなものなのかって印象でした……。けど、その……フワっとしたような気分が忘れられず、もう一度体験してみたいという欲望に……。……奥田浩二と上野和美と三人で全てを計画しました。……ドラッグをしながら。奥田浩二は、神のような存在になりたかったんでしょう……、十字架に張り付けられたキリストの姿に興味を示していて。だから、その姿にしてやることにしました。……ドラッグをやっていましたから、息苦しさをも快感に感じていたのかも知れません。……奥田は暴れることもしませんでした。……生徒たちが入って来る前に、上野と二人で奥田を十字架に打ち付けました。金槌の音は、まだ他の教室でも用意を進めていましたから目立っていなかったんだと思います……。そして、上野和美。あの子は白雪姫という物語がとても好きで……。夢の中で生きているような子だったんです。……上野が用意してきた7体の人形。……私は化学を担当していましたから、シアン化カリウムを溶かし、それをリンゴに塗って――。……それで終わりにするつもりでした。……冷静になると、段々怖くなってきて……あの二人が望んだこととはいえ、死ぬことに加勢したのですから、わたしにも何らかの罪がある……。自首した方がいいとは思いました。……けど、ドラッグで、何とも言えない……力が湧いて来ていて。絶対にばれることはないんだと、そう思い込んで。その時、後藤美代子という生徒と学園内で会い、問い詰められたんです。……ドラッグをしていましたから、彼女のことが不愉快で。なんとなく……彼女も奥田や上野同様、死にたいんじゃないかって思えて。……それで頭を殴って。どう死にたいだろうって考えて……綺麗な顔立ちの子だったから、天女にしてやろうと思って……それで屋上から……。下に人がいるとは気付いていませんでした。だから……後藤美代子が生きているって事を聞いてどうしたらいいのかわからなくて。……その時、警察が踏み込んで来たんです。……申し訳ありませんでした。……教師でありながら、生徒たちをこの手で……」
どうして自殺願望者の奥田と上野に手を貸したのか? 金が目当てだったのか? という質問に、浅井は涙ながらに答えた。
「確かにお金が目当てでした。けど……。……生きることは望んでいなかったんです。……生きている理由が見つけられなかったんです。……ドラッグのせいかもしれません。けど、あの二人は泣きながら言うんです。……敷かれたレールの上を走っている……。自分じゃなくても誰でもいい……。なんの為に生きなくちゃいけないのかがわからない……。全ては自分の為じゃない。親の為なんだ、って……。……かわいそうでした……。……かわいそうだったんです……」
話しの内容を携帯電話で教えてくれた石田は、最後に言った。
「……罪は罪だよ。人の命を奪うことも。そして、自分の命を終わらせることも……。君たち若い子は、親の敷いたレールの上を走ってるって感覚なのかも知れない。でもね、それは違うんだよ……。確かに、親はいろんなレールを用意してくれる。強引にそこを走らせようとする親もいる。……けど、そこを走るか、脱線するか、最終的に決めるのは自分自身なんだ。……何かのせいにして、そうだからって決め付けて逃げちゃ駄目なんだ。……可能性はいくらだってあったのに。……生きている理由なんて、考えることじゃないのに――」
今後、奥田浩二と上野和美が自殺を望んでいたという裏付け捜査も行われるだろう。
……残された両親は、どう、子どもたちを見送っているのか――。
「ことわりを漢字に直してみて。そして左傾は左。つまり……理、学者、理学者……。左のケイ……ケイは刑罰の刑とも取れる。……左で刑罰を行う理学者……。彼を見た生徒は、いつもハラハラさせられる。叩かれるのか、叩かれないのか……。……左手に仕置き棒を持っている理化学教師は……一人いるな」
反町が言った言葉。それが的中したのだ。
「上手く言葉を並べてるよ……。“ことわりは病んだ心の支えになる。たとえ間違っていても。左傾は地獄を見るか。それとも天国を見るか”を立花が言うとおり、“道理は病んだ心の支えになる。たとえ間違っていても。急いで思想、理想を叶えるのは、地獄を見るのか、天国を見るのか”と見る。これを解釈すると……“たとえ間違っていても、その場限りの道理……ドラッグは、少しの間だけでも病んだ心の支えになる。死に急ぐのはいけないことなのか、何がいけないのか”……。奥田と上野にとって、浅井先生は良き理解者だったんだろう……。生徒と教師という立場でも。……別の解釈……犯人を知らせる意味。“たとえ間違っていても、理学者は心を癒してくれる。彼が左に持つ仕置き棒は、天国を見せてくれるのか、それとも地獄を見せてくれるのか”……。……なんだか、悲しくなってくるな……」
「……」
優樹は振り返っていた上野家から目を逸らした。
沈み掛けている太陽の光で赤く染まる家……。
……上野と奥田は笑っているだろうか? それとも――
一人でポツンと佇んでいた自分に声を掛けてくれた上野。庇おうともしてくれた。あれが最後になるなんて……。
悲しげに俯き、門を出て顔を上げると、生美と洋一、そして立花と白川が壁にもたれて待っていた。
優樹は、ゆっくりとした足で彼らに近寄った。
白川は深く息を吐くと、肩から下げている鞄を掛け直し、上野家の方を見た。
「これで解決、ってことでいいのかなぁ……」
「……。とりあえずは、な」
「そうね……。“あとは”警察の仕事よ」
白川、立花、そして生美が言う。それを聞いていた洋一は、「よっ」と壁から離れると、首を横に振った。
「いーや。まだ終わっちゃいないぞ」
「お待たせーっ!」
「お、来た来た」
十数日後――。
学園内もやっと穏やかな空気に戻って来た。一時は報道陣が押し寄せて来ていたが、その勢いも、今ではどこに行ったのか……。
放課後、渡り廊下にて。
大きく手を振って駆けて来る美代子を見て、優樹と生美、そして洋一と反町と白川と立花は顔を上げた。
事件後、無事に美代子は回復し、警察からの事情聴取も終え、事件の真相を全て話した。加藤からは「どうして黙っていたんだ」としつこく怒られたが、美代子に罪はないのだ。彼女が絡んだことは、ひょっとしたらただの冗談で終わっていたのかも知れなかった。始まりが“死”だったのだから……。
それから検査を終え、退院出来たのは五日後。優樹たちには「本当にごめんなさい!」と頭を下げ続けた。
「みんなを巻き込みたくはなかったのよ、本当に。ただ、どうしても謎が解けないし……。大島さんが学園奉仕屋を復活させるつもりなら、その切っ掛けになるかも知れないって思った。……もしもの事があるかもって、そう予想は出来てたから、だから大島さんにあのホームページの名前とケンタの携帯番号を書いた新聞を渡したの。……危険な賭だった。……負けちゃったワケなんだけどね」
とにかく、みんなが無事だった。それは喜んでいいことだ。ただし、白川と立花に至っては美代子のやらかしたことが許せないようで、散々彼女を怒鳴り散らし、おごりで飲み食いし尽くしたようだが。
彼女の退院から遅れること五日後に、反町が退院。今もまだ服の下にコルセットをはめているが、動けないわけではないらしい。洋一がなんとかして笑わせようとするが、その前に生美からゲンコツを食らった。
そして……みんなが集まった――。
優樹は大きく息を吐くと、みんなを窺った。
「……。ホントにいいの?」
「いいんじゃねぇの?」と、洋一が苦笑気味に肩をすくめると、「っつぅか、その為にここにいるんだろ? なぁー?」となんでもない表情で白川はみんなを見回し、「そうそう」と、生美は腕を組んで数回頷く。そんな彼らに併せて「やるならやろうぜ」と立花は組んだ手の指をバキバキッと鳴らし、「バッチシ、情報は任せてよっ」と美代子がニヤリと笑って意気込むと、「……死なない程度にね?」と反町はうんざり気味に目を据わらせた。
優樹はみんなを見回して、ため息混じりに苦笑した。
「じゃあ……。……行くよ」
「おぅっ!」
洋一は元気良く頷いたが、すぐに陽気な雰囲気を消して真顔で切り出した。
「絶対にやらなくちゃいけないことがある。これは……三年の奴らが卒業するまでにやらなくちゃいけない」
優樹は表情を消して、真剣な面持ちの洋一を見上げた。
「前の学園奉仕屋の先輩たちを潰した奴らを暴く。……翔太先輩を殺した奴らを、絶対に暴くぞ」
グッ、と拳を握りしめる洋一にみんなも同調し頷く。優樹は、そんな彼らをボンヤリと見回した。
「あの当時の奴らは三年にいる。あと、二年の中にも」
「突き止めてやろうぜー?」
「ひょっとしたら、今回のドラッグの事件にも関わり合いがあるかもね」
「圧力掛かるぞ」
「知ったことじゃないわよ。新聞部をナメないでよねー」
「強気は結構だけど、死なない程度にね?」
口々に言うみんなを見て優樹は少し笑った。
『いいか、優樹。始まりがあれば終わりがあるんだよ。けど、終わったらまた始まるんだ。わかるか? ……そこにいちゃ、いけないってことさ』
優樹は小さく息を吐いて顔を上げた。
「ンじゃぁ……行こっか」
彼らは高等部一年担当顧問教師の元へ向かった。学園奉仕屋、部活再開申込書を提出に……――




