1、ラストー・テリューズ
王城はピラミッド型の建物が縦一列に並んだ形になっている。
手前の建物が執政や外交の場に使われる「公」の場所で、奥に位置するのが王の私室と後宮にあたる「私」の場所だ。
この2つの建物を取り巻くように幾重もの城壁が築かれており、更にその周りを深い水路によって囲まれているため、上空から見れば王城は島の上に建てられているようにも見えるのだ。
ビルフレッドは今、水路にかかる橋を歩きながら首を傾げていた。その視線は斜め上に向けられている。
彼の位置からは城壁に遮られて王城の頂上付近しか見ることが出来ないが、普段は城の上空部分を覆っている魔法障壁が、何やらキラキラと光を反射しているのは見えた。
(警備担当の魔術師たちが新しい術式でも考え出したか……?)
ビルフレッドはそんなことを考えながら通行証を掲げ、城の中へと入って行く。上空に気を取られるあまり、入り口の両脇に佇む兵士たちが彼の顔を見て微妙な顔つきになっていたことには気がつかなかった。
城壁を通りぬけながらビルフレッドはますます違和感を強くした。
庭の木々は紅葉に色づき、落ち着いた赤や黄色が美しい。この季節は風も少ないため、まるで1枚の静止画のように穏やかな景色が見られるのだが……先ほどから兵士や侍女たちがバタバタと慌ただしく走り回り、その庭に不似合な騒々しさが溢れている。よく見ると王宮つき魔術師たちまで一緒になって庭を駆け回っていた。
何か式典の準備にでも追われているのだろうかと思ったが、ビルフレッドの記憶の中にそのような予定は組み込まれていない。
彼の属する正剣隊はその職務の性質上、城下町に出なければ仕事にならない。そのため毎日王城に来ることはないが、重要なイベントがあれば知らされているはずである。一体何が起こったのか。
ビルフレッドが足を止めて回廊から彼らの様子を伺っていると、背後から馴れ馴れしい声をかけられた。
「王城でお前さんの姿を見るとは珍しいな、ビルフレッド・ヘザー・レイ」
「定期報告だ。ラストー殿」
振り向くと、予想通りそこには赤毛の優男が居た。ゆるく束ねられた髪の毛は以前見た時よりも更に長く伸びている。
たまたま居合わせた通りすがりの兵士が、ラストーの物言いを耳に留めてギョッと目を剝いていた。
ビルフレッドは軽く頷いて兵士に「気にするな」と伝える。彼は信じられないといった表情のまま、一礼すると足早に立ち去った。
「ん? どうかしたか?」
「いや……まだ貴方に慣れていない新人の兵士だったようだ」
「ああー、なるほどね」
納得したように笑うラストー。
気心の知れた正剣隊の隊員たちでさえ、王城の中では畏まった言葉でビルフレッドに話しかける。それがレイ家の人間に対する礼儀だからだ。もし彼等が任務中と同じような口調でビルフレッドに話しかけ、ましてや名前を呼び捨てになどしたら……不敬罪ぐらいでは済まないだろう。
しかしこのラストーという男は貴族の階級など意に介さず、下働きの人間から畏れ多くも国王陛下に対してまで、同じように馴れ馴れしい態度で接している。またそれが許されている異例の立場でもあった。
ラストー・テリューズ。
どこか遠い国の出身であるということ以外、全てが謎に包まれている男。どこの出身なのか、なぜ王城で働くことになったのか、年齢はいくつか。国王陛下以外にそれを知る者は居ない。
彼の肩書は税務管理部の一役人に過ぎないが、陛下の信頼が厚く、宰相を差し置いて国王の補佐役となっていることは公然の秘密である。
目を細めるビルフレッド。彼は常日頃この男に対してある種の警戒心を抱いていた。
ラストーは愛想がよく人当りもいいが、その笑顔の裏で何を考えているのか分からない所がある。
更に彼は、ビルフレッドが初めて登城した7歳の頃には、既にこの城で働いていた。
噂では現国王陛下が生まれる前から王城に居たという説もあるが、少なくともビルフレッドが知っているだけで、15年以上も歳をとらず今と変わらぬ姿で存在しているのである。
ある者は遠まわしに、ある者は単刀直入にラストーに尋ねてみた。なぜ歳をとらないのかと。
すると彼は愛想よく笑いながら「常に恋愛をしていることが若返りの秘訣だ」ととぼけるのである。
確かにその言葉通りラストーの女性関係は派手であるが、それだけを化け物じみた若さの理由にするには無理がある。
しかし国王陛下の寵愛と、ラストー自身の有無を言わさぬ態度が周囲の人間にそれ以上の質問を阻んでいた。
ビルフレッドは彼を、悪魔か善魔か、あるいは魔物の類だろうと思っている。だが人外の存在であろうと害を為さないのであれば、警戒しつつ放置しておくのが彼の流儀だった。
もしラストーが帝国やレナスに対して少しでも悪意を見せようものなら、瞬時に切り捨てようとは思っていたが。
「遅くなったがラストー殿。先日は剣入へのご協力、感謝している」
「礼には及ばないぜ? あれは職務の一部だからな」
夏にあった薬物事件騒動。
ランカード商会は倒産し、犯人であったランクル・ランカード改め魔王ヴォルトス、及び事件の関係者は未だ拘束中の身である。闇世界にも関係する事件なだけに、人間だけでは裁判をすることが出来なかったのだが、近いうちに闇世界から地位の高い魔王が来ることに決まったと聞く。
近頃では珍しい大規模な剣入の行われた事件であったが、その際、有罪確定のため正剣隊に協力したのが税務管理部だった。
彼等は独自の捜査網を使って、剣入をするのに必要なだけのターマの密輸入の証拠を集めてきた。更に剣入後はランカード商会の納税記録および会計報告を調べあげ、正剣隊の徴収した証拠物品の中から巧妙に細工された裏帳簿を発見したのである。
その功績は税務管理部全体のものとなっているが、実際にはラストー1人の力によるものであることを、ビルフレッドは知っていた。
得体の知れない存在ではあるが、仕事ぶりは堅実で信頼できる。それがラストー・テリューズという男だ。
ビルフレッドの礼に対して肩をすくめたラストーだったが、急に何かを思い出したように振り返った。
「そう言えば、お前さんの婚約者の名は?」
「……レナス姫が何か」
「なんで戦闘体勢に入ってんだよ。いいから剣の柄から手を離せ。あと殺気を抑えろ」
「……」
ビルフレッドは無言で手を下ろした。だが殺気は抑えず、いつでも魔法を展開できるように魔法式を構築している。
肩の力の抜けないビルフレッドを前に、ラストーは「やれやれ」と呟くと壁によりかかって口を開いた。
「さっき、お前さんの婚約者が宰相殿に呼び出されたんだよ」
「姫が? なぜ」
ビルフレッドが眉を潜めた。
レナスが正剣隊への入隊を宣言し、王城が大混乱に陥ったことは記憶に新しい。
本人の思惑とは関係なく、レナスには幼い頃から王宮つき魔術師の椅子が用意されていたのである。国防の花形とも言えるその地位を蹴って、下級貴族や庶民で構成される部隊への配属を希望するなど正気の沙汰ではないと誰もが思った。
しかし国中の貴族に衝撃を与えたこの件は、重臣たちが「とりあえず様子見」と問題を先送りにしたことで収束したはずだった。今更レナスが宰相に呼ばれる理由が分からない。
「レナス嬢は、美人だろ?」
「もちろん。我が国1番の見目麗しさだ」
迷わず即答したビルフレッドに、ラストーがしばし絶句する。
(おいおい、本気かよ)
ビルフレッドのレナスへの傾倒ぶりは、正剣隊の隊員たちの口から漏れ聞こえていた。だがその話を聞いたとき、ラストーは即座に鼻で嘲笑ったのである。
あの無骨者が、女が出来たぐらいで変わるものかと。
それがこの色ボケぶりはどうだ。
「……意外と単純な男だったんだな」
「? 意味が分からん」
「いや、いい。気にするな。レナス嬢の話に戻るが、美貌に加えてあの魔力の高さ。家柄はそれほど高くなかったが、お前さんと結婚すれば将来的に八選家の一員になるわけだ」
「ああ。それが何か」
「宰相は、うってつけだと思ったらしい」
「……?」
首を傾げるビルフレッドから視線を逸らし、ラストーは呟いた。
「陛下の正式愛妾に」
突然ボンッという爆発音のようなものが聞こえてラストーが振り返ると、庭の生垣が5倍以上の大きさに急成長していた。この怪現象に、走り回っていた侍従たちから悲鳴が上がる。
唖然として首を元に戻せば、ビルフレッドが拳を握ったり開いたりして懸命に気を静めようとしているところだった。
「なぜ、姫を?」
表情を消し、抑揚のない声で言葉を紡ぐビルフレッドの身体からは、触れれば火傷しそうなほどの怒りのオーラが滲み出ていた。
「宰相殿は最近、勢力が落ちてきているからな。陛下の覚えを良くしたいんだろ」
「……愚かな」
ため息とともに身体の力を抜くビルフレッド。
レナスを愛妾にするなど、自分の両親が決して承諾しないだろう。何より、陛下自身が承諾しないことは分かりきっている。
王妃は「三大美女」の1人であり、陛下は彼女と子供たちを溺愛しているのだ。宮中娼婦にさえ見向きもしない方だというのに。
おまけに皇太子を含め子供が8人もいる国王に、なぜ愛妾が必要だというのか。
「そんな策しか出てこないんだろうよ。俺たちに追い詰められて」
ニヤリとラストーが笑った。
ここ数年、国王命令によって各貴族の所領の実態調査が行われている。ラストーたち税務管理部は主に収益と納税の面で調査を行っているのだが、すでにかなりの功績を上げていた。
長年、慣習として行われてきた不正。賄賂などで見逃されてきた違法な増税。それらが白日の下にさらされ、大規模な改革が行われようとしている。
なかでもロンダリング宰相は相当数の不正を暴かれ、税収の面では痛手を被ったらしい。
本人は「全ては管轄を任せていた部下のせいだ。所領が広大すぎて目が届かなかった」と不正に対する自らの関与を否定しているが、当然のことながら彼に対する周囲の風当りは強くなった。
国王陛下からの信頼も揺るぎ、急速に勢力が弱まりつつある。
涼しい顔をしているが、こんな苦し紛れの策を持ち出してくるあたり、ラストーたちの調査が宰相に与えた影響は想像以上に大きいのだろう。
満足した様子でニヤニヤと笑っていたラストーが、口を開く。
「しかしお前さんの反応、婚約者殿と一緒だな」
「どういうことだ」
「宰相殿が彼女に公式愛妾の話を持ちかけた瞬間、庭園中の池が爆発音とともに巨大な水柱を吹きあげたんだ」
ほら、と上空を指差すラストーに従ってビルフレッドが上を見上げる。
「池のマスが魔法障壁にくっついてる」
「……」
どうやらキラキラと光っていたのは、水滴だったらしい。
「姫さんは宰相を殴り倒して出て行った」
話し終えたラストーは、とんだじゃじゃ馬姫だと思いながらビルフレッドの反応を待った。
「さすがは姫」
「……ダメだコイツ」
感服したようにレナスの所業を賞賛するビルフレッドに、ラストーは首を振った。