4、薬物事件
内密な話をしたい、とビルフレッドに言われたアキは三人を研究室へと連れてきた。
魔法でソファを取り出すと、レナスがつかつかと近づいてきて、アキの腕をとりそのまま一緒に座り込んだ。
テーブルを挟んだ反対側ではビルフレッドが何か言いたげな顔で立ちすくんでいるが、レナスはつんと顎を上げたまま視線を合わせようとしない。
一体どういうつもりかとアキもレナスを見るが、彼女は素知らぬふりを続けていた。
ようやくビルフレッドが腰を下ろし、少し離れたところにレイチェルが腰かけた。
「実はアキ殿に頼みがある」
重々しい口調でビルフレッドが話し出した。その目には隠しきれない嫉妬の炎が見え隠れしている。
若いな、と思いつつアキは「頼み?」と聞き返した。
「私は現在、正剣隊隊長の任にある」
正剣隊とは王都の治安を維持するための部隊である。隊員は常に街を巡回し、至る所に詰所を構えている。市民にとって最も親しみやすい軍人と言ったところだろうか。
見たところビルフレッドは二十代前半と言ったところ。この若さで隊長を務めているというのは、よほど家柄が良いのか本人の腕が立つのか、あるいはその両方か。
さりげなく彼の魔力の波動を読んだアキは、決して名ばかりの隊長というわけではなさそうだと読み取った。
ビルフレッドは「くれぐれもこの件は内密に頼む」と念押しをしておいてから話し始めた。
近頃、正剣隊の取り締まった事件の中で、薬物使用者によるものの割合が増加しているのだという。
「それで、中毒者が使用した薬物についてレイチェル殿に調べてもらったのだ」
ビルフレッドの説明に、アキが片眉を上げてレイチェルを見ると、彼女は優雅に微笑んだ。
「レイチェル殿は薬草についての知識が豊富で、王宮の薬師ですら敵わぬほどだ。今回の事件では、特殊な麻薬が使われていたために普通の検査官では薬物を特定できなかったのだ」
それでレイチェルの力を借りた……というようなことを説明しながら、ビルフレッドがチラリとレナスの顔色を伺う。
彼女は相変わらずそっぽを向いていたが、腕を掴まれていたアキには、その身体から少し力が抜けたのが分かった。
それまでずっと黙って座っていたレイチェルが静かに口を開く。
「彼らが使った薬物なのですが、恐らくターマの粉末です」
「――――ほう」
急にアキの態度がガラリと変わった。先ほどまでは話半分に聞き流していたのに。
はっきり言ってアキにとって、人間界での騒動など関係ない。そんな煩わしいことに巻き込まれたくないし、力を貸してやる義理も無い。
しかし今や彼は、興味深そうに金色の瞳を細めて話の続きを待っていた。
「ご存じでいらっしゃいますわよね?」
「ああ。闇世界でしか取れない貴重な麻薬だ。たとえあちらの世界の人間であっても手に入れることは難しい上に、人間界への流通は禁止されている」
ビルフレッドが「その通り」と頷いた。
「麻薬を売っている黒幕は、どうやら闇世界とも違法取引をしているらしい」
闇世界とも取引が出来るほどの権力と資本がある人間が犯人、ということであれば調査は慎重に行わなければならない。しかしあまりにも手がかりが少なすぎる。
困っていた所に、この学園で起こっている麻薬中毒事件について学園長より密かに調査を依頼されたのだ。
先ほど学園内をビルフレッドとレイチェルが歩いていたのは、格闘大会の打ち合わせという表向きの理由とは別に、薬物中毒で倒れた生徒たちの診断のためだったのだ。
「間違いなく、彼らもターマを使っています」
レイチェルが頷いた。
時期も内容も市中の事件と一致する。ビルフレッドはこれらの事件を同一犯によるものと確信した。
「なるほどな。それで俺に頼みとは?」
話の合間にレナスが淹れた茶を飲み、アキが尋ねる。
「我々が捕まえた麻薬中毒者たちは、まともな証言ができるような状態では無い。しかし彼らの話の中で、麻薬を売ってくれたのが若い男だった、という点は共通している。よく居るようなチンピラタイプでは無く、それなりに階級の高そうな人間だったらしい。そして……その男のマントの影から、この学園のエンブレムが見えたという証言があったのだ」
「つまり、この学園の生徒が犯人だと?」
沈黙がビルフレッドの答えだった。
確かに倒れた生徒たちも、同じ学園の生徒からなら麻薬を手に入れやすかったことだろう。
「……話は分かったが、なぜ俺に協力を?」
「姫から常々貴殿の話は伺っていた。アキ殿は闇世界について詳しいと言うし」
詳しい、ね……。
微妙に顔をしかめるアキをよそに、ビルフレッドの熱弁は続く。
「この学園で一番信用できる教授だとまで言っていた。ならば婚約者である私が信頼しない道理はあるまい?」
アキが横目でレナスを睨むと、彼女はこちらに背を向けて書棚を見上げていた。
さも本の背表紙を読んでいるような恰好をしているが、その形良い耳は真っ赤に染まっている。
しかしビルフレッドという男。よくも大真面目な顔で気恥ずかしい台詞を堂々と言えるものだ。
アキはため息をついて思考を巡らせた。確かに、事件に興味はある。ターマの粉末を横流ししている闇世界の犯人が誰か、ということに対してだが。
まあ、それを調べるついでに手を貸してやっても良い。
ソファに座りなおしたアキが協力を承諾すると、ビルフレッドは片手を差し出した。それは先ほどの握手とは違う、彼の友好の意志が込められたものだった。
「それから姫。危険だからこの件には関わらないように」
ビルフレッドに釘を刺され、レナスが肩をすくめた。
「関わらせたくないのなら、聞かせない方が良かったのでは?」
「夫婦の間に隠し事があってはいけない」
アキの問いにビルフレッドはきっぱりと即答した。
けれどアキが見たところ、レナスはすでに、この件に首を突っ込む気でいるようだ。そこにはレイチェルへの対抗心も混ざっているように思える。
レイチェル――――そうだ、彼女にあのことを話しておかなければ。
ビルフレッドと共に部屋を出ようとした彼女をアキは呼び止めた。
他の二人を部屋の外に押し出し、レイチェルと二人きりで向かい合う。
「なんでしょう?」
「レイチェル。最近ウィッチグラスに顔を出しているか?」
アキの問いにレイチェルが不思議そうな顔をした。
「ビルフレッド様のお手伝いが忙しくて顔は出しておりませんけれど、ミレイユから業務連絡は受け取っております」
「では、新入りのことは聞いているか」
やっと納得いったという顔でレイチェルが微笑んだ。
「オリビアのことですね。お得意さんから頼まれたのですが……困った娘ですわ。いずれ他の店に移そうと考えておりますの」
「そっちじゃない。エミレアという女の方だ」
アキの言葉に、レイチェルは眉を潜めた。
「どうやらレンがエミレアに惚れているようだ。そのせいで最近のニーナは情緒不安定になっている。ただ気になるのが、どうもレンの惚れ方が普通じゃないような気がしてな」
レイチェルの顔がさっと蒼褪めた。
「そんなレンが……まさか!」
何かに気づいたようにレイチェルは目を見開いて息を飲んだ。しかしすぐさま何事も無かったかのように笑顔を取り繕ったのは、さすがと言うべきだろう。
「ありがとうございます、アキ様。今日にでも店に顔を出してみますわ」
「ああ。……それと、覚えておいてくれ。俺は何があろうと、ニーナを守り通す」
その言葉にレイチェルは、じっとアキの目を見つめ返した。
「……貴方を信じますわ。アキ様。レンが今聞いたような状態にあるならば、あの娘を守れるのはアキ様だけだと思います。どうか、ニーナをよろしくお願いいたします」
レイチェルは深々と頭を下げた。