3、ビルフレッド登場
レナスは落ち込んでいた。自分の婚約で忙しかったとは言え、ニーナが恋愛上の悩みを抱えていることに気づけなかったのである。
昨夜のレンとエミレアの姿を見れば、レンが彼女に強い関心を抱いていることは間違いない。そしてニーナが酷くショックを受けていることも。
彼らを見送った時のニーナの顔は、奇妙なほどに無表情だった。
それを思い出し、頭を抱えたくなるレナス。無表情だからこそ、彼女の痛々しいほどの悩みが分かってしまった。
「レナス、何をボサッとしている。前に出てやりなさい」
険悪な目つきで自分に命令した声の主を睨みつけると、舌打ちしたい気分を抑えてレナスは前に進み出た。
クラスの全員が見守る中、彼女が優雅に腕を動かす。シンと静まり返る一同。一拍後には地面が震動し、土で出来た砦が出現した。
「うむ、完璧だ。皆も見習うように」
土魔法の教授の慇懃な賞賛も、クラスメイトたちの感嘆の拍手も、レナスにとってはどうでも良いことだった。再び腕を振って砦を地面に戻すと、軽く一礼してその場を離れる。
そもそもこんな魔法が上手くできたところで、唄い手になるというレナスの目標には何の役にも立たなかった。この土魔法の選抜クラスは、主に軍隊への入隊や土木作業員を目指す者のための授業だったからである。
十六歳を迎えると、生徒たちは通常のクラスのほかに、選択クラスを受講することになる。将来の夢にそって自分でクラスを選ぶことが出来るので、もちろんレナスは音楽のクラスを受講していた。
だがそれ以外に、教授側から選ばれる選抜クラスというものが存在する。生徒たちの成績や技能から、その生徒に向いている職業を学園が判断し、その職につくための必要技能を習得できるクラスに振り分けるのである。
生徒たちは自分の夢を追うと同時に、適性のある他の職業についても学ぶことが出来る。たとえどちらかの道が上手くいかなくなっても、もう一方の道で生計を立てていくことが出来るというわけだ。
しかしレナスはこのシステムによって、多大な迷惑を被っていた。彼女は選抜クラスの全てに出席しなければならなかったのである。
理由は簡単。教授の誰もが、圧倒的な才能を持つ彼女を手放したがらなかったためだ。
張り切って授業に参加しているクラスメイトたちを、レナスは無関心に眺めていた。ここ最近、彼らが盛り上がっているのは、間近に控えた魔法技能格闘大会のせいだろう。
読んで字のごとく、生徒同士が魔法技能を駆使して格闘する大会である。軍隊への入隊を希望している生徒にとって登龍門とも言うべき大会で、当日は大勢の王宮関係者が見学に来る。また大会の打ち合わせのために、学園にしばしば軍の関係者が訪れるため、運が良ければ彼らの目に留まる可能性があるのだ。
もしレナスが大会に参加すれば必ず上位に入賞するだろうが、当然のことながら彼女にそんな気は欠片も無かった。
けれど、いつものように授業を適当に流して過ごすつもりだったレナスは、目の前で一人の生徒に異変が生じ、そちらに意識を集中させた。
その生徒は苦しそうに自分の胸をかきむしりながら、地面にがっくりと膝をついた。白目を剝いて口から泡をふくその様に、クラスメイトはもとより教授ですら呆気にとられて突っ立っている。しばらくすると彼は、ピタリと動きを止めてゆっくりと前に倒れこんだ。
ようやく騒ぎ始めた周囲をよそに、レナスは落ち着き払った様子で彼に近寄ると、その身体を風魔法で空中に浮かべて言った。
「教授。私が医務室へ連れて行きますわ」
「あ、ああ。では頼む」
まだ混乱している教授は、反射的にレナスの申し出に頷いた。
堂々と授業をサボれる、という彼女の思惑など、知る由もない。
人のいない廊下を医務室に向かって歩いていたレナスは、前方にアキの姿を発見した。
「アキ教授、こんにちは」
「……レナス。何だそれは」
振り返ったアキが、頭上に浮いている男子生徒の身体を胡散臭そうに見上げる。
「クラスメイトなんです。演習中に具合が悪くなったようで、医務室に連れて行くところですわ」
「それで、俺を呼び止めるためにコイツをぶつけてきたってわけか?」
乱れた髪を撫でつけながら、アキがレナスを睨みつけた。しかしレナスは輝くような微笑を浮かべると「死にはしませんわ」と男子生徒に目をやった。
「……俺の身体の心配は?」
「教授がこの程度でどうにかなるわけありませんでしょう?」
けろりと言い切るレナス。あくまで謝るつもりは無いらしい。と言うか、そもそも謝る必要性を感じていないようだ。
「お前、最近ニーナに似てきたな」
疲れた様子で呟いたアキは、さっと真面目な顔に戻ると気絶したままの男子生徒に目を戻した。
「レナス、ちょっとそいつを降ろせ」
小首を傾げながらもレナスが言われた通りにすると、アキが男子生徒の上にかがみ込む。そして、どこからともなく取り出した花びらを彼の口元に持って行った。
男子生徒の呼気に触れた花びらが、みるみる萎れていく。
「こいつもか」
アキはそういうと、今度は白いハンカチを取り出した。ハンカチはアキが一振りすると巨大化し、まるで意志を持っているかのように男子生徒の身体を包み込んだ。そのまま鳥の姿に変わり、窓から外へと飛んでいく。
「どこへ運んだんですの?」
「ああいう奴らを収容するために作られた、特別室だ」
レナスが驚いた顔で振り向いた。
「奴ら? 他にも薬物使用者が?」
アキが感心したように「冴えてるじゃないか、レナス」と答える。
先ほどアキが取り出した花びらはトーピグという植物のもので、この花は世界で最も浄化された島にのみ生息する。浄化された土と水のみで育つせいか、トーピグの花には薬物や毒物に反応するという性質があった。
男子生徒の呼気に反応したということは、彼が何らかの薬物を使っていた可能性が高い。彼は気絶していたけれど心拍数や呼吸は正常だったから、毒を盛られたということでは無さそうだ。つまり薬物……麻薬か何かだろう。
アキがレナスの耳元に口を寄せて囁いた。
「実は最近、中毒症状で倒れる生徒が増えていてな。これで二十人ぐらいか。まだ教授の間でしか知られていない事実だが。……どうやら生徒に違法薬物を売りつけている奴が居るらしい」
さすがにレナスも真剣な顔で黙り込んでしまった。
「生徒の間でそういう噂は聞いていないか?」
「それが……」
アキに顔を覗き込まれたレナスが謝罪の言葉を口にしようとして――――彼の肩越しに見えた人影に、さっと顔色を変えた。
それに気づいたアキが振り返ると、一組の男女が近づいてくるところだった。
女は金髪に緑色の瞳の、絶世の美女。男は黒に近い茶髪を短く刈り込み、がっしりとした身体に上質そうなマントを巻きつけていた。彫の深い顔には、額から右目を通って耳まで達する傷跡があったが、なかなか良い男ぶりだった。
その目に敵意さえ浮かんでいなければ。
「姫。そちらは?」
近寄ってきた男はレナスの前に立つと、挨拶も抜きに言った。
何気ない風を装っているが、威圧するような冷ややかな感情がアキへと向けられているのが分かる。
「アキ教授。私の音楽の教授よ。ビル、貴方こそなぜここへ?」
「私は魔法技能格闘大会の打ち合わせで……」
「レイチェルと一緒に? 公務に愛妾が必要ですの?」
レナスも冷静に返そうとしているが、その目は怒りと苛立ちに燃えている。
二人の間に流れるとげとげしい雰囲気を余所に、アキとレイチェルは勝手に会話を交わしていた。
「貴方がアキ教授でいらっしゃいますのね。ウィッチグラスのオーナー、レイチェルでございます。お目にかかれて光栄ですわ」
「貴女がレイチェルか。噂に違わず美しいな」
アキが差し出されたレイチェルの手を取ってキスをした。
「近頃はお店にお顔を出して下さらないようで残念ですわ」
「いや、どうやら俺はレンに嫌われたようでな」
「まああ。お客様として店に来て下さるだけで、ニーナに近づきさえしなければ、レンも文句は言いませんわよ」
口に手の甲を当てて笑うレイチェルと、穏やかに微笑むアキの間で火花が飛ぶ。
ふと気づくと、呆れたような顔でレナスがこちらを見つめていた。
「どうしたレナス」
アキが聞くと、ビルがその視線を遮るように、レナスの前に進み出た。
「お初にお目にかかる、アキ教授。私はビルフレッド・ヘザー・レイ。レナスの婚約者だ」
差し出された手には痛いほどの力が込められていた。




