6.(終)
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── 梅雨が明けて、いよいよ夏空から蒸し暑さがのしかかってきつつあるような、ある日の帰り道のことだった。
「ねえ先輩」
話を切り出したナツキはいつもより神妙な面持ちだった。ファミレスで匂いのことを打ち明けたときよりも。
「小学校の頃、男子と女子それぞれ別々に集められて、すごく大事な話を聞かされる、っていう授業がなかった?」
…………そんなことがあっただろうか。ミナトは当時を思い出す。
4年生のころだっただろうか。同じ学年の男子だけが視聴覚室に集められ、レクリエーションの時間と称して、『トムとジェリー』のDVDを見た覚えがある。
その時は、てっきり女子は女子で別のところでレクリエーションを楽しんでいるものだと思っていた。
ミナト自身、幼稚園児のころから『トムとジェリー』が大好きで、親にせがんでビデオをよく見せてもらっていた。
久々に観てもやはり面白かった。トムがジェリーの罠にハマって箱型、かまぼこ型、壺のようなかたちなどに変形してしまうギャグシーンがスクリーンに映し出されるたび、他の男子たちと一緒になって笑った。
ただ、一箇所、他と比べて趣の異なるパートが挟まっていた記憶がある。
当時は知らなかったが、『トムとジェリー』は一時期、チェコスロバキアのスタジオで制作されていたのだそうだ。そのせいか、そのパートだけ雰囲気が大きく違っていた。
そこで描かれるトムの変形シーンの演出はどちらかというとホラーやシュルレアリスムに近く、ミナトたちも前後の流れから面白おかしいギャグシーンとして受け取って笑っていたはずだが、今振り返るとそのパートだけが妙に記憶のなかで浮いている。
その異様なパートの方を思い浮かべたのは、話題を持ちかけたナツキの態度に少し緊張感が漂っていることを察したからかもしれない。
「あぁ、じゃあやっぱり、男子は女子がどんな話をされたのか、知らないんだね」
言いつつ、ナツキはすこしさびしそうな表情を浮かべる。
小学生のころはふたつ結びにしていた髪が、いつの間にかショートカットに変わっていることに、なぜいまさら意識が向くのだろう。
きちんと覚えていられることなど実はごく少なくて、過去はどうしようもなく、絶えず変質していくのだなと思い知らされるようだった。
ナツキがミナトよりひとまわり小柄なぶん、その前髪で西陽がさえぎられて目もとが隠れていた。
うつむいていて、なにかを思いつめているようにも見えてくる。
彼女はすぐ目の前にいるのに、なんだか心細くなる。
表情をたしかめたくて、差したその陰に目がひきつけられる。
「じゃあ、先輩にひとつ大事なことを教えてあげる」
思いきったように頭をもたげ、ようやく見えたその顔に浮かんでいたのは──いつものニヤケ顔だった。
「実は、この世の女の子は全員、変身能力を持っとるっちゃん!」
「んなアホな!」
こわばっていた肩から一気に力が抜け、左肩にかけていたリュックの肩ひもが肘のところまでずり下がった。
「女子だけ集められて『あなたたちには変身能力があります。そのチカラを大事に使いましょう』って言われたったい!」
「嘘こけ!」
肩透かしをくらって、ミナトは押していた自転車にぐったりともたれかかる。
ハンドルに引っかけていたヘルメットがアスファルトのうえにころがって間抜けな音を立てた。
さもあまねくすべてが転げまわりたがっているかに思えた。
また例のごとくかついでやったと言わんばかりに、ナツキの目元はいやらしさを隠さず、これでもかというくらいニヤついている。抜作先生かと思った。
「ナツキだけやろ。その能力を持っとるのは」
とツッコミつつ、ミナトは、ナツキが単なる冗談の話に着地させたことに胸を撫で下ろしている自分に気づく。
しかし、心のどこかでこうも思う。
実際のところ、どんな話をされたのかは本人たちのみぞ知るところである。
本人がそういうふうに言うのなら、もしかすると、それは本当に本当のことだったのかもしれない。少なくとも当事者にとっては。
ミルクのようなやわらかい匂いに、ツンと甘酸っぱいものが混じった気がした。
「うーんバレとったかー! そーそ、ウチひとりだけっちゃん! この能力を持っとるのは、世界でウチひとりだけ!」
いつもの、適当をぶっこいているときの口調で、ナツキは誇らしげに胸を張る。茶番にミナトも乗っかる。
「まあでも、やっぱりな。実は、俺も昔から、お前には何かあるんやろうなって、気づいとったよ」
走り慣れたレールの上を駆けるように。
「そう、他の誰にもない、特別なチカラ。世界でお前ひとりだけ………………ホンマか?」
話を合わせながら、ミナトはわざとらしく眉根に皺を寄せる。
「…………珍しいのは本当やろうけど、世界にひとりだけは、さすがに少なすぎんか? それはそれで怪しいわ」
「あーごめん、今のはウソウソ。ホントは100億人ぐらいおるばい」
「世界人口超えとるんやけど」
──いつの間にか、陽は山の稜線に名残を残すばかりとなり、あたりは暗闇に覆われ始めていた。
遠くでロードスターが走り去る音がした。
チョウセンアサガオの咲く湿地帯沿いにうねる舗道、そこにぽつぽつと並ぶ街灯のうちのひとつ、その明かりの下、二匹のコウモリが飛び始めていた。
その下をキャーキャー叫びながら帰った。
暗がりに、自分を祝福してくれる世界を見つけたみたいに、晴れやかな笑顔が躍った。
そうだ、あれからだ。ナツキがありのままを見せてくれるようになったのは。
了




