1.
(注)この作品には、女の子が物に変身する場面など、特殊な内容が多く含まれます。そういったものが苦手な方は閲覧をご遠慮いただけますようお願いいたします。
(補足)変身が絡む描写は『1.』、『3.の★マーク以降』、『4.』にございます。
縫いしろにこそ、色香は宿るのではないか。
余白にこそ、無駄にこそ、あるいは冗長のなかにこそ。
意味と意味との間の境目にこそ。
積みあげた尊厳の上にこそ。
色々なことを思い返しながら、そんなことを考える。
◆
「先輩ぃ……助けてほしいっちゃけど……」
「…………うおおっ!??」
──ある初秋の放課後、ミナトが戸をあけて家庭科調理室に入ると、突然、雑巾が足もとから話しかけてきた。
驚きのあまり、彼はうしろにつんのめりそうになる。
リノリウムの床にポツンと落ちていたその雑巾は、この中学校の指定体操服を長方形に折りたたんで縫われたもののようだ。おもて面の多くの部分は、体操服の胸もとに縫いつけられる縦12cm×横18cmほどの大きさの白い名札で占められていて、それ以外のところや裏面は体操服の純白色の生地でできていた。
名札には、ミナトにとって非常に見覚えのある、黒マジックのややかすれかけた太文字の『夏樹/2年A組』という名前がある。
その四角形の外周部分をぐるりと囲むように、そして四隅の対角線上にバツ印を描くように、赤い糸でしっかりと縫われている。
「体操服が脱げんくなって、元に戻れなくなったっちゃけど、ウチ、これどげんしたらいいと……?」
ぴくぴくとやわらかく震えながら、ナメクジのようにずるずると身体を引きずって、その雑巾はミナトに助けを求めてくる。なにも知らない人が遠巻きに見たら、まるで単なる物である雑巾が生き物みたく自分の意思をもって動いたりしゃべったりしているように見えるかもしれない。
しかし、いつもより声色はくぐもっているが、その声は間違いなく、その名札に書かれた名前の主──ミナトの後輩であるナツキのものだった。
実はミナトにとって、ナツキがおかしな姿に変身して話しかけてくること自体はそこまで驚くことではない。
ナツキが持つ不思議な変身能力のことは知っているし、その能力を使った姿にも見慣れていたからだ。
しかしそれにしても今日は様子がおかしい。
変身が解けないと言って助けを求めてくることなど、これまでになかった。
いつものようにふざけているのではなく、本当に、自力で変身を解くことができず困っているようである。
どうしてこんなことになっているのだろう?
ミナトは記憶を振り返る。
◇
──その日の朝、ホームルームよりも1時間以上前のこと。
厳しい暑さはとうに過ぎ、肩口を吹き抜ける風が心地よい。
朝練の運動部でにぎやかな昇降口と渡り廊下を抜け、職員室で鍵を受け取り、ミナトは特別棟一階のすみにある家庭科調理室にむかう。
教科書類が入ったリュックを背負い、それとは別に、食材が詰まったエコバッグを両手にさげている。
荷物を地面に下ろすことをきらい、袋の重みでプルプルと震える右腕で戸に鍵を差し込んだが、まわした鍵には手応えがなかった。
昨日、戸締まりを忘れたか? しかしそんなはずは……。
いぶかしみながら足だけで器用に引き戸をカラカラとあけて入室したミナトの視界を────突然なにか白い反物のようなものがふさいできた。
「も、もがっ?! ふごごっ!??」
戸をあけたその一瞬、南向きの窓があいていて、差し込む朝日の向こうから、カーテンが大きくなびくほどの風が室内に、そしてミナトの立っている戸の側へ吹き込んでいるのが見えた。
直後、その突風に乗って、なまあたたかく柔らかなそれが飛んできて、両手が荷物でふさがっているミナトの顔にまとわりついてきたのだった。ほんのりと甘い匂いがした。
たまらず、ミナトは荷物を床に下ろし、まとわりつくそれを引きはがす。
──ミナトの顔にはりついてきた布地、それは一着の体操服だった。
その胸もとには『夏樹/2年A組』という名札が縫いつけられているに違いない。
捕まえようとするミナトの手をすり抜け、自分の意思を持っているかのようにひらひらと宙を舞い、風向きが変わって右から左へ引き幕のようにひるがえっているカーテンの向こうへ体操服は姿を消した。
体勢を立て直し、ひとつ大きなため息をついたミナトが横切ったカーテンの向こう側を見やると、そこにはお馴染みの顔が──ナツキがいつもの体操服姿でたたずんでいた。
「あははっ、またそんなびっくりしとる!」
してやったりと言わんばかりにニヤけている。襟足がふわりと風に揺れ、朝の光を受けて首筋が白く照り返していた。
「いや危ないやろ! さすがに両手がふさがってるときはアカンって!」
半分呆れながら、ミナトは彼女をたしなめる。
部屋の奥を見やると、隣の家庭科被服室につながる室内扉があけっぱなしになっていた。
どうやらこうして驚かすためだけに、わざわざ先に登校して被服室経由で調理室に忍び込み窓をあけ、体操服に変身して待ち構えていたらしい。
どのみちこのあとはバスケ部の朝練の方に行くんだろうが、そこまでして俺をからかって、なにが楽しいんだろう……?
もうひとつため息をつきながら、ミナトはエコバッグのひとつを拾いあげる。
「ごめんって。先輩、いつも簡単に引っかかってくれるけん、めっちゃウケるっちゃもん」
「いやぁ、マジで勘弁してくれや…………一反木綿にでも襲われたかと思ったわ」
「一反木綿じゃないもん」
「さようでございますか」
ケラケラ笑いながら、ナツキはもうひとつのエコバッグを抱えあげ、ミナトが中身を冷蔵庫に移し替えるのを手伝いだす。
そうしてナツキが朝練に行ったあと、気を取り直して、ひとり、ハンバーグのタネと水切りヨーグルトの仕込みに取り掛かるミナトだった。




