Ⅰ(1)枯らしてはいけない花
私は決めた。母が最期に遺したこの花を、何が何でも守り抜くと。
——絶対に、絶対に枯らしてはいけない。
その想いだけが、浅い呼吸を繰り返す私を現実に繋ぎとめていた。
◆
今にも雨が降り出しそうな曇天の下で、母さんの通夜はしめやかに執り行われた。
会場にはそれなりの数の親戚らしき人たちが集まっていたけれど、名前と顔が一致するひとはほとんどいない。
涙を流しているのも、棺にすがっているのも私一人だけ。
形ばかりの喪服を身にまとった人々は、まるで映画のエキストラみたいだ。
「魔力の暴走ですって? いやぁね。ひとごとじゃあないわ」
「ほんとよね、怖いわぁ。あぁ、でもそういえば、スミレちゃんの一人娘って……」
「知ってる! 魔法が使えないんでしょう? 立花の家に生まれた女の子だっていうのに」
かわされる無遠慮な言葉たちに、母が立花の家を飛び出した理由が凝縮されている。
「やっぱり父親が、どこの馬の骨ともわからない男じゃあねぇ」
「しかも、今はどこにいるかもわからないんでしょう?」
そこでどうにも耐えられなくなって、私はおもむろに立ち上がった。
立派な椅子がガタンと音をたて、噂話をしていたおばさん達が一瞬だけ静かになる。
そこで罵声を浴びせなかったのは、彼女らにそれだけの労力を使ってやるだけの価値がないと判断したからだ。
「――失礼します」
私は慇懃無礼にそう言い放って、会場を後にしようとした。
冷ややかに見下すような視線が癇に障ったのか、おばさん達は般若のような表情でなにごとかをごにょごにょと囁きあっている。
「マヤおばさん達、ちょっと静かにしてください!」
そう言って場を制したのは、喪主をつとめていた中年男性だった。
「――リカちゃん、だったね。僕のことはわかるかな?」
少し腰をかがめて私と視線を合わせながらそう尋ねた男性は、少なくとも噂話をするしか能のないおばさん連中よりも話がわかりそうだ。
「――桐人さん、ですよね。……母さんの、弟だってきいてます」
たどたどしくそう答える私に、桐人さんは頷いた。
「うん、そう。だから、君の叔父さんってことになるかな」
微笑んだ桐人さんは、少し疲れた顔をしている。
「……君は、立花の家のことをどれくらい知ってる?」
おばさん連中は、いたたまれなくなったのかそそくさと会場を後にした。
一気に静まり返った室内に、桐人さんの声が響く。
「――魔法使いの、家なんですよね。で、その力は女の子だけに遺伝する……」
「厳密に言うと、『だけ』じゃないんだけどね。まぁ、それでも圧倒的に女性が多いのは事実だ」
桐人さんは静かな声で続ける。
「知ってるかもしれないけれど、魔法使いっていったってなんでもできるわけじゃない。立花の家は『草花』の家系だ。つまり……」
「――私、見たことあります。母さんが花を咲かせるのを」
絞りだすような声でそう言った。
その瞬間脳裏には、母が花を咲かせてくれた時の笑顔が色鮮やかに蘇る。
「……そうか」
桐人さんはくしゃりと顔を歪めて笑った。
「姉さんは、君のことを本当に大切に思っていたんだね」
そう言って、そっと白いハンカチを差し出してくれる。気付かないうちに私の頬には、幾筋もの涙が伝っていた。
「君に、渡さなくちゃいけないものがある」
そう言って桐人さんは、喪服の胸元から小さなケースを取り出す。
透明なそれの中には、見慣れた紫色がそっとおさめられていた。
「――これは、姉さんが最期に咲かせた花だ」
「……!」
そこにあるのは、母と同じ名をもつ可憐な花だった。
「きっと、君が持っているべきだと思う」
そう言って桐人さんは、そっと私の手のひらに、スミレの花の入ったケースを握らせた。
プラスチック製のそれはひんやりと冷たいのに、どうしてだろう。てのひらがほんのりと温かいような気がする。
「――大切に、して欲しい。……色んなしがらみから姉さんや君を守ることができなかった僕に、そんなことを言う資格がないのはわかっているんだけどね」
桐人さんは寂しげな表情でそう語った。
「……ありがとう、ございます」
私はそう言って一礼して、スミレの花を、手の中のケースごと抱きしめた。
やはりほのかに温かい。
きっとここには母のぬくもりがまだ残っているのだと、その瞬間に確信した。
流れ続ける涙をぬぐうこともせず、私は衝動のまま走り出す。
通夜の会場を飛び出して、そのまま夜の町へと消えていった。
◆
この花は、まごうことなき希望だ。
希望というのは、決して絶やしてはならない。
だから私は走った。走って、走って、走って——必死に、とある『場所』を探した。
「この街には《決して花を枯らさない花屋》があるらしい」
それは最近、まことしやかに囁かれている噂話だ。
夢物語。都市伝説。
多分そういった言葉で定義され、多くの人の記憶の彼方に消えていくような話題だろう。
しかしそれでも、今の私はこの噂話にどうしても縋りたかった。縋らざるを得なかった。
放っておいたら、このスミレの花はいつか枯れてしまう。
それは、死んでしまった母がもうこの世にはいないのだということと同じくらい明らかな自然の摂理で、世の理だ。
だから私には、《枯れない花》が必要だった。
絶えることなく私の中で咲き続ける、希望としてのスミレの花が。
必死に頭をフル回転させて、記憶の中に散らばっている噂話の欠片をかき集める。
そしてそれらにあてはまる場所がないかどうか、泣きはらした目を血眼にして探した。
喪服代わりの制服とローファーで夜の町を駆けずり回る女子高生の姿は、事情を知らないひとから見ても鬼気迫るものがあったのだろう。
「《決して花を枯らさない花屋》、知ってますか⁉」
噛みつくようにそう尋ねても無下にされることはなかったけれど、なかなか肝心の情報が手に入らなかった。
「すみません……っ!」
こうして話しかけるのはもう何人目だろう。
目の前にいるのは、ツンツンとした黒髪の男性だ。
大学生くらいに見えるけれど、三白眼で睨むように見下ろされ、思わずたじろぐ。
「……あの、私……っ!」
話しかけるひとを間違えたかも、という思いが、一瞬頭をよぎった。
「――枯らしたくねぇモンがあんだな」
男性はそう言って、じっと私のことを見据える。
「えっ……?」
突然の出来事に言葉を失う私のことを検分するように眺めた後、彼はくるっと踵を返した。
「ついてこい」
低い声は、掠れているのにやけに耳ざわりがいい。
男性は戸惑う私のことなど気にもとめず、すたすたと歩きだした。
「ちょ……あの……っ!」
その声には、疑いと、恐怖と、それにほんの少しの期待が入り混じっている。
「連れてってやるよ。お望みの場所にな」
彼は私の期待に応えるようにそう言って、ニヤリと笑った。
「こっちだ」
そう言って再び歩きだす男性に、あわててついていく。
はやる鼓動をおさえつつ、「そんなにうまくいくはずがないのでは」という自問を繰り返しながら歩く。
たどり着いたのは、見覚えのない裏路地だ。
『こんな道、あったっけ……?』
訝しがりながら進んでいくうちに、少しずつ視界が開けていく。
「わぁ……っ!」
目の前に現れたのは、ヨーロッパの城を思わせる佇まいの立派な洋館だった。
門扉の両側にはゆらゆらとランタンの灯がゆらめき、辺りを柔らかく照らしている。
「帰った」
男が一言そう言うと、手も触れていないのにキィ、という音をたてて鉄製の門が開く。
「ドーゾ」
愛想の欠片も感じられない声で促され、おずおずと門をくぐる。
恐る恐る歩を進めると、やはり触れてもいないのに門扉がキィッという音をたてて閉まるのがわかった。
広い部屋を抜けて、先の見えない長い廊下を奥へ、奥へ。
私達の歩調に合わせるように、前方のランタンに火が灯り、後方のランタンが消えていく。
それを見ているうちに、私の中の『予感』が『確信』へと変わった。
——ここはおそらく、普通の世界とは一線を画した領域だ。
大きな木製の扉の前で、男性はようやく歩みを止めた。
「ついたぞ」
その言葉は、おそらく私に向けられたものではない。
彼がそう言った瞬間、巨大な扉がゆっくりと開く。
その瞬間視界に飛び込んできたのは、目にもまばゆい数多のきらめき——。
「おかえり」
柔らかい声が私たちを出迎える。若干高めだが、大人の男性の声だ。
「客だ」
黒髪の男性がそう言って、私のことを視線で示す。
「さすが。できる男だね、君は」
そう言われた黒髪の彼は、どこか得意げに見える。外で見た時は孤高の狼のような印象だったのに、今や褒め待ちの番犬か何かみたいだ。
くすりと笑みをこぼした男性は、さしずめ番犬の飼い主といったところだろうか。
「――おっと、お客様をお待たせしちゃあよくないよね」
そう言って、声の主が部屋の奥からゆっくりと姿を現す。
癖のある栗毛に、丸く輝く琥珀の瞳。
そのひとは、男というにはあまりに柔らかく、少年というにはあまりに洗練された空気を身にまとっていた。
「――迷える貴方に、『枯れない想い』をお届けすると約束しましょう」
たたえた微笑みを崩さないまま、彼は言う。
「ようこそ、宝石花店アリーヴェデルチへ」
その言葉によって、私はようやく気付く。
この部屋を埋めつくしている、色とりどりの輝きを放つそれらこそが『枯れない』花なのだということに——。




