この宇宙の片隅で
────おかえりなさい、パパ。
操縦桿を握り締める手は、強張っていた。
いつのまにか詰めていた呼吸のペースを元に戻し、シートに身を預ける。だが、まだ気を緩めるには早過ぎる。レーダーに反応はなくとも、敵が潜んでいるかもしれない。ヘルメットタイプのモニターを注視し、操縦桿をなぞる。いつでも発射出来るようにビームガンのエネルギーを充填させながら、左右に目を動かし、敵の気配を探っていく。
全面モニターの中には、砕け散った機動歩兵や弾痕の付いた無人戦闘艇が、自重で崩れながら視界を流れる。機動歩兵の中には真っ二つにされたものもあり、傷口から零れ落ちたオイルが黒い滴となって宇宙を漂っていた。
サーチライトを動かし、漆黒の宇宙空間に光の帯を作る。同時にレーダーも使いながら、ゆっくりと周囲を調べる。僅かな動きが視界に入るたび、操縦桿のトリガーに指を掛ける。そして、最も大きな宇宙船の残骸を見定めた。
分厚い装甲と巨大な主砲を備えていた戦闘艦だったが、主砲を真っ二つに切られては何の役にも立たない。それが本船だった。開けっ放しになっている船体後部のカタパルトも、へし折られた上に撃ち抜かれていた。宇宙空間へ射出される途中だった無人戦闘艇や機動歩兵が、カタパルトと船体にいくつも挟まり、壊れていた。船腹には海賊旗を模した趣味の悪い塗装が施されているが、それもまた盛大に切り裂かれ、塗装も剥げていた。
今回依頼された仕事の内容は、宇宙海賊の殲滅だ。だから、遠慮せずに戦ったが、少々やりすぎた感がある。死人はあまり出すな、との注文だったのでエアロックのある船室は撃たなかったが、多少の死者は出ただろう。
交戦した無人戦闘艇の数隻は本当に無人だとは思えない動きをしたし、機動歩兵も人工無能型ではなかった。だが、そればかりは仕方ない。犯罪を犯す無法者に気を遣うような余裕は、どちらも持ち合わせていないのだ。すると、前方に巨体が現れた。小型船の主砲ほどもあるビームバルカンを担いだ相棒は、首を大きく縦に振る。
『俺達の完勝だ』
〈ちょっとイグニス、私の仕事を奪わないでよね!〉
無線越しに聞こえた男の声を遮るように、ヘルメットタイプのモニターから機械音声の女の声が響いた。
『うるせぇな。現場での状況判断能力は、俺の方が上だってことをいい加減認識しやがれ』
モニターの中で、巨体の戦士は大きな肩を竦めた。ヘルメットを外すとその姿が一瞬失せたが、再び現れた。前面に広がるモニターに浮かぶ相棒は、右手にはビームバルカン、左手にはレーザーブレードを備えていた。先程の宇宙船のカタパルトを折り、エンジンルームを撃ち抜き、機動歩兵を真っ二つに切り裂いたのは彼である。宇宙空間での近接戦闘に長けているので、戦闘ではいつも真っ先に切り込み、力任せに敵を蹴散らしてしまう。
今回もまたそのパターンだった。最前線に出た彼に攪乱してもらった後に、スペースファイターで猛襲を掛けた。手荒な戦法だが、確実だ。時と場合によっては戦法を変えるが、基本的にはこのフォーメーションで戦っている。分厚い装甲に覆われた鋼鉄の体には被弾の痕は一切残っておらず、被弾箇所は肩装甲の端を掠った程度だ。敵の数は多かったが、こちらが受けた損傷はその程度だ。彼は鬱陶しげに、敵の砲撃で焼けた肩装甲を払う。
『体中が埃と油まみれになっちまった。風呂に入りたい気分だな』
「その気持ちは俺にも解る。サチコ、依頼者と軍に戦闘終了の報告は?」
操縦席に座る男はケーブルの繋がったヘルメットを足元に置いてから、パイロットスーツの襟元を緩めた。
〈もちろん報告済みよ。ちょっと色を付けてあるけどね〉
今度は、目の前のモニターから得意げな女の声がした。男は、その言葉に笑う。
「また敵機数の水増しか?」
〈イグニスじゃあるまいし、そんなちゃちなことはしないわよ。失礼しちゃうわ〉
モニターの右端にウィンドウが開き、その中に数字が並ぶ。それは、宇宙空間の彼にも送信されたようだった。
『ああ、雑費の請求書か』
その方がちゃちいぜ、と鼻で笑った彼に、彼女は反論する。
〈戦闘で消耗した弾薬やエネルギーを依頼者に請求することはちゃーんと規約に含まれているんだから、真っ当な権利なのよ! あんまり文句を言うなら、イグニスの取り分を差っ引くわよ?〉
『おいおい、そりゃないぜ! この中で一番労働してんのは俺なんだからよ!』
〈働いているって言っても、一番頭を使わない殲滅役じゃないの〉
『マサヨシ、何か言ってやれよ! この減らず口の電卓女に』
軽く苛立った様子で、巨体の機械生命体はこちらを示した。その様子に、男は笑い声を零した。
「仲が良くて結構だ」
二人からは即座に反論が返ってきたが、マサヨシは受け流した。彼と彼女が言い争うのは、いつものことだ。この巨体の戦士はイグニスと言う名の機械生命体で、十年来の付き合いになる友人であり相棒である戦士だ。身長は四メートルもあり、体重もそれ相応に重たい。だが、ただのロボットではなく、一個の生命体なのである。
金属で構成された体組織の中には回路で組み上げられた頭脳があり、アルゴリズムで成された魂が宿っている。緻密なメカニズムが詰まったボディを覆う装甲は目の覚めるような赤がメインで、宇宙空間では非常に目立つ。
太陽系に訪れてから両腕両足に施したオレンジ色のファイヤーペイントが特に目立っていて、一目で彼だと解る。この派手な外見のおかげで、乱戦でもイグニスを誤射したり見失うことはないが、逆に敵にも見つかりやすい。そのことをサチコに何度もごねられているがイグニスは己のポリシーを曲げることはなく、完全に開き直っている。
モニターに機械音声の波形を表示しながらイグニスへの文句を並べているのは、もう一人の仲間、サチコだ。彼女はマサヨシの操るスペースファイターのナビゲートコンピューターで、成人女性と同等の人格を持っている。
イグニスに負けず劣らず人間臭いコンピューターで、神経質な部分はあるが、真面目で理性的な頼れる助手だ。稼働年数はイグニスと組んだのとほぼ同時なので、今年で十年になる。イグニス同様、掛け替えのない存在だ。
そんな彼らと生死を共にしているのが、スペースファイターの操縦席に座っている男、マサヨシ・ムラタである。出身はコロニー生まれの人間で、統一政府宇宙軍に所属していた軍人だったが、諸事情で十年前に退役した。退役と同時に傭兵を始め、アステロイドベルト周辺に出没する宇宙海賊や犯罪者と戦って生計を立てている。
『それで、どうする?』
持ち主と同じく派手な赤のビームバルカンを背中に担いだイグニスは、無線越しにマサヨシに声を掛けた。
「今日は相手が多かったから、エネルギーを消費しすぎたな。近くの宇宙ステーションで補給してから帰るか」
『ああ、俺もだ。腹が減っちまった。マサヨシ、翼を借りるぜ』
イグニスの姿が失せると、スペースファイターの左翼に重量が掛かり、機体が左側に傾いた。
「丁重に扱ってくれよ、イグニス。左翼は先週直したばかりなんだ、下手に傷付けるとサチコが拗ねちまう」
マサヨシはモニターを操作し、左翼の映像を映し出した。イグニスは外装を開け、大型のハンドルを出した。イグニスがそれを握り締めたことを確認してから、マサヨシは両手に握った操縦桿をゆっくりと倒し、加速した。
〈マサヨシ。一番近い宇宙ステーションは火星のフォボスステーションよ〉
サチコはそう言いながら、モニターに赤い惑星を映し出し、その衛星軌道上を回る人工物を拡大表示させた。
『なんだ、火星かよ。あそこのエネルギースタンドのロボットは接客態度がイマイチなんだよなぁ』
〈文句を言うんだったら捨てていくわよ。ねえ、マサヨシ?〉
「捨てたら捨てたで、スペースデブリと一緒に帰ってくるだけだろうが」
マサヨシは自動操縦機能を作動させて、操縦をサチコに一任した。ここから先の宙域は、軍の警備も厳しい。だから、少しぐらいは気を抜いてもいい。マサヨシは操縦席の傍のホルダーから、ドリンクのボトルを取った。適度な糖分とミネラルが入った液体を飲み、喉を潤す。戦闘の緊張感はまだ緩まないが、気持ちは安らいだ。
イグニスとサチコの言い合いがこれ以上続くと支障を来すので、マサヨシはまずサチコから止めることにした。サチコにとって、マスターであるマサヨシの命令は絶対なのだ。そのため、サチコは実に呆気なく引き下がった。
続いてイグニスだが、こちらの方が扱いが面倒だ。機械生命体という生き物は、恐ろしく人間臭い生き物である。サチコへの不満と苛立ちを荒い言葉で吐き出すイグニスを、マサヨシは受け流しながら、話の矛先を変えさせた。そして、気のない返事を何度も繰り返してイグニスの苛立ちが収まるのを待ってから、航行速度を徐々に上げた。
苛立ちに任せて暴れられたら、船体が損傷してしまう。実際、そうなってしまったことは一度や二度ではなかった。せっかく無傷で生還出来ると思ったのに、最後の最後で信頼する味方に傷付けられたらたまったものではない。イグニスも解っているはずなのだが、頭に血が上りやすい、というか、頭脳回路が過熱しやすい性質の男なのだ。
扱いに慣れるまでは、本当に大変だった。扱いに慣れた今でも、イグニスという男を持て余している節はある。だが、戦闘では彼以上に頼れる戦士は他にいないので、イグニスの存在は欠かすことが出来なくなってしまった。そしてイグニスも、マサヨシと組んで戦えば自身のエネルギー代を効率よく稼げるので、コンビを解消出来ない。機械生命体と組むのは利点も大きいが、欠点もまた大きい。イグニスの場合は、その割合が少々狂っているが。
二人の言い合いが収束したことを確認してから、マサヨシは操縦桿のボタンを押してブースターを二基開いた。イグニスという巨大な荷物が増えた分エネルギーの消耗も増えたが、火星の宇宙ステーションまでは保ちそうだ。サチコの的確なナビゲーションと自動操縦のおかげで、二時間もしないうちに赤茶けた惑星をモニターに捉えた。
火星の衛星軌道上には、目的の宇宙ステーションが浮かんでいた。
フォボスステーションは、火星の第二宇宙ステーションである。
建設されたのは百年以上前だったが、改修と増築を繰り返したためにその容積は当初の数十倍にもなった。最も大きいのは居住スペースだが、現在は火星の地表上に造られた火星コロニーに大多数の人間が移住した。そのため、居住スペースは空きが増える一方で、設備も古ければ構造も危ういので、解体される日は遠くない。それでもマサヨシらのような傭兵や渡航者には需要があるので、ずるずると運用は続けられて今に至っている。
マサヨシの操るスペースファイターは、フォボスステーションのメンテナンスドッグに入り、補給を受けていた。その間、マサヨシはステーション内の休憩所で休んでいた。イグニスはイグニスで、別の場所で補給している。イグニスはその巨体と身体機能の都合上、燃費が良くない。なので、彼のエネルギー代は彼自身が負担する。一度の補給で小型宇宙船一隻分程も補給するのだが、満タンにしても、戦闘を数回行えばすぐに尽きてしまう。なのでイグニスは、稼いだ金のほとんどは日々のエネルギー代で使ってしまうので、経済事情は常に厳しかった。
仕事の報酬は、五対五の折半だ。マサヨシもマサヨシで、スペースファイターの整備費は決して馬鹿にならない。自分で出来る範囲はサチコの力を借りて修理するのだが、宇宙船の整備に関しては素人に毛が生えた程度だ。だから、定期的に宇宙ステーションに立ち寄ってメンテナンスや部品交換をしなければ、商売道具が使えなくなる。
従軍時代からスペースファイターのパイロットだったマサヨシには、スペースファイターがなければ死活問題だ。よって、大事にしてやろう、手を掛けてやろう、と思えば思うほどに足が出てしまってこちらも金は貯まらなかった。
マサヨシは手のひらにすっぽり収まる大きさの情報端末を操作して、今日の報酬をホログラフィーで見ていた。今日の報酬から整備費を抜くと、取り分は大分減る。割のいい仕事だと思ったのだが、そうでもなかったようだ。
マサヨシは苦いだけで香りがないコーヒーを啜りながらホログラフィーを見ていたが、影を感じて視線を上げた。大柄を通り越して巨大な影が、覆い被さっていた。見上げると、そこには外装を洗浄したイグニスが立っていた。
「随分と綺麗に磨き上げてきたな、イグニス。俺の顔が映りそうだぞ」
「まぁな。返りオイルってのは塗装を傷めやすいんだよ。先月塗り直したばかりだから、気になってな」
イグニスはマサヨシの座っているテーブルの向かい側から椅子をどかすと、床に直接座って胡座を掻いた。
「んで、そいつは今日の稼ぎか?」
「サチコが頑張って色を付けてくれたが、諸経費をさっ引くと厳しいな」
マサヨシがホログラフィーを掲げると、イグニスは首を伸ばして覗き込んできた。
「俺も似たようなもんだ。最近の宇宙海賊はどれもチンケだから、仕事の内容もちゃちいんだよな」
「それだけ、軍が取り締まりを頑張っているのさ」
「それ自体は悪いことじゃないんだが、な」
イグニスは膝に肘を乗せ、頬杖を付いた。大きな背が丸められ、担いでいるビームバルカンが動いた。
「んで、どうする? お前の船の整備が終わるまでは、まだ大分あるんだろう?」
「腕のいい整備士に当たっちまったからな。おかげで隅から隅まで調べられて、部品交換のための契約書と請求書を何枚も書かされたよ。あいつらの言うことは信じるに越したことはないんだが、金が掛かるのが問題だ」
「その分だと、後三時間は身動きが取れないな」
「だから、サチコもスタンバイモードにさせておいたよ。もちろん、何かあったらすぐに起きてもらうがな」
「電卓女はそのまま眠らせておけよ。戦闘中に耳元でキンキン喚かれちゃ、集中出来るものも出来ねぇんだよ」
大きな肩を竦めたイグニスを、マサヨシは言い返す。
「馬鹿言え、サチコ抜きで仕事が出来るか。それに、うるさいってことは心配されているってことだろう」
「さて、そいつはどうだかな。あの電卓女にとってマサヨシはマスターでありコマンダーだが、俺はただの一戦闘員でしかない。だから、俺とお前の間には一千万光年の差が開いているんだよ」
イグニスはマサヨシを指し、顔を近寄せた。マサヨシはホログラフィーを消し、情報端末をポケットに入れた。
「それは言い過ぎじゃないのか。まあいい、整備が終わるまでの間、買い出しにでも行くとするか」
「つくづく炭素生物は面倒だと思うぜ。外装交換も毎日のことだし、摂取する物質も細々してるしよ」
よっこいせ、と腰を上げたイグニスは、天井に頭を擦り付けないように腰を曲げて歩き、休憩所を後にした。
「うちのお姫様は、今頃どうしているやら」
マサヨシは、イグニスに続いて休憩所を出た。通路の天井は高いので、イグニスは背筋を伸ばしていた。
「ハル、いい子にしているといいんだがな」
「寝かし付けてから出てきたから、そろそろ起き出してぐすってるかもしれないな」
マサヨシが返すと、イグニスは潰れた声を漏らした。
「うへぇ。あれだけは勘弁してくれよ、神経回路までびりびり来ちまうんだよ」
「そう言う割に、あやすのは上手いじゃないか」
「ありゃあただの慣れだ。だが、あの泣き声だけはいつまでたっても慣れやしねぇよ」
「だが、しっかり可愛がっているじゃないか」
「泣かなきゃいいんだよ、泣かなきゃ」
イグニスが言い返すも、マサヨシは笑うだけだった。
「そう強がるな」
口では意地の悪いことを言うが、イグニスはハルを溺愛している。マサヨシは、そのことを誰よりも知っている。ハルとは、二年前にマサヨシとイグニスが偶然発見して保護し、コロニーで同居している幼い少女の名である。イグニスのような巨体の機械生命体が幼い少女を相手に弛緩している姿は情けないが、同時に微笑ましくもある。その様子を思い出してマサヨシがにやついていると、イグニスは、なんだよ、と照れ隠しに文句をぶつけてきた。
「さて、今日の夕飯には何を作ってやろうか」
マサヨシの言葉に、イグニスは両手を上向ける。
「まともなのにしてやれよ。それでなくても、お前は料理だけは下手なんだからよ」
「善処するさ」
マサヨシは苦笑いしつつ、イグニスと共に連絡通路を渡り、別のブロックに入った。ここには多数の店舗がある。宇宙ステーションという場所柄、宇宙船の部品や武装を取り扱っている専門店が多いが、無論それだけではない。火星コロニーから輸入している日用品や食料品や衣服が取り揃えられており、選り好みしなければ充分事足りる。サチコが諸経費を差っ引いた分の報酬と相談しながら、マサヨシは通路を挟んで並んでいる店舗を眺めていた。
イグニスもイグニスで品物を見ているが、彼の視線が向いているのは専らガラクタ同然のジャンク品ばかりだ。どういうわけかは知らないが、イグニスはジャンクに目がない。なので、ちょくちょくスペースデブリを回収してくる。
主なスペースデブリは宇宙船の残骸や機動歩兵の部品、破損した人工衛星、訳の解らないコンテナ、など様々だ。三人が住み着いている廃棄コロニー周辺の小惑星には、イグニスが集めたスペースデブリが山になっている。マサヨシとサチコが特に厳しく言い聞かせているので、今のところは廃棄コロニー内には持ち込んではいない。だが、それは時間の問題だ。イグニスの集めるゴミは日々増え、埋め尽くされた小惑星は一つや二つではない。
マサヨシは意気揚々とジャンクショップを見ているイグニスの背に、不安と諦めの入り交じった眼差しを向けた。この様子だと、またガラクタを買って帰りそうだ。稼ぎも手取りも等しいのだが、無駄遣いは彼の方が遙かに多い。だが、こちらはこちらで買い物を済ませなければならない。マサヨシは手近な食料品店に入り、品定めを始めた。
イグニスはいい相棒だが、その性癖にまで付き合う義理はない。
四人の住む廃棄コロニーは、アステロイドベルトの片隅に浮いている。
アステロイドベルトに無数に存在する岩石の一つを改造して建造されたもので、外見はただの小惑星である。マサヨシらがこのコロニーを発見したのは、全くの偶然だ。宇宙海賊との交戦中に被弾し、退避して流れ着いた。
最初はただの小惑星だと思っていたのだが、サチコが小惑星をスキャンして調べ、擬装された隔壁を発見した。パスワードもロックも掛けられておらず、何の苦もなく侵入出来たので、警戒しながらコロニー内部に降下した。
コロニー内部はごく一般的な居住用コロニーで、軍事施設もなければ研究施設もなく、オートガンすらもなかった。人影はないが植物だけは生い茂っており、高濃度の酸素が充満していたので、大分前に廃棄されたようだった。植物栽培プラントを突き破って成長を続けていた太いツタや逞しい根は、コロニー内部を這い回って伸びていた。
ハルは、その中心で眠っていた。ツタに締め付けられているコールドスリープ・ポッドの中で、彼女は凍っていた。余程長期間保存されていたのだろう、生体反応はかなり低く、覚醒させなければ緩やかに死を迎える状態だった。
マサヨシがコールドスリープを解除してやると、目覚めた少女は意識が戻り切っていない瞳で二人の男を捉えた。マサヨシに目を留めた少女は、外見に見合った幼い笑顔を浮かべると、舌っ足らずな声で、パパ、と呼んできた。
当然、マサヨシは戸惑った。少女はおぼつかない足取りで近付いてきてマサヨシに縋り付き、パパ、と呼んだ。少女は警戒するどころかマサヨシに気を許しきっていて、マサヨシが少しでも離れると途端に泣きそうになった。
イグニスは、放っておけ、構うんじゃねぇ、と拒絶した。サチコも、また眠らせておくべきだ、と意見を述べてきた。マサヨシもそう思わないでもなかったので、一度は振り払ったのだが、少女は何度も転びながら追いかけてきた。
パパ、パパ、と繰り返しながら、少女は小さな手を伸ばしてきた。その姿の痛々しさに、マサヨシは心が痛んだ。マサヨシが駆け寄って抱き起こしてやると、少女は泣き笑いに似た表情を浮かべて、マサヨシにしがみついてきた。
その瞬間、マサヨシは躊躇いが消えた。どんな事情があったにせよ、彼女はマサヨシに助けを求めていたのだ。だが、その気持ちを汲むどころが蔑ろにしてしまった。マサヨシは申し訳なさに苛まれながら、少女を抱き上げた。
二人から強く反対されながらも、マサヨシは少女をスペースファイターまで連れていき、水と食糧を与えてやった。完全に目を覚ましても、少女はマサヨシをパパと呼んでいた。父親じゃない、と言い聞かせても、呼び続けていた。それが延々と続くと、マサヨシはいつのまにかパパと呼ばれることに抵抗が失せ、少女にハルと名付けてやった。
それから五日間、奇妙な共同生活が始まった。マサヨシのスペースファイターの損傷は、思いの外ひどかった。手持の工具とコロニー内で見つけた部品で修復出来ないこともなかったが、損傷が大きいので手間が掛かった。ハルと名付けられた少女は、それを興味深げに見ていた。
イグニスのことも、おじちゃん、と呼ぶようになった。サチコのことも、お姉ちゃん、と呼ぶようになり、マサヨシだけでなく二人にも懐いて笑顔すら見せるようになった。そして五日が過ぎ、スペースファイターの修理が完了する頃には、イグニスとサチコもハルを受け入れていた。
一度情が湧いてしまうと、後は簡単だった。マサヨシとイグニスは廃棄コロニーに拠点を移し、暮らし始めた。それはもちろん、新しい家族のハルのためだった。
まだ幼い彼女を一人にしておくのは、とても心配だからだ。以前は木星の衛星軌道上のコロニーに住んでいたのだが、コロニー暮らしは金が掛かって掛かって仕方ない。だが、この廃棄コロニーならば、スペースファイターのガレージ代やアパートの家賃を毎月払う必要などない。
定期的に氷を運び込めば自動的に解凍して浄水してくれるし、植物プラントを使えば野菜はいくらでも作れる。そして何より、このコロニーにはハルがいる。どこを取ってもいいこと尽くめだったので、引っ越す他はなかった。それが、二年前の出来事だ。それから二年間、マサヨシとイグニスは今まで以上に充実した日々を送っていた。
火星のフォボスステーションから帰還したスペースファイターは、岩盤に擬装されている隔壁の前で制止した。サチコが遠隔操作を行って隔壁を開くと、合金製のカタパルトが現れる。大型宇宙船用なので、かなり巨大だ。マサヨシのスペースファイターは小型艇なので、三分の一もない。
戦闘艇と戦士を載せ、カタパルトは降下した。カタパルトが降下していくと、頭上では隔壁が閉鎖される。第一層、第二層、第三層、とゆっくりと降下を続ける。そして第六層まで降りると、エアロックに入った。隔壁に頑丈なロックが掛かると、徐々に空気が充満し始めた。
〈隔壁異常なし、空気圧異常なし、人工重力、0.95G、各乗員の生体反応にも異常なし、オールグリーンよ〉
サチコの決まり切った報告を聞き終えてから、マサヨシは体を固定していたベルトを外した。
「ハルはどうしている?」
〈私の目の届く場所にいてくれたわ、一応はね〉
「一応ってことは、どういうことだ?」
マサヨシは操縦席から離れて倉庫に向かい、買い込んだ食料品の箱を取り出した。
〈三十二分十五秒前から、姿が見えないのよ。家の中にいないことは確かだけど、それ以外は掴めていないわ〉
「とりあえず、うちに帰ろう」
マサヨシは一抱えもある食料品の箱と日用品の箱を船外に出すと、イグニスはその二つの箱を片手に収めた。
「やっぱりお前は電卓女だな、サチコ。コンピューターならコンピューターらしく、全部調べやがれ」
〈私の役目はマサヨシのサポートなんだから、マサヨシの判断を扇ぐのもちゃんとした仕事なのよ。あなたと違って私は自分の立場をしっかり弁えているから、過ぎたことはしないのよ〉
マサヨシの背後から、球体の機械がふわりと滑り出てきた。サチコの端末の一つで、彼女の体の一部でもある。野球ボール程の大きさの銀色の球体は、解像度の高いレンズと各種センサーが付いているスパイマシンである。
その外見を簡潔に表現すれば、機械の目玉だ。愛嬌のない見た目をしているが、それは性能重視である証拠だ。マサヨシが改造を加えて音声機能を付けたので、喋ることも出来る。コロニー内部での、サチコの姿とも言える。
「相変わらず、お前は現場ってのを解ってねぇな」
だから好きになれねぇ、とぼやきつつ、イグニスは大きな手のひらに二つの箱を載せてエレベーターに向かった。マサヨシはサチコと共にそれを追い、三人は居住スペースまで降下した。その間、イグニスはサチコをなじった。サチコはしれっとした物言いでそれを受け流すが、イグニスにとってはそれすらも癪に障るのか文句は止まない。マサヨシは二人を宥めるのを諦めていたので、特に何も言わず、エレベーターが最下層まで降りるのを待った。
二人の言い合いは、マサヨシにとってはBGMにも等しかった。
四人の住む家は、廃屋を改造したものである。
植物に浸食されて壁が壊れてしまった建物の骨組みに、新しい建材で壁や屋根を填め込んで家らしくした。配管や配線も行って水道や電気も整え、必要最低限の生活スペースを作り、マサヨシとハルの部屋も作った。人数が少ない上に土地が広いので、平屋建てだ。
この家を造る際に最も働いたのは、当然ながらイグニスである。だが、当のイグニスは家に入ることは出来ても二人と一緒に住むことは出来ないので、かなり残念がっていた。
なので、イグニスは自分のために大型のガレージを家の傍に建造して、多少強引だが一緒に住めるようにした。そのことは大喜びしたのはイグニスだけではなく、ハルもだった。これで一緒に寝られる、とはしゃぎ回っていた。
マサヨシが玄関のドアを叩くが、返事はなかった。マサヨシは扉を開けて入ると、玄関には靴が散らかっていた。それは、ハルの小さな靴だった。マサヨシは靴を並べ直してから、広いだけで家具のないリビングに声を掛けた。
「ただいま、ハル」
「おーい、帰ってきたぞー。って、やっぱりいねぇな」
イグニスは箱を玄関に置いてから玄関を覗き込むと、ドアとイグニスの頭の隙間からサチコが滑り込んだ。
〈ハルちゃん、どこに行ったのかしら〉
「隠れているってこともあるかもしれないな」
マサヨシは二つの箱をキッチンに運び込んでから、リビングの左奥にあるハルの部屋のドアを叩いた。
「ハル、いるか?」
だが、やはり返事はない。ドアを開けるも、ベッドはもぬけの殻で、寝乱れたシーツや毛布だけが残っていた。
「じゃ、俺の部屋か?」
マサヨシは自室のドアを開けるも、そこにもいない。今度はマサヨシの部屋の窓の外から、イグニスが覗き込む。
「かといって、俺のガレージでもなさそうだ。おい、電卓女」
〈私に命令出来るのはマサヨシとハルちゃんだけよ〉
つんとした態度で、サチコはそっぽを向いた。言い返そうとしたイグニスを、マサヨシは制する。
「サチコ。ハルがどこにいるか解るか?」
〈ええ、もちろんよ!〉
サチコの声色は途端に明るくなったので、その変わり様にイグニスは嫌悪感を示した。
「裏表のある女は嫌いだ。特に、減らず口はな」
〈外野は無視して話を続けましょう。ここまで近付くと、詳細な情報が探知出来るようになったから報告させてもらうわね。ハルちゃんの生体反応はこのエリアから出ていないから、近くにいることは確かだわ。バイタルの異常もないようだから、特に問題は見当たらないわ。位置はここから七百二メートル八十三センチ、つまり、畑にいるわ〉
「畑?」
マサヨシが聞き返すと、サチコは頷くように球体を上下させた。
〈ええ、畑よ。三ヶ月前にあなた達が耕して種を作付けしておいた、あの畑よ〉
「と、いうことは」
イグニスは腰を上げて体を起こし、周囲を見渡した。入念に手入れをしたので、今はツタも根も除去されている。サチコの言う畑は、放置された末に暴走した植物プラントから離れた場所に作ったもので、元々は公園だった。植物プラントで栽培される野菜とは違った野菜を作るためと、ハルの情操教育のために作った小さな畑である。
靴が脱ぎ散らかされていたのは、靴を履き替えたからだろう。畑には長靴で行くように、と言い聞かせてある。マサヨシは改めてハルの部屋を見たが、ピンク色の可愛い寝間着はきちんと折り畳まれてベッドに載っていた。その代わり、クローゼットが開かれたままで、ハンガーが床に転げ落ちている。自分で着替えて外に出たのだ。
「どうする、迎えに行くべきか?」
イグニスの提案に、マサヨシは頷いた。
「そうだな。その方がいい」
〈残念だけど、その必要はないみたいよ〉
サチコは窓から外へ出ると、畑の方向にレンズを向けた。イグニスも気付いたのか、嬉しそうな声を漏らした。マサヨシも外に出ると、二人に倣って畑の方向に向いた。雑草が生い茂った石畳の上を、小さな影が歩いている。長靴の底をぺたぺたと鳴らしながら歩いていたが、時折よろけた。なんとか踏ん張るも、またしても崩れかけた。それが何度か続いていたが、遂に転んだ。
「ああっ」
マサヨシは駆け寄ろうとしたが、踏み止まり、その様子を見守った。イグニスも腰を軽く浮かせていたが、マサヨシが駆け出さないのを見ると、焦れながらも座り直して腕を組んだ。小さな影は震えながらも起き上がり、目元を拭った。散らばってしまったものを掻き集めて、布袋に入れている。それを引きずりながら歩いていたが、マサヨシらの姿に気付くと立ち止まった。泥だらけの顔を緩め、声を上げた。
「お帰りなさい、パパ、おじちゃん、お姉ちゃん!」
この少女こそが、愛娘、ハルだった。ピンクの長靴も半袖シャツもジャンパースカートも、どろどろに汚れていた。色白な肌も、長い金髪も、純真な光を宿した青い瞳も、ふっくらと丸いバラ色の頬も、全てが泥にまみれていた。
ハルは布袋を引きずって駆け出そうとしたが、袋の重みに負けてつんのめってしまい、またもや転んでしまった。その拍子に袋の口が緩み、中身が零れ出した。それは、まだ青いトマトや小振りなカボチャなどの野菜だった。
「あーあ、もう見ちゃいらんねえ」
居たたまれなくなったイグニスが立ち上がると、ハルはぐずりながらも起き上がり、叫んだ。
「パパもおじちゃんもお姉ちゃんも、おうちで待っててよ! 私がごはん作るんだもん!」
「作るったって、それはまだ喰えないやつばっかりじゃないか」
イグニスが近寄ると、ハルは泥と涙に汚れた頬を膨らませた。
「作るんだもん! おじちゃんにも食べてもらいたいんだもん!」
「気持ちは嬉しい、滅茶苦茶嬉しい、嬉しくて嬉しくてたまんねぇ。だがな、ハル。俺は有機物は喰えないんだよ」
イグニスは心底残念がりながら、首を横に振った。ハルは小さな唇を曲げると、下を向いた。
「だって、パパのごはん、あんまりだから…」
〈あらあら。ハルちゃんにダメ出しされちゃったわね〉
サチコに茶化され、マサヨシは苦々しげに呟いた。
「だが、あれだけはどうにも上手くならないんだ。頑張ってはいるんだが」
「お留守番だってお着替えだってちゃんと出来るんだもん、だからごはんだって作れるよ!」
今度は意地になったのか、ハルはイグニスに詰め寄った。イグニスは指先を伸ばし、ハルを慎重に撫でた。
「だが、今はまずお風呂に入ろうな。そんなに汚れてちゃ、お前の可愛さが台無しだ」
「じゃ、パパと一緒に入る。頭、洗ってもらう」
「俺とじゃダメか?」
イグニスはかなり期待しつつ、自分を示した。
「おじちゃん、大きすぎて洗いっこが出来ないんだもん。それに、おじちゃん、お風呂場に入れないもん」
ハルのもっともな言葉に、イグニスはひどく落胆した。
「入れるもんなら入りてぇんだが、物理的な問題ってぇのがあってだな…」
〈完璧にフラれたわねぇ、イグニス〉
「うっせぇ黙れ電卓女!」
悔し紛れに喚いたイグニスは、サチコの球体に拳を振り上げた。サチコは加速し、素早く飛んで回避する。
〈このスパイマシンを壊したりしたら、あなたの稼ぎからちゃあんと天引きしておきますからね?〉
「今日という今日は許さねぇからな、サチコー!」
〈おほほほほほほほほほほほ、捕まえてごらんなさーい〉
「なぁにがごらんなさーいだ!」
てめぇこの野郎、とむきになったイグニスはサチコを追い回すも、サチコはイグニスの指先に掠りもしなかった。宇宙空間ではなく人工重力圏であることがネックになり、イグニスの動きは宇宙空間に比べると鈍くなっていた。サチコはそれを計算に入れて、スパイマシンの反重力装置とスラスターを上手く操作し、見事に回避していた。それがイグニスの怒りに火を注ぐのか、イグニスの動きは次第に荒くなってしまい、サチコは避け続けていた。
マサヨシはその光景を見つつも、地面に座り込んでいるハルに近寄ると、ハンカチを取り出して頬を拭った。泥と涙に汚れていた頬を綺麗にしてやると、ハルは大きな目を瞬かせながら顔を上げ、マサヨシに飛びついた。
「パパ!」
「そうか、俺の料理はそんなにまずいか」
苦笑いするマサヨシに、ハルは眉を下げた。
「うん。だって、パパのごはん、苦いかしょっぱいかなんだもん」
「それについては謝るよ、ハル。でもな、青いトマトはまだ取っちゃダメだって言っただろう?」
「だって、パパとおじちゃんにごはんを作ってあげたかったんだもん」
「じゃ、今日はお手伝いをしてくれないか。ハルが手伝ってくれたら、少しは俺の料理もマシになるかもしれないな」
「うん、お手伝いする! 私、頑張るね!」
マサヨシの腰に短い腕を回し、ハルは力一杯抱きついてきた。マサヨシは身を屈め、ハルの頭を撫でる。
「その前に、まずは風呂に入ろう。本当に泥だらけだもんな」
「パパのごはんはあんまりだけど、お風呂は大好き」
ハルは目尻に涙が残っていたが、満面の笑みを浮かべていた。マサヨシはハルを抱き上げ、布袋も拾った。
「ありがとう、ハル。気持ちだけはしっかりもらっておくよ。だが、次からは一緒に畑に取りに行こうな」
「うん。解った。次からはそうするね」
ハルはマサヨシの首に腕を回すと、頬を擦り寄せた。
「お帰りなさい、パパ」
「ただいま、ハル」
マサヨシはハルの柔らかくも泥臭い頬の感触を味わい、目を細めた。ハルの気持ちだけでも、胸が一杯になる。未熟な野菜を収穫してしまったことは怒るべきことかもしれないが、その行為自体は好意に基づいたものなのだ。だから、怒るよりも感謝する方が先なのだろう。
ハルは感謝されたことが嬉しいのか、だらしなく顔を緩めている。マサヨシはハルの髪の隙間から零れる土の匂いと子供の匂いを感じながら、風呂に入るべく、我が家へと戻った。
さあ。家族団欒の始まりだ。