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26 嫌いで憎かった

 マリアはソファの上で居住まいを正した。


「では、あなたの用件を聞くわ」


 かなり話が脱線してしまったが、仕方ない。どうしても気になって聞きたかったのだから。


「君にとっては、大した話じゃないよ」


「それでも、あなたにとって重要なら聞くだけ聞くわ。あなたには感謝しているし、会うのは、これで最後になるから」


「そうだね」


 凌は寂しげに微笑んだ。


 この世界のどの宗教でも二大禁忌(タブー)となる近親相姦と親殺し。


 どんな理由があるにせよ、兄だけでなく実の両親も殺した凌、チャールズ・ウィリアムズ侯爵令息の死刑は確実なのだ。


 分かっていて、凌は今生の実母を殺した。兄と父親まで手に掛けたのは想定外だっただろうが。


 家族を殺した後、凌は自分の犯行だとばれないような偽装などせず、おとなしく捕まり罪も認めた。


 凌がそうしたのは、マリアが前世から自分を愛していなかったと理解したからだろう。そんな彼女と結婚しても意味がないと絶望したのかもしれない。


 凌も居住まいを正し、マリアの目を真っすぐに見つめてきた。


「君を愛している」


 無反応、無表情なマリアに凌は苦笑しながら話を続けた。


「君が俺を愛していなかったどころか、関心すらないと分かった今でも、君を愛する気持ちは消せなかった。それだけ伝えたかったんだ」


 愛の告白をした男が死のうと、マリアの心には何も残らない。それでも、凌は伝えたかったのだろう。


「確かに、私は前世から、あなたを愛してなどいなかった」


「……それは分かっているから、追い打ちを掛けなくていいよ」


 分かっていても、改めて言われると傷つくと凌の表情は語っていた。


「愛してはいなかった。でも、前世では、誰よりも嫌いで憎かったわ」


「え?」


「あなたが彼女を誰よりも嫌って憎んでいたように、前世で私も、あなたが誰よりも嫌いで憎かったわ」


 マリアは口調こそ淡々としているが、凌に向ける眼差しは忌々しげだった。


「りあに誰よりも愛されているくせに、その気持ちに応えず、嫌いで憎んでいる女の娘だからという、くだらない理由で、りあに向き合わず、身勝手な嫌悪感を抱くあなたが誰よりも嫌いで憎かったわ」


 マリアは「嫌いで憎い」を三回も繰り返した。別に追い打ちをかけるためではないのだが、前世から抱えていた想いで、最後だから言葉が止まらないのだ。


「……マリア、君は」


 凌は絶句している。まさかマリアが自分をこう想っていたとは思ってもいなかったからだろう。


「よかったわね。愛はなかったけど、嫌悪や憎悪という強い想いを抱かれていて。無関心よりも何倍もマシですもの」


 そう、無関心が一番つらいのだ。


 母が違うとはいえ同じ父を持つ血の繋がった姉妹で唯一の友人だろうと、前世のりあ、佐藤毬愛にとって、前世のマリア、高橋鞠亜は、その他大勢だった。前世のりあ(佐藤毬愛)にとって、世界は夫とそれ以外だったのだ。


 そんなりあの心の奥底に入り込むために、彼女の夫を奪っても、嫌悪や憎悪という強い感情は向けてもらえなかった。


 だから、前世のマリア(高橋鞠亜)は命を懸けた。少しでも、りあの心に残るように。


 結果、奇跡が起こって、異世界に転生し、りあを手に入れた。


 そのきっかけとなった凌には感謝している。


 だからといって、全てを許せるほど、マリアは寛大にはなれないけれど。


「そして、前世の全てを思い出したくせに、最後までりあに謝罪もせず、私を愛しているなどと、くだらない事を言ってくる」


 りあは、自分も彼を殺そうとしたからとか、彼も報いを受けたからとかで不問にしたのかもしれないが、マリアは許せないのだ。


「ただりあに謝罪をしないだけなら、私は何もしないつもりだった。りあの言う通り、あなたも報いを受けたものね。でも、あなたは、最後に、りあではなく私に会いたいと言ってきた」


 凌にとっては、りあは、前世の妻は、どうでもいい存在だったのだろう。


 だから、前世で、りあを殺した謝罪をしようという考えなど浮かばなかった。


 ただ最後に、最愛の女(マリア)に会いたいという想いしかなかったのだ。


「安心しなさい。今生でまで尊厳を踏みにじる気はないわ」


「……俺をどうするつもりなんだ?」


「この世界の医療に貢献してもらうわ」


 この世界の処刑は断頭台(ギロチン)で行わる。一瞬で首と胴が離れるから、苦しむ事なく死ねるのだ。


「楽になど死なせない。せいぜい苦しむといい」


 死刑囚の中には、時折、この世界の医療を向上させるために治験の対象者にさせられる者もいる。


 だが、貴族であれば、親殺しという二大禁忌(タブー)の一つを犯した人間だろうと治験の対象者にはならない。断頭台(ギロチン)で一瞬で死ねる。


 けれど、治験の対象者となれば、死なない代わりに、与えられた新薬の後遺症などで心身共に苦しむだろう。


 形式上は伯爵令嬢にすぎないマリアだが、怜悧な頭脳と巧妙な人心掌握で、この国の中枢に入り込んでいるので、死刑囚一人くらい、どうとでもできるのだ。


「俺が彼女を愛さなかったのは、あの女の娘だからというだけじゃない」


 自分の運命が悲惨なほうに向かうと理解したからか、凌は悔し紛れに言ってきた。命乞いをしないのは、そんな事をしても無駄だと分かっているからだ。


「あの女と同じで、俺の容姿しか見てなかったからだ」


「それでも、りあは彼女と違って、あなたに無理強いなどしなかった。前世のあの容姿ありきだとしても『あなた』をちゃんと愛していたわ」


 前世の凌の両親以外で、彼を気遣い愛していたのは、前世のりあ、佐藤毬愛だけだったのに。


 ちゃんと前世で、りあと向き合っていれば、幸せになれたかもしれないのに。


 もしと仮定しても無意味だし、そうなっていれば、マリアは、りあを手に入れる事ができなかっただろうから、これでよかったのだが。


「そもそも、あなただって、本当の意味では、私を愛してはいないでしょう? 容姿しか見てないとかで、りあを責めるのはお門違いよ」


「何言って?」


「私みたいな容姿で、私みたいな性格の女が好みなのでしょう? それなら『私』じゃなくてもいいじゃない」


「俺は、ちゃんと君を愛している。その想いだけは疑わないでほしい」


 ただ単に処刑するよりも悲惨な運命に叩き込もうとする女に向かって、凌は必死にそう言い募ってくる。自分の愛を疑われるのが、それほど嫌なのか。何にしろ、マリアの心には響かないが。


「『私』を愛しているのなら、どれだけ容姿が変わっても気付いたはずでしょう? 私は人格が今生(お姉様)の時から、りあに気付いたわ」


 どれだけ凌がマリアへの愛を語ろうと無駄なのだ。今生で「気付かなかった」。それが全てなのだから。


「……嫌われていても、憎まれていても、無関心よりは何倍もマシだと言ったな」


 凌は何とも恨みがましい視線を向けてきた。前世でも今生でも一度として彼に向けられた事のない眼差しだ。


「ええ」


 マリアは平然としている。可憐でか弱そうな外見とは裏腹な鋼の精神を持っているのだ。どれだけ負の感情を向けられようと怯む事はない。彼女を真の意味で打ちのめせるのは、最愛の人(りあ)だけなのだ。


「俺は愛どころか関心すらなかったほうがよかった。こんな最期を与えられるよりはな」


 マリアは微笑んだ。こんな状況に似つかわしくない可憐な微笑だ。


「安心しなさい。今は、あなたに関心すらないわ。りあが、もうあなたを何とも思っていないから」


 マリアの凌への感情は、全て、りあが彼をどう思っているかによるものだ。


 前世では、りあが凌を誰よりも愛して執着していたから、マリアは彼が誰よりも嫌いで憎かったのだ。


 今生においては、りあの中に夫への愛は残っていない。前世で強すぎる想いを爆発させからかもしれないし、マリアが命と引き換えに想いをぶつけたからかもしれない。


 どちらにしろ、今はもう、りあに凌への愛がないのなら、マリアが彼に何らかの感情を抱く事はないのだ。






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