22 前世から愛されていなかった
「先程から心ここにあらずですわね。私といても、つまらないですか?」
婚約者、マリアことマリアジェーン・スミスに、そう訊かれて凌は我に返った。
スミス伯爵家の応接間で、ティーカップを載せたテーブルを挟んだソファに凌はマリアと向かい合って座っていた。
「……すまない。考え事をしていた」
先程会ったマリアの姉、エヴァンジェリンとの会話を思い返していたのだ。
彼女が自分と同じ転生者なのは疑っていない。あまりにも、今生の自分の知るエヴァンジェリンと違いすぎるからだ。目付きや表情や仕草などがだ。
けれど、前世の自分の妻だと、自分が殺した女だという話は信じられない。
確かに、前世の自分の死因や鞠亜と結婚した後の人生を憶えていない。鈴木凌だった前世の全てを憶えていないのだ。
だからといって、彼女の話を信じる事もできない。
愛した女は、高橋鞠亜だけ。彼女以外の女と結婚したなど信じられるわけがない。
まして、前世の彼女を、人を殺したなど。
「あなたの考え事とは、先程のりあ、お姉様との会話かしら?」
「は?」
「この邸内で起こった事を当主が把握してないはずないでしょう」
先程彼女と会話した東屋に自分達以外の人間の気配はなかったが、気付かなかっただけで使用人やスミス伯爵家の私兵に陰から見られていたのだ。彼らは当然ながら当主に見聞きした全てを報告したのだろう。
「彼女が言った事は真実ですよ」
「……どうして、そう言い切れるんだ?」
「あなたが、りあを殺したところは見ていない。その前に、私は死んだから。けれど、彼女が、そんな嘘吐くはずがないもの」
マリアは淡々と告げてくれたが、凌が受けた衝撃は大きかった。
「……君も転生者なのか?」
「本当に訊きたいのは、そんな事ではないでしょう?」
マリアの言う通りだ。だが、ようやく出てきた言葉は、前述のものだったのだ。
「私の前世は高橋鞠亜よ。最愛の女というわりには、気付かないのね」
マリアは嗤う。はっきりと嘲笑だった。
姿形は変わっても、人を蔑むその微笑は、まぎれもなく「彼女」だ。
凌が唯一愛した女――。
「……鞠亜」
胸を熱くする凌とは反対に、マリアの目は醒め切ったものだった。
少なくとも、ようやく会えた最愛の男に向けるものではない。
「鞠亜?」
なぜ、そんな目で見られなければならない?
すぐに「鞠亜」だと気付かなった事で怒っているのだろうか?
凌は呑気に、そんな事を考えていた。
「前世で、りあを殺した復讐をする気はないわ。私がするまでもなく彼がしただろうし。それに、結果的に、あなたのお陰で、りあを手に入れる事ができたし」
「何を言っている?」
マリアの言っている事は、凌には全く理解不能だったが、理解できた言葉には抗議した。
「俺は誰も殺してない。あれは、彼女の勘違いだろう?」
前世の全てを憶えていない。
だが、この自分が人を、まして、女を殺すなどありえない。
「チャールズを『殺して』いるでしょう? 彼が消える事を望んだとしても、魂を同じくした今生の自分であっても、その体と人生を乗っ取ったのなら『殺した』も同じでしょう?」
「俺が望んだんじゃない」とか「魂が同じなら体と人生を乗っ取った事にはならない」という言い訳は、マリアの厳しい眼差しを前すると何も言えなくなった。
そんな凌に、さらにマリアは追い打ちをかける。
「それに、あなたは、りあを殺した以前に、りあのお母様を殺させたわ。自分の手は汚してないから、殺してないと言い逃れするつもり?」
それも憶えていない。だが、マリアが嘘を言っていないのは分かる。
「自ら殺すのも、殺させるのも、同じ事でしょう? むしろ、他人に罪を犯させて、自分だけ安全な場所にいるほうが卑怯じゃない」
そう言った後、マリアは苦笑した。
「……私も人の事は言えないけどね」
前世でも今生でも、可憐で虫も殺せないようなか弱そうな外見とは裏腹に、誰よりも酷薄で狡猾な心を持つ彼女は、その切れる頭脳と巧妙な人心掌握で自らの手を汚さず邪魔な人間を排除してきた。
今生の自分は受け入れられなかったようだが、そんな彼女だから凌は愛したのだ。
ただ可愛いだけの女には惹かれない。薔薇には棘があるから美しいように、可憐な容姿からは想像できない狡猾さや冷酷さを併せ持つ女性にこそ魅力を感じるのだ。
そういう意味で、まさに、高橋鞠亜は、マリアジェーン・スミスは、凌の理想通りの女なのだ。
凌にとって、唯一の最愛の女。
「思いがけず、人格が今生から前世になって、前世の幼少期や、りあを殺した後の人生が悲惨で、忘れなければ生きていけなかったのでしょうね」
マリアの発言は一見、凌に同情的なものだが、全くそうでないのは、彼女の醒めた目を見れば分かる。
「でもね、罪はなかった事にはならないのよ。いくら、あなたが忘れても」
「……俺に、どうしてほしいんだ? 彼女に償えと?」
「償い? 別に、りあは、そんな事望んでないでしょう。そもそも、あなたがりあを殺したのは、りあが私を殺したからだろうし。りあは報いを受けたと思っているだろうから、別段、自分を殺したあなたを恨んではいないはずよ」
凌の耳にマリアの後半の言葉は届かなかった。
「……彼女が君を殺したのか?」
だったら、前世で自分が彼女を殺したのは納得できる。
最愛の女を殺されて、自分が何もしないはずがないのだから。
なぜ、彼女が前世のマリアを殺したのかは分からない。
だが、理由などどうでもいい。
俺の最愛の女を殺した。
それだけで充分だ。
俺が彼女を憎む理由は。
「結果的に、そうなってしまったけど、りあが殺したかったのは、私じゃない」
衝撃的な科白がマリアの可憐な唇からこぼれ落ちた。
「あなたよ」
「は?」
(なぜ、俺が彼女に殺されなければならないんだ?)
凌の表情から、その疑問を読み取ったのだろう。
「……それすら忘れているのね」
マリアは呆れ顔になった後、淡々と答えた。
「妻だったりあを捨てて、私と再婚しようとしたからよ」
――前世の妻を忘れたの?
凌は先程の彼女の言葉を思い出した。
「自分を裏切った夫を殺す事が、りあの望みだった。けれど、私は、その望みを叶えてあげたくなかった。自分が手に掛けた人間をりあは決して忘れない。りあの心に決して消えない傷になってでも、りあの心に私という人間を刻み付けたかった。それが、自分の死と引き換えであっても構わなかった」
そこまで言うと、マリアは微苦笑した。
「そもそも、りあは私を殺すと思っていたの。夫を奪った私をこそ殺すと。魂は同じでも、りあは、お姉様とは違う。自分を裏切った夫を殺そうとした。りあだけは私の思い通りにならない。私の掌の上で踊ってくれなかったわね。そんなりあだから、私は愛したのかもしれない」
――りあ、愛してる。
ふいに思い出した。
思い出してしまった。
思い出したくなくて、封じていた前世の記憶の一部が、マリアの言葉と共に噴出してきたのだ。
前世のエヴァンジェリンに、佐藤毬愛に、ナイフで胸を刺されながら、幸せそうに微笑んでいた鞠亜の顔を。
あの微笑を見れば分かる。今まで自分に見せていた笑顔は、全て作り物だったのだと。
最期の最期まで、鞠亜は凌を見る事なく、自分を殺した彼女にのみ、その目は向けられていた。
前世の全てを思い出してはいない。
だが、これだけは分かる。
自分が記憶を封じたのは、マリアが言うように、悲惨な人生を思い出したくなかったからではない。
認めたくなかったからだ。
今生の自分だけじゃない。
前世の自分も、鞠亜に愛されていなかったのだと――。




