呪われた人魚
◇
ベッドには痩せた子供が寝かされていた。10かそこらか。緑の髪は女王と姫に似ている。王子殿下と言うからには男子なのだろう。掛布の下の半身は見えない。
『祓い師は何と?』
女王は横の医師らしい人魚に訊いた。
『…既に呪いが心臓を侵食しております。手遅れだと』
呪いだと。影を通して聞いていた皇子は驚いた。子供に憑いた呪いを確かめようと、影をベッドに近づける。
『誰じゃ!?』
さすがは人魚族の女王。すぐに隠形を察知されてしまった。仕方なく皇子は姿を現した。女王は魔法を放つ構えをとった。
「ご無礼仕る。その呪い、あのクラーケンと同じではないか?」
『真に無礼じゃ。だが、これが分かるのかえ?人族の殿よ』
疑いながらも構えを解く。藁にもすがる思いなのだろう。警護を呼ぼうとはしない。女王の許しを得て、皇子は子供を間近で見た。
「姫を喰ったクラーケンと同じ魔力波だ。間違いない。王子も奴に襲われたのか?」
『そうじゃ』
女王は息子が呪われた経緯を語った。
◇
人魚族に男子は滅多に生まれない。王子誕生は数百年ぶりであった。当然、掌中の珠のごとく大切に育てられる。
10になった頃、活発な王子は宮を抜け出し、1人で沈没船を探検しに行った。そこでクラーケンに襲われた。護衛が駆けつけた時には呪いが全身を蝕んでいた。
人魚族の総力を挙げて治療したが、呪いを完全に消すことはできなかった。
「それはいつのことだ?」
『1年前じゃ。日に日に弱っていく。医師はもう打つ手が無いと』
女王は息子の額を撫ぜた。皇子は眉を顰めた。
「そのような時に、なぜ宴など」
『他種族に弱みは見せられぬ。…人族には知られてしまったのう』
唇の端を上げ、皮肉な笑みを浮かべる。
1年前。呪い。沈没船。皇子は海底で瘴気を吐き続ける神器を想像した。早急に回収しないと海は呪いに満ちる。
「女王陛下。その呪い、俺が祓おう」
♡
女王が宴会を抜け出してすぐ、皇子も消えた。姫は懲りずに再度二足歩行になって現れた。
『背の君はどこへ?』
言葉が通じる人間はミナミしかいないため、仕方なく相手する。
「女王陛下と一緒なんじゃない?あ、戻って来たよ」
女王は子供を抱っこしている。着物の裾からかわいい尾びれが覗いていた。
『王子殿下!』
宴会場にいた人魚たちがざわめく。女王が玉座の前に立ち、声を張り上げた。
『皆の者!見よ!王子の呪いは消えた!』
人魚たちは喜びに歓声を上げた。男の子は嬉しそうに母親にしがみつく。
『人族の殿が光魔法で王子を癒した。殿に感謝を!人魚族はこの恩を忘れぬ!』
いつの間にそんなことをしていたのか。女王の横で皇子はにこやかに手を振っている。宴会場は悲鳴に近い嬌声に満ちた。
「ミーナ様。女王は何と?」
リコリスや騎士たちが困惑しているので、ミナミが通訳する。多分、皇子があの子供の呪いを祓って、人魚たちが泣いて喜んでいると。まあ皇子は聖人だし。人間たちはあまり驚かない。
『殿は呪いの元凶は沈没船の遺物にあると見抜いた。明日、共に遺物の回収に向かう!』
我らの海から穢れを祓わん。勇気ある者は殿に続け…。女王の演説が人魚たちを揺るがした。たけなわだった宴は王子の快気祝いも兼ね、ますます盛り上がった。
「え?明日までここに居るの?」
「遺物の回収は俺が行く。お前たちは先に…いや、俺がいないと帰れないのか」
席に戻ってきた皇子が皆に事情を説明した。曰く、クラーケンの呪いで死にかけていた王子を助けた。人魚たちの協力を得て、明日、瘴気を出す遺物の回収に行く。人魚族に恩を売っておけば海路の安全保障になる。
リコリスやヒナらはそれで納得したようだ。だがミナミはその遺物とやらが神器だと気づいた。皇子一人を危険な目には合わせられない。一緒に行くことを主張する。
「連れて行かないと、また夜ば…」
「分かった!連れて行く!」
ジト目で脅すと、皇子は了承した。
『さあ、もっとお酒を!』『これも美味しいわよ』『美しい黒髪ね。殿の弟なの?』
人族との溝が埋められた人魚たちは魔法騎士たちに群がった。ノアも大モテだ。基本、男が持て囃される。3人娘は仕方なく、楽人たちに楽器を借りてコミュニケーションを図った。リコリスもヒナも演奏が上手だった。人族の曲を披露すると、女王も王子も喜んだ。実は音楽好きな皇子も笑顔になる。
皆が喜びの宴を楽しむ中、1人だけ蒼白な顔で立ち去った人魚がいた。また魔法が解けそうなのかと、ミナミは気にしなかった。姫は走るように自分の宮に去っていった。
♥
人化を解いた姫は子供が住む宮に戻っていた。そこは海水で満たされている。緑の髪をたゆたせて姫は寝台に突っ伏した。
弟の呪いが祓われた。もう自分はお払い箱になった。姫の目から真珠のように美しい玉が零れ出る。
女王の娘だから、皆が大切にしてくれる。知恵も魔法も大したことない。容姿も母には遥かに及ばない。姫はほとほと自分が嫌になった。
王太女として亜人会議に赴く途中、クラーケンに丸のみにされた。必死に魔法で身を守ったが、服も溶けてもう駄目だと思った。それを黒髪の美丈夫が救ってくれた。星降る夜空のような瞳と目が合った時、運命を感じたのに。
(でも人族なんだ)
端から相手にしてもらえない。人魚の娘なんて。足もまともに維持できないし。すごく綺麗な側女がいっぱいだし。
いいなあ弟は。ただ1人の王子で大切にされて。いいなあ人族の娘たちは。あんな素敵な男性と結ばれて。
羨望と嫉妬が姫の心に渦巻く。
(沈没船の遺物を回収したら、帰っちゃうんだ。だったら先に見つけて隠しちゃおうか?)
幼い考えに、傷ついた姫は取り憑かれてしまった。王子の回復を祝う人魚たちは、誰も姫が姿を消したことに気づかなかった。




