ヒナの苦悩
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ノースフィルド王国の港町にヤマタイ皇国行きの船が停泊していた。季節は夏。海路で皇国へ行くには打ってつけの季節だ。ピアーデ王国の一件は結局、罪には問われなかった。ヤマタイ皇国への正使となった皇子たち一行は、この港で翁と送り出される留学生らと合流した。
「留学生って主将だったんだ。意外」
出航前夜の宴会で、ミナミは魔法騎士団のエースと再会した。浅黒い肌をしたイケメンだ。堅物すぎるが剣も魔法も王国トップレベルで、皇子、王太子に次いで令嬢たちに人気がある。
「はい。自分でも驚いてます」
「そんなことはない。お前の実力だ」
謙遜する主将を皇子が褒める。お気に入りの弟子なのだ。他の留学生も魔法騎士団から選ばれている。知った顔が多くてミナミも嬉しかった。
「殿下。船長をご紹介いたしまする」
翁が日に焼けた若い男を連れてきた。海賊と間違えられて牢屋に入れられた船乗りだ。刺客になってまた捕まり、恩赦されたばかりだ。
「えー。いつぞやは大変お世話になりました。船長のチャンパーです。何でもお申し付けください。旦那様」
暗殺し損ねて捕まったせいか、皇子に頭が上がらない。揉み手でもしそうなほど遜っていた。
「海では船長が頼みだ。よろしくな」
皇子は全然気にしていない。鷹揚に握手をしてやると、船長は感動していた。ミナミもついでに挨拶と握手をする。すると船長は手を握りしめたまま、ミナミの顔を凝視した。
「女神…?女神なのか…?」
「離せ変態」
手のひらから土魔法で棘を生やすと、悲鳴を上げてやっと離した。それでも懲りずに近寄ってきて、皇子の後ろのリコリス、ヒナ、ノアを見て仰け反る。
「女神だらけなんですけど?!どうゆうこと?!」
「殿下の側女と小姓じゃ。手を出すなよ」
ジジイがまた余計なことを吹き込んだ。変態船長は崩れ落ちた。いちいちリアクションが大きい。
「天は不公平だ!俺には女房の1人もいないと言うのに…」
「いつものことなんで。気にしないでください」
他の船員が慣れたように船長を回収していった。変態だけど面白い。ミナミとリコリスは顔を見合わせて笑った。
ノアは目を丸くして興味深げに見ている。ただ一人、ヒナは強張った表情で翁に耳打ちをされていた。
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宴もお開きとなり、客たちは三々五々帰っていった。ヒナは宿の一室で翁と会っていた。祖父は孫を叱責した。
「まだ殿下のお情けをいただけないのか?」
少女は唇を噛んだ。
「申し訳ありません…」
「御寵愛いただけるよう努力せよ。よいな」
釘を刺して祖父は帰っていった。ヒナはぼんやりと天井を見上げた。
努力。一体何をどうしたら良いのだろう。
ヒナは里長の孫として努力してきた。同年代の誰よりも優れた忍びだと自負していた。モリナガ親王の捜索隊に選ばれたのも、上忍として認めてもらえたからだ。なのに祖父は急にヒナを側女に出した。彼女の自尊心はズタズタになった。
殿下と呼ばれる男には、すでに2人の側女がいた。初めて顔を見せに行ったときは黒髪の女性が怖かった。だが次に行った時、その女性が祖父を怒ってくれた。殿下も優しい人だった。仕事を与えてくれて、魔法を教えてくれる。ヒナのすぐ後にやってきた少年も優しくて好きだ。
殿下の周りの人は皆優しい。ヒナを認め、成長を手助けしてくれる。そんな人たちを押しのけて寵愛を得ろと祖父は言う。ピアーデで赤毛の魔法士の女の子が殿下に迫って怒られていた。あんな風に殿下に嫌われたくない。
「死にたい…」
八方塞がりのヒナは辛さを口に出した。
「何を言う。馬鹿者」
影から殿下の声がした。ヒナは驚いて飛び上がった。ずるりと影から殿下が現れる。
「で…殿下!」
「ミナミがお前の様子が心配だと言うので来た。盗み聞きするつもりはなかったが…。すまん」
では祖父との会話も聞かれていた。ヒナは真っ青になって伏した。
「申し訳ありません!」
何から謝れば。頭が真っ白になって何も言えない。土下座したまま震えていると、殿下は跪いてヒナの頭を撫ぜた。触れられたのは初めてだった。
「謝る必要はない。お前の祖父は俺を皇国に留めたいのだ」
優しい声がヒナを包む。涙が床に落ちた。
「こんな子供に惨いことを。俺から翁に言っておく。安心しろ」
「いいえ!船は祖父の息がかかった者ばかりです。お姉さま方が危なくなります!」
祖父の思考は極端だ。きっと他の側女を排除しようとする。ヒナは懇願した。
「い…一度だけ。私の部屋においでください。そうすれば祖父も満足いたします」
沈黙が落ちた。怒っている。ヒナはますます身を縮めた。だが意外にも殿下は了承してくれた。
「よかろう」
◆
翌日、船はヤマタイ皇国に向けて出港した。大型の帆船にはノースフィルド王国の使節一行と忍びの里への留学生が乗り込む。他に翁の配下が乗組員として多くいた。船長の的確な指示で船は順調に進み、1日目の難所は避けられた。
正使である護良殿下と側室たちは1等客室に滞在している。夜半過ぎ、殿下は自室を後にした。隣の1室のドアを叩く。翁の孫のヒナの部屋だ。
「殿下」
ヒナが招じ入れる。美貌の貴人は柔らかい笑みを浮かべて少女を抱き寄せた。額に口づけを落とし、後ろ手でドアを閉める。中で遮音結界を張ったらしい。あとは物音ひとつしない。
(よくやった。ヒナよ)
その様子を窺っていた翁は、内心小躍りした。ようやくお渡りいただいた。自慢の孫が御寵愛を独占する日も近い。
翌朝。殿下は同じようにヒナを優しく抱き締めて帰った。報告でそれを知った翁は、配下の全員に褒美をやった。




