God only knows Town(2)
一緒に夕食を食べるために、アナと約束した時間まであと一時間と少し。
僕は公園の中央から少し外れた位置にある、噴水の前に置かれていた木製のベンチに腰掛けていた。噴水からは何かのリズムを刻むみたいに水が高く上がったり低く上がったりしていて、子どもを連れた父親がじっとその様子を見つめていた。
公園の中央に停まったはずの電車はもうそこにはなく、芝生を切り裂くように伸びた線路だけがどこか寂しそうに佇むばかりだ。あの電車はまたあの道を戻り、幸せになれなかった人たちを連れてくるのだろうか。
「君は今日この街にやってきたの?」
同じベンチの端に座っていた男は、読んでいた英字の新聞から顔を上げずに、僕に向かってそう聞いてきた。最初、僕に言っているか分からなかったけど、周囲を見回すとそこには僕しかいなかった。
さっきまでいなかったはずなのに、いつの間にかそこに座っていた男は五十前後の男だった。短い髪は頭頂部まで禿げ上がっていて、黒っぽいスーツはあまり彼に似合っているとはいえない。どういう趣味をしているのか、首には赤いスカーフを軽く巻いていた。
「うん。僕は今日、電車に乗ってこの街に来たんだ」
僕の言葉を聞くと、男は新聞から目を離さないまま満足そうに頷いた。
「この街のことは誰かかもうら聞いた?」
「特に……神様からの宿題で、願い事を考えておくようには言われたんだけど」
「じゃあ君だけに、特別に私がこの街の秘密を教えてあげよう。この街はね、願い事を叶えてもらうまでの待合室みたいなものなんだよ」
「待合室?」
これまでの会話の流れからすると不釣合いな言葉が出てきたので、僕は思わず額にしわを寄せる。
「待合室を知らないかな? ほら、歯医者とかで順番を待つための部屋だよ。それはそうと、あの歯医者の待合室の独特な雰囲気はどうにかならないものかね、ほら例えばドリルの音とか……」
いや待合室は知ってるし、僕はそんな風に心の中でツッコミを入れる。その風貌どおり、どうも少し変わった男のようだ。
「誰がそんな願い事を叶えてくれるのさ?」
「もちろん神様さ! この街には神様がいて、毎日この街にやってきた誰かの願い事を一つだけ叶えてくれる。君も願い事を考えているところだろう? みんな自分の願いを叶えてもらう日を、ここでこうしてのんびりと過ごしながら待っているのさ。辛かった向こう側での日々のことなんて忘れてさ」
非現実的な展開にはもう慣れてしまっていた。彼の言っていることを頭で理解しようと思えば僕には簡単にできただろう。それでもそう簡単に彼の言っていることを信じることはできなかった。
ただで願い事を叶えてもらえるなんて俄かには信じられないし、ただでさえ彼の言うことには多くのクエスチョンマークが付きそうだ。
「この街には本当に神様がいるの? そしてこの街の住人の願いを一つだけ叶えてくれる? あなたはもう神様に願いを叶えてもらったの? 願いを叶えてもらった人間はそれからどうなるの? というか、神様なんてどこにいるのさ?」
ひとつ聞くと連鎖的にたくさんの疑問が涌いてきて、僕は男に向かって一息に全部を聞いてしまった。質問を聞いた男はひとしきり苦笑した後に、ようやく新聞から顔を上げて僕の方を見た。目がぎょろりとした、年老いた爬虫類のような印象の男だった。
「頼むから、質問は一つずつにしてくれ。でも、ま、答えてあげるよ。さっきも言ったとおりこの街には神様がいて、住人の願いを一つだけ叶えてくれる。残念ながら私の願いはまだ叶ってはいない。私の願いは壮大だから、大量の時間とお金が掛かるんだ」
「大量の、時間とお金……」
「もし願いを叶えてもらえたなら、住人はその日のうちにこの街からいなくなる。彼らがその後どこに行ったかは、残念ながら神様以外誰も知らない。だからこの街は、ホテルの名前と併せて『God only knows Town』なんて呼ばれ方をしているよ。面白いだろう?」
別に面白くもないのに、男は口の端を吊り上げるようにして笑った。外国に住んでいたんだろうか、僕は彼の行動がどこか日本人離れしているような印象を受けた。
彼は最後の質問を忘れていたようなので、僕はもう一度彼に向けて聞いてみる。
「神様はどこにいるのさ?」
男は新聞から片手を離してある場所を指差すと、これで話は終わりだと言わんばかりにまた英字新聞の続きを読みはじめてしまった。
彼が差したのはホテル『God only knows』の最上階の部屋だった。
「あなたの名前は?」最後に尋ねると、彼は新聞から顔を上げずに「タカハシ」と歯切れよく言った。まるで英語のように舌を巻いて発音したので、ひょっとすると外国に長く住んでいたのかもしれない。
そのまま一時間ほど、そこから見える犬の散歩をする夫婦や花を眺めてまわる老婆といったのどかな風景を眺めながら時間を潰すと、僕はアナと待ち合わせをした場所に向かった。途中でタカハシはどこかにいなくなってしまった。
「私も同じような話を聞いたわ! モリカワ君が聞いたのとは、少し違うけど……」
ホテルの一階にあるレストランでタカハシから聞いた話をすると、アナは興奮を隠さずに言った。
レストランは洋風造りの四五十人がゆうに入るような広い場所で、入った正面にはピアノの置かれた小さなステージのようなものまであった。席と席の間は広く、どこからか穏やかなインストのナンバーが流れていた。心落ち着けるところ――さっきの公園といい、この街にはそんな雰囲気の場所が多くあるようだ。
「アナが聞いた話はどんなものだったの?」
ハンバーグステーキをご飯と一緒に飲み込んで、僕は聞いた。
「私が聞いた話はモリカワ君が聞いた話とほとんど同じものなんだけど、一つだけ違う部分があるの。神様によって願いを叶えられた住人はね」アナはそこであえて作ったみたいな真剣な表情をして、「その後に神様によって殺されてしまうんだって」
「殺されるって!?」
思わず僕が叫ぶような声を出したので、周りにいた客が皆こちらを向いた。
「ちょっとモリカワ君、声が大きいよ!」
「ご、ごめん……でもそれが本当だとしたら、そんなの納得いかないよ。せっかく願いを叶えてもらったのに、その後に殺されちゃうなんて」
「私もそう思うわ。でもこのことは、情報のほんの少しの相違はあるのしても、この街にいるだいたいの人が知っているみたい。私が話を聞いた人も最後にこう言っていたもの。この街の住人は、そのほとんどが死を受け入れ、死を待つようにしてこの街で暮らしている、って。この街で暮らす人々のように晴れやかな表情をした人たちのことを、あなたは見たことがあるかい、って」
電車の終着駅は、訪れる死を待つための街。
僕は今日この街にやってきたときの、公園にいた人々の表情を思い出していた。彼らは一様にぼんやりとして、ただやってくるその日のことを待っているのだろうか? そして僕もいずれ彼らと同じように……。
「あ、ピエロが出てきたわよ」
アナはそんな僕の心配もよそに、ひょうひょうとした様子でステージの方を指差した。
前から思っていたけど、あまり物事を真剣に考えないタイプのようだ。ひょっとすると元の世界で嫌な目に遭ってから、あえてそんな風に自分を取り繕っているのかもしれない。
ステージには顔を派手にペイントしたピエロが出てきて、ジャグリングを披露して拍手を受けていた。アナも義手が外れてしまうんじゃないかと僕に心配させるほど、熱心に拍手を送っている。
「良かったらさ、明日一緒にこの街を見て回らない? まだ行ってない場所もいくつかあるし、二人のほうが安心だと思うんだ」
ようやく拍手が鳴り止んだ頃を見計らって、僕は勇気を振り絞って言ってみた。
僕はもっとこの街のことを知る必要があるし、何よりもっとアナと一緒にいたいと感じていた。旅をはじめて、こんな感情を持ったのは初めてのことだった。
「いいわよ、もちろん」
アナがそうやって笑顔を見せるもんだから、僕はその夜なかなか寝付くことができなかった。もちろんこの街のことを考えすぎたせいもあるんだけど。本当に。




