12.昔話2
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聖女レイチェルの言葉で頭に掛かった靄が一気に晴れていく。
自分は今まで何をやっていた……? 目の前で悪態を尽きながら歯噛みする醜い女を化け物を見るような目で王太子ジェラルドはこれまでの事を振り返る。
馬車事故に巻き込まれ命を救われた後、奇跡の力を持つレイチェルを保護する為に招いた王宮でその力に感激した国王に丁重に扱うよう命じられたジェラルド。その後平民の孤児である彼女が困らないよう、気にかけていく内に目の前がフワフワとした感覚に襲われる事が増えて行った。どうもレイチェルの前だとそれが顕著となり何も考えられなくなる。
それは側近も同様で婚約者がいるにも関わらずレイチェルとの仲を咎められる事は無かった。レイチェルを前にするとどうしようもなく彼女の愛が欲しくてたまらない衝動に駆られ、一線を越えるのも時間の問題だった。愛する人と交わる事がこんなにも幸福を感じるなど知らなかった。
その日以来、クレアが酷く醜い存在に思えて仕方がなかった。どうしてこんな醜い女を今まで婚約者にしていたのか。この女に囁いた愛の言葉を今すぐ汚泥に沈め、なかった事にしたい。この女と過ごした時間を今すぐ返せと喚きたい……!
レイチェルと出会って僅か三ヶ月の出来事だが、愛に時間など関係ない。私は彼女を王太子妃にする! そう決めた矢先、レイチェルが階段から突き落とされる事件が発生。犯人は婚約者であるクレアだ。目撃者もクレアがレイチェルを突き落としたという証言をした事で悪女を拘束した。そして公爵家を一斉捜査すると敵国との密通している証拠が見つかり一家を投獄。奴隷のように働かされていたと証言した使用人達から得た情報によると王家を滅ぼす為に情報を流していたそうだ。
何て一家だ! レイチェルを殺そうとしただけでなく王家まで乗っ取ろうとするなんて!
すぐさま公爵家一家の処刑が決定し、聖女を害そうとしたクレアは一番最後に最も苦しむようにと火刑を命じた。無実を訴えるクレアが視界に入るのも嫌になる程汚く見えた。
レイチェルは細い肩を震わせ私の胸に身を寄せる。クレアに怯えるレイチェルの為、すぐに処刑を行わせた。末の妹の首が飛んだあと、あの女は何か叫んでいたが火刑場に拘束させ火をつけさせた。これで愛するレイチェルの憂いはなくなる。素晴らしい日だと笑いたくなったが王太子として最後まで冷静に見送ろうと表情を取り繕う。そうでないと笑い出しそうでさすがに外聞が悪い。
炎が悪女を包み込んでいき熱さに藻掻く様が愉快で仕方なかった。レイチェルも安堵の表情を浮かべている事にホッとし、もっと早くこうしていたら良かったと反省した。
最期に一際大きな炎が上がると、悪女は叫んだ。
『必ず殺してやる……! 我が怨みを思い知れ!!』
そうして炎が完全に悪女を覆っていった。最期までなんて不敬な女なんだ! 死体はこの国の土に還す事も許せない、獣に食い荒らされて惨めな姿となればいい。そうして処刑は終わり、これからのレイチェルとの生活に心を躍らせた。
国王は一刻も早く聖女の血を取り込む事に躍起になり、婚礼の儀を最短で半年後と決めた。もうすでに何度も夜を過ごしているが国内外に正式に聖女が我が国の元に降り立ったとアピールする為にも盛大な婚礼の儀を行う事となった。
元からあの悪女の為に進めていたのがここで役にたった事だけは良かった。レイチェルの為、世界で一番美しい花嫁衣裳を急ピッチで作らせている。それを着たレイチェルを我が花嫁に迎えることが出来る私はなんて幸せなんだと体が震えた。
だが結婚まであと四ヶ月という時に嫌な噂を耳にした。
『クレア・シャーウッドが復讐の為に蘇った』
ありえない噂だ。そんな噂を耳にしたレイチェルが不安になると思い、余計な事は謂わないよう箝口令を敷いた。しかし、噂が消える事は無く遂に城勤めの下女が人前で突然焼死するという怪奇事件が発生した。その下女だけでなく下級使用人達の中で死亡者が多発し、先ほど遂に高位貴族でありレイチェルの世話役の伯爵令嬢が目の前で焼死した。
藻掻いて絶叫した上でこと切れた女の焼けた肉の臭いと黒焦げた死体を目の当たりにして胃酸が込み上げてくる。そしてレイチェルの今まで見た事のない取り乱した姿と耳を疑う言葉を吐いた。
『何のために階段から落ちて痛い思いをした』
レイチェルはクレアから突き落とされたんじゃ……?
『―――っうあああぁぁぁぁ!!!』
靄がかかった頭がハッキリしていく。
好きだったのに! 愛していたのに! 私が!
『私が……クレアを殺した……!!』
今ならわかる。レイチェルを愛しいと思っていた感情はレイチェルに対しての想いなんかじゃない! クレアに対する気持ちだ! クレアに向かうはずの気持ちがどうして、どうして、どうして!? どうしてこんな女に!!
そして悍ましい事実に気づいた。
レイチェルの腹には子が宿っている。
子の父親の可能性を否定出来ない。
こんな女と情を交わしたというのか!? クレアと交わすはずだったというのに!!
イライラしているレイチェルは漸く異変に気付いた。普段向けられている眼差しではなく、汚物を見るような目で見られている事に、漸く。
レイチェルと関係を持っている人間は複数人。王太子、騎士団長子息、宰相子息、神官長子息、公爵家子息、その他諸々。見た目がいい男なら身分を問わずベッドに誘う事はレイチェルの愛情だと今まで信じていたのが悍ましい。誰の子か分からないような子を孕み、今でも男をベッドに誘うようなこの女はなんて汚いんだ!
異変に気付きレイチェルは困惑するがいつものように媚びる。今はそれが気持ち悪くて仕方がない。
兵に命令し聖女レイチェルを平民用の牢に連行させた。兵は躊躇うことなく連れて行くが喚いて暴れて大変そうだったので乱暴に扱う事を許可した。まさか殴られるとは思っていなかったようで唖然としている間に部屋から連れ出され静寂が訪れた。
ここにいる全員、頭が可笑しくなっていた。あの女と関係を持っていた。あの女に婚約者と別れるよう唆され、実際に別れた。私は婚約者を処刑した。愛していたクレアの命を奪った。クレアだけではない。公爵家一家を処刑させ、領地の民には重税を課した。豊かな領地は荒れていき公爵家を慕っていた領民は王家と聖女を憎んでいる。
噂が本当ならここにいる人間全員が殺されるだろう。レイチェルの言葉を信じ、クレアの言葉など聞く耳を持たなかった。無実を訴えても聞き入れないだけでなく、反省しない態度に腹を立て拷問し痛めつけた。
(なんて事をしてしまったんだ……!)
自分達の行いを振り返り衝撃を受ける。殺されても仕方ない、殺す権利がクレアにはある。そう弱々しく呟いた私の言葉に反論する者はなかった。
国王にレイチェルの罪を裁くよう訴えたがそんな事より王家にその血を取りいれる事こそ重要と言い放つ父に絶望した。腹の子は私の子ではないかもしれないと訴えたが、それなら今すぐ堕胎させ次の子を孕ませればいい。聖女の力に目が眩んでいる王には何を言っても無駄だった。
私は父に『血を取り入れたいならお前が孕ませればいい』と答え、部屋を出る。クレアの処刑を決定した自分が王太子としてやっていく事など出来ない。継承権を放棄しクレアが望むなら喜んでこの命を差し出そう。
そうして日々が過ぎていく中、第二王子、騎士団長子息、宰相子息が次々と死んでいった。皆喚くことなく粛々と受け入れた。だが国王は第二王子が目の前で焼死した事で取り乱した。話が違う、聖女に騙されたと喚く国王を自室に押し込め監禁。私は使用人が誰一人いなくなった城の地下を歩き、牢の前で立ち止まる。
牢にいるのは聖女だった女。世話人が誰もいなくなり憔悴しているレイチェルの目は虚ろだったが私の姿を見つけると光を取り戻した。
『助けに来てくれたのね! 今なら許してあげるからさっさとここから出して!』
立場が分かっていない女は未だに自分を愛していると勘違いしている。そんな気持ちは一切ない。今までもレイチェルに対する気持ちなど全くなかったのだ。あったのは今も昔もクレアに対する気持ちだけ。この気持ちを女は自分に向けさせたのだ。許せるはずがない。
鉄格子にしがみ付くレイチェルの首を掴み締め上げる。そして教えてやった。
『第二王子は死んだ。騎士団長子息も宰相子息も神官長子息も公爵子息も。今この城で生きているのはオレとお前と父上だけだ。皆、あの日のクレアのように焼けて死んでいった。お前もオレも直にそうなる……!』
『何でよ!? 何でこんなことに!? こんな展開なかった! 全員死亡ルートなんて訊いてない!!』
訳の分からない事を喚くレイチェル。生きている内に確かめたかったのは何故クレアを嵌めたのかだ。
『そんなのあの女が悪役令嬢なんだから当然でしょ! そういう風に出来ているんだからそれに従うのがあの女の役割で運命よ! 私の為の世界なのに私が幸せにならなきゃ何の価値もないじゃない!』
意味が解らない。どうしてこの女の幸せの為にクレアが死ななければならなかったのか。とてもではないが理解出来なかった。出来たのはこの女がクレアを嵌めてクレアの立場を奪ったのはそれが運命と信じている事だけ。
理解出来ない。だけど私はこの女に利用されクレアと家族を処刑してしまった。怨みの言葉を残して死んだクレアの怒りと悲しみを思うと処刑を言い渡した本人だというのに心が引き裂かれそうだ。
もうここにいる意味はなくなったとレイチェルに背を向けると国王がいた。虚ろな目で歩く王はまっすぐに牢の前まで来ると助けを求めるレイチェルの手を取った瞬間燃え出した。悲鳴を上げ逃げようとするががっちりと掴まれ逃げられず、服に炎が燃え移りレイチェルも激しく燃えていく。
『私を貶め、家族を奪った怨み……! 苦しみながら死んで行け!』
いつの間にか背後にクレアが立っていた。だけど生前のクレアと違う所がある。
夜に輝く月の様な美しい銀髪が、今は燃える炎のように紅い。銀髪のクレアも美しかったが今のクレアも変わらず美しい。
この美しい人を裏切ったのだ。彼女だけではない。まだ幼い弟妹を捕らえ、大衆の前で斬首させた。父母も兄も拷問にかけた。クレアにも……惨い仕打ちを行った……
『ごめん、ごめんクレア……! 私が弱かったからっ』
聖女の力に魅了がある。自分に対する好意を増幅させ、意のままに操る事が出来る。ただジェラルドにはクレアがいたため他の男達と違って効果が薄く、レイチェルはアイテムを使ったらしい。それは対象者の愛情を所持している自分に向けるというもの。クレアへの気持ちをレイチェルに向けるというアイテムだった。本来ならクレアに向けられる気持ちがレイチェルに、レイチェルへの悪感情を増幅させクレアへ向けられていたのだ。
『ごめん、ごめん……! 愛してるよ。クレア……』
燃え尽き灰になったレイチェルと国王などどうでもいい。クレア、君の思うままに殺してくれ。
『……っ愛、して……る……クレ……ァ……』
胸を貫通しているのはクレアの細腕。通常男であっても出来るような芸当ではない。正面から抱き合う様にして貫かれたジェラルドはそれでも満足気に泣き笑いしている。そして眠るようにして息絶えた。
『愛していたわ、ジェリー。……さようなら』
生前と変わらぬ美しい声で紡がれた言葉に、誰も答える者はいなかった。




