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星と雲との出会い

 淡水魚の群れが徒党を組み、海水を求めて川を下っていく。

 当然の光景ではある。

 ただし、気高き精神が備わっている場合に限るのだがね。

 悠々と流れる時間の流れから抜け出したい、と思ったことはあるかね。

 日常からの乖離(かいり)を望むことは、誰にだってあるだろう。

 エンターテインメントが発達し続ける世の流れに、その渇望は現れているのではないだろうか。

 つまらない、つまらない……ありきたりで、それこそ退屈する言葉を、どれほど垂れ流して来たのか。

 その思い、決して否定されるものではない、安心するといい。

 私が見せよう。

 あなたが今まで焦がれに焦がれてきた、心底から魅了させる世界へと。


 ――さあ、綱渡り舞踏家(ザイルテンツァー)と橋を渡そう。


 ★ ★ ★         


 教室の後方のとある一角で、髪を黄金に染めた不良が、取り巻きの男女と談笑していた。少し開いた窓から侵入した冷気が、放課後の教室内を駆け巡った。

 冬の到来を告げる風に吹かれて、廊下側の席に座る青年が身を震わした。彼には小雲月清祥(さくもせいしょう)という、少し変わった名前がある。彼は読んでいた書籍を閉じ、机の横のかばんに入れた。何ともなしに、屋上に上がって風を浴びたくなり、教室を出て行った。

 雲が折り重なる紺碧(こんぺき)の空を眺めながら、清祥は屋上に設置されているフェンスに寄りかかった。遠くに流れていく雲が、己と重なっているようでいて、根本的には違っているのだなあ、と突拍子もない感覚を持った。

 制服が夏物から冬物に移行して、早くも二ヶ月が経った。日没までが短くなり、帰る時間を伝えるチャイムが、以前に比べて三〇分早くなった。思春期の真っ只中にある彼にとって、ここ最近の時の流れはおかしく思えた。周囲が何もなく過ごしていることに、一抹の不安も覚えた。

 しかし、この不安を誰かに打ち明けることもなく、思考の停止と再生とを繰り返す日々を送っていた。

「いや、停まっていると思い込みたいんだ」

 ぼんやりと考えていた思考を打ち消し、フェンスに寄りかかったまま、ずるずると腰を下ろした。異世界にでも行きたくて、仕方がない気分に陥った。ふざけた空想をめぐらして、目をゆっくりと閉じていった。

 このまま少し眠ってしまおうかと、脳を空っぽにして手足を投げ出した。耳には上空を飛行する飛行機の音が届いていた。それも徐々に遠ざかって行き、意識が連れ去られてしまうかのように、清祥の頭は機能しなくなっていった。

 ……次に目を開いたときには、屋上からどこかに移動していた。

「あっ、と……」

 清祥は驚愕にのどを詰まらせ、かすれたような声がこぼれ出た。背中にはフェンスよりも固い感触があり、コンクリの冷たさはなくなり、尻にはむしろ熱が伝わっている。屋上に座った時よりも遥かに広い空間が、眼前に広がっていた。

 長いトンネルを通過したわけでもなく、目を開閉しただけだった。あのまま眠りに付いた記憶もなく、閉じて開けると、広大な台地が現れた。正常に反応しない状態のまま、大小さまざまな岩が点在する大地を眺めていた。

 あまりに信じ難いこの出来事から立ち直るには、数分の時間を要した。落ち着きを取り戻した所で、今の状況を考えてみた。目を閉じていたのは数十秒の間だけだった。

 頭上に注目すると、雲間から時折、一つの太陽が覗けていた。二つや三つも太陽があったならば、惑うこともなく異世界だと断定していた。ここが地球の可能性はまだある、ということになった。しかし、空がまだまだ明るいとなると、日本国ではないようだ。

 戸惑いを抱きながら立ち上がり、周囲を見渡したところ後方に森が見えた。一見すると砂漠にも見えてしまう場所に、木々が生い茂っていたということは水や食料があるのかもしれない。もしかすると、近くに人が暮らしている可能性もある、と森を目指して走り出した。

 森に入り散策していると、写真でしか見たことのないような、美しい草花を途中で見かけた。期待に胸を躍らせて、うっそうと茂る草木の中を進んでいくと、少し開けたところに出た。小さな湖があり、左側には小屋が見受けられた。ここいらの地域が今、どの季節かは分からないが、湖の周囲には、様々な色彩の草木が生えていた。とても幻想的な光景であり、清祥はしばらく呆気に取られていた。

 清祥は中学生のときに、修学旅行で京都へ行った。が、そこでも、これほどの景色は拝めなかった。ぼんやりとした意識から目覚め、住人に助力を請うべく、扉の前に立った。二、三度ノックしたが、誰かが出てくる様子はなかった。そして数十秒ほど待ったが、一向に人は出てこなかった。

 小屋の回りを歩くと、左手に大きな窓を見つけた。そこから中を覗いたが、人っ子一人いなかった。内装は整っており、鍵もかかっていたので、どこかに出かけているのだろう。

 家主が帰還するまでの間、何をして暇を潰そうかと考えた。清祥の頭からはここが外国だとか、今が何時だとか、重要なことは抜け落ちていた。安全な国ですごしていたためか、少々楽観的になっていたのだろう。あるいは冷静を装っているのか……。 

 小屋を囲む形で生えている花々は、色鮮やかになっていた。それらを眺めていて、まるで割れたステンドグラスだ、と言う感想を持った。太陽に照らされると、いっそう美しさが目立った。交通が不便だとしても、一度はこんな所に住んでみたいと考えた。もし、家主が森の情景に感動してここに住んでいるとすれば、心が通じるかもしれない。清祥は淡い期待を胸に、ぶらぶらと歩き回った。

 やがて、太陽は一日の終わりを示すため、地上に帰って行った。あたりも薄暗くなり、夜の寒気が漂い始めた。星や月の光は雲に遮られて、そのほとんどが地上に届かなかった。

 早く帰ってこないものだろうかと、不安と焦りを抱えながら、縮まる体を震わせた。腹から怪物のうなり声のような音が出た。ポケットには、お菓子の一つさえ入っていなかった。

 こうなったらいっそのこと、窓を割って進入しようかとも考えた。その時、森の奥からぼやけた明かりが来るのを、清祥は見つけた。急いで立ち上がり、明かりに向かって駆け出した。

「あの、すいません! 自分は」とまで言ったところで、明かりの持ち主の全貌が把握できた。極めて細い体躯だが、両手に備わっている爪は鋭く、頭からは発光する玉が、提灯のようにがぶら下がっていた。提灯鮟鱇のような性質を持つ、単なる怪物だったのだ。予想外の会合に足がすくんだ清祥は、怪物の一撃を避けることができなかった。

 怪物は大きく発達した手の甲を、清祥の右のわき腹に叩き付けた。

「う、ごはっ」

 背中から大木に打ち付けられ、一瞬で肺の中の空気を吐き出した。痛みに地面をのた打ち回っていると、怪物に首を掴まれ、中空に掲げられた。巨大な手を何度となく叩き、抵抗を試みるも、拘束は解けない。両足を懸命に怪物の顔を目掛けて蹴りだすが、怪物の左腕のほうが長く、意味がなかった。

 そのまま綿で縛られるかのように、ジワジワと首が絞まっていった。清祥の頭の中では、恐怖と苦痛とが渦を巻いていた。徐々に抵抗する気力も失っていき、気を失いかけたところで、怪物は大口を開けた。犬歯は唾でぬれており、先ほど何かを食ったのか、赤く染まっていた。

 完全に食われかけたところで、一本の風が両者を隔てた。風は怪物の左腕をぶつ切りにし、清祥を命の危機から解放した。咳き込みながら風が吹いた方向を見ると、長身で、長い棒のようなものを持った人がいた。

 その者は右手の槍を怪物に向けると、少しだけ前に突いた。明らかに怪物には届いておらず、怪物も呆けた顔で首を傾けた。風上にいたのはこの人だけであり、細い腕は簡単に折れてしまいそうだった。清祥からは意識がそがれ、目の前に現れた槍の使い手を、怪物は脅威とみなした。

「グンゲゲゲェッ!」と醜悪な雄たけびを上げながら、怪物は夜空に跳んだ。落ちていく速度に乗って、大きく右腕を、小さな敵にふるった。敵も長槍(ちょうそう)を左斜めに切り上げる。そして、右腕と長槍が衝突したと同時に、怪物の体は分断された。

 一騎打ちの勝者は槍を軽く振るい、滴り落ちる血をはらった。天へ伸びる長槍とその持ち主を照らすように、雲間から星影(ほしかげ)が降り注いだ。顔立ちは女性のそれだが、纏っているローブからは男女の区別がつかなかった。腰まで届きそうな紅紫色(こうししょく)の長髪が、微風に揺らめいだ。金色の長槍は、憮然として輝いている。

 女神でも見たような錯覚を覚えながら、清祥の意識は沈んでいった。

 

 

  

 

 

 

 


           

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