1-1 『旅道』
ガタ、ゴト……。
馬車が揺れる度に、木で作られたタイヤの、無機質な音が聞こえた。
僕はそれを聴きながら、外の風景に目を向けていた。
山脈に囲まれた盆地だった。山の頂上には半年前に降った雪が今でも残っている。太陽は眩しいほどに輝き、空には鳥たちが群れを成してどこかへと飛んでいく。
舗装されていない、砂利の道。道の両脇には広大な田園風景が広がっていた。まだ植えられたばかりの苗が、空に向かって手を伸ばしていた。
目的地まではまだいくらかかかるらしい。
たまたま近くを通りかかった荷馬車にこっそり乗せてもらっていたのだが、そろそろ降りよう。長い間ここにいるのも、無銭乗車みたいでいやだし。実際無銭乗車だけども。
い草をかき分けて、僕は走る馬車から飛び降りた。
「うおっ……とっと……」
転びそうになったが、足を踏み出して耐えた。背負った荷物が重いせいで、バランスがとりにくい。
馬車から降りると、ここらの地形がどれほど大きなものか、改めて知ることが出来た。視界の限り広がる田園風景。その向こうで高くそびえる山脈連。鳥たちは翼を広げてその方向へ向かい、やがてゴマより小さくなって消えていった。
のどかな村、といった印象だった。けれど、この広い土地に人影はなかった。この近くに村があるっていうわけじゃないのかもしれない。
僕は漂ってきた薫風を思い切り吸い込むと、馬車が向かっていった方向へ歩き始めた。馬車はその先の三差路で右……森の方角へ曲がって行ったらしい。
僕は三差路をまっすぐ進んでいく。目的の場所はこっちに進むと近いはず。馬車が別の道を選んだので歩いていくしかなかった。ここらへんで違う馬車がくれば楽なのに。
「……って、また無線乗車するつもりかよ」
自分で自分に突っ込み、僕は歩いていくのだった。
背負った荷物には、一応、野宿できるような準備はそろっていた。だから重い。馬車で少し休憩していたからいいものの、この先ずっと歩いていくとなると、自然とため息が出た。
まあ、愚痴を言っても仕方ないけどね。
目的のためには、やっぱり歩くしかないんだ。どれだけ辛いとしても、どれだけ長い距離だったとしても、僕は前へ進むことしかできないんだ。
僕の頭にあったのは、一か月ほど前のことだった。
妹が殺された。
僕はその復讐に神を殺すことを決めた。神はどこにいるか分からないけれど、というか、だから今捜しているわけだけれど、とにかく僕はあの神を絶対に殺す。
無理だとは思わない。
かつて、英雄と謳われた人だって神を殺しているんだ。誰かにできて、僕にできないわけがない。つまり、僕なら何でもできる。
あの時、神は笑っていたけれど、次に出会ったときには絶対笑わせられなくさせて、後悔させてやるんだ!
そのためには強くならなければいけない。
神を探すついでに、僕は強くなる方法を探していた。魔法は使えないし、武術だって何一つできない僕にできることは……そう考えると何もなかった。
何もなかった!
僕ってなんて非力だろうか!
まあ、だから強くなる方法を探しているんだけどね。誰かに剣でも教えてもらおうかと思っていたけれど、そもそも僕は剣を持っていないし、教えてくれる人に心当たりはなかった。
魔法はそもそも素質がなければ使えない。僕には素質がないらしいから無理。よって断念。
じゃあどうすればいいのか……僕が思いつくことには限りがあるし、思いついたことさえ、どれも実現が難しいことばかりだった。
難しいことから逃げている?
いやいや……無理なだけなんだって。僕にはできないから。
それでもまあ、どうにかなるかと、村を飛び出してきた。次に戻る頃には、僕はきっと神を殺している。
旅の目的は、立派だとはとても言えない……でも、妹の仇のためなら僕はなんだってできるんだ。
僕に信仰心なんてないし、今残っているのは後悔と空しさだけだった。あのいつも明るかった妹の笑顔を見られないだけで、ここまで後悔するとは思っていなかった。
「……」
僕は首を振って思考を切り替えることにした。いつまでも過去に縛られているわけにはいかない。今は前に進むしかないんだ!
まあ、前に進む理由が過去に縛られてるんだけどね。
それは置いといて。
僕は自虐的に笑うと、まっすぐ道を進んだ。その先には林道があって、シカやイノシシ、ヘビなどの生物の痕跡を見つけることが出来た。鬱蒼と茂る林は、人の手がつけられていないせいで道が悪かった。
こんなところに馬車や馬は通れないだろう。さっきお邪魔させてもらったあの馬車も、ここを通り抜けることが出来ないと知っていたから遠回りしたのかもしれない。くっ、ならあのまま乗っておくべきだったか! もしかしたら街へ行けたかもなのに!
別の道に行く可能性がある限り、それはやらないほうがいいけどね。変な場所に行って道が分からなくなって迷子になんてなりたくないし。
さすがに迷子はないか。旅をしている時点で、すでに迷子みたいなものだし。
適当に歩いているだけだよ。目的があればそこへ向かうために、適当に歩く。それは、迷子になったときの行動と同じだから、やはり旅は迷子なんだ。自分探しの旅(迷子)ってことかな。
僕は林の中をまっすぐ進んでいった。しばらく行くと、方向感覚が狂った。
訳が分からない。
全方位が同じ風景になると、自分がどこにいるのか分からなくなる。人生と同じように。
次第に暗くなってきた!
OH! それって、僕の人生の先が真っ暗みたいだね! 不安しかない!
まだ林を抜けていないので、ここで一晩明かすしかなさそうだ。
でも、こんな何があるかも分からない場所で眠るのは、とても恐ろしい。夕暮れに照らされた青々しい葉がざわざわと風になびいて声を出した。
「べ、別に怖くなんかないし……ただの風でなびいた葉っぱの音が怖いわけないじゃん! あはは!」
僕はここにいない誰かに言い訳をしつつ、背負っていた荷物を地面に下ろした。眠るには手ごろな木を見つけると、そこへ寄りかかるようにして座った。荷物の中から毛布と乾パンを出すと、身を縮こまらせて毛布にくるまりながら、乾パンを食べた。
口の中が乾く。歩いてばかりで水を飲んでいなかったので、乾パンを飲み下すのは苦しかった。荷物を漁って水を探し、飲む。
まだ完全に日が暮れる前に眠ってしまおう。どうせここに人は通りかからないだろう。それに、生物の気配すらもないんだ。怖いから早く寝てごまかそうってわけじゃないからね!
オオカミやら熊やらが出てこなければいいんだけど、こんなところに来たのは初めてなので、それは保証できない。は、早く寝よう。
僕は木の葉がカサカサなる音から逃れるように目を閉じて眠りにつこうとした。
――クヲォォォ……
「っ!」
何の鳴き声!?
僕は目を覚まして、発砲された拳銃のように立ち上がった。どれだけ眠っていたかは分からないが、辺りはすっかり暗くなっていた。
真っ暗な林で、僕の目はまだ慣れていない。何も見えない……だけど、黄色の光が二つ、宙を漂っているのが分かった。
その光は次第に増えていき、気が付くと僕はそれに囲まれていた。
オオカミだ。
「くっ……」
僕は護身用の短剣を取り出すと、木を背にしてオオカミと対峙した。だが、僕の力では無駄だろう。僕はあまりにも戦い慣れていない!
対して無効は狩りで生きている。僕がどうやったって、勝ち目があるわけがなかった。夜目に慣れているオオカミは、僕の姿をしっかりと見つめて嘲笑する。
身体が震えだして、目じりから涙がこぼれた。
なんでだろう。
意味分からないけど……このままじゃ僕は殺される!
い、いや……そうなるわけがない。だって僕は神を殺すんだ。こんなオオカミごときに負けるわけがないだろ!?
荒ぶる息を落ち着かせるために深呼吸すると、唾を飲み込む。落ち着け落ち着け……。
ただのオオカミだ!
僕がこの先相手をするのは神!
「オオカミごときで……怖がってどうするんだよっ!!」
その時、一匹のオオカミが飛び掛かってきた!
「うわっ!」
とっさに横に飛んで避けると、その脇腹に向かって短剣を突き出した。だが、思った以上にオオカミの皮膚は硬い。短剣は弾かれて、オオカミに少し傷をつけられただけだった。
「ぐっ……」
どうやれば僕はこいつらと戦える? 僕は考えながら短剣を構えなおしてオオカミと対峙した。飛び出してきたのは一匹だけだったけど、今も無数の黄色い目が、いまに採ってやると、僕の方を向いている!
「く、来るなら来いよ! 僕は神を殺すんだ! お前らごときに負けはしないっ!!」
叫んだ瞬間、僕は後悔する。
僕を囲んでいオオカミたちは、僕のことを捕食対象から己を狙う敵と判断し、のっそりとその姿を現した。
どのオオカミも大きく、獣臭い……涎を垂らしながら、飢えた瞳が僕を睨んでいる! がっしりとした体躯が、その運動能力の高さを誇っていた。
四方八方にオオカミ、オオカミオオカミ……全身の震えが一層増して、目が回った。吐き気がする。もしかして、僕はこのまま食い殺されてしまうんじゃないか?
「いや……」
いや……そうじゃなくて、
「――っ!」
――実際にそうなるんだ。
――クヲォォォン
一匹のオオカミが啼くと、オオカミたちが一斉に飛び掛かってきた!
「うああああっ! くそぉぉぉぉっっ!!」
視界がオオカミに埋め尽くされ、無我夢中になって短剣を振り回した!
しかし、短剣はオオカミの硬い皮膚に当たると、べきっと真ん中から砕けてしまった。
それを好機と見たオオカミが、僕の肩をかみ砕いた。
「ぐああぁぁあぁぁっ!?」
激しい苦痛に襲われると、胸を蹴られて地面に突き飛ばされた。手を必死に振り回してオオカミたちを払おうとするが、目の前のごちそうを恐れるやつなんか、ここにはいなかった!
「や、やめっ……がっ!」
足を噛まれ、腕を噛まれ、身体をおさえつけられ……視界に入ってきた、オオカミたちの食事をする姿は、『恐ろしい』の一言で表せるほどに生易しいものではなかった。
死、そのもの。
耳に聞こえるオオカミの鼻息、痛覚の隙間にわずかに感じるオオカミたちの涎の生暖かさ……それらが僕の身体を芯から冷たくしていった。
もう動けなかった。
これが本当の恐怖なのだとすれば、今までに感じてきた親に怒られる恐怖なんて優しすぎる。
普段から肉や魚を食べてきた僕が、まさか自分が食料として食われるなんて想像したことなんてなかった! 自分がただの食糧として無機質な瞳を向けられるなんて、考えたことがなかった!
恐怖恐怖恐怖――ッ!!
痛みが限界に達すると、僕は急激な目眩と睡魔に襲われた。今はもう、痛覚もほとんどない。ここで眠ればどれだけ楽になるだろうか……。
でも、それじゃあダメなんだ!
僕は神を殺す!!
こんなところで、死ぬわけには……。
――キャゥンッ!
オオカミの悲鳴が聞こえたのは、その時だった。
最初は気のせいだと思った。もしくは、オオカミが誤って仲間を噛んでしまったのかと思った。しかし、それは違うのだと気づかされた。
オオカミは僕から距離をとると、クヲォォっと鳴いて、去って行った。
動けない僕は、意識を失う直前に、暗赤色の髪をした騎士を見た――。




