第十八話 身代金受け渡し
「犯人から連絡があった。身代金の受け渡しは三日後だ」
ライオネル・アレクサンドリアは大臣と仁達に向かってそう告げた。
仁とアリシアはゲーリング警部に「身代金の受け渡しの詳細が決まった」と知らされると同時に、身代金について会議が開かれることを知らされた。
それから間もなく、三人は国王ライオネルを始めとする国家会議に捜査官として参加していた。
「クリスティーネ様によれば、犯人が指定した身代金の受け渡しの詳細はこのようになっております」
そう言って、宰相ミハイロ・シューレンは犯人が指定した方法を話し始めた。
身代金は1000万セル。これは1万セル白金貨1000枚にしてケースに詰めること。
道中、および受け渡し後の事故を防ぐため、ケースは魔法防御の掛けられたものを用意すること。
当日の正午、王城を裏口から出て、アレクサンドリア王家専用の馬車を使って王都の周りを時計回りに一周すること。
その後、西門から王都に入り、中央広場に止まること。
身代金の受け渡しは、この間のどこかで行なう。詳しくは当日指定する。
指示通りに行動すれば、中央広場でキャサリン殿下を解放する。
途中で馬車を止めたり、予定を外れたりすれば、キャサリン殿下の命は保証しない。
また、身代金を渡す馬車を別の馬車で追うことも禁止する。
「以上が、犯人による指示です」
シューレン卿が犯人の指示を話し終えると、場に沈黙が落ちた。
「魔法警察はどのような対処を取る予定だ?」
ライオネルがシーダー卿に尋ねると、彼は軽く息を吐いてから話し始めた。
「まず、身代金については犯人の指定通りにするべきでしょう。それから、監視については、王都の周辺部に捜査員を配置します。魔法警察だけでは手が足りないので、一般警察の手も借りることになるでしょう」
「一般警察にも事件のことを話すのか?」
「いえ、新型馬車の試験走行をするので、問題が起きないか見てほしいと伝える予定です」
シーダー卿の言葉にゲーリング警部が目を閉じて頷いている。おそらく事前に打ち合わせていたのだろう。
「王都内についてはどうするつもりだ? 身代金の受け渡しは休日だ。中央広場は人が多い。殿下を誘拐した犯人を取り逃がすかもしれんぞ」
「人が多いことは我々にとっても有利です。捜査官を数名配置したところで疑われることはありません」
軍務大臣ハーゼンの質問に、シーダー卿はそう答えた。
「待ってください! 捜査官を配置して犯人を刺激しては、キャサリン殿下の身に危険が及びます!」
「そんなことを言っていては『黒薔薇騎士団』を捕まえることはできないだろうが!」
「クライブ卿の言うことももっともです。人員は厳選し、犯人に察知されないように細心の注意を払います」
異を唱える内務大臣クライブと軍務大臣ハーゼンがやり合うのを見て、シーダー卿はそう付け加える。
「しかし……」
クライブはなおも不満そうに場を見渡すが、捜査官を配置することに反対しているのは彼だけだった。
彼を説得したのは、国王ライオネルだった。
「クライブ卿、そなたの懸念も分かる。しかし、どこかで危険を犯さねば『黒薔薇騎士団』を捕えることはできん」
その言葉に、仁は尋問の時のことを思い出した。最悪の場合、キャサリン殿下を失っても「黒薔薇騎士団」を捕まえることができれば、と国王は言っていた。
本当にそのリスクを負う覚悟があるのか、と仁は内心で驚いた。
ふと、仁は隣に座るアリシアを見た。自分にそのリスクを負う覚悟はあるだろうか? という考えが頭をかすめる。
「分かりました。陛下がそう言うのであれば、従いましょう」
クライブはそう言って引き下がった。その彼にライオネルは命令を下す。
「身代金の準備はクライブ卿の領分だな、頼むぞ」
「分かりました。キャサリン殿下の命のため、万全を尽くします」
今度はクライブはしっかりと頷く。
続いてライオネルはシーダー卿の方を向いた。
「当日の警備と捜査はシーダー卿の担当だ。よろしく頼むぞ」
「はい。犯人の逮捕とキャサリン殿下の救出に向け、万全を期します」
シーダー卿の返答にライオネルは頷く。
その後は細かい打ち合わせをして、会議は散会となった。
会議室を出てしばらくした所で、不意にゲーリング警部が口を開いた。
「俺は当日の正午からは指揮のために警察省に戻るつもりだが、お前らはどうする? もうここにいる意味はないぞ?」
「いえ、当日はずっとここにいます」
仁が間髪入れずにそう答えたことに、アリシアとゲーリング警部は驚いて仁を見つめた。
「なぜですか? もう私達にできることはないと思うんですが」
「お前、それは何か意味があるのか?」
二人の疑問に、仁は目を瞑って沈黙を貫いた。
身代金受け渡し当日、会議室には仁、アリシア、ゲーリング警部の三人と国王ライオネル、王太子ローレンス、宰相シューレン、そして四人の大臣に加え、もう一人の人物がいた。
クリスティーネと同じくらいの歳の女性は片膝をつき、頭を垂れている。
「この度は、私のわがままを聞いていただき、ありがとうございます」
「そう固くなるな、マリー。アルバートのことは済んだことだ。私がお前に身代金の運搬を頼んだのは、乳母のお前ならば、キャサリンのために最善を尽くしてくれると考えたからだ」
「もったいなきお言葉です。キャサリン殿下をお救いするために全力を尽くします」
そのやり取りを聞いて、仁は彼女がアルバートの母親で王女キャサリンの乳母、マリー・ヒーリーであることを知った。
仁は傍らのゲーリング警部にそっと尋ねる。
「彼女が乳母のマリー・ヒーリーですね。今日の運搬役に彼女を選んだ理由は?」
「彼女の立候補だ。もっとも、彼女は最初から運搬役の最有力候補だったがな。信頼できる上に、城下に出せる人間だ」
「……なるほど」
仁はそれだけ言うと、その場を見渡した。
内務大臣のクライブが防御魔法がかけられたケースを開くと、ずらりと並んだ白金貨が見えた。
「1万セル白金貨1000枚、このように収めております」
そう言うと、彼はケースを閉じ、マリー・ヒーリーに手渡した。
「キャサリン殿下のお命がかかっている。くれぐれも扱いには注意するように。むやみに開けたりしないように」
「分かりました」
クライブの言葉に彼女は深く頷く。
彼女の準備が整ったのを見て、ライオネルが号令を掛けた。
「マリーにはこれから裏門に向かって待機してもらう。シーダー卿には私と一緒に政務室に来てもらい、王城内の指揮をとってもらう。ゲーリング警部は警察省で現場の指揮を。それから……」
「我々はシーダー卿に同行します」
視線が二人に止まったところで、仁はそう答えた。ライオネルは一瞬戸惑った様子を見せたが、すぐに言葉を続けた。
「特別捜査局の二人はシーダー卿と共に政務室に来てもらう。では、各人準備に入ってくれ」
『はっ!』
ライオネルの号令が終わると共に、全員が行動を開始した。
「マリー・ヒーリーが馬車に乗って出発しました」
正午過ぎに内務大臣のクライブがそう言いながら、軍務大臣のハーゼンと共に執務室に入ってきた。
既に部屋には国王ライオネル、王太子ローレンス、宰相シューレン、警務大臣シーダー卿に加えて仁とアリシアがおり、合わせて8人となった政務室はすし詰めに近い状態だった。
だが、緊張のためか、それに文句を言う者はいない。
また、政務室の隣の部屋には近衛騎士団が待機している。
「問題は起きなかったか?」
「裏門を抜ける時に魔法検知機に引っかかったこと以外は、問題はありませんでした」
ローレンスの心配そうな声に、ハーゼンが安心させるように言う。一方で、クライブは落ち着かない様子で貧乏ゆすりをしている。
「予定では、馬車はこれから東門に向かうのだな」
「はい。王城の裏門から王都の北に出ます。そこから北の森に沿って時計回りに移動します」
シーダー卿の答えに、ライオネルは無言で頷いた。
それから10分ほど経過したところで、最初の魔法通信が執務室に入った。
ライオネルに断ってシーダー卿が通信装置を取り上げる。
しばらく相槌をうっていたが、最後に「よろしく頼む」と言って通信を切った。
「ゲーリング警部から副大臣に報告がありました。マリー・ヒーリーが乗った馬車が北の森を通過したそうです。監視を続けます」
シーダー卿の報告にライオネルは無言で頷く。
一方でクライブは警察の動きが気になるのか、小太りの身体を揺らしながら不安を口にする。
「私はそれも不安なんです。警察が監視していることが犯人に知られたら、殿下の身がどうなるか」
「そんな弱気でどうする。『黒薔薇』に一から十まで従えというのか!」
「ハーゼン卿。こんな狭い所でそんなに叫ぶこともなかろう」
若いクライブの弱気な言葉に噛み付くハーゼン。そして、それを宥める年老いたヒュームを見ながら、仁は呟いた。
「まあ、犯人からすれば、警察の見張りくらいはどうでもいいんでしょうが」
その言葉に、全員の視線が集中する。
「……なぜそう考えるのだね?」
代表して質問を発するシーダー卿に、仁は頭を掻きながら、以前にアリシアにした説明を繰り返した。
「前にアリシアには話しましたが、王城から第一王女を誘拐したら、間違いなく警察に知られます。それは犯人も分かっていて、現に魔法通信で『警察に知らせるな』とは一度も言っていません。警察が捜査していることは十分承知しているんです」
「ですが、あまりに警戒を強めると犯人が警戒して出てこないかもしれません」
「……それが不自然なんです」
「何を言っているんですか?」
クライブの素っ頓狂な声を無視して、仁は黙り込んだ。
それからしばらくは息詰まるような緊張感の中、時間が過ぎていった。
ローレンスとシーダー卿は魔法通信装置を見つめ、ハーゼンは苛立ちを、クライブは不安を隠しきれない様子だった。
表面上は落ち着いているように見えるのは国王であり父親でもあるライオネル、そして宰相のシューレンと外務大臣のヒュームの三人。
仁の隣ではアリシアも、身を固くしながら身体を魔法通信装置の方に乗り出すような格好をしている。
仁はそんな彼らの様子を、黙って見つめていた。
次の連絡が入ったのは、最初の連絡から40分ほど経ってからだった。
最初の時と同じように、シーダー卿が魔法通信を受け、しばらくやり取りをした後、受話器を置いた。
「マリー・ヒーリーが乗った馬車が南側の大正門を通過しました。ここまで特に問題は起きていません」
「犯人からの接触はありませんでしたか?」
シーダー卿の報告に仁が声をかけると、彼は首を横に振った。
「いや、ここまで犯人からの接触は確認できていない」
「犯人からの合図を見逃したという可能性はないか?」
ライオネルの確認にもシーダー卿は首を横に振った。
「王都の周辺部に配置した捜査官の中には、事件のことを知っている者も配置しています。マリー・ヒーリーと彼らの両方が見逃すということは考えにくいと思われます」
「……ふむ。一理あるか」
ライオネルはそう言って再び黙り込む。
「本当に見落としはないのですか?」
「クライブ卿、落ち着かれよ。我々が心配してもどうなることではないだろう。マリー・ヒーリーを信用せんか」
眉をひそめ、不安そうな表情のクライブを長老のヒュームが厳しくたしなめた。
しかし、政務室には徐々に不穏な空気が漂い始めていた。
アリシアも不安になって、仁の方を見る。
「あの、捜査官……」
そこまで言ったところで、アリシアは言葉を失った。
仁は身体を前後に揺らしながら、俯いて何やら呟いていた。アリシアの声も耳に入っていないようだった。
今まで彼と共に事件を追ってきたアリシアには、彼の様子から、仁が今まさに事件の真相に迫っていることが分かった。
アリシアはそれ以上仁に話しかけずに、そっと彼の隣に座って、政務室の様子を見つめた。
それから約20分が経ったところで、三度目の魔法通信装置が鳴り響いた。
通信装置を取り上げたシーダー卿の顔が徐々に厳しいものに変わっていく。
やがて通信を終えると、彼は深刻な表情で全員を見渡した。
「馬車が西門から王都の中に入りました。犯人からの接触はありません」
「やはり犯人を警戒させてしまったんです! 身代金の受け渡しに警察を入れるべきではなかったんです!」
クライブの叫び声が部屋中に響くが、誰もそれを止めることはない。
政務室が重苦しい沈黙に包まれていく。
そんな中で、アリシアはちらりと隣を見た。
仁はもう独り言を止めていた。鋭い目つきで、その場にいる全員を見つめている。
澱んだ空気が支配する中、時計の針だけが動きつづけていた。
部屋の空気を動かしたのは、扉が荒々しくノックされる音だった。
「何事だ!」
「失礼します! 陛下に火急にお知らせしたいことが!」
ドアの向こうで声を張り上げていたのは近衛団長のラディン・リールだった。
「入れ!」
ライオネルの言葉と共に、ドアが大きく開かれた。
政務室に入ってきたラディン・リールの顔色は真っ青だったが、しっかりとした口調で報告をした。
「王都の中央広場で『黒薔薇騎士団』を名乗るものが拡声器を使用しました」
その報告に何人かが立ち上がり、ガタガタと椅子が音を立てた。
そして再び重い沈黙が訪れる。
「内容は?」
やがて発されたライオネル・アレクサンドリアの問いに、近衛団長は手元の紙をちらりと見て、顔を歪めた。
「……我々『黒薔薇騎士団』は第一王女キャサリンの身柄を預かり、アレクサンドリア王家と交渉を続けてきた。真摯に応じるのであれば、こちらには彼女を生きて返す用意があった」
そこで彼は一度、大きく息を吐いた。
「……しかし、アレクサンドリア王家がキャサリンの身柄につけた値段はたったの10000セルだった」
「嘘です!」
ジョセフ・クライブが甲高い声で叫ぶが、リールは無視して続ける。
「第一王女に10000セル。それがアレクサンドリア王家の回答である。繰り返すが、この国の王女に王家はそれだけしか金を払わなかった」
様々な感情が入り混じる室内に、彼の声だけが響く。
「交渉は決裂した。他ならぬアレクサンドリア王家の身勝手により、王国の第一王女キャサリンはその命を散らすことになったのだ……以上です」
ラディン・リールの報告に、先ほどまでとは全く違う沈黙が部屋を満たした。
その中で一番早く動き出したのはシーダー卿だった。
「現場の魔法警察に確認を取ります」
そう言って魔法通信装置を取り上げ、警察省に連絡を取る。
全員がその様子を言葉もなく見つめていた。
アリシアも固唾を飲んでその様子を窺っていたが、不意にその肩を叩かれた。
仁がアリシアに小声で囁いた。
「アリシア、『拡声器』って何?」
「捜査官、今はそれどころじゃないです」
「いや、今聞きたい。どういう魔道具なんだ?」
アリシアが小声で仁をたしなめると、仁はそう答えた。
シーダー卿のやり取りを横目で見ながら、アリシアは仁に答える。
「文字通り、自分の声を大きくする魔道具です。演説や大勢に向けての挨拶などによく使われます」
「……なるほど、そういう単純な拡声器なのか」
「はい。ただ、遠隔操作はできません。もしかしたら、まだ近くに『黒薔薇騎士団』の人間が残っているかもしれません」
「それはないな。おそらく冒頭に無音の時間を作った蓄音機と組み合わせて、時限式で始まるようにしていたんだろう」
仁の推測にアリシアがわずかに目を見開いたのとほぼ同時に、シーダー卿が魔法通信装置を置いた。
シーダー卿はしばらく無言で目を閉じていたが、やがてゆっくりと話し始めた。
「魔法警察から報告がありました。『黒薔薇騎士団』が拡声器を使用したとのことです」
「拡声器を使った『黒薔薇』の連中は捕まったのか!」
吠えるハーゼンに、シーダー卿は沈痛な面持ちで答える。
「現場には蓄音機が残されていました。今、魔法警察が調べていますが、冒頭に無音部分があるとのことです。おそらくしばらく前に設置された物だと思われます」
「つまり、捕まえられないということか!」
ハーゼンが顔を真っ赤にし、大柄な身体を怒りに震わせるが、シーダー卿は無言を貫いた。
そこに口を挟んだのはローレンスだった。
「それよりも、肝心の身代金はどうなった? 我々は『黒薔薇騎士団』の要求通りに1000万セルを用意したのだぞ」
王太子の質問に、シーダー卿は再び押し黙った。
「……何が起きたのだ?」
国王の詰問に、シーダー卿は口を開いた。
「マリー・ヒーリーによれば、拡声器で放送された内容に驚いて、身代金を確認しようとケースを開けたようです」
そして、と彼は言葉を続けた。
「ケースを開けると、中身が全て10セル大銅貨に変わっていたと」
シーダー卿の報告に、一瞬部屋の時間が止まった。
「ありえない!」
クライブがそう言って立ち上がったが、宰相のシューレンが「クライブ卿、静かにしたまえ!」と一喝すると、そのまま腰を下ろして口を閉じた。
「マリー・ヒーリーは馬車の外に出て、魔法警察を呼んでケースを開けたそうです。10セル大銅貨しかないことは魔法警察も確認しています。馬車の内部にも1万セル白金貨は一枚もなかったということです」
「ちょっと待ちたまえ」
今までになく焦った様子でヒュームが説明を遮った。
「外でケースを開けたということは、中身は中央広場にいる一般人にも見られたということなのかね?」
「はい。多くの人に見られたのは確実だとのことです」
その言葉にヒュームはドサリと音を立てて腰を下ろした。椅子の肘掛けを軽く叩きながら「まずい、これはまずい……」と呟いている。
「極めてまずいことになりました。キャサリン殿下の身の上もそうですが、民や貴族が我々に対して不信感を持つ可能性があります」
そうはっきりと言ったのは、宰相のシューレンだった。王太子ローレンスがそれに反応する。
「まさか、国民が『黒薔薇騎士団』の言うことを鵜呑みにして我々を非難するというのか? 我々はキャサリンを救うために最善を尽くしたぞ。身代金は何かの手違いだ!」
「もちろんその通りです。しかし、王家の専用馬車から出てきた者が、大銅貨しかない身代金を持っていたのは事実です。そして、休日の中央広場にいる多くの人がそれを見ているのです」
シューレンの言葉にローレンスは反論の言葉が見つからずに俯いた。
「キャサリン殿下の誘拐を公にしなかったことは仕方のないことでした。しかし、それゆえにこの状況の説明は難しいですな。これは非常にまずい」
「このままでは、キャサリンの救出も『黒薔薇騎士団』の捕縛もできず、不信だけを植えつけられることになる、ということか」
外務大臣のヒュームが難しい顔をしてそう言うと、国王であるライオネルがそれを引き取った。二人の顔に刻まれた皺が一層深くなったように見えた。
一方で、内務大臣のクライブと軍務大臣のハーゼンは身代金についてやり合っていた。
「それよりも身代金です! マリー・ヒーリーが横取りしたに違いありません!」
「バカな! マリーが信用できる者だということは、皆が知っているだろうが!」
「他に何が考えられるのですか? 彼女の部屋を調べるべきです!」
その間にローレンスはシーダー卿に詰め寄っていた。
「シーダー卿。妹を、キャサリンを助ける方法はないのか? 『黒薔薇騎士団』と交渉することはできないのか?」
「……申し訳ありません。こちらから『黒薔薇』に働きかける方法は現状、ないのです」
シーダー卿の答えに、ローレンスは無言で身体を震わせていた。
近衛団長リールの報告から始まった突然の混乱を、アリシアは呆然と見ていた。
身代金の受け渡し場所に『黒薔薇騎士団』が現れるか、受け渡しと王女キャサリンの解放が無事に行なわれるか。
アリシア自身もそのことだけを考えていた。
身代金がなぜ大銅貨に変わったのか、これから王女や王家に何が起きるのか、混乱したアリシアは国王や大臣のやりとりをなにもできずに、ただ見つめていた。
その時、彼女の隣で小さな、しかしはっきりとした呟きが聞こえた。
「そうか、それが目的か。だから、誘拐だったんだな」
彼女が思わず振り返ると、そこには目をギラつかせた仁の姿があった。
「……捜査官、今、なんて?」
アリシアが思わずそう聞き返すと、仁は驚いたように彼女を見返して、人差し指を自分の口元に当てた。
訳が分からないまま頷き、再び部屋に視線を移す。
ようやく落ち着きを取り戻したライオネル達が、今後についての話し合いをしていた。
「現在、魔法警察はマリー・ヒーリーの身柄を押さえています。また、王家専用の馬車も同様です。彼女の取り調べと馬車の調査を行ないます」
「分かった。身代金についてはどうする?」
「陛下のお許しがあれば、魔法警察を王城に入れて調べさせます。マリー・ヒーリーが馬車から降りてなければ、おそらく王城内に1000万セルがあるはずです」
シーダー卿の説明に、ライオネルは小さく頷いた。
「分かった。捜査を許可しよう。ただし、王城の警備兵をつける。むやみに動かぬように」
「了解いたしました」
シーダー卿の返答を聞いたライオネルは、今度は他の大臣達の方を見た。
「緊急会議を行なう。貴族や商人などが、今回の誘拐事件について問い合わせてくるだろう。諸外国への説明も必要だ。早急に事態を把握し、今後の対応を決める」
『分かりました』
国王の言葉に大臣達が頷いて立ち上がった。
「警備兵への指示と、近衛騎士団の臨時動員を行ないます。陛下や王妃様、王太子様への警備を増員いたします」
近衛団長のラディン・リールもそう言って踵を返す。
にわかに部屋が慌ただしくなる中、特に指示が出されなかったアリシアが立ち尽くしていると、不意に仁がその手を掴んだ。
そして彼女をそのまま政務室の外まで引っ張りだしていった。
外に出たところで、仁は左右を見渡し、誰もいないことを確認した。
戸惑っているアリシアに顔を近づけ、仁は小声で囁いた。
「アリシア、俺と一緒に犯罪者になる覚悟はある?」
身代金の受け渡しの失敗と、王都の中央広場での「黒薔薇騎士団」の声明内容が知らされると、王城は混乱に陥った。
シーダー卿は魔法警察を再度王城に入れ、身代金の捜索を行なった。
魔法警察の捜査によって、マリー・ヒーリーの部屋から1000万セルの身代金がケースと共に見つかった。
彼女は自分がやったことではないと主張しているが、ゲーリング警部は執拗に尋問を続けていた。
また、王都に住む貴族からの魔法通信や、大商人からの謁見の申し出が次々と舞い込み、王都の警備兵や近衛騎士団、王妃クリスティーネは事件のことを考える余裕もなく、それらに答えなければならなかった。
事件や「黒薔薇騎士団」についての質問状もいくつか届き、今後も増えるであろうそれらにどのように対処するかも大臣達の議題に上った。
魔法通信の中には王家や魔法警察の対応に問題がなかったかを暗に問い質す声もあり、事件の整理と説明をどのようにするかの議論が延々と続いた。
誰もが次々と起こる事態への対応に忙殺されていた。
そのため、大塚仁とアリシア・コールの二人が、魔力封じの腕輪と共に姿を消したことに気付く者はいなかった。




