第十話 現場検証
「さあ捜査官、何から始めましょうか」
友人の危機に今まで何もできなかった鬱憤が溜まっているのだろう、アリシアは随分とやる気のようだ。
仁は彼女を落ち着かせるように考えるそぶりを見せる。
と言っても仁の中で、今日やることはほぼ決まっていた。
「関係者全員の尋問はいずれやらないといけないけれど、そうするとかなりの時間が取られるな。ジョンとキャロルの尋問も今日は難しいし。犯行現場を見よう」
「分かりました」
現場には二人の他にユルバン警部とシーダー卿が着いて来た。どうやら彼はお目付け役のつもりらしい。しきりにユルバン警部に目をやっては、彼が仁達を妨害しないかを気にしているようだった。
犯行現場の書斎の前には、二人の刑事がいた。仁達の顔を見た途端、入口を塞ぎにかかった。
「ここから先は立ち入り禁止だ」
「……入れてやれ」
「ユ、ユルバン警部!? しかし、こいつらは……」
「状況が変わったのだ。警察省大臣シーダー卿直々の命令だ。従わないわけにもいくまい」
「わ、分かりました」
そう言うと刑事はドアの前からどいた。
どうやら鍵はかかってないらしく、仁はそのまま書斎のドアを開けた。
「……あれ?」
仁は違和感に首を傾げた、死体がないのはともかく、それ以外にもおかしなところがあるような、と考えて仁は気づいた。
「ああ、ソファが元に戻っているのか」
ニック・アークが死体を発見した時の状況を再現しているため、仁が見つけた時とは違いがあるのだ。
それに気づいた仁はソファを動かさないように、ゆっくりと死体のあった場所に近づいた。
死体は運び出されており、チョークで死体の様子をなぞったりもしていないので、椅子に垂れた大量の血液を無視すれば、ここで殺人があったなどとは思わないだろう。
「すいません、現場の念写図をいただけますか」
仁がユルバン警部にそう言うと、彼は嫌そうな顔をしながらも、懐から二枚の念写図を取り出した。
一枚は入口から取ったもの、もう一枚は凶器と思われる「炎のナイフ」が映るように被害者の横から取ったものだった。
「凶器についてですが、この『炎のナイフ』で間違いないんですか?」
仁の質問にユルバン警部はシーダー卿を見た。彼が頷くのを見て、ユルバン警部がまた渋々といった様子で答える。
「ああ、そうだ。死体を詳しく調べたところ、傷口の奥まで焼け焦げたような跡が見つかった。まさか普通のナイフで刺した後魔法でそんな風に焼いたとも思えない。マシュー・ファルギエールが『炎刃』という固有魔法を持っているから、正確には彼の固有魔法かもしれないがな」
「ふーん、マシューさんの固有魔法って『炎刃』って言うのか……」
ユルバン警部の言葉にそう呟きながら、仁は凶器を見つけた辺りに立った。そのまま順手でナイフを振る素振りをしてから振り返る。
「被害者は書き物をしている最中に殺されたんですね」
「どうしてそう考える?」
「いや、寄りかかっていたら背もたれが邪魔でナイフが振り下ろせないでしょう」
「待ってください、捜査官。何らかの方法で被害者を椅子から引きはがしたという可能性はないんですか?」
「なんらかのって、どうやって?」
「ええ、と、それ、は……」
「背もたれに体重を預けた被害者を引きはがすのは相当に難しいと思うよ。むしろ前かがみで書き物をしている最中に後ろから体重を掛けられて、身動きできないところにナイフを突き刺した、って方がしっくりくるな。こんな風に」
そう言って仁は実演した。左腕で被害者の首の辺りを抑えつけるようにしながら、右手を振りかぶって被害者の背中に突き刺す。
「被害者が余程前かがみになっていればこんなことしなくても直接刺せたかもね。あと、左右は利き手次第で逆になっているかもしれない。凶器はここに落ちてたけど、だからって犯人がここに立ってたとは限らないし、凶器を逆手に持てば左手でも可能な犯行だしね」
「つまり、利き手から犯人を推定することはできないと」
「あんまり意味がないかな」
アリシアのまとめに仁はそう頷くと、机を見て回った。
机の上には何もない。確か死体発見時には何か書類のようなものがあったはずだ。
「ユルバン警部、死体の下に敷かれてた書類はどこにありますか?」
「おい、あれを」
ユルバン警部も慣れてきたようで、すぐ隣にいる刑事に声を掛けると、刑事が一枚の紙を取り出した。
仁は刑事の所に行ってその紙を受け取る。
一番上に「マシュー・ファルギエールとの魔道具取引の契約の草案」と書いてあり、その下に細かい字で細かい条件等が書いてある。書き直し等も多く、斜線や訂正箇所が随所に見られる。
書類の文字は途中で途切れており、ペンの軌道が書類の上の方に滑っている。書類を書いている最中に刺された証拠だと思われた。
「これは一番上に書いてある通り、マシュー・ファルギエールとの魔道具取引に関する草案だ。先日も言ったように、この草案ではツェーザル氏がマシュー氏の魔道具を格安で卸してもらうこと、そしてそれを大量生産して利益の大部分をハーゲンドルフ商会に入れようとするものだ。この契約はハーゲンドルフ商会にかなり有利な上、マシュー氏の方から契約を打ち切ることはできない、と書いてある。ちなみにそれは魔道具で複写したものだ。本物は魔法警察に置いてある」
「確か警部は、これを読んだヴァレール氏が衝動的に『炎のナイフ』でツェーザル氏を殺したと推測していましたね。ヴァレール氏はそれに対して何と答えているんですか?」
「そんな書類は見たこともないと反論していた。しかし、『炎のナイフ』はヴァレール・ファルギエールが持ってきた物であることは認めているし、その書類で動機も十分だ」
ユルバン警部のその言葉に、しかし仁は首を捻った。
「……そうですかね?」
「なんだ? 俺の考えがおかしいとでも言うのか?」
「……」
「おい、なんとか言え!」
爆発した警部に、仁は鋭く切り込むように尋ねた。
「この書類ですが、どちらが上になっていましたか?」
「? どちらが上、とはどういうことだ?」
「ツェーザル氏から見て読めるように置かれていたのか、それとも逆に、ツェーザル氏が机の向こうにいる人間に見せるように置かれていたのか、ということです」
「ああ、そういうことか。ツェーザル氏が読めるように置かれていたぞ。それに何か意味があるのか?」
「あるかもしれませんね」
そう言って、仁はその書類の上下をひっくり返した。
「マシュー・ファルギエールとの魔道具取引の契約の草案、と。本件は、マシュー・ファルギエールとの……いや違う、の、魔道具……発明した……読みにくいな。文字が小さいし、あちこちに語句の訂正や削除がある」
「当り前じゃないですか。どうやらツェーザル氏は内容を考えながら書いていたようですし。大体、そんな風に逆さにしてそんなに小さい字をすらすらと読めるわけがないでしょう」
「アリシアもそう思う? そうだよね」
「……捜査官、それが分かってて、なぜそんな真似を?」
「ちょっと、確かめたかったことがあってね」
仁はそう言って、書類をくるくると回した後、刑事に返した。
「ええっと、他には……そうだ、死体発見時ですが、書斎には鍵はかかっていましたか?」
「ニック・アークによれば、鍵はかかってなかったそうだ。ちなみにヴァレール・ファルギエールがツェーザル氏に渡した書斎の鍵は、彼のポケットから見つかってる」
「つまりずっと鍵は開きっぱなしだったと。翌朝まで発見されなかったのは、本当に偶然なんですね」
「まあ、そういうことだな」
ユルバン警部の同意に仁も無言で同意した。
なおもしばらく仁は書斎を歩き回っていたが、やがてぽつりと呟いた。
「とりあえずはこんなもんか」
そして彼はその場の人々に言った。
「自分の現場検証はこれで終わりにしたいと思います。皆さんは何か気になることはありますか?」
「もういいのかね? 随分とあっさりしているが」
そう尋ねたのはシーダー卿だった。彼に向かって仁は答える。
「とりあえうはこれで終わりにしたいと思います。今後の尋問で新たな事実が出てくるようであれば、またここに来るかもしれません」
「なるほど、今後の尋問次第というわけだな」
「はい」
そこにユルバン警部が恐る恐るといった感じで質問を発した。
「あの、シーダー卿からは特に指示はないのでしょうか。この二人の自由にやらせて、それでよいのでしょうか?」
「それで今まで結果が出ているからね。現場の捜査は彼らに任せることにしている」
「そ、そうなのですか……」
ユルバン警部は驚いたように仁を見ていた。
その仁は何やら考え込んでいたが、不意にユルバン警部の方を見ると、こう言った。
「ユルバン警部。調べてほしいことがあるのですが」
「な、なんだ?」
突然の要望に身構える警部を無視して仁は続けた。
「ファルギエール家の人とツェーザル・ハーゲンドルフ氏との関係を調べてほしいんです。魔道具関係ではなく、それ以外の部分で彼らとツェーザル氏の間に何かつながりがないか、調べてもらえませんか」
「魔道具の取引以外でか?」
「そうです。対象となるのはファルギエール家の三人とアークさん――つまり、魔法を使える容疑者だけで構いません」
「しかし、そんなことをして何の意味が……」
「ユルバン警部。彼の言う通りにしたまえ」
反発しかけたユルバン警部だが、即座にシーダー卿の命令を受け、渋々ながらも頷いた。
「それじゃ、現場検証はこれで終わりということで。もう夕食の時間も近いですし」
仁のその言葉が、現場検証の終わりを告げる言葉となった。




