表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔法世界の名探偵  作者: 敷座武雄
閑話二 ハーネス家の不思議な出来事
40/85

事件編

 仁とアリシアがマリソン・ソラナスと再会する前のこと。

 ある日の午前、アリシアはいつも通りに魔法学校で授業と実習の報告を、仁はマリソン・ソラナスの事件以降に始めた、普通警察での対魔法使い戦闘訓練を行なっていた。

 そして桜は掃除、洗濯、買い物といった家事をこなし、二人のために昼食を作っていた。

 どういうことかというと、シーダー卿やゲーリング警部などから依頼がなくても、特別捜査局は活動しているということである。

 アリシアは学生なので毎日の授業や実習報告を行なう必要がある。午後はすることがないが。

 仁については、先日の事件の報告書の作成――半分近くはアリシアの手を借りたが――や、先々の事件において魔法使いとの直接対決を想定した普通警察での対魔法使いの戦闘訓練への参加がある。もっとも戦闘訓練自体が三日に一度といった具合なので、後は自主練習をするしかないのだが。

 キャロルなどに言わせると「特別な事件が起こらない限り穀潰し」らしいが、そんなことは断じてない、と仁は思う。

 きっと社会人時代より休みが多いような気がするのも、その割に給料が異常に高いような気がするのも気のせいだ。そう思うことにしている。


 とにかくその日、彼は普通警察でカーター達と共に戦闘訓練を終えて、昼を大分過ぎた頃に家に帰った。

 桜の用意した太めのスパゲティのようなものを食べると、居間でまったりと、というよりはぐったりとだらけていた。

 アリシアは魔法の訓練のためと称して自室で瞑想しているそうだが、仁は魔法使いではないので疲れたら休むことにしている。


「なんというニート……」


 桜がそんなことを呟くのが聞こえたが、仁は無視した。

 いいじゃないか、事件も起きないし、午前中は訓練したし、「黒薔薇騎士団」がここを襲ってくるわけでもないし。

 平和な午後の一時の何が悪いというのか。

 そんなことを考えながら仁はソファを占領してゴロゴロと転がっていた。


 その時、平和な午後を破る魔法通信装置が鳴りだした。

 桜宛ての可能性は低い。彼女も魔法通信を使うことはあるが、相手はほぼレイチェルのみで、しかもティムが家にいる夜がほとんどだ。

 自分かアリシアに向けてのものだろうと思った仁は、自分で受話器を取り上げた。


「はい、こちら特別捜査局本部」

「あ、あの……特別捜査局のアリシア・コール先輩は、そちらにおいででしょうか……」

「……どちらさまです?」


 仁は警戒感を前面に押し出して受話器の向こうの相手に問う。

 そもそも特別捜査局捜査官、または捜査官補佐としての仁かアリシアに連絡を取るのは大部分がシーダー卿で時々がゲーリング警部、たまにカーター・デクスター刑事といった具合だ。

 女性ならばキャロルがここに掛けてくることがたまにあるくらいか。

 いずれにしても、こんな気弱な少女のような声を仁は知らない。

 それが「特別捜査局のアリシア・コール」に向けて連絡を取って来たのだ。

 警戒しない方がおかしい。


「あ、あの、私、魔法学校中級のクレア・ハーネスと申します! アリシア先輩に伝えていただければ分かると思います。あの、その、相談したいことがあって……ダメ、でしょうか」


 ダメだろうか、と仁は考える。

 少なくとも今は暇だ。特別な事件を抱えてるわけでもないし、「黒薔薇騎士団」は動きを見せないようだし、率直に行ってしまえば退屈を持て余しているのである。

 かの名探偵がコカイン溶液を愛用する理由がなんとなく分かるくらいには退屈である。


「とりあえずアリシアを呼んでくるよ。ちょっと待ってて」


 仁はそう言うと受話器を抑え、桜を呼んだ。


「桜姉さん、ちょっとアリシア呼んできて。アリシアの後輩のクレア・ハーネスって子が魔法通信で連絡してきたって」

「了解。でも珍しいわね、アリシアちゃんに後輩が連絡なんて」


 確かに珍しい。アリシア自身、人付き合いの上手い方ではないのか、付き合う気がないのか、とにかく彼女には友人が少ない。

 魔法学校でキャロルとジョンの次に親しいのはおそらくティムではないだろうか、と仁は内心で疑っている。

 そんなことを考えていると、アリシアが階段を下りて居間にやってきた。


「クレアから連絡、ですか? 何の用でしょう?」

「相談したいことがある、って言ってたけど……とりあえず渡すよ」


 仁から受話器を受け取ったアリシアは、怪訝そうな顔をしていたが、話が進む内にその表情がどんどん険しくなっていった。


「ええ、分かったわ。今、私たちが扱っている事件はないし……捜査官も話くらいは聞いてくれるはず」


 彼女が自分を「捜査官」と呼んだことに仁は気付いた。

 それはつまり、彼女が「特別捜査局」として活動しようとしていることを示している。


「ええ、それじゃあ今すぐにでも。場所は分かる? そう……気を付けてね。じゃあ、また」


 そう言って受話器を置いたアリシアの顔は、非常に厳しいものだった。

 その顔を見て、仁はアリシアに単刀直入に尋ねた。


「事件か?」

「分かりません。事件と呼んでよいかどうか……クレアは継父の様子がおかしいと言っているのですが、それだけでは警察も動いてくれないでしょう。それで私たちを頼ったのかと」

「継父? ってどういうこと?」


 仁が変な顔をすると、アリシアは一瞬あっけに取られた顔をしたが、すぐに納得したような表情で頷いた。


「そうですね。今の内に、捜査官にハーネス家のことを少しお話ししておいた方が良いでしょう。ハーネス家はこの王都に居を構える名門貴族で、代々植物を操る魔法を得意としています。クレア・ハーネスも例外ではなく、特に草木を育成させて操る『育成』という固有魔法を持っています」

「うへえ、そんな魔法もあるのか。森の中とか無敵じゃないか?」

「ええ、現に王城の北の森の守護を任されていますし、王都の東にある領地も緑豊かな所です。一度、模擬戦の時にペアを組んだことがありますが、森の中では異常に強い半面、植物がない場所を非常に苦手にしていました」

「模擬戦って……上級と中級で?」

「その時は私も中級でした。彼女は魔法の特性もそうですが、本人の精神の波も激しいんです。進級試験では安定した魔法の発動が重視されるので、彼女はそれで落とされてしまいました」

「なるほど……もしかして魔法学校で留年とかってよくあることなのか? アリシアとキャロルとジョンも歳がバラバラだし」

「そうですね。普通の学校より留年率はかなり高いです。それに、『タレント』の発現時期がバラバラなので、それによって入学する年齢も変わります。ティムは13歳ですが、これは真ん中くらいです。早ければ10歳くらいで、遅ければ16歳や17歳の一般家庭出身の子供が突然『タレント』に目覚めて魔法学校に転入する、ということも稀にあります。ちなみにクレアは現在14歳です」

「それで上中下級、なんて大雑把な分け方な上に年齢がバラバラなのか。納得」

「ところで、そのクレアちゃんって子とは親しかったの? あと、『継父』ってどういうこと?」


 二人の会話に口を挟んだのは桜だった。そう言えばその話を聞こうとしていたのに、いつの間にか話が逸れてしまっていた。

 アリシアもそれに気付いたようで、すぐに話を元に戻した。


「それで、クレアの母親のセシリー・ハーネスがハーネス家の植物魔法を受け継いだ方で、その人と最初の旦那さんの間に生まれたのが彼女です。その方は魔法警察に勤めていたのですが、『黒薔薇騎士団』との抗争の中で命を落としています。そして、セシリー・ハーネスが昨年に再婚した相手が今のクレアの継父、ルーファス・ハーネスになります」

「なるほど。その継父は魔法が使えるの?」

「ええ。固有魔法は『土塊』というものです。私の『氷弾』を土に置き換えたものと思っていただければいいでしょう。桁違いに大きいですが」


 仁は唸った。ハーネス家という貴族については大雑把なことが分かったが、特別捜査局に直接連絡をする理由は謎のままだ。


「その継父について他に知ってることは? 何でもいいんだけど」

「確か、農耕省に勤めていたと思います。母親とはそこで知り合ったという話をしていたことがありました。それくらいでしょうか」

「ふーむ。大体の事情は分かったけど、それでそのクレア・ハーネスって子が相談に来る理由はさっぱりだね」

「そうですね。こればかりは本人に聞いてみないと」


 アリシアにも理由の見当はつかないようだ。

 二人はおとなしくクレア・ハーネスがやってくるのを待つことにした。



 クレア・ハーネスとは食堂で話をすることにした。

 彼女の向かいに仁とアリシアが座り、桜は全員分の紅茶を準備した後、下座に座った。

 すると、クレアは突然立ち上がり、緊張した面持ちながら、スカートの端をつまんで一礼した。貴族の礼である。思わず仁はあっけにとられる。


「は、はじめまして。クレア・ハーネスと申します。特別捜査局捜査官のジン・オーツカ様の活躍は魔法学校でも非常に有名でして、あの、一度お話しができればと思っていました」

「……えーと、そういう挨拶はいいから本題に入ろう。相談事があるってことだったけど、一体何?」

「は、え? あ、あの……?」

「クレア、この人はこういう人なの。貴族のしきたりとか挨拶みたいなことは気にしなくていいわ。普通の人に話すように話せばいいの」

「で、でも……この方はシーダー卿も一目置かれていますし、王国にとっても最重要人物です。礼を尽くさねばならないのでしょう?」

「礼を尽くしてくれるのは嬉しいけど、それより君の相談事の内容を知りたいんだ。話してくれるかな?」


 仁がそう促すと、クレアはあっけにとられ、次いでアリシアを見やり、アリシアが頷くのを見てようやく、椅子に座り直した。

 彼女はしばらくどう話そうかと考えていたが、やがて意を決して仁の方を向いて話を始めた。


「私の家のことはご存知でしょうか。我が家は代々植物を操る魔法を得意としており、王城の北の鎮護の森の守護を任されています。また、王都のすぐ東で治めさせていただいている土地も、緑豊かで風光明媚な場所であると自負しております」

「うん、君の家のことはさっきアリシアから大体聞いた。君の固有魔法についても簡単に聞いているよ」

「そうですか。それでは、父のルーファス・ハーネスのこともご存じでしょうか」

「いや、農耕省に勤めているらしいことと、昨年に君のお母さんが再婚した相手である、つまり君にとっては継父であること以外は何も」

「……ご相談したいのは、その父様のことなのです」

「魔法通信でもそう言っていたけど、どういうことなの?」


 アリシアがそう尋ねると、クレアはしばらく困ったような顔をした。

 何をどう話せばいいのか、自分でも整理がついていないようだった。


「……あの、最近父様の様子がおかしいんです」

「最近、というといつくらいから? 以前はどんな感じで、今はどんな感じとか、あと、話すこととかやることとかが急に変わったりとか、なんとなくでいいから話してくれないかな?」


 仁がそう水を向けると、彼女は堰を切ったように話し始めた。


「あの、元々父様とは家族になってからまだ日も浅くて、それほどお話とかができているわけではないのです。ですから、父様が変わったのも中々気付かなくて。ただ、今考えると、母様が療養のために領地に帰ってから父様がおかしくなり始めたように思います」

「ちょっと待った。君のお母さんは病気なの? 今、領地で療養って言っていたけど」

「夏の終わりに流行病にかかってしまったのです。幸い症状は軽く、お医者様はせっかく自然の豊かな領地があるのだから、そこで数ヶ月ゆっくりすれば、冬までには回復できるとのことでした」

「なるほど、するとあと一、二ヶ月は領地にいるということかな」

「そうです。手紙ではもう少しかかるかもしれないけれど、冬までには戻ると書いてありました」

「なるほど。で、お母さんが領地に戻ってからお父さんの様子が段々とおかしくなってきたと」


 仁の言葉にクレアはこくこくと頷く。


「そうです。初めは母様がいなくて寂しいのかと思っていたのですが、その内私に色々なことを聞き始めて……それで先週から突然、家の改装を始めたんです」

「ふむ。色々なことを聞かれたってことだけど、具体的には?」

「食べ物や服、動物などの好き嫌いを聞かれました。その時は、父様が私と仲良くなろうとして私の好みを聞いたのかと思ったのですが、それで生活が変わったということもないのです」

「つまり、ただ聞いただけ?」

「そうです。そして少し前から父様は何か悩んでるようでした。お仕事が上手くいっていないのかと思っていたのですが、突然一週間前に私の部屋を改装すると言いだしたのです」

「それは部屋に不便があったとか、そういうことではないの?」


 アリシアの疑問にクレアは首を横に振った。


「私は今の部屋に満足していますし、以前に父様とお話しした時もその話は出ませんでした。ですから、なぜ急に私の部屋を出入り禁止にしてまで改装しようとしているのか、分からないんです」

「出入り禁止? じゃあ今はどの部屋を使っているの?」

「母様の部屋です。その部屋もちょっと変な所があって……」

「変な所って何? おかしなものでも見つけたとか?」


 桜が口を挟むと、クレアはびっくりして桜を見つめ、次の瞬間俯いた。どうやら人見知りなようで、突然会話に飛び込んできた桜にどう対応していいか分からないようだ。


「桜姉さん、いきなり会話に混ざらないで。えーと、君のお母さんの部屋に変な所があるっていってたけど、間取りが自分の部屋と全然違うとか、そういうことかな?」


 仁がなだめるように尋ねると、彼女は見るからにホッとした様子で話し始めた。


「いえ、間取りは違いますがおかしいというほどのものでは……ただ、ベッドのそばに変な紐が付いているんです」

「変な紐?」

「ええ、壁に小さな穴があって、そこから紐が垂れているんです」

「壁の向こうは?」

「父様の部屋です。どうやら鈴か何かがついているらしくて、一度引っ張った時に父様が飛んできて、何かあったのかと聞かれました。私が事情を説明すると、緊急の時の連絡用だから、めったなことでは触ってはいけないと叱られてしまいました」


 その時のことを思い出したのだろう、彼女はしゅんとした様子になる。

 しかしすぐにその表情が消え、代わりにクレアの顔に恐怖と不安が浮かんだ。


「そして、昨日の夜のことです。昨日はなぜか眠れなくて、夜中近くまで目が覚めていました。その時、口笛の音が聞こえてきたんです……」

「口笛……?」

「はい、真夜中で父様も使用人たちも既に眠っているはずの時間です。それなのに突然、どこからともなく口笛が……」


 そこまで言うとクレアはぶるりと身体を震わせた。桜が気を利かせて用意した紅茶を追加する。

 クレアは小さい声でお礼を言うと、仁とアリシアに向き直った。


「でも、様子がおかしいだけでは警察にお願いするわけにもいきません。ましてや口笛一つに怯えているなどと言われて笑われては……その時、この特別捜査局のことを思いついたのです。アリシア先輩は口の堅い人ですから、学校で言いふらしたりしないでしょうし、その、今、特別な事件に取りかかってるとも聞いていなかったので……」

「事情は分かったわ。でもそれだけでは特別捜査局としても動きようが……」


 そこまで言いかけてアリシアは、仁と桜の様子がおかしいことに気づいた。

 なぜか二人は顔を見合わせている。


「突然の意味不明な改装、父親の部屋から垂れる紐、そして深夜の口笛……『まだらの紐』を思い出すわね」

「姉さんもそう思う? いや、実際状況はかなり似てる気がするよ。だからって同じ事件が起こるとは限らないけどさ……」


 桜がそう言うと仁も何度も頷いている。どうやら二人はこの事件と似た話を知っているらしい。


「あの、捜査官。『まだらの紐』とはなんですか? 今回のクレアの話と、何か関係があるのでしょうか?」


 アリシアの質問に仁は苦笑して答える。


「いや、『まだらの紐』っていうのはコナン・ドイルという作家が書いた小説だよ。この事件とは直接関係ない。ただこっちの世界・・・・・・では有名な小説な上、状況が似てたからね、桜姉さんも俺もそのことを思い出したってだけ」


 それだけ言うと、仁はクレアに向き直った。


「お話は分かりました。今日の夜にでもそちらの家に伺い、様子を見てみようと思います。そちらの住所を教えていただけますか?」

「ほ、本当ですか!? あ、ありあがとうございます! このお礼はいつか必ず!」


 クレアは思わず椅子から立ち上がって仁の手を握ったが、次の瞬間にはパッと手を離し、赤くなって俯いた。


「あ、あの、住所はこちらです。それでは、お待ちしておりますので。よろしくお願いします。」


 クレアが差し出したのは紹介状だった。大きさは名刺より一回り大きいくらいで、クレア・ハーネスというカードにアレクサンドリア王国印。

 貴族が持っているという紹介状だとアリシアに聞いたことがある。マリソン・ソラナスの事件の時にシーダー卿に一枚貰ったが、その時は使う機会がなかった。


「こちらを持ってくれば使用人が家に入れてくれるはずです。それでは、よろしくお願いします」


 そう言って、彼女は最後にもう一度貴族の礼をした。



「やっぱり似てるよ。魔法世界版『まだらの紐』事件なんじゃない?」

「いや状況は似てるし、気にはなるけどさ……あれ、科学的におかしいところが一杯あるんだぜ? それに、この世界には魔法がある。まさか同じ事件とは思えないよ」


 クレアが帰った後、桜の感想に対して仁はそう反論していた。

 話に入れないアリシアがどことなく不機嫌そうな声で言う。


「捜査官、本当に彼女の家に行くのですか? まだ事件の兆候すら見られませんが」

「うん、まあそうなんだけどね……『まだらの紐』に似ているってのがやっぱり気になるんだ」

「さっきも今も仰っていましたが、どういう話なんですか?」


 その言葉に仁は少し考え込んだ。何分大分昔に呼んだ話だ。思い出すのに少し時間がかかってしまう。


「『まだらの紐』はコナン・ドイルが今から100年以上前に書いた短編だ。ある日、依頼人が名探偵ホームズの元を訪ねてくる。彼女には双子の姉がいたんだが、『最近、夜中に口笛の音がする』と言ってしばらくした日、鍵の掛かった部屋の中で『まだらの紐』という謎の言葉を残して死んでしまう」


 そこまで話すと、仁は一度アリシアを見た。彼女は真剣な目で仁の話を聞いている。


「しばらくして、依頼人の部屋の改装が突然始まり、彼女はかつて姉のいた部屋に移ることになる。その部屋のベッドのそばには紐がついていて、それは彼女たちの父親の部屋に通じるものだった。そして、部屋を移ったその日の夜中に、彼女は姉の死の前触れにもなった口笛の音を聞いた。不安と恐怖に支配された彼女は、ホームズの元を訪ね、彼に事件の解決を依頼した……というのが発端だ」


 仁の解説にアリシアは大きく頷いた。


「確かに良く似ています。それで捜査官は、クレアにも命の危険が迫っていると言いたいのですか?」

「ううん……それは分からないけど、何かの企みが進んでいることは間違いないと思う。だから一度、彼女の家に行ってみようと思うんだ」


 仁の言葉に頷いたアリシアは、そこで首を傾げた。


「ちなみにその小説の解決はどのような?」

「それは教えられないな。自分で読みなさい」

「……私、捜査官の世界の文字は読めませんし、そもそも本がありませんよ」

「本なら私が持ってきてるわよ。今度仁ちゃんに読み聞かせしてもらったら?」

「うぐ……」


 言葉に詰まる仁を見て笑いながら、桜が問いかける。


「ところでさ、『まだらの紐』だとこの後どうなるんだっけ? 私も昔読んだけど、もう内容ほとんど覚えてなくってさ」

「この後? えーと、確か依頼人の父親がやってくるんだ。それで家のことに口を出すなって脅して帰っていく。それがあってホームズ達は夜中に依頼人の家に忍び込むことになるんだけど……」


 その瞬間、家のドアのベルが激しく鳴らされた。

 仁は反射的にクレア・ハーネスからの招待状を隠し、桜が玄関の応対に出る。


「どちらさまでしょう?」

「ルーファス・ハーネスといいます。先ほどまでこちらに娘がお邪魔していませんでしたか?」


 仁とアリシアは思わず顔を見合わせた。今まさに仁が口に出した通りに事件が進み始めたのだから、二人が驚くのも無理はない。

 玄関で応対している桜も、驚いているようだった。


「は、はい……先ほどまでこちらにいましたが、もう帰られましたよ?」

「そのことについて、一言申し上げたいことがありまして」

「……分かりました」


 桜がドアを開けると、ルーファス・ハーネスは軽く礼をした後、食堂に入ってぐるりと周りを見渡した。


「特別捜査局というのは、これで全員ですか?」

「そうです。私が局長兼捜査官のジン・オーツカ。こちらが補佐兼護衛のアリシア・コールです」


 仁がそう答えると、ルーファスは一度頷き、仁にこう言った。


「先ほど娘がこちらにお邪魔したようですが、我が家の私的なことに特別捜査局の任務でお忙しい二人の手を煩わせる必要はありません。クレアが何と言ったか知りませんが、全て忘れていただきたい」


 アリシアは思わず絶句した。ジンの話した「まだらの紐」そのままではないか。

 一方、仁の方はある程度ルーファスの言葉を予測していたのか、すぐに反撃に転じた。


「それはできません。私個人として、この件には非常に興味を惹かれています。それに現在、特別捜査局はいかなる案件も抱えていません。忙しいとはとても言えない状態です」


 その答えに、ルーファスの顔が強張った。そのまま、見る見るうちに顔が真っ赤になる。


「特別捜査局の捜査など必要ないといっているでしょう」

「違いますよ。特別捜査局としてではなく、あくまでジン・オーツカ個人としての興味です」

「……そうですか」


 次の瞬間、彼の右手に直径1メートルはあろうかという岩が出現した。

 ルーファス・ハーネスの固有魔法「土塊」である。

 アリシアが反射的に仁を庇うような位置に立ち「氷弾」を起動させるが、10センチ程度の氷の塊では、質量の差で圧倒的に不利だ。

 仁も隙あらばと腰の剣に手を添える。

 しかしそこで、ルーファスは「土塊」を解いた。一瞬で岩が消失する。


「これは警告です。私に無断で家に近づくようなら、これよりも大きな大岩があなたを襲うでしょう」


 そういうとルーファス・ハーネスはくるりと踵を返し、挨拶もなく家を出て行った。

 その瞬間、仁が動き始めた。矢継ぎ早にアリシアに指示を出す。


「アリシア、今すぐ出発するぞ。おそらく彼は仕事を抜け出してここへ来たんだ。まさか午後の魔法通信を父親がいるところでしたとも思えないから、おそらく彼女が馬車に乗っているのを見かけたんだろう。彼が仕事から帰る前にクレアの家に行って、事情を説明する」

「事情を説明しても、ルーファス・ハーネスを説得できるわけではありませんが」

「家のどこかに隠れられるスペースくらいはあるはずだ。なんなら使用人の棟を使わせてもらってもいい」

「それなら、あの家は植物魔法の貴族らしく、庭園が充実しています。使用人の棟が一杯ならば、そこに潜めば良いでしょう」

「じゃあそれで決まり。飯は……最悪一食抜きだな」

「ええええ、それは辛いなあ」


 突然桜が上げた声に、仁はギョッとして振り返る。


「辛いなあって……姉さん、まさか着いてくる気?」

「当たり前でしょうが。仁ちゃん曰く、これは特別捜査局の任務じゃないんでしょ? 私だって興味あるもの。行かせてもらうわ」

「はあ、分かったよ。じゃあ二人とも、急いで支度して。時間はあんまりないよ!」


 仁のその言葉をきっかけに、二人は慌てて外出の準備を始めた。


閑話のつもりなのにまた前後編になってしまった。


参考文献

アーサー・コナン・ドイル「四つの署名」[1890]

アーサー・コナン・ドイル「まだらの紐」[1892]

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ