第一話 プロローグ
ああ、どうしてこんなことになってしまったんだろう。
ホテルの一室でマリソンは立ち尽くしていた。目の前に広がる情景に、何も考えることができなかった。
そこには先ほどまで自分を糾弾していた男が倒れていた。
昨日までは恋人だったはずだったのに、今日突然変貌してしまった彼。
マリソンは後悔に苛まれた。自分が殺してしまったのだ、あの時のように。
なぜこんなことになってしまったのか、マリソンには全く分からなかった。
目の前の男は、ついこの間まで自分を愛していると言っていたはずだ。
今日も大事な話があると彼に言われて、前日の夜にこのホテルへと呼びだされた。
「もしかしたら今日は行けないかもかもしれない。でも明日の朝には必ず君の元に行く。大事な話があるんだ」
そんな彼の言葉を少し不自然には思ったけれど、もしかしたらプロポーズかもしれない。
そんな彼女の甘い期待は、突然に裏切られた。
彼は自分を魔法警察の刑事だと言い、今まで秘密裏に自分のことを捜査していたこと、そして自分を「黒薔薇騎士団」の一員として告発すると言い始めたのだ。
そして彼は、自分が「黒薔薇騎士団」であるという証拠として、彼女の部屋から禁術に使われる魔道具の材料や「黒薔薇」の紋章が入った手紙などを突きつけた。
その瞬間、彼女は頭が真っ白になってしまった。
ふと気がつくと、目の前にはぴくりとも動かなくなった彼がいた。
こんな自分でも恋ができるのかもしれない、幸せになれるのかもしれない、そんな期待を持たせてくれた彼。
しかし彼はもう動かない。あの時のあの男のように。私が殺してしまったから。
私が自分で幸せを手放してしまったから。
そう考えて彼女はぼろぼろと涙をこぼした。
どれくらいそうして泣き続けていただろうか。
やがてマリソンは、自分が非常にまずい立場に立たされていることに気づいた。
魔法警察の刑事を殺しただけでも重罪だ。しかも魔法警察に自分は「黒薔薇騎士団」の一員だと疑われている。
このままでは身の破滅だ。なんとかしなければならない。
彼の死体をどこかに遺棄する? いや、自分が「黒薔薇騎士団」だという証拠は魔法警察内部にもあるのだろう。彼の死体を遺棄しても、それで追及が終わるわけがない。
正直に自首する? それで罪が軽くなるだろうか? 「黒薔薇騎士団」の一員だという証拠まで揃っているというのに。
どこか遠くへ逃げ出す? いったいどこまで逃げられる? 魔法警察の組織的な追跡をかわせる?
どれだけ考えても、この状況を乗り切る方法があるとは思えない。
そんな時、マリソンにホテルの部屋の魔法通信装置が目に入った。
もしかしたら、彼女なら。
自分よりずっと賢くて、自分よりずっと強い彼女なら。
何か、いい方法を考えてくれるかもしれない。
でも、こんなことに協力してくれるだろうか。
いや、ダメ元で連絡してみよう。それで断られたら諦めるしかない。
どうせ自分一人ではどうすることもできないのだ。
そう考えて、マリソンは受話器を取りあげた。
――――――――――
彼女の家の魔法通信装置が鳴った時、彼女自身は一階の居間にいた。
すぐに受話器をとり「もしもし、どちらさまですか」と応答する。
しかし、それに対して返って来たのは鼻をすするようなぐすぐす言う音と、涙声の「あの、わたし、わたし……」という声だけだった。
さすがに困惑した彼女は通信装置の向こうの相手に向かって強く言い放った。
「わたし、じゃ誰だか分かりません。どなたですか?」
その強い口調に影響されたのだろうか、通信装置の向こうの雰囲気が少しだけしゃっきりとしたものになったように思えた。
「あの、わたし、マリソンなんだけど……」
その答えに彼女はほっとした。
マリソン・ソラナスは彼女の良く知っている人物だった。
確か彼女は今日、交際中の男性とホテルで会う予定だったはずだ。
なんでも今日、彼はマリソンに重要な話をするとのことだったが……
では、なぜそのマリソンが今、泣きながら自分に魔法通信を掛けてきているのだろう。
彼女はその理由が非常に気になった。
彼との会談はどうなったのだろうか。何か、良くない事態が発生したのだろうか。そうでなければ良いのだが……
――――――――――
マリソンの冗長で無駄だらけの話を、彼女は辛抱強く聞いてくれた。
マリソンは話しているうちに今までの彼との思い出や今目の前で動かない彼のことが浮かんできて、泣きそうになったりもした。
そんな時、彼女はマリソンを辛抱強く励ましてくれた。
本当に彼女は強い人だ、凄い人だ。
しかも彼女は、話を最後まで聞いた後、こう言ってくれたのだ。
「大丈夫。心配しないで、マリソン。私が何とかして助けてあげるから」
嬉しかった。こんなこと、助けてくれなんて頼んでも、普通は絶対に断るのに。
彼女はこんな絶望的な状況ですら、自分を助けようとしてくれるのだ。
「黒薔薇騎士団」の一員に手を貸したと疑われたら、自分だって危険なのに。
それなのに、自分すら危険に巻き込まれている状況なのに、彼女はとても冷静だった。
彼女がいくつか質問を発する。私はただそれに答える。
今どこにいるのか。その部屋はいつまで借りられるのか。誰かが部屋に入ってくる可能性はないか。
最近王都に行ったか、どんな服装だったか、何か買ったか。王都に知り合いはいるか。
それらの質問の意味は良く分からなかったけど、きっと彼女は私のために色々考えているんだと思った。
そして、やがて彼女は私にこう言った。
「いい、今から私の言うことを良く聞いて、その通りに行動しなさい。そうすればあなたは、誰にも疑われることなくこれからも生きていけるわ」
彼女の指示の意味は良く分からなかったけれど、彼女の指示通りに行動すれば、この事態でもなんとかできるに違いないとマリソンは信じていた。
今のマリソンにとっては、彼女の言葉だけが唯一無二の拠り所だった。
――――――――――
マリソンを何とか宥め、励ましながら、彼女は内心で小さくため息をついた。
こういう事態を予測していなかったといえば嘘になる。いや、むしろ彼女はかなりの確率でこういう事態になるだろうということを予測していた。
マリソンは「運命の出会いだ」などと大喜びしていたが、少しは疑わなかったのだろうか?
馬車駅で荷物を取り違えて、その相手がいきなり喫茶店に誘ってくるなど、自分なら怪し過ぎて全速力で逃げ出すような状況だ。
もっとも、そんな状況に喜んで流されてしまうのがマリソンのいい所であり、悪い所でもある。
良くも悪くも天真爛漫。それが彼女のマリソンに対する評価だ。
そんなマリソンが「黒薔薇騎士団」の一員だと疑うなんて、魔法警察というのは揃いも揃って信じられないほどのボンクラらしい。
マリソンが「黒薔薇騎士団」の一員などとは彼女にはとても思えない。信じられるわけがない。
しかし、そんな彼女の考えとは反対に、魔法警察はマリソンが「黒薔薇騎士団」の一員だと信じ切っているらしい。
挙句の果てにマリソンを追いつめ、マリソンはあの時のように無意識のうちに電撃を放ってしまったのだ。
「彼を殺してしまった、どうしよう」「『黒薔薇騎士団』の一員として疑われている、どうしよう」と、魔法通信装置の向こう側でマリソンは泣きながら状況を説明してくれた。
そして、マリソンは自分を助けてほしいと、彼女だけを頼りに魔法通信装置で彼女の自宅に連絡を入れてきたのだ。
ならば、彼女はこの状況をどうにかしなければならない。
魔法通信装置を通しても泣き声なのが分かるマリソンを叱咤激励して、いくつか質問をする。
その答えを踏まえて彼女はマリソンにどうすればいいのかの指示を出した。
そうしながらも彼女は、頭の中で計画に漏れがないか、どこかで破綻がないかをチェックすることを怠らない。
そして彼女は最後にマリソンにこう言った。
「いい、気をしっかり持つのよ、マリソン。冷静に、何もなかったかのように行動するの。分かったわね?」
そう言って魔法通信を切った後、彼女は大きく息をついた。
気をしっかり持たなければならないのは自分も同じだ。これからやることは一世一代ともいえる大博打なのだから。
失敗すれば身の破滅は免れない。だが成功すれば、それだけのものが手にはいるのだ。
必要なのは大胆さと冷静さ、そして少しの幸運。あとは自分を信じるだけだ。
「大丈夫、私はやれる。やりきってみせる」
そう口に出して気合を入れると、数分後、彼女は再び魔法通信装置の受話器を取り上げた。




