第二十話 エピローグ
「さて、君たちのおかげで事件が解決したことだし、何か報奨を与えなければならないかな」
シーダー卿がそう言いだしたのは、警察省の自分の執務室に帰って来てからだった。
執務室の中にいるのはシーダー卿と仁、アリシアの三人だけである。
「そんな、報奨だなんて……そもそも私は魔法学校の実践演習として捜査官の補佐と護衛を行なっただけです。それに、私が教えたことはこの世界の常識くらいのもので……報奨を受けるべきは捜査官一人で十分だと思います」
「まあ、そう固いことを言わなくていい。君だからこそ、彼も存分に力を発揮できたのだろうからね」
「そ、そう言っていただけるのは、ありがたいのですが……」
アリシアは褒められるのに慣れていないのか、恐縮しながら仁の方をチラチラと伺う。
一方の仁は、先ほどからシーダー卿を睨むように見つめている。
どうしたのだろう、とアリシアは不審に思った。
「報奨ですか……元の世界に帰る、というのは報奨としては妥当ですか?」
仁の突然の発言にアリシアの心臓が跳ねた。
彼がいなくなる? 元の世界に帰る? そんなことは想像もしていなかった。
でも考えれば確かにそうだ。彼は半ば強引に自分がこの世界に連れてきたのだ。
いくらこの世界で名誉を得たとしても、それは彼がこの世界にいたいという理由にはならない。
だから、彼が帰りたいというのなら、その意思を尊重すべきなのだ。
それなのに。
(嫌だ……)
真っ先にアリシアはそう思ってしまった。これまでの彼との日々が走馬灯のように駆けめぐり、それが泡のように消えてしまう幻覚にとらわれて、ぶるりと身体を震わせた。
シーダー卿はどう答えるのだろう。と見てみると、なぜか妙な目で彼のことを見ていた。
「なぜ元の世界に帰れると考えたのかね? 君を召喚するのに使った『虹の扉』はもう壊れてしまったんだよ?」
その言葉にアリシアはハッとした。そうだ、もう召喚のための魔道具はない。なのになぜ彼は元の世界に帰れるなどと考えたのだろう。
しかし、仁の答えはアリシアの考えは勿論、シーダー卿の予測も覆すものだった。
「『虹の扉』は他にもあるんでしょう? それで自分を元の世界に帰すことはできないんですか?」
唖然とするアリシアとシーダー卿を見ながら、仁は話を続けた。
「最初にこの世界に召喚された日のことです。自分に『タレント』がないと分かったゲーリング警部は激怒し、自分を魔法警察に入れることはできない、と言いました。そして、自分の記憶が確かなら、続けて彼はこう言ったはずです『それよりも閣下、私としては一刻も早く……』」
そう言いながら仁はシーダー卿を見つめる。彼の顔色がさっと変わるのが分かった。
「それに対するシーダー卿の答えはこうでした。『もちろんその準備は行なっておこう』。では一体ゲーリング警部は何を要求し、あなたは何の準備をしようとしたのか?」
仁はゆっくりと視線を宙にさまよわせる。あの時の状況を思い出しているようだった。
「そう、あのときゲーリング警部はアリシアが召喚に失敗したと言い、彼女を責め立てていました。逆に言えば彼は、国王陛下の『導きの光』の効果自体は疑っていなかった。そして『導きの光』が示した方法は、異世界からの召喚だったはずです」
そこで仁は視線を戻し、シーダー卿を真正面から見据えた。
「つまりあなたがたには再度、異世界からの召喚を行なう準備があった。ならば、召喚のための魔道具『虹の扉』がもう一つあったと考えるのが当然でしょう?」
そこで仁は言葉を切った。
耳が痛くなるほどの沈黙が緊張感と共に室内を支配する。
やがてシーダー卿は、諦めたように机の中からそれを取りだした。
虹色に輝く卵ほどの大きさの球、魔道具「虹の扉」だった。
「まったく、君は恐るべき男だよ。だがそんな君でも勘違いしていることがある」
シーダー卿は苦笑を深めると、残酷な宣告を行なった。
「この『虹の扉』は召喚専用なのだ。そして送還をするための魔道具は存在しない」
「……まさか。冗談でしょう? ならなんでアリシアは俺達の世界に来ることができたんですか? 召喚専用ならそんなことはできないはずです」
仁は引きつった声でシーダー卿に反論する。
アリシアはそれを、胸を引き裂かれるような思いで見ていた。
先ほどまで帰れると考えていた元の世界に帰れない、その衝撃が声からありありと感じ取れた。
そして一方で心のどこかでほっとしていた自分がいることに気づいて、それにアリシアは激しく自己嫌悪した。
「本当だよ。世界間ゲートは魔力を限界まで貯めれば三時間ほど開くようにはできている。だが時間が来てゲートが閉じた場合、開く前にこの世界にいた人間はゲートのこちら側へ弾き返されるようになっているのだ。それが、この『虹の扉』が召喚専用と呼ばれる所以だ」
「……そんなこと、初めて聞きました」
アリシアは衝撃の連続の中、それだけを絞り出すように言った。自分が使った魔道具なのに、その効果すらきちんと知らされなかったことに、なぜだが騙されたような怒りを覚える。
「……嘘では、ないんですね?」
「なんだったら試してみるといい。元々君にはできるだけのことをするつもりだったんだ。この『虹の扉』を君に報奨として与えることも考えていた」
再びの沈黙。今度は身を切られるような痛みを伴う沈黙が部屋を覆う。
やがて、仁がゆっくり手を伸ばして「虹の扉」を手に取った。
「それでも、これを報奨としていただきます。最後に、別れを告げなければならない人がいるんです」
元の世界に未練がないと言えば嘘になる。
新しい本が読めなくなるのは辛いし、数少ない友人との繋がりも惜しい。
しかし、それに変わる物はこの世界でも新しく作っていけるものかもしれない、と仁は隣にいる少女を見ながら思った。
自分にとって唯一の心残りは、彼女に何も伝えることができなかったことだった。
一人ぼっちの自分を助けてくれた人、今まで育ててくれた人、ずっと、一緒にいてくれた人。
そんな特別な彼女に、せめて最後の別れを告げたい。それが、仁が「虹の扉」を掴んだ理由だった。
そんな彼に、シーダー卿は頭を下げる。
「本当に、すまなかった。君にできることは、これが精一杯だ」
「いえ、これでも十分です」
お互いに痛みと罪悪感を分け合うようなやりとりを、アリシアは無言で見つめることしかできなかった。
警察省を辞した後、二人は自分たちの家へと向かっていた。
「虹の扉」はアリシアが管理することになった。魔力を限界まで貯めるのに、アリシアでは半月ほどかかるとのことだったが、他に適任者もいなかったので、任せることになった。
馬車の中は無言だった。お互いに言いたいことはあったが、それは今言葉にしてもとても空虚に響くようで、何も言うことができなかった。
やがて、馬車が家の前に着き、二人は料金を払って馬車を下りる。
鍵を開けるのはアリシアの役目だ。それはこの家の鍵が魔力錠となっているためである。
アリシアに続き、仁が家の中に入る。再びアリシアが魔力を込め、鍵を掛ける。
自然と二人は玄関先で向かい合う形になった。
「これから、ここが俺の家になるんだな」
ぽつりと呟かれた言葉に、アリシアの胸がズキリと痛む。
ずっと帰れると思っていたのだろう。ずっと帰るつもりだったのだろう。
「ごめんなさい」
気付けば、自然と頭を下げていた。
この人を、自分は二度と戻れない所へ連れてきてしまったのだ。
「ごめんなさい、本当に、ごめんなさい……」
ぽろぽろと涙をこぼしながら、アリシアは仁に縋り付く。
そうして許しを請うことしか、今の自分にはできなかったからだ。
「……あのさ、そんな泣かないでくれよ、アリシア」
そんな声が上から降って来て頭を上げると、そこにはどこかすっきりしたような顔をした仁がいた。
「元々帰れるかどうか、五分五分だとは思っていたんだ。もしだめだったらここで一生過ごすんだろうなって思ってた。今はアリシアの魔法のおかげで生活にもそんなに不便はないし、今までは事件で忙しかったけれど、これからはこの街をもっと楽しめると思うし」
だから、とちょっと照れたように笑いながら、彼は手を差し出した。
「これからもよろしく、アリシア」
「……はい!」
涙をふいて、アリシアは無理やりに笑顔を作った。
彼が覚悟を決めたのなら、自分が暗い顔をし続けることは良くない、そう思ったからだった。
これからも、この人は「黒薔薇騎士団」と戦うことになるだろう。
だから、自分はこの人を支えて、共に彼らと戦っていくのだ。
アリシアは自分の中に、新しい思いが芽生えたのを感じた。
今までは、自分が誰かと共に「黒薔薇騎士団」を追うことなど想像もしていなかった。
でも今は、この人が隣にいる。この人を護り、支えながら、「黒薔薇騎士団」を追っていくのだ。
そんな思いを胸にしながら、アリシアは夕食のために自室に着替えに向かった。
「今日はどこに行きますか、捜査官!」
「任せる!」
「また、そればっかり!」
いつものやりとりに笑いながら。それがいつまでも続くことを願いながら。
これにて第一章終了ですが、もう少し続きます。詳細は活動報告で。




