#9 昔話
帰りの蒸気機関車の中。
「ああ、食った、食った」
食堂車から寝台車へ帰ると同時に、魔王は満足げに腹をさすった。
「やはり、この時代の食い物は美味い。私の時代ではとてもじゃないが考えられん」
そう言うと同時に、子どもの様に2段ベッドに飛び込む。
俺が寝るのにはまだ早い。しかし、持って来た本も読み終えてしまった。
何をして時間を潰そうか、と考えようとした時、いい事を思いついた。
「魔王様」
「ん、なんだ」
寝返りを打つ魔王。
「一昨日、俺の話をしたろう。帰りはお前の話を聞かせろよ」
葉巻を咥えて、火を点けた。きっと長い話になるだろうと思ったからだ。
「長すぎる話だ。何を聞きたいか言う事だな」
身体を起こし、壁に寄りかかる様にして座る。
「家族がいなくなった10歳の少女が魔王になるまで、かな」
少しの間、沈黙が空間を埋める。
魔王は、遠い過去を思い出そうとしているのか、虚ろな目のまま口を開いた。
「他の家族が全員死んだあと、私はなんとか確保した《《食料》》をやりくりして、食いつないでいた」
食料、という言葉に若干の躊躇いがあった。追及はしない。
「あの冬は特に寒かった。毎日の様に雪が降り、ルアンキは凍り付いていた。餓死はしないまでも、凍死するのは時間の問題だったのだ」
冷たい風が、部屋に吹き込む。
「その時、初めて魔術を使ったのさ。熱を求め続けた私の脳が、勝手に炎を生み出した。それでなんとか暖を取り、私は生き延びた。才能の開花というやつかな」
俺は窓を閉めた。室内から冷気が排される。
「やがて、たまたま通った男に拾われた。私は魔術の才能があったのでな。私を拾った男から話を聞いた、物好きな魔術師の家系が私を養子として迎えてくれた」
過去を懐かしむ様に、魔王の頬が若干、弛緩した。
「私はそこの当主の訓練の元、めきめき実力を伸ばしていった。子のいなかった当主は、私をよく可愛がってくれたよ」
きっと、幸せだったのだろう。魔王の話しぶりが、俺にそう伝えていた。
しかし、魔王の声は立ち止まってしまった。
思考するような体勢で硬直している。
「……どうした?」
「いや、これを話してよいものかとな。まぁ、今更か。話そう」
魔王から、反対に、俺へ向け問いが投げかけられた。
「お前、恋をした事はあるか」
突然の事だったので、戸惑いながら答える。
「した記憶は、無いな」
「私は一度だけした事がある」
ランプの暖色で、魔王の頬が照らされていた。
「18歳の時、燃える様な激しい恋をした」
ため息の様な声だった。
「人生で唯一の過ちだ。炎というものは、暖を取る分には良いが、近づきすぎると灼かれてしまうだろう」
再び、躊躇が挟まれた。
しかし、すぐに口が開かれる。
「私は、女を愛してしまった」
天井にかかったランプが揺れる。
自分の瞼が見開かれるのを感じた。
「ひと時の過ちではない。私は彼女を心の底から愛していたし、《《彼女》》も同じぐらい私を愛してくれていた」
声が、少し弱弱しい。
「だが女同士で愛し合う事は、教会が断じて禁ずる、大罪だ。そして、私たちの恋は、やがて露見してしまった」
俺は止めようと思った。これ以上続ければきっと、この少女は辛い思いをするに違いないからだ。
しかし、俺の思考を遮る様に魔王は続けた。
「本来なら悔い改めさえすれば、私たちは戒告を受けるのみで終わるはずだった。しかし、そうはならなかった。《《彼女》》が貴族の令嬢だったからだ。私たちは政争に巻き込まれ、やがて、私と《《彼女》》の死刑が決まった」
蒸気機関車特有の騒音が、今夜はやけに小さい気がした。
「《《彼女》》が先に執行された。私は打ちのめされた。私のせいで彼女が殺された、いや、私が彼女を殺したのだと」
心情が、俺の中に流れ込んでくる。
「私も、執行される事になった。首に縄をかけられた」
それまでずっと俯き気味だった顔を起こした。
「でも、生き残った」
どうして、とは聞けない。
「死ぬ気で逃げた。どうしてこんな目に遭っているのか、ずっと考えた。そして、結論が出た」
ニヤリと笑う魔王。
「この世界が、私を否定している。私の生まれ、性、存在そのものを、否定されている。こんなクソみたいな世界に、クソみたいな生まれ方をしたのが悪かったんだと、そう思った」
この世界を示す様に、両腕を広げた。
「私は変わらない。負けはしない。《《彼女》》のためにも、自分自身のためにも。なれば、変えるべきは世界だ」
車両が揺れ、影が踊る。
「お前、世界の変え方を、知っているか?」
俺は、冷や汗が頬を伝うのを感じた。ゆっくり頷く。
「世界の支配者になる事さ」
魔王はそう断言した。
俺は理解した。こういう狂気を身に宿した者だけが、真に英雄たりえるのだと。
「世界が私を否定するなら、私も世界を否定する。否定して、否定して、その先の無から私の世界を創ってみせる」
魔王は恐ろしい笑みを浮かべた。尖った犬歯が、口腔の奥の闇に強調される。
「奇しくも、私と同じ様な目に遭い、私と同じ様な事を願う連中がいた。それがドワーフであり、オークであり、魔族であり、オーガであり、ハーピーであり、我が帝国軍を構成した諸民族だ」
魔王軍。俺の中で咄嗟にそう変換された単語は、残酷であった。
「その外見や歴史から、ヒト、特にお前たちリア民族に差別されていた彼らは、私の理念に共感した。とりあえず全て壊す、というな」
それが、魔王の誕生。そう解釈した。
「私は彼らを利用した。決して救うために王になった訳では無い。私が私として生きるために、必要だったのだ」
”この時代に生まれれば、私の人生にも、他の在り方があったのだろうか。”
魔王の呟きが、重みを持って俺の脳内に響く。
「帝国の名は、私が死んだことで滅びた誰も知らぬ民族の名を冠し、そしてその王たる私は、その民族が崇めた忘れられし神の名を名乗った」
そこに込められた思いは、俺では計り知れない。
「クルガル帝国と、黒竜帝エンリル。我らの物語の始まりだ」
話は終わった。
沈黙が、空間を支配する。
「そう、か……」
俺は加えていた葉巻を口元から外し、火をもみ消した。
「お互い、色々大変だな」
「何を言う。私が大変なのはここからだ。もっと話してやろうか」
「いや、もうお腹いっぱいだ」
俺は少し笑った。
再び、沈黙が流れる。
今しか聞けない。そう思って、口を開いた。
「ずっと疑問に思ってた事が1つあるんだ」
魔王が不審そうな視線をこちらに向ける。
「お前、その首輪外せるだろ」
両目を瞬く魔王。
「よく分かったな。あくまで隠していたつもりだったが」
「今日、杖を切り刻んだ時に、魔術を使ったろう?俺は許可してねぇぞ」
「ああ……」
しくじった、という顔をされる。
「そもそも、禁止以外の命令が実効力を持たなくなるなんて聞いた事がない。シンプルに効きが悪いって話だろ?」
「ならば、どうする」
殺気。初めて会った時と同じ感覚が背を伝う。一瞬腕が震えた。
だが、もうそれに怯む俺じゃない。
「暴れるつもりなら、死ぬ気で止める。首輪を壊すまでに隙ぐらいあるだろう」
魔王の口角が上がった。
「やはり、良いな。お前」
「お褒め頂き光栄ですよ、魔王陛下」
静かな時が流れる。外で風が吹いている音が、よく聞こえた。
当然、魔王が口を開いた。
「夢があるんだ」
つらつらと語る。
「今までと違って、普通に生きてみたい。魔王でも、英雄でもない、普通に幸せな人生を送りたい」
切実な声だった。
「そして、《《彼女》》の分まで幸せになるのだ」
その目は、ごく普通の、夢見る少女の目だった。
「ジョフル・ヴィエール。お前は英雄になれ。私は”普通”の人間になる」
首輪を持ち上げる。
「《《これ》》は試練なのだ。私の、”普通”の人生へ向けた予行演習というな。だから、これを外す事はないと誓おう」
「信じろと?」
俺はそう笑って問うた。
「ああ、信じろ」
「神様だって信じるなって言うさ」
「あと、他人に言えば殺す」
「びっくりするぐらいすぐに矛盾するじゃねぇか」
俺はため息を吐きながら、魔王へ手を差し伸べた。
俺には、どうしてか彼女の気持ちがほんの少しだけ理解できた。俺も、自分を罪人として責め立てていたからだろうか。
「分かった。信じるよ」
魔王の顔に不敵な笑みが浮かんでいる。
「約束だ。お前は”普通”に生きるし、俺は英雄になる。そこまで含めての、約束をしよう」
俺と魔王は、握手を交わした。
「エンリル以外に、人間としての名があるんだろう。何と呼べばいい」
魔王は、答えようとして、すぐにやめた。
「エンリルで構わん。お前呼びはもう止めろ、ジョフル」
「分かったよ、エンリル」
手を握る力を、一層強くした。
温かい、普通の小さな女の子の手だった。
こうしてようやく、俺達の夢を叶える物語が、幕を開けたのだった。




