#35 副王ケイ7世
俺は揺れる船上から一歩を踏み出した。
潮風でスーツがはためく。
俺、マルタイユ、ベルシラック、そしてクリスタは、宰相オリバー・フロイデンを囲みながらタラップを進んだ。
背後には政府関係者とその護衛が付き従っている。
波止場に立つ、属州政府の使いらしき男が敬礼した。
「フロイデン宰相閣下。長旅ご苦労様です。馬車をご用意させて頂いておりますので、こちらへ」
案内されるがままに黒い馬車に乗ると、馬車は車体を小刻みに揺らしながら前進し始めた。
じきに馬車は港湾部から市街地へと移り、窓から見える光景も変わってきた。
レンガ造りの少し古い建物が目立ち、木造の建築物も少なくない。
全体として寂れた感じが醸されつつ、町全体が赤土の色に覆われている印象だった。
「この辺りはリア民族を中心にヒューマンしかいませんから、例の“クルガル民族戦線”とやらの影響は殆どありません」
案内役の男は口ひげを撫でながらそう説明した。
じきに目的の建物が見え始める。
副王宮だ。
属州の統治は属州総督府が行っているが、その権威の象徴として王家から“副王”が派遣されている。儀礼としてまずはそちらへ挨拶に向かわねばならない。
副王宮は純白色の石に包まれた巨大な建物で、くすんだ雰囲気の市街の中で威厳を放っていた。
「到着致しました」
馬車の扉を守衛に開けられ、天井に頭をぶつけないよう気を付けながら出る。
「副王陛下とは私が1人でお話する。君たちは面談室の外まで付いて来てくれたまえ」
フロイデンはそう言ってネクタイの位置を直すと同時に、少しだけ身体を震わせた。
◇
副王宮は見事なまでに豪華絢爛だった。
高級なのが一目で分かる石材がふんだんに使われ、いたるところで花が咲いている。
ステンドガラスで陽光を取り込む構造が、室内に明度をもたらしていた。
やがて1つの扉へと行きついた。金で装飾されたそれは、白い空間で異質な存在感を放っている。
「陛下は、こちらでお待ちになっております」
使いはそう一礼すると、扉の脇へと引き下がった。
「君たちはここで待機だ。いいね?」
フロイデン自ら扉に手をかけ、引いて開ける。
少しの緊張を頬に表しながら、中へと歩みを進めた。
扉が、俺たちを拒絶する重い音を立てて閉じる。
しかし、そう時間がかからない内に扉は開いた。
冷や汗を伝わせるフロイデンの顔が、扉の向こうから覗いている。
「陛下が、お話せんとご所望だ」
静かな声の中には、動揺らしきものがこもっていた。
「ヴィエール、中へ入れ。そしてもう1人……」
眉間に皺が寄っている。
「エンリル。姿を現せ。お前とも話されたいそうだ」
◇
「よくぞ参った。さぁ、もっと近う寄れ」
アルバロス王国副王、ケイ7世はピクリとも笑わずにそう言った。
一礼し、僅かに前進する。
俺の隣には、先ほどまで魔術で姿を隠していたエンリルが立っている。
「本国で、弟が迷惑をかけたらしいな。すまぬ。弟は昔から、思いつけばすぐに身体が動く質なのだ」
ケイ7世はアルバロス国王カリオス10世の異母兄に当たる。
顔はよく似ているものの、髪を長く伸ばしたカリオス10世と違って髪が逆立つように刈り上げられていて、その点対照的だ。
通常の王位継承権ではカリオス10世よりも上のはずだが、アルバロス王家の王位継承のしきたりは秘密にされており、どんな過程を経て現在に至ったのかは誰にも分からない。
「あやつは、王に向いた男ではないのだ……王よりも寧ろ、勇者に近い」
ため息交じりに呟く。
「御託はいい。早く本題を話せ」
エンリルは腕を組みながらふんぞり返っている。
こいつはなんなんだ。本当に。
「貴公が黒竜帝エンリルか。話は聞いている。まさか生きている内に会えるとは思わなかったぞ」
ケイ7世は冷たい視線をエンリルへと向けた。
「……何故、私の事を知っている。いや、私が来る事を知っている。本国からここまでは相当に遠い。知らせられる間など無かった筈だ」
エンリルは怪訝そうな顔をしてそう問い詰めた。
少し意外そうな顔をするケイ7世。
「おや、弟からは何も聞いていないのか。“王の耳”というやつだ」
「“王の耳”……?」
突如、背後から殺気を感じた。
フロイデンとケイ7世をかばう様に身体を広げ、防御結界を展開する。
俺の防御結界と“何か”が衝突する。
「防ぎますか。結構、結構」
眼前に、ナイフを持った男が立っていた。
ナイフの刃先が防御結界に食い込んでいる。人間離れした膂力が伝わってくる。
男は黒の長髪を後頭部でまとめ上げ、糸目の先で赤い瞳を持っていた。
燕尾服で包まれた身体は痩せ型で、どこからこんな力が湧いているのか見当がつかない。
「メルリス!止まれ!」
背後からケイ7世の声が響く。
メルリスと呼ばれた男は腕から力を抜き、ナイフを腰の鞘に納めた。
「メルリス……!?」
俺の隣で結界らしき“何か”を展開するエンリルの瞳が、驚愕したらしく大きく開いた。
「お前、メルリスか!」




