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合宿一日目~夜~

合宿一日目の練習が終わった。厳しい練習の疲れを癒すために、温泉に入って

いたタケシたちは、アマモト先輩から今後の合宿日程を聞かされる。

身体中のアチコチが痛い。まだ合宿一日目とはいえ、夏の炎天下での

練習は中々きつかった。日焼けしたようで、温泉に入っていると、

腕や首がピリピリとした痛みが走る。それでも、温泉からでようとは

思わなかった。脱衣所の掲示板には、この温泉の効能の一つが

疲労回復だと書かれていた。今は、その効能を信じ、日焼けの痛みに

耐えつつ、温泉に入り続けるしかなかった。今日は、すさまじく疲れた。

それは、ヒロノブやケイスケも同じようで、無口で弱音を吐かない

ケイスケも身体からは、疲労困憊のオーラを出しまくっていた。

ヒロノブにいたっては、あまりの疲れで温泉に入りながらうつらうつらと

して、自分の顔を湯に近づけては離し、離しては近づけを繰り返している。

ヒロノブ一人でこの温泉にいたら、今頃は溺れていたかもしれない。

合宿一日目、合宿にウキウキしていたボクたち一年坊主は、今は

こんな有様だった。


ボクたちの普段の練習では、一軍二軍に別れ、さらに一軍については

部長を始めとする実力者集団に分かれている。その集団とその他の一軍

との間にも壁があった。ただ、この合宿では壁がばなくなり、実力者集団

一軍二軍入り乱れて練習することになっていた。部員全員の実力向上、

というのは体のいい言葉で、実際は、今回の合宿に参加できなかった

実力者たちの穴埋めのために、合宿参加中の一軍二軍が狩り出される

というのが現実だった。勿論、二軍では、練習の最後まで付いてこれないし

付いてこようともしない。そのしわ寄せが一軍の新入部員、つまり

ボクたちのところに全部やってきた。それで、ただでさえキツい練習が

より一層キツくなった。練習中、何度も心が折れそうになった。

そのとき心の支えになったのは、練習中のアマモト先輩の発言、「この

旅館には、温泉の大浴場があるぞ。」この一言だった。「アマモト先輩も

このホテルのことを旅館って言うんだな。」ボクは、温泉に浸かりながら

そんなことを考えていた。そして、今日の練習を振り返り、今の自分と

実力者集団との差を感じていた。


「入りすぎてのぼせるなよ。一年坊主ども。」


大浴場に声が響く。言葉づかいは悪いが、威圧的な声じゃない。声の方を

振り向くと、身体を洗い終えたアマモト先輩が温泉に浸かるところだった。

その一連の動作といい、さっきの声の張りといい、今日の練習の疲れを

全く見せていなかった。アマモト先輩が、肩のあたりまで温泉に浸かる。

先輩の周りにさざ波が立ち、その波が湯にぎりぎりまで近づけていた

ヒロノブの顔を舐める。慌てて顔を上げ、咳き込むヒロノブ。鼻や口に

湯が入ったのだろうか。というか、その前に、コイツ、本当に温泉に

入りながら寝ていたのか。今、大浴場には、ボク、ヒロノブ、ケイスケを

含む一年坊主が数名いる。その中に、二年のアマモト先輩がいる。

ボクたちの部は、それほど上下関係に厳しくない部だ。だから、入浴時間も

学年ごとに分けられていないし、勿論、一軍二軍も関係ない。先輩が

やってきたからといって、温泉から上がり、大浴場を出る必要もない。

そうはいっても、やはり気を遣うのが一年坊主。もう出ようと、ボクは

腰を浮かした。


「明日も今日とおんなじ感じの練習ね。それで、明日がお前たち一年が

部長たちとマトモに練習できる最後の日だからな。」


アマモト先輩は、ボクたちの方を見ず、大浴場の窓ガラス越しに広がる

海をまっすぐ眺めながら、言った。ボクは、「最後」という言葉が気に

なった。合宿の日程は3泊4日で、今日はまだ合宿一日目。帰りの

4日目を含めば、あと3回は一緒に練習できるはず。もっと言えば、

合宿から帰った後も、部長たち実力集団と練習する機会があるかも

しれないのに。


「え、そうなんすか?」


もうすっかり大丈夫な様子で、ヒロノブがアマモト先輩に聞く。ヒロノブも

ボクと同じで「最後」という言葉が気になったらしい。


「3日目が自主練みたいなもん。4日目は練習休みで観光。合宿から帰った

後は、大会に向けて最後の追い込み。ってことで、部長たちは別内容の

練習ってことになってる。勿論、オレは部長たちと同じ練習内容ね。」


海をもっと近くで眺めたいのか、アマモト先輩は湯に浸かりつつ、窓に

近づきながら、ヒロノブの質問に答えた。


「マジですか。最後の日、観光っすか。」


温泉に浸かりながらの仮眠がよほど良かったのか、今やヒロノブは

いつもの陽気なお喋り野郎になっていた。今の言葉が疑問形だったくせに

ヒロノブは、アマモト先輩の返答を待たずに、近くのケイスケに

4日目の観光の話をし始めた。「じゃあさ、4日目のとき、どこ行くよ?」

ヒロノブの声が大浴場によく響く。そんなヒロノブを分かっていたのか、

アマモト先輩は静かに、正面の窓ガラス越しに広がる海を眺め続けていた。

愉快に喋っているヒロノブとそれに付き合わされているケイスケを

横目で見ながら、ボクはアマモト先輩の背中を見ていた。確かに、合宿が

終わってしばらくすると大会が始まる。部長たち3年生にとっては、

最後の大会だ。それに向けて、ボクたちと別内容の練習をするのは分かる。

でも、それだったら、合宿3日目、4日目も練習すべきじゃないのか。

その疑問を聞いてみたかったが、目の前にある先輩の背中からは、もう

これ以上は喋らないという拒絶の雰囲気が感じられた。こんなとき、

ヒロノブだったら、ずけずけと質問できるのに。肝心のヒロノブは、

相変わらず、ケイスケに4日目にどこに行こうかと一方的に喋り続けて

いる。ボクが聞くしかないのか。そう決意したとき、大浴場の出入り口の

方から、アマモト先輩を呼ぶ声が聞こえた。聞いたことあるような聞いた

ことないような声だ。声がした方向を見ると、2年の先輩たちがドカドカと

大浴場に入ってくるところだった。その中に、見覚えがほぼない顔がある

のは2軍の先輩もいるということか。先輩たちは、ボクたちのことを

気にせず、それぞれがお喋りをし始めた。アマモト先輩もそのお喋りの

中にいる。ここから先は、2年の入浴時間。そんな空気を感じたボクたち

一年坊主は、そそくさと出るしかなかった。足早に脱衣所にたどり着いた

ボクたちの後ろで、ヒロノブだけはマイペースで、身体をしっかり拭き

悠々と大浴場から出てきた。ボクは、ヒロノブのこういうところが

羨ましい。


温泉から上がり夕食時間までの30分ちょいの間、宿泊部屋待機中の

ヒロノブはボクたち相手に、ほとんど一方的に喋り続けていた。その内容は

4日目どこに行くかについて。初めは、皆ヒロノブの話を聞いていたが

今や、飽きずに話を聞き続けているのはケイスケだけだ。結局、ヒロノブの

話は夕食時間になっても終わらず、夕食会場に行くまでの道中も、一年

坊主集団の先頭を歩きつつ喋りっぱなしだった。夕食会場は、ホテルの

大広間であり、その中心に色々な種類の料理が置かれている。

この食事形式を食べ放題と呼ばず、ビュッフェと呼ぶのがおしゃれだと

いうのをついさっき、ボクの前を歩く同級生たちの会話を盗み聞きして

知った。、わりと早い時間からの夕食時間だったためか、

夕食会場の出入り口から会場全体を見渡しても、合宿に来ている

ボクたち以外の、一般のお客さんの姿は数組程度しかいなかった。

そのおかげで空席が多く、どこに座るか迷わなくてすみそうだ。


「遅い。」


後ろから聞き覚えのある声がした。振り返るとアオイがいた。

いつからいたんだ。驚くボクを尻目に会場に入る。ボクもつられて

入り、アオイの隣に並ぶ。アオイは一人で夕食会場に来たようだった。

いつもと違って肩まで伸びた髪を巻き上げ、むき出しになったうなじや

頬が少し赤い。アオイも風呂上りってことだろう。

ケイコ先輩も湯上り姿なのだろうか。

ボクの視線に気づいたのか、アオイがこちらを向く。


「何?」


「何?」と聞かれても、特に答えもない。とりあえずボクは、とっさに

思いついたことを言った。


「いや、他の女子たちがいないなーと思って。」


自分で言って気付いたが、アオイの周りに女子はいないし、夕食会場にも

知っている顔の女子は、ほとんどいなかった。


「みんな、副部長たちと一緒に別のところに食べに行ったのよ。」


「別のところ?」ボクがそう聞く前に、アオイはさっさと食器を取り

好きな料理を皿に載せ始めた。それを見て、ボクも好きな料理を取る。

アオイはこういうビュッフェに慣れているようで、綺麗に料理を

盛り付けていた。色んな料理がごちゃまぜになっているボクの皿とは

えらい違いだ。まあ、それはいいとして、どこで食べよう。

空いてる席を探そうと辺りを見渡すと、ヒロノブがコチラに向かって

手招きをしている。自分たちと一緒に食べようとってことだろう。

机を挟んでヒロノブの向かいには、ケイスケが座っている。他の同級生は

ヒロノブのお喋りに疲れたのか、別の席で食べていた。

ヒロノブの誘いの手招きを拒否しないのが、ヒロノブとの長い付き合いで

あることの証明。ボクが、ヒロノブたちの座席に向かい歩きはじめると

アオイもボクに並んでついてきた。

結局、ボク。ヒロノブ、アオイ、ケイスケの4人で夕食を食べた。

食事中、ヒロノブの喋り中、その合間合間に、辺りを見回すと

それぞれ別の席で、部長とアマモト先輩が、気の合う人たちと一緒に

夕食を楽しげに食べていた。その中に、ケイコ先輩の姿はなかった。

もし、自分一人の夕食だったら、この場にいないケイコ先輩のことを

考えてしまい、夕食どころではなかったかもしれない。

そう考えると、隣りで喋りまくっているヒロノブには感謝しなきゃな、

ボクは夕食を食べながら、そう思った。




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