第一四話 初遊び(バナール球、低重力下の水)
前話は、第一三話 初着用(鉱山炉、宇宙服)です。
桟橋のある南極ポールを滑り降りた二人は、無事に鉱山炉地上に到着した。
サルバは南港の人間用エアロックの横にあるインターホンのボタンを押し、インターホンに緑色のランプが点灯したことを確認すると、そこにフェイスガードのグラス部分を接触させた。
『エアロック管制さん、こちらメリ建十七号船、ブランクルツです。エアロック開扉願います、どうぞ』
『メリ建さん、こちら管制、ご用件を承ります、どうぞ』
『管制さん、こちらメリ建、十七号船長への届け物と、管制の皆さんへのご挨拶です、どうぞ』
『メリ建さん、こちら管制、了解、おあがりください、どうぞ』
『管制さん、こちらメリ建、ありがとうございます、お邪魔します、通信終わり』
ここは小惑星の地上とはいえ大気が無いので音は伝播しないため、接触通信で会話したのだ。
その会話はサルバの骨伝導マイクと短距離通信により、グーンも聞くことができた。
同じ接触通信の理屈でエアロック付近の壁に触ると、空気ポンプのコンコンという音が聞こえてきた。ハードスーツは手足で接触しても音を通すのだ。
そして一分ほどでエアロックは開き、中に入ることができた。
『や、お邪魔いたします、メリ建です、お世話様でございますー』
「いらっしゃいませ、先日はどーもサルバさん」
『いやいやこちらこそ、またお世話になります』
「皆さん第一会議室にいらっしゃいますよ」
『やー、ご丁寧にありがとうございます、あ、こちらウチの新人のグーンと申しますんで、可愛がってやってくださいませー』
『グーンです、よろしくおねがいします』
「あー新人さんね、わかりました、今後ともご贔屓に。そんじゃおあがりください」
『はいー、それじゃ失礼します』
その妙に腰の低いサルバの姿を見て、こんな対応できたんだ、いつもと全然違うじゃないかと、グーンはちょっとびっくりしていた。
通路の途中でグーンはそのことをサルバに伝えると、こんな言葉が返ってきた。
『当たり前だろ、相手によって態度変えるなんざ、社会人として初歩の初歩だよ』
「いや、意外で」
『お前失礼だね』
無重力の通路を奥に流れていくと、第一会議室はすぐに見つかった。
ドアをノックして名乗ると、すぐに中から入室許可の声がかかった。
『お疲れさまっす、船長、弁当持ってきたっすよ』
「おうサルバ、グーンもご苦労」
ドアを開けると、十五号から二十号までの一班(朝勤)が全員いた。
グーンはサルバに促され、船長にレトルト弁当を渡した。
その姿に反応したのは、確か十五号の乗組員とグーンは記憶していた。十五号は全員現場監督資格保持者で、ハードスーツに遊泳帽の定年間際に見える老婆。明らかに目上の者だった。
「お、十七号の新人かい、お使いのお供するなんて感心だね」
「アザッス」
『マミー・ポコ、俺が気を利かせて連れてきたんすよ、俺に感心してくださいよぅ』
「サル坊の気遣いねぇ、てこたぁ他に思惑があるね?」
『へへ、マミーにゃお見通しかぁ。船長、鉱山炉で遊んでくるっす、〇〇四五にゃ戻ってきますんで、許可願います』
その言葉に、まわりがザワついた。特に若い男性の食いつきが大きい。
「え、早速かよ」
「到着したばっかなのにもう行くのか、いいなぁ」
「あ、俺も仕事終わったら行こうっと」
「好っきだねぇ、あんなトコに行きたがるなんて、ホントガキだね」
「男はみんなああいうの好きなんだよ」
「アタシも行く。船長許可を」
そして船長が言った。
「うわ俺も行きてぇっ。仕事とっとと終わらせてみんなで遊ぼうぜ!」
「で船長許可は?」
「わかったよロリエ、行ってこいよ、いいなぁ、もう!」
船長の許可をもらった三人は、他船の連中に挨拶してその場を去り、第一会議室からエアロック管制の道を引き返して、再び管制員に挨拶をした。
『やー管制さん、許可もらえましたんで、入場許可をお願いします』
「おっサルバさん、それじゃ今回は三名様ですかね?お会計は別?」
『はいー、別でお願いします。こちらクレジットカードです』
「はい、五ダラー確かに頂戴いたしました。崩れやすいんでお気をつけくださいねー」
『お借りしますー』
グーンとロリエもポーチからクレジットカードを出して、それぞれ支払った。
鉱山炉は、落石の危険もあるので原則として関係者以外立ち入り禁止だ。しかしメリケン社員からの是非にという声に応えて、内部でのことに一切責任を負わないという約束で、五ダラーという格安での立ち入りを黙認していた。これはエアロック管制官のナイショの小遣い稼ぎなのだ。
だからこそお互いに愛想の良い応対をしていたという裏事情があったが、これをグーンは知らない。
管制員の見送りに挨拶を返しながら、三人は南極ゲートをそのまま直進して、内部隔壁の目の前まで来た。
『ロリっち、ほいカッパとガムテープ』
「サンキュ」
『グーンはハードスーツだから要らねぇもんな。さて入るぞ』
中に入るのに何故かエアロックを通ることに、グーンはいぶかしんだ。
エアロックで減圧どころか与圧されている様子を感じ、さらに少し混乱した。バイザーガラスがミシミシと音を立てていた。
『こ、これ何スか?なんで加圧してんスか?』
『中の気圧が高いからに決まってんだろ』
グーンの横にはエアロックで手早く準備をした、カッパ男とカッパ少女がいた。
そしてエアロックを出て、南ベイから見た光景はグーンを驚かせるに値するものだった。
『うわぁー!すげぇー!』
内部作業用の照明に照らされた、直径五〇〇メートルのバナール球。それだけでも本来は見事な景観だ。
加えて今は、キラキラと輝く直径六〇メートルほどの彗星が、もやにけぶる中空に幻想的に浮かんでいた。
キラキラと輝いているのは、北極と南極のポールに付いていた集光ミラーからの太陽光を投げかけているからなのだろう、その彗星はシャフトに貫かれ、あぶり焼きになっていた。
周りにまき散らされた氷片と赤熱した砂粒はやはり光を受けてキラキラと輝き、彗星の自転による遠心力によってゆっくりと離れるうちに水滴と砂粒となって、地上に降り積もっていた。
バナール球の内側には、赤道付近にぐるりと小高い山ができていて、その両側には水が大量に溜まっていた。
さらに手前の山側を見ると冷却パイプが張り巡らされていて、空気中の水蒸気を液化した蒸留水があちこちで小川を作り、下の湖に流れていた。
『見た通りの水蒸気で、気圧が高ぇんだよ、ここ』
『なるほどッス』
『ソフトスーツにゃちと厳しい環境だかんな、減圧症対策で純粋酸素も持ってきたんだぜ』
サルバが先ほどのグーンの疑問に答えた。
『そんかわりソフトのほうが楽しめるじゃんかよ。あーあ、アタシもドールじゃなくて生身で来たい』
『今作ってる港湾ビル出来たら、個人的に連れてきてやるよ』
『何年かかんだよ、それ』
ロリエも口を挟みつつ、三人は手荷物をその場に置くと声を掛け合った。
『さ、急いで遊ぶぞ、あんま時間ねぇんだし』
『了解ッス』
三人は、下に見える山の斜面まで一気にジャンプした。
地表に近くなるにつれて強くなる風に押し流されて、体が小惑星の自転と同期していき、遠心力でより地表に吸い寄せられていった。斜面に着地した衝撃だけで再び体が浮いて、より低い所に向けて風に押し流されていき、それにつれて遠心重力が強まった。
しかしその重力は、せいぜい小重力程度。微小重力よりは強い程度のものだった。
跳躍の勢いを殺していくと、そこは湖のほとりだった。そして先輩二人は一気に湖面まで猛ダッシュ、そのまま湖面を突っ走って、もやにけぶる赤道の丘との中間ほどの湖面に到着していた。
あれ?水って沈むはずだよね?
グーンはそう思って足をゆっくり水につけると、確かに沈む。
『スピード乗せれば走れるよ、早く来な』
『了解ッス』
ロリエの声にグーンは助走をつけて湖面を走った。右足が沈む前に左足を前に。低重力と水の表面張力のおかげで可能となる、忍者の水走りだ。
たどり着いた湖面は、上空の彗星から零れ落ちる色々が降ってくる場所だった。先に到着していた二人は、水の中に潜ってしまえば平気とばかりに、あまり気にしていないようだ。
しかしそれよりも、グーンは無性に走りたくなった。
こんなに広い走れる空間を、グーンは生まれてこの方見たことがなかった。居住ブロックの学校の校庭はせいぜいテニスコート二面分程度しかなかったし、訓練校にはかなり広い校庭があるにはあったが、重機や地上車の練習のため生身の立ち入りは制限されていた。そもそも微小重力環境では足の踏ん張りが効かず、好きなだけ走れる訳ではなかった。遠心重力環境下なら、自転方向に走ればひょっとしたら。
『ちょっと走ってくるッスー!』
『おう、ここらで遊んでるからなー』
先ほど水の上を走ってきたグーンは、そのまま水に入らずにグルグルと旋回していた足を、赤道の丘方面に向けた。湖の中ほどのここから見ても、飽和した水蒸気のもやでハッキリした様子が伺えなかった。
グーンがたどり着いた赤道の丘は、少々フカフカな感触の砂が積もった場所ではあるが、しかし奥はしっかりとした地面であったようで、それほど足が沈み込むわけではなかった。
グーンは山を自転方向に向けて走り出した。後方ではサルバ先輩とロリエ先輩の二人のカッパが、土砂降りの湖の中心あたりで水に潜っているはずだ。
グーンはスピードを上げた。この鉱山炉の遠心重力はグーンにとって物足りなかったのだ。最初こそぴょんぴょんと跳躍するように加速していたグーンは、いつしか普通の走り方で走れるほどの遠心重力を得ていた。その走り方は極端なストライド走法で、歩幅は四十メートルほどもあったほどだった。
とはいえいくら重力が弱くてもハードスーツの質量はそれなりにあるので、膝への負担が心配になったグーンは、徐々に湖のほうに方向をそらし、湖面を走り、二人の先輩が遊んでいる付近で水に飛び込んだ。
『キャッホー!……あ、あれ』
表面張力でグーンは水面を切って進み、やがて失速して沈んだ。先輩たちは後方五十メートルほどだ。
水深は約三メートル。決して深くはないが、しかしグーンはちょっと焦っていた。今までの人生で水に潜ったことなどなく、水に浮かないハードスーツ着用で、エア残量は残り二〇分。泳ぐという概念を知らないグーンは、急いで湖底を歩いて水から上がった。
とはいえ焦ったのも一瞬。久しぶりに思い切り走れた喜びが勝っていた。
『ぷわー、ビビったー、でも楽しかったッス』
『おう、こっちも楽しかったぜ』
南側の岸にあがったグーンに、水から上がった二人の先輩も歩み寄っていた。
『いや泳ぎって独特で面白ぇな、推進剤の代わりに周りの水を使うなんてな』
『だろ?あー生身で泳ぎたい』
『今回の仕事完了までに機会はあんだろ。それよりロリっち、電池残量平気か?』
『あー、四〇パーセントをきったあたりだな、仕事ぶんの充電しときてぇな』
『これから仕事だったっけな、誘って悪かったな』
『らしくねぇよ、気にすんな』
サルバとロリエの会話がちょっとひと段落したタイミングで、グーンはロリエに聞いていた。
『そういやロリエ先輩、このあと仕事なんスよね、昼メシどうします?』
『アタシ自身は船にいるけど』
『あそっか』
三人はそんな話をしながら、そのまま元来た南極ゲートのほうに向かって進んでいった。山は登れば登るほど重力が小さくなり、坂は急だが跳躍しやすくなっていった。
『サルバ先輩、また連れてきて下さい、エリスにも体験させてやりたいッス』
そしてゲートを登り切り、エアロックに入って外の気圧と同じになると、カッパを脱いだサルバ先輩は腕や足をさすっていた。軽いベンズで毛細血管がかゆいのかもしれない。ロリエ先輩は元々ドールだから平気だろう。
エアロック管制室に戻ったとき、時刻は〇〇二一だった。意外と早く上がってきたようだった。
「お帰りなさいサルバさん、楽しめましたか」
『いや、相変わらず最高でしたねー。もっと長い間楽しみたいですけど、ベンズが恐いので早めにあがりました』
「まぁ、こればっかりはね。中はそもそも人間が遊ぶ所じゃないんで、気圧も高めですから」
グーンはちょっと気になって、管制員に質問してみた。
「中ってどのくらいの気圧だったんスか?」
「えー現在……千二百ヘクトパスカルですね」
「うわ、普段の倍近くですか」
「ねー、よくあんな中で遊ぼうなんて発想が湧くなと思うんですけど、メリ建さんたちには案外好評でね」
「や実際楽しかったッス。港湾ビル出来た後は、水遊びパークみたいなの作って観光地化するのも面白そうッスけどね」
「いやいや、観光地は無理でしょう、危険だし、こんな場末の鉱山炉が、ねぇ」
管制官すらも知らない事実だったが、千二百ヘクトパスカルという数値は、地球の一気圧にあたる約千ヘクトパスカルよりもちょっと高い程度だった。
普段暮らしている街や船内やここ管制室も、おおむね六〇〇ヘクトパスカルほどの気圧であったので、知らなくても無理はない。宇宙空間が身近なメインベルトは、低い気圧で生活したほうが何かと都合が良いのだった。
この低気圧はメインベルトで生まれ育った者にとって常識であるため、鉱山炉の中が地球上と大差ない気圧であるとは、思いもしなかったのである。
そして管制官が知らない事実はまだあった。メインベルトにはこういった大型娯楽施設が極端に少ないので、潜在的な需要があるということをだ。
もしこの時、この鉱山炉が水遊びパークのアイディアを本気で考慮して、安全対策や周辺施設や環境整備に乗り出していれば、港湾ビルの新規オープンと相まって、真っ当な鉱山炉経営以上にウハウハに儲かったことだろう。何しろ入場料として見込めるひとり当たりの料金は、水一トンを出荷するよりはるかに高額だろうから。
しかしそんなバラ色の未来は来なかったことは、ここで盛大にネタバレしておこう。
次話は、第一五話 初見学(ドール、鳶仕事)です。