第62話 幼女、男を握る
「ぐっ……ァア」
バルの顔が苦痛に歪んでいた。
それはベラがバルの奴隷印に刻まれた拘束呪文を唱えたためであった。
「はぁ……耐えるのかい」
呆れた顔で見ているベラの前で、バルはボルドのようにのたうち回って叫んだりはしなかった。発狂するような痛みにも耐え、バルはその場に仁王立ちしたままベラを睨みつけていたのである。
「にしてもだ。気に入らない目ぇしてるね。アンタァ、誰の犬だい?」
「主様の……犬だ」
そう口にはするがバルの視線は揺るがない。烈火の如き怒りを双眸に宿してベラを睨みつけている。
そして、その横ではパラが驚きの顔でバルを見ていた。
この奴隷の拘束呪文というものは、場合によっては廃人にだってなりえるほどの苦痛を奴隷に与える効力を持っている。
デイドンが戯れと称して何十人という奴隷を悶え狂わせて殺しているのを何度となく見ていたパラはそのことをよく知っていた。しかしバルは苦痛に耐え、その場に立っている。それだけで、バルの精神の強さというものをパラは感じざるを得なかった。もっともベラはそんなことに特に感心したりもせず、再び拘束呪文を唱える。
「『バスク』ッ!」
「ガッ、ハァアッ!?」
さすがのバルも続け様の拘束呪文には耐えきれずに膝をついてその場に倒れた。そして精神よりも身体の方が先に参ったのか、アンモニア臭のする水がバルの下半身を濡らし始めていた。
「グゥウウウウウ」
しかし、バルは汚水を垂らしながらまさしく犬のように吠えて痛みを堪え続けていた。
「強情だね。何に義理立てしてるのかは知らないが、奪われたなら奪い返しちまえばいいんじゃないかい。それをまったく知らぬ存ぜぬで通してるアンタを見てると反吐が出そうだったんでね。ちょいと調べさせてもらったのさ」
「何を好き勝手な……」
バルの言葉を聞いてベラは笑いながらソファーから降り、そしてバルの手前で座り込んだ。
「あんだって?」
そのままベラは右手でバルのガーメの喉袋を掴みあげた。
「グッ!?」
下腹部の痛みにうめくバルを前にベラがヒャッヒャと笑う。
「ハッ、大のオトナがこんなに漏らしてりゃあ世話ないね。臭いんだよ、あんたの小便は」
濡れている股ぐらを構わず握り続けながら、ベラはバルに対して鋭い瞳をぶつけた。対してバルは視線を僅かにそらして呟いた。
「俺は負けた。あれは強者のもの……だ。より強き者が受け継ぐものなのだ」
そのバルの言葉に、様子を見守っていたコーザが首を傾げて口を開いた。
「受け継ぐ? いや、それは無理でしょうね。もう『ムサシ』はありませんから」
その言葉にバルの顔が固まる。そして、視線をコーザに向けて、ゆっくりと尋ねた。
「どういう……ことだ?」
バルの問いにコーザは書類を取り出して答える。
「そのですね。『ムサシ』はギミック腕とギミックウェポン以外はすでに売り払われています」
「あれを売ったというのか?」
信じられないという顔でバルが疑問の声をあげる。ベラとパラもコーザを見て、その問いの答えを求めた。
「はい。調べによればジアード西方戦役の際に、機体は買った乗り手と共に破壊されています。囲まれて串刺しだったそうですね。竜心石もその際に破壊されています」
「西方戦役……だと?」
それは二年ほど前に起きたルーイン王国とラーサ族の一派との戦争であった。バルも各地を転々としながらもその戦の話を耳にしたことはあったが、戦があったのはたかだか一ヶ月程度であったし、駆けつけることも駆けつける理由も当時のバルにはなかった。そのときにかつての愛機は破壊されていたとバルは今初めて知ったのだ。
「ええ。すでに鉄機兵の残骸となってどこぞに売られているはずです。機体の回収ももう不可能でしょう」
「へぇ、そりゃあ勿体ないことだね」
ベラの言葉にコーザも「まったくです」と頷く。バルの言葉が正しければ百年生きた鉄機兵である。その性能も相当に高いはずであった。
「それとですが、その件をきっかけとしてラーサ族の間ではマスカー一族は裏切り者として粛正されたとも報告されています。生き残った者も奴隷の身に落とされたそうですね」
愕然とするバルを前にコーザは淡々と事実を告げていく。バルの顔はすでに青くなっていた。自分が逃げている間に何もかもが終わっていたことを、彼はここで初めて知ったのだ。
「おんやぁ、縮んだね」
ベラはそう言ってバルのガーメの喉袋から手を離す。そしてパラに握っていた手を差し出し、指輪を外させてその手を拭かせた。
「はは、アンタが逃げてる間にいろいろと厄介なことになっているようじゃあないかバル。気分はどうだい?」
「…………」
そのベラの言葉もバルには届かない。茫然自失とはこのことだが、ベラは気にせずパラが手を拭き終わると席に戻った。
「すまないね。部屋を汚した」
「いえ、アハハハハ」
コーザはベラの言葉を苦笑いで誤魔化して返した。その会話の間にも、まだ湿り気があるのかベラが右手をソファーにグリグリと擦り付けていたのである。それを見ているコーザは口を開きかけ、そして自制心を全開にして押し留まった。
「そんで、話を続けて欲しいんだけどね」
そんなコーザの心の機微にも気付かず、ベラはコーザに話の続きを促す。
「は、はい。そうですね。そちらのバル・マスカーがマスカー一族の鉄機兵を継承してから一年後ですか。彼は同じラーサ族の男との決闘に敗れたそうです。その際に一族の家宝である鉄機兵を奪われ、その後に本人は姿を消したのだと報告にはあります」
ベラはその言葉に「なるほど」と頷きながらバルを見る。話の筋からすればバルは一族から逃げた臆病者ということになろう。
(まあ、それだけじゃあないんだろうけどね)
臆病者の認識は目の前のバルにはそぐわないとベラは考える。そして、ベラはコーザに視線を戻して口を開いた。
「その後は剣闘士として各地の闘技場を転々としながら鉄機兵をくれる相手を探してたってわけかい」
「そういうことのようですね」
コーザが頷く。
「本命はその鉄機兵だったんだけどね。ないなら仕方ない。鉄機兵のギミック腕とギミックウェポンはまだルーインの国内にあるのかい?」
「ええ、あります。西方の国との境、バルを倒したラーサ一族の男が治めている地域にあると聞いています。そこはほとんど自治地区のようなものでして、その男が今も王のように振る舞って治めています。そう言う事情もありまして、そこで暴れてもルーイン国内で手配書が回るようなことはありませんが、あの場所は厄介ですよ」
「どう厄介なんだい?」
ベラの問いにコーザが、一度バルを見てから口を開く。
「統治している男の名はジェド・ラハールと言います。あの地域、ほとんど国といっても良いのですが……ラハール領ではヤツの言葉が絶対的な規律となっています。一応はルーイン王国内となっているのですが、西方の王国ムハルドとも繋がっていて、ルーイン王国としても迂闊に手を出せる場所ではありません」
コーザの説明にベラの目が細まる。
「で、そこにベンマーク商会の交流はないのかい?」
その問いにはコーザは肩をすくめて笑って返した。
「以前はありましたが、うちの兄がヘマをやらかしましてね。一昨年に荷物をすべて奪われて、兄の首が代わりに届けられました。それ以降は音沙汰もなく」
「そいつはご愁傷様だったね」
ベラがあららという顔をしている。
「機を見損なった結果です。人の良い人でしたがね。商売には向いてなかった」
そう口にするコーザからは特に感情の揺らぎはないようだった。
「ともあれ、ベラ様のお望みの『ムサシ』のギミックウェポン『抜刀加速鞘』とギミック腕『怪力乱神』はそのジェドという男が所有しているそうです」
「であれば……そいつから奪い取っちまえばいいってわけかい」
そのベラの言葉を聞いて呆然としていたバルの瞳に僅かばかり光が宿ったがその場にいる者たちには気付けなかった。その変化に気付いたのは、その場にいたただひとり、ベラだけであった。
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ベラたちがベンマーク商会の館で話をしている一方で、街の外れのドラゴンゾンビと鉄機兵用輸送車の置かれた停留場ではベンマーク商会からの物資が次々と届けられていた。
「おーし、ここに置いてくれや」
ボルドの指示に従って、ベンマーク商会の精霊機が荷物をその場に置いていく。
「武器があるな。あれは……カタナか?」
新入りの奴隷であるデュナンが置かれている物資の中に鉄機兵用の装備があることに気付いて呟いた。それはカタナと呼ばれるラーサ族などが主に使用する武器でムサシの持っている得物と同系統のものある。
「ああ、バルの『ムサシ』用だな。やつの今の武器は形こそカタナだが完全なナマクラでな。その代わりを頼んでおいたそうだ。それまでのはあいつの腕頼りにどうにか使えてたってもんだったんだよ」
デュナンの呟きにボルドが反応し答える。
彼らの目の前にあるのは黒光りする刀身を携えた鉄機兵用のカタナであった。それは黒鬼鋼と呼ばれる、重量があって硬度の高い材質で造られたもので、比べてしまえば今の『ムサシ』のカタナなど細長いだけの鉄屑も同然と言ってしまえるくらいの差があるようだった。
「相当な業物のようだな」
デュナンは、そのカタナを見て唸っていた。鈍く光る刀身の輝きはまるで早く何かを斬りたがっているような、そんな錯覚をデュナンに感じさせていた。
そして、そのカタナの銘は『オニキリ』という。それは、マスカー一族の家宝であった鉄機兵『ムサシ』の愛刀であり、己が主の元へとようやく帰還を果たした妖刀であった。
次回更新は8月4日(月)0:00予定。
次回予告:『第63話 幼女、目的地を告げる(仮)』
闘いの聖水って便利な言葉ですね。別に闘ってはいませんけど。
まあ、それはそれとしてベラちゃんたちも次のお使いが決まったみたいです。
初めての場所への旅行にベラちゃんもドキドキワクワクしていることでしょうね。




