嘘を吐く
――付き合っては、いない。
私のことをどう思っているのかもいまだにわからない。
そんな曖昧な関係が三ヶ月も続いてるんだから自分でもたいした根性だな、と苦笑交じりにため息を吐き捨てた。
周りが囃し立てることもあったが、今では一緒に帰ることが至極当然の行為だと認識されているようで、あまり言われなくなった。
それでも、こうやって悪意のないひやかしが皆無になったわけではない。
特に、辻間くんの近しい友人や、私の友人たちから。
今日も昼休みに「高橋はさ、結局どうなりたいわけ?」と友人のマキから聞かれたばかりだった。彼女は、私たちのこの曖昧な関係に「白黒はっきりつけろよ!」と毎日眉間にしわを寄せている。
どうなりたいかという願望は明確だというのに、そんなことわかりきっているくせに。
なんでそんな残酷なことを聞くのだろう。
泣き出しそうな表情の私をいつも辛そうに見返すマキ。
彼女は彼女なりの優しさを掲げていてそれは紛れもなく私へのやさしさと心配から成り立っている。そのことは充分わかってはいるけれど、納得は出来ない。私の心が狭いせいなのかはわからないけれど、彼女のその心配は私にとって優しさではない。
できることならほって置いて欲しかった。この、生ぬるい水に浸かって、現実から目を逸らすことの何がいけないの?
みんなしっかり現実と向き合っているの?
私はたまたま現実と逃げ道とに、明確な境界線が張ってあるから、他人にも目が付きやすく、注意しなくちゃ!って気にさせているだけなんじゃないの?
そんな黒くて、言わなければ良かった、と後で絶対後悔するような酷い台詞が頭の中で絶えず回っているけれど、寸前の所でいつもそれらの台詞を飲み込む。
「どうって……。うまくいけばいいなって思ってるよ」
うそではない。
それでも、自分の気持ちを全てさらけ出せるほど出来た人間でもなければきれいな人間でもない。
それが時々得体も知れない苦痛に変わる。
「それは私だって願ってるよ! そうじゃなくて!」
「マキはどうなの?」
笑って受け流し、話題を変えればそれはもう踏み込んでこないでという暗黙の合図。
マキも理解しているのか、しぶしぶといった表情で話題は転がっていった。
◇ ◇ ◇
「高橋さん?」
ぼんやりとあれこれ回想に浸ってしまい、彼らの質問を無視してしまっていた。
「あ、ごめんなさい。ぼんやりしちゃって」
「それはいいけど。大丈夫? 顔色悪いよ?」
名前も良く知らない男の子の優しそうな声を聞いても胸はときめかない。
これがあの心地良いテノールであったら――
あまりにも馬鹿げた考えにお花畑が脳内で咲きまくっているんだな、と皮肉ってから独りごちた。
「だ、大丈夫です! ありがとう」
考えれば考えるほど落ち込んでいきそうな気持ちを何とか持ちこたえ、笑顔で返すと目の前に立つ彼らは一様ににやついた表情を浮かべた。
「ど、どうしたの?」
目の前の男の子は口を開いたが答えが返ってくることはなかった。
代わりに背後からあの心地良いテノールが響いた。
「高橋、お待たせ」
それは待ち望んだテノール。
振り返るとやっぱり辻間くんが立っていた。
いつものように気だるそうに。
「い、一緒に帰れる?」
「べつにいいけど」
ため息はこの人の前では無意識に飲み込んでしまう。
どうしてだと思う?
きっと貴方はわからない。
――そもそも気づきもしないだろう。
「たろちゃんたら、つめたーい」
外野のヤジがうるさいが、辻間くんは照れることも怒鳴ることもなくただ「うるさい」とこぼすだけだった。
それからすぐに辻間くんはこちらを一瞥した。それはまるで「帰るよ」という合図のようだ、と思っていると辻間くんは躊躇いなく歩き始めたので、慌てて後ろをついて歩いた。
まわりの男の子たちが「じゃーなー」と別れの挨拶を述べるだけで、それ以上のひやかしが飛ばされることはなかった。
夕暮れ時に歩く彼の後姿はとても幻想的で、その後ろ姿だけでもこの胸はきゅんと反応をみせる。
それはとても愚かだ、と思う反面そんな自分も嫌いではない、なんてもう救いようのないことを考えていた。
自分で自分を慰めてあげないともう誰も支えてはくれない。
「高橋」
甘さの欠片もない声音が突然聞こえた。
彼のきれいな瞳と目があった。
「な、なに?」
「あいつらに何か言われた?」
あいつらって?
何かって何を?
聞かれたことの本意もわからないまま、反射的に首を左右に振った。
「そう」
「よ、呼び出されたって聞いたけど……」
「ああ、たいしたことじゃないよ」
そう言うと沈黙が流れた。
それは、もう聞いてくるな、という意味だろうか。
話題を変えるべきかどうか、俯きながら考えていると前を歩いていたはずの辻間くんがいつの間にか隣に並び「どこか行きたいところ、ある?」と、心地よいテノールで聞こえてきた。
「つ、辻間くんは?」
声が上ずってしまった。
ドキドキと頬を赤く染めて尋ねると、辻間くんは、ふっと柔らかい笑みを浮かべて「顔、真っ赤」と囁いた。
――ああ。
もう、死んでもいい。
いや、いっそこの場で殺してくれ。
愚かだ、と指をさされようとも。
この関係に口出す者、全てが敵だ、と考えてしまうほどに私は愚かで、盲目的になっている。
――私は愚かだ。
それでいいじゃない。
「駅前のカフェはどう?」
そこは、いつか私が会話の流れで行ってみたいと話したお店だった。今流行りのパンケーキが美味しいんだって、と。
そんなうれしいことがあると思う?
私は真っ赤だった頬がいつの間にか顔全体を染め上げたころようやく「行きたい」と声に出すことができた。
辻間くんはただ隣を歩き、心なしか少し頷いてくれたように感じた。
彼の優しさに触れるたび、ときめく心と悲しい心がいったりきたりする。
せわしないな、と自嘲したところで辻間くんは「あのさ」と言ってこちらを覗き込むようにみつめてきた。
「な、に?」
視界いっぱいに映る辻間くんのきれいな顔。
言葉がすんなりでてこない。
「今度の休み、どこか行かない?」
何かがはじめればいいな、と思うには充分威力のある言葉だった。
「うん!」
私たちの関係に希望的観測を思い描く。