23 穏やかな日常
義母が去った後、元ベルナール邸居住者は顔を見合わせた。
元執事は難しい顔のまま、
「決して警備員から離れませんように」
と言った。
義母は前から瞬間湯沸かし器だが、祖父たちのように頭が回る方ではなかった。だからノアがあんなに残念なのだろうか。
話を戻そう。祖父たちは大企業を興し、外国に行方をくらませたジャッドを探し出し、犯罪ギリギリで強引に連れ帰る伝手や人脈を持っていた。
彼らを正面から敵にすると、ノアが留学したやや発展が遅い国の怖い漁師と交渉して、夜の海で魚の餌にされるかもしれない。
一概には言えないが、戦争帰りで人を殺すことに抵抗がない漁師が多くいる地域らしい。
だからこそ、今までジャッドは力に訴えることをしなかった。
もしジャッドが暴力を振るったという記録が、どんな背景があろうと残ってしまえば、報復は何倍もの暴力になる可能性があった。
しかし今はノアの祖父は亡くなっているし、義母には残念ながら人望がなく、そういった黒い繋がり、要するに義母が警察に捕まったとしても、自分からその情報を聞いたと言わないだろうと信頼しているからこそ闇仕事ををしてくれる伝手や人脈もなかった。
だからあんな風に道を踏み外したような目をするとは予想外だった。
「本当に、息子のことは愛しているってことかしらね」
「とは言え猫可愛がりするだけでは、息子さんのためにはならなかったようですがね」
元執事は大分溜め込んでいたらしい。
兎にも角にも気を付ける以外に出来ることはないので、ジャッドは新興企業ならではの忙しさの中で義母のことをすっかり頭から追い出していた。
◇◇◇
「ママー!たかーい!」
「ほーら、もっと高ーい!」
「きゃー!」
その日の夕方。
私は仕事帰りに保育所を訪れた。
ルイーズがレオを抱えて、その小さな両足を自分の肩に乗せ、肩車に近い高さまで持ち上げていた。
きゃっきゃと笑う声が可愛い。
うん世界が平和になる。
会社に保育施設があることで、女性社員だけでなく、男性社員たちも子供のお迎えをしている。
ついさっきも抱っこ紐に赤ちゃんを入れた警備員社員とすれ違った。
男性社員たちは、お迎えが出来ない言い訳がなくなったことで不満を持っているかと思いきや、今まで残業ばかりで寝顔でしか会えなかった我が子を抱いて帰れることが嬉しい勢が多いようだ。
「会社の廊下でほっぺにチューするタイプの人だったのね……」
ジャッドが三人くらい収まりそうな男性社員が赤ちゃんに目尻を目一杯下げながらチューしている光景に、もっと部下とフレンドリーに接するべきかもしれないと思った。
名前を言ったら頭が悪くなりそうなあの人との地獄の結婚から逃げるために学生時代に全然交友をして来なかったので、フレンドリーという概念が微妙に理解出来ないジャッドは腕を組みながら天使を眺める。
その横に何故か目尻を下げた営業部の強面部長がいる。何故いる。
「レオ君、見てください。フェルトの犬です」
とか言いながら、自作のおもちゃを披露していた。
「かあいい!」
可愛いのはレオあなたよ!
ジャッドは「フレンドリー」に挑戦してみた。
年上の顧客に「若いのに頑張っているね」と気に入って「もらう」のではない、対等で親しいコミュニケーションだ。
今までも全くして来なかったわけではないし、こうして前社から付いてきてくれた人もいて、全然出来ないとは思っていないが、しかし上手いとも思っていなかった。
「上手ですね、お裁縫が出来るって便利なことが多いですし、良いですよね。どちらかで習われたんですか?」
「ああ、ほら私元々が歯科医なもんですから、口の中縫うのと同じですよ」
我が社はそういう意外な職歴ばかりなのだろうか。
昼休憩に自分の子供の寝顔を見に行く社員も多く、勿論お迎え時と違って中には一切入れないので、薄暗い中に豆粒のような頭くらいしか見えないが、それでも午後の仕事の生産性が非常に高いように感じる。
そして営業部長は既婚子なしだが足繁く通っている。保育士さん目当ての可能性も考えられるところだが、他の複数社員に様子を見てもらうように頼んだところシロと報告された。
「癒されるんですよ……、もうすぐ父親になるもんで、成長したらこんな感じかなと……」
と言いながら瞳を潤ませていたそうだ。あれはシロと報告された。
ちなみに子供がいる社員には熱心に離乳食の作り方を聞いてきたらしい。
尚奥様も弊社の社員で、その伝手で夫である営業部長も入社していた。なので奥様の妊娠は事実だ。
産前と産後はしっかり休養してもらう予定で、その後も育児と両立出来るようにヒアリングしながら業務を決めたいと考えている。
きっとこれからの女性社員達にとって良いロールモデルとなってくれるだろう。
営業部長の他にも親や親類でないのに見学者が出てきたら、ルールを定めねばと思うが、今の小規模経営で不満も出ておらず、複数がヨシとしているのならそれはまだ止めなくても良いかと判断した。
義母が大暴れしたおかげで警察沙汰になり、良い目立ち方ではないがジャッドの会社の知名度も上がった。
悪名は無名に勝るということだろうか。
徐々にこちらから営業を掛けなくても、顧客側から問い合わせてくれることが増えていった。
ビジネスはとても順調だった。




