第1話 全属性適性ゼロ
この世界では、
スキルは数値で示され、
才能は属性で分類され、
役割は最初から決められている。
少なくとも――
そう信じられていた。
俺の鑑定結果が「全属性ゼロ」と表示されるまでは。
これは、
勇者になれなかった者が、
神にも管理されなかった理由を知るまでの話だ。
鑑定の水晶は、いつだって冷たい。
それでも今日のそれは、指先から骨の奥まで凍らせるように冷えた気がした。
「……出たぞ」
神殿の鑑定室。白い石壁に反響する声は、淡々としていて、だから余計に残酷だった。
水晶の向こう側――銀の縁で囲われた円盤に、淡い文字列が浮かび上がっている。
職業:不明
属性適性:火0/水0/風0/土0/光0/闇0
固有スキル:〈 〉
最後の行だけが、笑い話みたいに空白のまま止まっていた。
「……空欄? なんだそれ」
覗き込んだ戦士バルドが鼻で笑った。筋肉の塊みたいな腕を組み、こちらを値踏みするような目を向ける。
「鑑定の不具合だろ。……いや、違うな。お前自身が不具合か」
後ろで、魔法使いセリアが細く息を吐いた。長い髪を指先で弄びながら、冷めた視線をこちらに投げる。
「全属性ゼロ。魔力の流路も薄い。……これ、戦闘どころか、一般の見習いより下よ」
言葉が刃になる、というのはこういうことだろう。
僕は反論しようとして、喉が鳴っただけで終わった。
言い返せる材料が、ない。
勇者レオンは、真っ直ぐな人だ。だからこそ、迷いが長い。眉間に皺を寄せたまま、鑑定結果を見て、僕を見て、そしてもう一度水晶を見る。
「アレン……。お前、今まで――」
「雑用はしてきたわよね」
セリアが遮った。
悪意よりも“効率”で話す声だ。
「荷物持ち、野営の準備、食料調達。戦闘中は後方で回復薬の配布。……でもそれ、誰でもできる。勇者パーティの枠でやることじゃない」
それは、正しい。
正しすぎる言葉は、時に逃げ場を奪う。
僕は視線を落とした。床の白い石に、手のひらの影が小さく揺れている。
これまで何度も見てきた影だ。焚き火の揺らぎ、月明かりの揺らぎ、戦闘の閃光の揺らぎ。
そのたびに僕は「ここにいる意味」を探してきた。
探して、探して――
見つけられなかった。
「……すまない」
レオンの声は、謝罪の形をしていた。
けれど、その次に続く言葉は、決定だった。
「勇者パーティは、魔王討伐のための最短の編成でなければならない。俺は……お前を連れていくことで、仲間を危険に晒したくない」
バルドが頷く。
「当たり前だ。足手まといは切れ。俺たちの命は軽くねぇ」
鑑定室の隅で、治癒師の少女――リリィが小さく肩をすくめた。目は合わせない。合わせたら、何か言わなきゃいけなくなるからだ。
僕は、深呼吸した。
肺の奥が痛んだ。いつもより空気が乾いている気がした。
「……分かった」
それだけ言うと、喉の奥がひりついた。
謝られたくはない。責めたくもない。
ただ――この結末が、最初から決まっていたみたいに感じるのが、悔しかった。
「荷物は……」
「いらねぇだろ。どうせ戦えない」
バルドが言い捨てる。
セリアは興味を失ったように髪を払った。
レオンだけが、最後まで僕を見ていた。真面目な顔で、拳を握り、言葉を探している。
優しさは、時に残酷だ。
「アレン。金は……」
「大丈夫」
僕は笑ったつもりだった。
でも頬の筋肉が引き攣って、たぶん変な顔になっていたと思う。
鑑定室を出ると、神殿の回廊は静かだった。白い柱の影が長く伸び、外の光がやけに眩しい。
足音が、ひとり分だけ響く。
その事実が、胸の中に鈍い石を落とした。
――追放。
そういう言葉にすると劇的だ。でも実際は、ただ「いなくなった」だけだ。
最初から空白だったみたいに。
神殿の階段を下りる。広場には人がいる。露店の声、馬車の音、子どもの笑い声。
世界は何も変わらず回っている。
変わったのは、僕の居場所だけ。
僕は街門の方へ歩き出した。
森を越えた先に、小さな交易村がある。そこなら雑用の口くらいあるだろう。
生きるための仕事は、きっとある。
そう思っていた。
門を抜け、石畳が土に変わり、道が細くなる。背中に風が当たる。
空は青い。雲が流れる。
――泣きたい。
でも泣いたら、全部が終わってしまう気がした。
だから僕は歩いた。足を前に出すことだけに集中した。
しばらくして、森の縁に差しかかった頃だった。
背後の茂みが、ざわりと揺れた。
嫌な音だ。草が擦れる、湿った音。獣の気配とは違う。
僕は反射的に振り向き、手近な枝を掴んだ。
そこにいたのは、灰色の皮膚を持つ小さな人型――ゴブリンだった。
二体。錆びた短剣を握り、黄色い目でこちらを見ている。
「……まさか、こんなところで」
相手は低級だ。それでも僕にとっては十分に脅威だった。
勇者パーティの戦闘では、僕はいつも後方にいた。剣の振り方も、魔法の詠唱も、まともに習っていない。
逃げるべきだ。
頭では分かっているのに、足が動かない。
ゴブリンが笑った気がした。口の端が裂け、唾液が糸を引く。
近づいてくる。
――死ぬ。
その単語が、胸の内側で冷たく跳ねた瞬間。
不意に、胸の奥が熱くなった。
熱い、というより、何かが「ほどける」感覚。
息を吸う。吐く。
いつもなら、ここで終わる。怖くて声が出ない。体が固まる。
だけど今日は、喉の奥から勝手に音がこぼれた。
「……ラ……」
何を言ったのか、自分でも分からない。
ただ、風のような響きだった。
空気が、捻じれた。
森の葉が一斉に揺れ、地面の砂が円を描いて舞い上がる。
ゴブリンが目を見開き、次の瞬間――
暴風が、一直線に走った。
ぶつかったところから音が消える。何もかもが削ぎ落とされるような圧。
ゴブリンの体が、紙くずみたいに吹き飛び、木に叩きつけられた。
遅れて、乾いた破裂音。
僕の手から枝が落ちた。膝が崩れる。
心臓が暴れるように打っている。
「……え?」
僕は、自分の手のひらを見た。
何もない。光も、紋章も、魔法陣も。
でも――確かに、今、僕が“何か”をした。
森の奥が静まり返っている。
風が止み、鳥の声も消えたように感じた。
僕の喉が、勝手にもう一度鳴る。
「……ラ……?」
小さな音。試すみたいな音。
すると、指先の前で、空気が薄く震えた。
怖い。
でも、それ以上に――
胸の奥に、今まで感じたことのない感覚が芽生えた。
熱い。眩しい。息ができる。
――僕は、空白じゃないのかもしれない。
震える指で、僕は自分の胸元を押さえた。
そこには何もない。でも確かに、何かが“ある”。
遠くで、街の鐘が鳴った。
追放を告げる鐘ではない。昼を知らせる、いつもの鐘だ。
世界は変わらず回っている。
だけど――
僕の中で、何かが回り始めた。
僕は立ち上がった。足元の土を踏みしめる。
倒れたゴブリンを見て、息を呑み、それでも目を逸らさなかった。
「……なんだよ、これ」
声が、震えた。
怖さと、驚きと、そして――ほんの少しの希望で。
鑑定の水晶には、〈 〉としか映らなかった。
空欄のまま止まっていた。
でも、だったら。
その空白は、まだ書かれていないだけなのかもしれない。
僕は森の奥へ、歩き出した。
理由は分からない。ただ、確かめたかった。
僕が何者なのかを。
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