第5章 逆転劇は新しい魔法
泣き叫ぶ『A』。『魔法行』におけるすべての虚構が明かされる。そして魔法は本当の意味で完成する。
第5章 逆転劇は新しい魔法
「『魔法行』! 『魔法行』じゃないとダメなのよ! 私は――私は!」
泣き叫ぶ『A』。弱者の遠吠え――そう見えるだろう。もうすでに『魔法行』は崩壊している。再建のしようもなく。
「魔法使いを閉じ込める機関――あんたのせいで……あんたのせいなのよ! あんたが閉じ込めた! あの人を! だから私は逃げた! それの何が悪いってのよ! 私は『魔法行』から逃亡したことを、後悔していない!」
「ううう……うぅぅぅ! 『魔法行』、『魔法行』は! 閉じ込める機関なんかじゃない! 自由を奪ったりなんかしない! 現にあなたはこうして……」
「こうして!? 何を!? 何が自由よ。殺しに来たじゃない! あのとき!」
「そ、れは……」
言葉に詰まる『A』。涙ぐんでいるだけではないらしい。
「みんな……みんな、どうしてなの!? どうして……ねえ、どうして!? やりたいことをすればいいのに、どうしてそうやって、そうやって……」
「幻想に囚われているの!?」
幻想――と、彼女は、言った。
ここにいる全員が、耳を疑っただろう。
「幻想! 幻想! ありもしない制約を信じ込んで、盲信して妄信して! 『魔法行』から出たいのなら――出ればいい! 七賢者なんてのもいないのだから! 望むなら魔法を使えなくしたっていい! でも! 噂話は広まって、あたかも真実のようになって――ああ」
話しながら、彼女は諦めた。
これまでのことを。今までの自分を。
「それが、真実になったから――こうなったのね」
『CPS』脱走も、送られてきた刺客も、その刺客がやってきたことも。『寺』メンバーがしたことも。それに対して鞠がしたことも。
「……それが、現実ってやつだ。どんなに間違っていても、正しいことになっているなら、それは真実になる……。俺たちの祖先がエデンの園で知識の実を食べたことが信じられていればそれは真実になる。信実――なんてよく言うぜ」
現実。真実。信実。
信実とはこの場合、幻想で作られてしまった、虚実。
現実は理想の裏返し。
真実は傲慢の裏返し。
信実こそが、正しいのだ。
そういうことに、なっている。
そういうことに、なってしまう。
「『魔法行』から――出れる? あんた今――出れるって言ったの? 出していいって……」
「ええ……そうよ。勘違いしたのは……あなたたち。出れないという信実を、確かめなかったあなたたち! 現に――ほら! 『魔法行』から出た人たちは――誰一人として、死んでいないじゃない!」
『魔法行』から出ても、何の罰もない。
そもそも悪いことではないのだから。
人は、自分の生き方を、自分で決める権利がある。
……『ELSE』は、本当に災難だっただろう。自分の意思が支配され、なおかつ――武器にされて、殺された。不憫だと言うなら、彼こそ最も不憫だっただろう。
信実の、犠牲に。
『魔法行』から出てはいけないという信実のために、駆り出されてしまった。――そんな必要はなかったのに!
「『寺』のメンバー全員が……生きていた」
鞠は呟いた――泣きも、喚きも、何を言うでもなかった。ただその場所に、そのまま、立っていた。
「とすると……何?」
濾過は、騒ぎはしなかったが。
「私がいままでやってきたことも――」
彼が必死に足掻いたそれも。
「無駄だった――ってこと?」
ただ、虚空を仰ぎ、泣いていた。
表情は――言うまでもない。語るまでもない――絶望。
『A』はその言葉をどんな思いで言ったのだろうか。その言葉はこの二人の心を抉った――特に、濾過は――
『彼女』は。
『CPS』であり平等濾過である彼女は――深く、深く、その心を抉られた。
その人生を――踏みにじられた。
彼女はそう感じた。
「……宇宙は、いずれ終焉を迎える。気の遠くなるほどの未来だけど……。不老不死の魔法がかけられた人にとっては苦しいわ。不老不死は、希望にも絶望にもなる……だから! せめて希望にしてあげたいじゃない! ううん、それは不老不死じゃない人でも同じ! 幸せに生きて欲しい! それが、私の望み……そのための、『魔法行』!」
「……楽園、にしたかったのね。あんたは――この『魔法行』を」
エデンの園から追放されたアダムとイブ。彼らの子孫は――自ら楽園を築こうとした。
『魔法行』は――その一つ。
その一つの――はずだった。
「ええ。熱終焉を迎える宇宙では、そんなこと怖すぎてどうしようもない……でも、魔法なら何とかできる! エントロピーを減少させられる!」
「なるほどな」
轆轤は言った。
「魔法使いを閉じ込める、なんて非人道的なことはしたくなかったが――魔法使いを外に出したくないってのも本音だったらしいな。魔法使いによって――宇宙を永劫のものとするために。世界に――救いをもたらすために」
「ええ――魔法使いは、強くない……集団じゃないと。昔ならばいざ知らず! 今はもう絶対に無理! 情報化社会、核抑止力! たった一人人が死ぬだけでとても悲しいのに――何人も、何千人も死んでしまう! それは嫌、嫌、嫌ァアアアアアアアア!」
――『A』は、恥も外聞もなく、叫んだ。人が死ぬのが、嫌なのだ。どんな人であろうとも、何人死のうとも、被害の大きさに関係なく、事態の重大さに関係なく。
彼女は答えることができる。
何故、人を殺してはいけないのか。
人が死ぬのは――とても悲しいから。
彼女は原爆や戦争というものを知った時、その場でぼろぼろと涙を流し、その後しばらく笑顔を見せられなかったという。
だから今回も――泣き叫ぶ。
……ここにきて決壊したのだろう。『魔法行』をどう再興するか、それを考えるために――感情を押し殺した。
再興不能だと諦めた――そして、決壊した。
感情が、溢れ出た。
「魔法があれば、きっとみんなが幸せになれる! みんなを幸せにすることができる! だから私は『魔法行』を選ぶ! ただ……ただそれだけなのに!」
「……それ、だけ?」
濾過は言う。
その言葉に力はない。
今にも消え入りそうなほど、か弱い――心。
「でも、もうおしまい! 運命すら変えられない私に、私に――何ができるっていうのよ!」
この崩壊した『魔法行』で、彼女は運命を変えることができた。だからこそこうやってここにいる。
……これまでの『魔法行』でも、悲劇はあったのだろう。その度に『A』は運命を変更した。そして今回――それができなくなった。
平等轆轤の、手によって。
『魔法行』の運命は――変わらなくなってしまった。
「おい……『A』」
轆轤はしゃがみ、『A』と目線を合わせる。そして――襟を掴み、こう言った。
「てめぇはバカか!!?」
轆轤は――怒っていた。『A』は単純に、怖いと思った。
でも――その一言で理解できた。
平等轆轤。彼は『A』とは違う。根本的に――彼は、彼女に持っていないものを持っている。
「もうダメだとか、これでおしまいだとか――簡単に諦めるんじゃねぇ! どいつもこいつも簡単に諦めやがって! 解法がわからなかったら模範解答に頼って、模範解答が無けりゃそこで問題をやめる! 違うだろ、そんなのは単なるバカのやることだ! 思考しろ、思考しろ! 難しいの一言に纏めんな、無理の一声で諦めるな! なぜできないのか? なぜ無理なのか? ちゃんと最初から、最後まで考えろ! それは本当に無理なのか? 万に一つでも、確率はないか? 本気なんだったらどこまでも考え続けろ! 悩み続けろ! 解決策を探れ! そのために人間は脳を持ってるんだろうが! 脳を持つなら考えろ! さもなきゃてめぇはただのバカだ! 馬や鹿。動物風情だ! 環境に流され、自ら何かを打ち破る努力もしない! 考えないからだ! てめぇもそいつらと同類なのか!? 否と主張するなら思考しろ! それが知能ってもんを持つ人間の矜恃だろうが!」
――『CPS』の叫びとは異なる、恐ろしいまでの未来的な考え方。『A』はその考え方を、素直にすごいと思った。どれほどの絶望を持てば、あるいはどれほどの希望を持てばこのような考え方ができるのか、それは分からないが――『A』はただ、尊敬した。
「思考して、そして、何かを成し遂げろ。決して、駄目だとか無理だとか言うんじゃねぇ! 思考を妨げて、素晴らしい行為を妨げちゃいけねぇ。思考の先には、必ず――必ず、何かを成し遂げる力がある。それは機会かもしれねぇ。あるいは本当の盲点に気づくことかもしれねぇ。いずれにせよ! 考えない奴には永遠に掴めねぇ! 何も、何もだ!」
「……そう、ね」
例えば人間は獲物を狩る為に思考した。
例えば人間は身を守る為に思考した。
例えば人間は人と暮らす為に思考した。
例えば人間は物事を測る為に思考した。
例えば人間は定理を導く為に思考した。
例えば人間は言葉を使う為に思考した。
例えば人間は物語を作る為に思考した。
今まであった全ての歴史。そこには全て思考がある。思考がなければ、人間は何も使えない。何もできない存在になってしまう。
「そう。考えること――それが一番、大事なのよね」
魔法を用いた戦いでは、どこまで考えたかが大事になる。考えない者に、勝利は当然存在しない。
「思えば……私は、何も、思考しなかったのね……大切な、友人のことさえも」
『A』はそう言って、轆轤の腕を握る。轆轤は『A』の襟から手を離す。立ち上がり、『A』から一歩離れる。
『A』は立ち上がり、濾過に向き合う。
濾過――いや、『CPS』。
『A』の友達である、『CPS』に、向き合う。
「『CPS』――どうして、『魔法行』から、逃亡したの?」
最初以前から、それは語られる。
「……言っても、分からないと思う」
『CPS』は言った。
「考えるわ。あなたのことを、私は知ならければならない。『A』として、あなたの友達として。……飽きたなんて、理由じゃないんでしょう?」
中途半端な覚悟で、『魔法行』は出れるものではない。その覚悟を持ち――思考したから、『CPS』は逃亡できたのだ。
「……言っても、引かれると思う」
言おうとしない、『CPS』。
きっとそれこそが、彼女の根底にある、鍵なのだ。
「どんなにくだらなくたっていい。あなたにとってそれが価値のあるものなら! 言って! 私に――あなたの心を、教えて! 『CPS』!」
懇願する『A』。『CPS』は胸元を握り、俯いている。
轆轤は、何も言わない。
「……『CPS』。お願い……」
『A』は『CPS』に近づき――抱きしめた。『CPS』はそれに少し驚いたが、拒否しなかった。
「ごめんなさい……こんなこと聞いて。でも、知りたいの……お願い……」
「…………」
『CPS』は考える。
言っていいのか? 言って――言って――
「どんなに荒唐無稽だって、あなたの考えていることに――私は、協力することにしたわ。それが――今、私のやるべきこと。――あなたの夢を叶えるなら、私は……」
死んだって構わない。
そう言おうとしたのだろう。
「私……は……」
『CPS』は口を開いた。涙が、何故かは分からないけれど湧き上がってきた。ぼろぼろと、洪水のように――否、浄化されるように。
「……世界から――出たかった」
それが、彼女の望みだった。
『A』は『CPS』を、ぎゅっと抱きしめる。
その様子には、嘲りや荒唐無稽なことに対する呆れもなかった。
「ありがとう……言ってくれて」
そして、『A』は考える。
彼女のために、私は何ができるのか?
思考しろ。でなけりゃ私はただのバカだ。
「ありがとう……」
「う、うぁ、うああぁぁぁ……」
『CPS』は泣く。泣く。
今まで秘密にして、内に秘めて、溜め込んで。そうしてきたものを、言葉に出した。
世界から出る。
単純かつ、荒唐無稽。どうしようもないほどのおかしさ。嘲りの対象。とてもじゃないけれど現実的でなく、目標やら目的やら、そんな言葉にすら適応されないような。ただの妄想。そう捉えられてしかるべきこと。
それを聞いて、鞠は――ある意味、驚いた。
拍子抜けするような。
まさか、自分の尊敬する、誰よりも自由奔放な人が――こんな、こんなくだらないことで。
(……嗤っちゃ、いけないんだ)
そう思った。
(もし、濾過さんのその言葉を嗤ったら……私は、濾過さんに失望しなきゃいけない)
(……失望、したくない。私は、濾過さんを……目標にしていたのだから。ある意味)
濾過に失望するか、それとも自らの価値基準を改変するか。鞠は後者を選んだ。荒唐無稽を荒唐無稽だと切り捨てず、分からないものを投げ出したりしない。轆轤の言葉も踏まえて、鞠はそうすることに決意した。
(考えろ――私も)
(濾過さんは――どうして、そうしたかったのか?)
(それが分かればきっと、濾過さんを理解できる)
鞠は想像する。自分の半生も踏まえて、平等濾過――『CPS』の半生を、想像する。どんな気持ちで過ごしていたのか。どんな半生ならば、『魔法行』脱出まで辿り着くのか。
……世界から出る。つまりそれは、ルールからの解放を求めること。世界のルール。物理のルール。魔法のルール。それら様々なルールからの解放を、『CPS』は望んでいた。だからこそ、『魔法行』からの脱出は必至だった。たとえ偽りだとしても、そこに束縛があるのならば、解き放たれようと努力する。
それが、『CPS』の考え方……。
どんな半生があったかはともかく、『CPS』はそう、考えていたということか。
「……きっと、出来るわ」
「……どうやって」
そう。どうやって。どうやって世界から出るのか?
「魔法。魔法よ……でも、ただの魔法じゃない。私のこの血と……」
『A』は轆轤の方を見る。
「平等轆轤、あなたの意思が、きっと魔法を成す。魔法の強さは、意思の強さ。あなたほどの意思があれば、きっと……ううん、絶対に、世界から出れる」
「……ああ、分かった。いいぜ」
轆轤は天を仰ぐ。ようやく、このときが来たのだと。
轆轤は始めから分かっていた。濾過が何を考えているのか。仙道で精神に干渉できるのだから、そのくらいのことできない道理はない。そして濾過をコントロールするために、轆轤はその目的を知った。
出会った――その直後に。
……今思い返してみれば、轆轤はかなり、周囲の人間に対して、彼らの感情を操作している。愛なんてどうにでもなる。そんなわけないが、仙道ならば話は別だ。感情操作。
濾過が轆轤を好きなのはきっとそのせいだ。
一度でも触れていない相手からは、いつも嫌悪と敵意をむき出しにされるが、一度でも触れてしまえば、肯定的な感情を持つようになる。……そんな仙道は、本当に邪道だろう。感情を操るなんて……。
「私がこの力を手にいれたのは、きっと、私の血が特別だから。それしか、思い当たる節がないもの。……偶然、手に入れた血よ。……多分、あの時混入した血だと思うけど」
「混入……?」
『CPS』は訊く。『A』が何を言っているのか、さっぱり分からなかったからだ。
「――どうでもいい話ね。とにかく、それを使えば魔力をかなりの量使用できる。あとは、気持ちの問題。意思の問題。……分かった?」
「……ええ」
結果はある。原因は分からないが、そこには確かな結果がある。運命を変えるに足る魔力。それが使えるのなら――世界だって越えれるのではないか?
「そのために……平等轆轤」
「……何だ」
『A』は微笑んで言った。
「私を殺しなさい。平等轆轤」
『CPS』と鞠は言葉を疑った。死ぬことが嫌なのに。死というものが大嫌いのはずなのに――どうして。
轆轤はそれを、さも当然かのように受け止めた。
「……いいのか」
「ええ。仙道使いってことを見込んでお願いするわ。私の血を全てあなたにあげる。そして、『CPS』と……いいえ、濾過、ね。濾過と一緒に行ってあげて」
『A』は顔を伏せて、泣きそうになりながら、そう言った。死を決意したものの、それが怖くて仕方が無い。当たり前の感情だ。
「二人とも、お似合いよ」
それでも、精一杯の笑顔を、二人に向けた。
「……ま、待ってくださいよ」
鞠は口を開いた。
「わ……わけがわかりません。世界から出る? よく、わかんないですよそんなの。どうして、出て行くんですか、どうして――」
その疑問は、至極当然の疑問だった。
「この――『魔法行』はどうするんですか。そのための思考じゃ、なかったんですか!?」
『A』に言う鞠。怒りの感情というより、それはただ混乱しているだけのように見えた。混乱もするだろう。いきなり、世界に関する話をされて。
「鞠ちゃん……よく聞いて」
『A』は言う。
「『魔法行』は、あなたに再興の権利をあげるわ。……瓦礫に埋れてるかもしれないけど、『魔法行』の中核になる本が、本部の建物にある。それを探し出して。そして……開いて。あなたの望む世界を作る、そんな魔法よ」
「そんなの……」
「聞いて、鞠ちゃん」
鞠は、聞く。
「これから私と、濾過と、轆轤で、世界を出る。鞠ちゃんは残って。そして、この世界を、なんとかして。復興させて」
「あなたたちは……」
「私たちが世界から出ることによって――あなたの望む世界を、本当に作れるかもしれない。考えればある意味当然のこと。私たちも、あなたの世界に協力できる」
「意味が……わかりません……」
鞠は泣く。目の前にいる三人が、いなくなってしまうだなんて。
「思考よ。考えて、鞠ちゃん。私が何を言おうとしているのか。なんでもいい、なんでも叶えられるのよ。私のでも、そうね、『HRB』の目標でも、なんでもいい。あなたの選んだとおりに、あなたの世界は変わっていく……考えて。そして理解して」
このときは、理解できなかった。でも、言おうとしていることは、なんとなく伝わった。
この人たちは、少なくとも『A』は、私のために『世界から出る』ことをしようとしている。この私のために。
「でも、でも……納得、できませんよ……」
下を向いたまま、首を振る鞠。
「どうして、どうして……」
「鞠……いや、マリア」
轆轤は言う。自らが名付けた鞠という名ではなく、アリスの付けた、マリアという名で。
「お前は本来、平等家の人間じゃない。濾過は一人で『魔法行』から脱走した、いわゆる血縁関係がその時点でないようなものだった。兄弟も、親戚も、そして親も……いなかったんだ。だから、平等家の人間になれる。マリア。お前にはアリスがいる。たった一人のお母さんがな。……まだ、アリスに、しなきゃいけないことがあるんじゃないのか?」
鞠は――否、マリアは、アリスに戻ると伝えている。だから無理なのだ――自分も一緒に、世界を出たいなんて言うのは。
「お前は、ラーヴァー家の人間だ。だから、帰る場所がある。……平等家は、本来お前の帰る場所じゃなかった」
「私は……」
どちらなのだろう。
平等鞠。
マリア・ラーヴァー。
その両方の名前が混在している。
だから――この世界に留まらなくちゃいけない。
「鞠ちゃん、ごめんね」
そんな中、鞠と呼ぶ濾過。
「これは、私の勝手……わがままなのよ。こんなわがままに付き合わせちゃって、ごめんね。でも、私はいかなくちゃいけないのよ。わがままを抑えられるほど――私は、良い人間じゃ、無かったみたい」
「そんな……こと……っ」
涙が顔を濡らす。右手だけでは、その流れを止めることはできなかった。
「……っ、私も……私も、連れて行ってくれませんか……?」
淡く、そしてあまり意味のない希望だった。
「駄目だ」
だから轆轤からそう言われたとき、自分の中で、何かが変わるような感覚がした。
「お前は残れ――アリスと、濾過を、大切に思うならな」
……鞠は、マリアは、もうこれ以上に手札がなかった。自暴自棄という手札は……もう切ってしまったから。アリスも、濾過も……どちらも諦めきれない。だから、残る。
彼女はそう決意した。そして、頷いた。
魔界へ、まず行く。
そしてここからが問題。世界に端があるのならば、その先はすなわち、世界の外だ。その端まで行って、そしてそれを貫く。世界から出る。
大まかな方法はこれだけだ。魔法の法則にカウントするまでもない、純粋なパワー技。
もちろんこの方法を方法通りにこなせるならば、別に魔界に行く必要はない。しかし、この世界には相対性理論というものがある。
世界は、宇宙は常に膨張している。その膨張のスピードは、光の速さをゆうに超えている。超光速で、世界の端は移動している。
その端に追いつくためには、その超光速よりも速く動かなければならない。
しかし、それは不可能なのだ。こんな理論を建てたとしたら、科学者からは嘲笑を喰らい、そうでない人からも呆れのため息を貰う。相対性理論というもので、それが不可能になっているのだ。
曰く、全ての物体は光速を超えることはない――なぜなら、光速に近づくと、物体は重くなるからだ。運動量がほぼ一定になり、速さを稼ぐことができなくなる。
無理なのだ。世界の端まで行くことは。
――現実世界では。
そう。魔界ならどうだろうか。
全てのエネルギーが思考通りに変換される。質量とエネルギーは等価――つまり、そこでは質量さえも自由自在。だから、相対性理論による減速は、ない。
光速を超えることができる。
だから、世界の端まで行ける。
そして――世界から出る。
魔界だからこそできることだ。
課題は三つ。
どうやってそこまで魔力を使うか。どうやって端を破るか。そして、出てから、何をするか。
先に出てからのことを考えよう。しかしこれはあまり問題ではないかもしれない。量子真空が、本当の『何もない空間』に現れたら、ビッグバン、開闢を起こすことは容易に考えられる。そこから、世界を生み出すことが出来るだろう。
もちろん、出ることまでが目的ならば、そこで自らがビッグバンの爆薬になっても良い。
もちろん……そうはしないだろうが。
さて、二番目。端を破る方法。
これも、簡単ではある。物事の全てには端があるが、壁があるわけではない。『何もない空間』へ物が浸食していくだけだから。端なんてものがあるわけではない。だから、超えるために特別にエネルギーを使うわけではない。
……というのは、当然だが仮定にすぎない。私たちは未だ開闢の真実を知らず、世界の端も知らない。
だから彼らがちゃんと世界の外に行けるとは限らない。……まあ、五分五分と言ったところだろうか。
そう言ったって、魔界なんて現実には存在しない……おっと、証明されていないことを断言なんて出来ない。しかし、その理論が厳密には不明である以上、私たちには予想するしかない。空想、妄想するしかない。
――そして、残る最初の一つ。どうやって光速度まで、超光速まで加速するか。……魔法の第一法則。思考がエネルギーになる。ならば単純に、そこまで思考すれば良い。
……そんなに単純だろうか? ただ思考するだけで、宇宙そのものの膨張を超えるような速度が出せるだろうか? よく考えてもみて欲しい。どんな作品でも良い。どんな魔法使いでも良い。想像して欲しい。その彼の、その彼女の精一杯を――可能か? 光速を超えられるか?
光速を舐めてはいけない。地球七周半。秒速、三十万キロメートル。キロメートル毎秒という単位の凄さを想像すれば――それの三十万倍。三十倍ではない。三十万倍だ。そして、それを超える。
……だからこそ、『A』は轆轤の力を必要としたのだ。彼の絶対的で、揺るぎのない意思の強さ。仙道使いへなるほどの、意思の強さ。それがあれば、光速を超えられるのではないか。
そして……『A』の血。
彼女は最初から運命を操れる魔法使いだったわけではない。血を、手に入れたのだ。魔法を強大にする、そんな――マジックアイテムのような、血。
その血を――轆轤に。
だから、その魔法は光速を超える――
濾過の、『CPS』の目標も達成される。だから、その世界は濾過の、『CPS』の世界になるのだろう。
私たちには――観測出来ないが。
「呪文はいらない。魔方陣もいらない。必要なのは、思考だけ。それが、魔法」
『A』は言う。病院の、屋上――始まりと終わりが、重なる場所だ。
「魔法は仙道によって、きっと高められる。そして、私には魔力を高める血がある。――さあ、平等轆轤。私の血を――全て」
「轆轤くん――手を、繋いで」
濾過は、轆轤に手を差し出す。
「ああ。魔法使いと、仙道使い――そして、それらの理論。混ざり合い――世界を生むだろう」
『A』はにっこりと頷く。
「そして、この世界の全てを……あなたに」
鞠への言葉。マリアへの言葉。彼女も頷く。
「さあ、呪文も魔方陣も必要ない……しかし言わせてもらえるならば! このくだらない讃歌を謳わせて貰えないだろうか。血を献上するこの儀式に、讃歌は必要だろう!」
『A』は謳うように言う。自らの死を、できる限り崇高にするために。
「願わくば! 友人である『CPS』にも謳って欲しいものではあるけれど!」
「ええ、謳うわ。世界への別れには、それがふさわしいでしょうから。……これまでの過去に乾杯。偶然と、運命を讃えるわ。そして同時に、呪いを解放する。今ここに私たちはありとあらゆる檻を打ち破り、完全なる自由を手にいれる。そして、私たちは『平等な世界』へ旅立つのだ!」
平等。
誰もが目指す、ある種の平和。平等家は――ここに辿り着く。
「では、これより血をあなたたちに! 私は死ぬわ。あまり怖がらせないで頂戴。あなたたちの健闘を祈って――」
『A』の胸の上が、光る。光る必要は全くない。魔法らしい、虚飾だった。光はやがて球となり――赤い液体が注がれていく。
「ああ! こうして私は死んで行くのか! なんという恐怖! 死すら避けた私ではあったけれど、これは怖い! しかし流れる血は止まらず、決意は揺るがぬ!」
「大丈夫。あなたはその崇高さの末に、神話として語られるだろう! 『A』。あなたのことは、この場にいる全員は決して忘れないだろう!」
「ありがとう! さあ、さあ。私も意識が薄くなって来た……最後の魔法で、私の全てをこの血に詰めよう! では、みんな、さようなら。天国でまた! しかと再開しようっ! これまでの人生――とても、楽しかったと言って、『A』は人生に幕を降ろそう。ありがとう! あぁ……あああああっ!」
『A』の肌は白から、青へ。とても見れるようなものではなくなったそのとき。『A』は全身を血液へ変換した。
『A』の肉体は、全て消えて……今、最後の一滴となって、光の球に、回収された。
「……うん、ありがとう。そして、さようなら」
光の球は濾過の魔法へと転じ、それを自らの近くへと寄せる。
「さあ、轆轤くん」
「ああ」
二人は、その光の球に触れる。『A』の――魂の、球に。
「マリアよ!」
轆轤は呼ぶ。
「分かってます。この世界の全ては任せてください。きっと、良くしてみせます。……二人は、行ってください。楽しかったです! ありがとうございました!」
マリアも謳う。そうしなければ、この儀式は進まない。
「私も、楽しかったよ! 鞠ちゃんとして接してくれたこと。全てが楽しく、充実していた! こちらこそ、本当にありがとう!」
「俺からも言わせてくれ……ありがとうな」
仙道使いが、感情表現をするなんて、おかしなことだが、轆轤は言う。
「楽しかったぜ。魔法使い二人との生活。お前も、なかなか愉快な魔法使いだったぜ」
「ありがとう。轆轤さん。……お元気で。好きでしたよ」
告白するマリア。今しか言えないと思ったのだろう。
「ああ、俺も好きだったぜ。鞠」
「ちょっと轆轤くん。浮気?」
嫉妬する濾過。
「はん、そんなわけねぇだろ……愛してるぜ。濾過」
「……うん、轆轤くん。私も、愛してる」
二人は、肩を寄せ合い――キスをする。
光の球が、二人に吸い込まれる。『A』の血が、彼らを祝福する。光を通じて、彼ら自身の血液も混じり合う。鼓動が、重なる。
マリアはその様子を、神々しく見る。いつか自分も、誰かを好きになって……。轆轤さんへの好きという感情を、誰かにも見出せるのだろうか、と思う。
「そんじゃ……行くぞ」
「うん。行こう。この世界から、旅立とう。それじゃあね! 鞠ちゃん! あとは任せたよ!」
「はい、濾過さん、お元気で!」
別れを告げる濾過。
この世界に、別れを告げる。
「今、世界よ! あなたの檻から出てみせる! その様を、しかと見届けよ! 魔法使いは――」
「仙道使いと――」
彼らの身体から、光が発せられる。
「「世界から、出る」」
眩しい光。そして――マリアだけが、そこに残った。
濾過と轆轤のこれからの物語を、記述することはできない。あくまでもこれは現実世界と、魔界だけを記述しているのだから。不確かで、観測不可能な部分を記述するわけにはいかない。システムがない世界のことを記述することは出来ない。少なくとも、この物語では。
……これで、彼らの物語を記述することは終わりだ。ここが、主人公平等轆轤。メインキャラクター平等濾過の、終わり。彼らにこれ以降は存在しない。
物語は、終わってゆく。
虚ろな、魔法の、戦いの、世界線は――終わる。
第5章・終
第6章へ続く




